沖縄と木綿
見つけた!!!木綿布、特に薩摩木綿の事を調べていました。すると『工芸志料』という本にありました!
木綿布
天文年間薩摩の職工、木綿糸を以て布を織る。是を薩摩木綿布という。本邦に於いて木綿布を織ること、此に始まる(按ずるに、当時薩摩木綿布と称する者は、琉球より織出す所の者なるべし)
『ミンサー全書』によれば、宮古・八重山を始め琉球全土で木綿は広く栽培され、貢納布ともされています。
つまり、薩摩木綿=琉球木綿、という事です。
『ミンサー全書』では奄美の事は触れられていませんが、織物の産地としては圧倒的にいまの沖縄県で進んだ技術があった事は想像に難くないし、宮古上布や八重山上布が薩摩上布という名前で括られていることから、なんかクサイな、と思っていたのでした。特に宮古島ではすばらしい綿花・綿糸・綿布がとれていたというし、綿には藍が染められていた事からも、推量された事でした。小浜では綿絣が伝統的にありますが、なぜ、八重山本島や宮古島で今では綿布が織られていないのか、あるいは、織っていた歴史を語らないのかと言えば、これも『ミンサー全書』に書かれていますが、絹は上流階級、綿は庶民階級と分けられていて、庶民には藍縞の着用も禁止されています。つまり、『綿は安物』というイメージが当時の人にあったのでしょうね。苧麻のモノは、上布といわれるように貢納布の最上級品とされてたし、庶民には手の届かないモノであったのでしょう。その他、綿は綿花・綿糸・綿布と様々な形で交易されていたようですし、沖縄と綿の関わりも調べてみると面白そうです。今度、またじっくり話を聞いてまわります。