銀座と手縞

渡辺幻門

2012年12月02日 19:54

『古屋英子作品展』も4日目を終え、明日、明後日を残すのみとなりました。

古屋さんは、今回、手縞、諸取切という大作を展示してくださってますが、それを見てある事を思い出しました。

もう10年以上も前の事です。

10年前といえば、復帰30周年で琉球染織が大ブームとなっていた頃です。

私が訪沖したとき、ある実力派の作家さんから聞いた話です。

『銀座のA呉服店に、私の手縞を持って行って見てもらったんですが、こんなのは銀座では売れない、と言われました』

A呉服店というのは、紬を主力に扱っている有名なお店です。

A呉服店の言う『こんなの』とはどういうものでしょうか?

私が見た、手縞はとびきり美しい、完成された作品でした。

『こんなの』というのはもしかして、格子の中に入っている大きな絣柄の事でしょうか?

そして、もしかして、絣=どろくさい、モンペみたい、そんな目でA呉服店の店主は見たのでしょうか?

もし、そうだとしたら、このA呉服店は沖縄物を扱う資格がありません。

特に銀座では扱う資格がない、私はそう思います。

なぜなら、銀座というところは、人がまだ知らない新しい価値観や美意識を世に広め、育ててきたからです。

そして、あの手縞のすばらしさ、すごさをわからず、『こんなもの』と言う人に沖縄染織を扱うのは、産地にとっても悪影響を及ぼすからです。

案の定、その後、のっぺらぼうのしらけた作品ばかりが増え、手縞はほとんど作られなくなりました。

諸取切はいまや幻です。

しかし、私の知る限り、手縞は鑑識眼・審美眼の高いお客様にお求めいただいています。

確かに、手縞をはじめ、手結絣の作品の良さをわかる様になるのは少し時間がかかるかもしれません。

でも、銀座で沖縄染織を主力としている呉服屋が解らないではすまないのです。

花織やロートン織はもう沖縄だけのものではなくなりました。

しかし、沖縄でしかできないものがあるんです。

それが手縞であり、縞ぬ中であり、諸取切なんです。

なぜなら、これらには沖縄の美意識が集約されているからです。

1900年のパリ万博で日本の工芸品・美術品が注目を集め、ジャポニズムとして後のアーツ&クラフツ運動、アールヌーボー、アールデコに大きな影響を与えたのはよく知られている事です。

当時の作り手が、パリに出すからと手心を加えたか?

パリ万博に来ていた芸術家が日本の作品だからと特別な目で見ていたか?

違いますね。そのままで評価されるほど日本の作品はレベルが高く個性に富んでいたし、見る人もすばらしい感受性をもっていたんです。

銀座というのは、そういう場所なのではないでしょうか?

見た事もないであろう美、一朝一夕には解り得ないであろう美、今は忘れられつつあるが必ず残さねばならない美。

それを世に出し、世に問う場、それが銀座というところではないでしょうか。

『家賃高いのに、そんな悠長なこと、言うてられるかい』

それもそうでしょう。

でも、その気甲斐性無しが銀座の価値をどんどん落としているのではないでしょうか?

流行を追うのではなく、流行を作ってきたのも銀座です。

売れるからといって安物を山積みにするのはよその場所で良いはずです。

店には店格があるように街には街格といったものがあってよい様に思います。

悲しい事に大阪の心斎橋はその街格を失ってしまいました。

そして、私は思うのです。

いまや、手縞、諸取切、縞ぬ中こそが銀座にふさわしいのだ、と。







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