『もずやと学ぶ日本の伝統織物』第14話
【津軽刺しこぎん】
〜特産品となった農民の生活の知恵〜
○津軽地方に発生した農民の労働着
○藍染した麻布に白い紡績糸で様々な幾何文様をたんねんに刺したもの
○起源は幕末の頃と推定される
『藩政時代の農民は藩のさだめによって木綿物の常用をぜいたく品として制限されていたので、麻布が四季を通じての衣服になっていた。そこで少量の木綿糸を入手した当時の農民はこれを織るのではなく、、紺の麻布に白い綿糸を刺し添えて、肌触りの冷たい麻布にあたたかさを加え、しかも、これに模様を刺し込む事を考案した。こうして、一本の白い糸は深雪の中に生きる津軽地方の農村に新しい用と美を提供したのであった』
実用品としてのこぎんは、綿糸の普及と共に必然的に消滅していきますが、その後は民芸的価値を見いだされて特産品として生産されているということです。
私は刺し子が好きで、津軽は持っていませんが、飛騨刺し子の作務衣を愛用しています。
伝統織物というのは、沖縄の様に貢納布だったり、越後のように問屋制家内工業で作られたものであったりしますが、津軽こぎん刺しは本当に家庭から直接出てきた感じがしますね。
刺し子の密度も細かくて、非常に美しいです。
刺す人は図案が完璧に頭に入っていて、いきなり差し始めることができるそうですが、とても美しい物なので手芸的にもっと広がればいいのに、と想ってしまいます。
江戸小紋や紬なんかもそうですが、為政者から圧迫をうけても、庶民はいろんな工夫をして寒さをしのいだり、おしゃれをしたりしていたんですね。
日本人というのは本当にすごいと想いますし、芸術的センスが備わっているんだろうと想います。
刺し子の糸が紡績糸なので幕末の起源だろうと言うことですが、ということは、それ以前は刺し子もなく、麻布の着物を年がら年中着ていたんでしょうか?
次に出てくる『弘前手織』があるように、1690年(元禄3年)に山城国から野元道元を招き、桑の栽培、製糸、製織を教えたということです。
これは殖産興業政策として行われたもののようですが、武士や町人も織っていたそうですから、それなりの量ができていたんでしょうか。
だのに、農民は麻布を着ざるを得なかった。
わたしはこういう階級闘争史観が嫌いなのですが、津軽地方の農民がけっこうつらい目に遭っていたことは間違いないんでしょうね。
駒場の日本民芸館で古い見たことがありますが、とても丁寧に刺されていました。
きまじめで、粘り強い、この地方の女性の姿が目に浮かぶようです。
大阪に住んでいると、東北というのは本当に遠いんですよ。
たしか、青森、岩手、宮城は足を踏み入れたことがありません。
沖縄の手花とよく似た感じがありますが、ティサージと比べると紺地に白の刺し子ですし、スカッ!とした気品を感じます。
織物は寒いところから暖かいところへ移るに従って、おおらかに、ゆるやかになっていきます。
津軽こぎん刺しというと民芸の代表格のような物ですが、民芸の定義からすると実は外れています。
多産されるものではありませんし、分業されているものでもありません。
でも、民芸的な美しさ、魅力は持っていますよね。
民芸というのは『常用に適したもの』そして『常用するために作られ、使われて美しくなる物』なのだろうと想うんです。
資源も、素材も、手間も制限がある。
その中で、実用に即した最高の物を家族の為に作ろうとした。
そこに民芸の美しさが生まれるのだろうと想うんです。
作為が美をゆがめるなんて嘘です。
このこぎん刺しだって、お母さんが家族の為に少しでも良い物、しゃれた構図にしようと思案したはずですし、良い物ができれば、近所に自慢したはずです。
抽象的、観念的になって恐縮ですが、問題はそこに『愛』があるかどうか、なんですね。
昔の織物を見て、暖かみを感じるのはそのせいです。
商業化が進むに従って、それが感じにくくなるのは当然なんです。
つまり、民芸というのは愛のいっぱい染みついた手で作られたから、商業化されたものでも美しかった、ということなのでしょう。
はじめから商業化されているものに、かつてのような民芸美はあるはずがないのです。
刺し子でも一針一針、家族の為に心を込めて優しい気持ちで刺すのと、納期に追われてチャカチャカ刺すのと、できばえが違うのは当たり前なんです。
逆に言えば、私たちの立場の人間にとっては、いかに前者、つまり愛情もって優しい気持ちで作れる環境を作るかが問題なんですね。
鑑賞者の立場から言えば、こういうシンプルな物ほど、じっと見る。
とにかく、じっと見る。
何も考えないで5分くらいじっと見て、眼と心に焼き付けるんです。
そのとき、感想をもってはいけません。
とにかく、そのままを心に刻むんです。
たぶん、それ以外にもいろんな染織品を見るでしょう。
展示会場から出た跡、すこしお茶でも飲みながら、思い返してみるんです。
まだ、深く心に残っている物を大事にとっておけばいいんです。
それが必ず、次の下地になります。
キレイ!とか細かい!とか、余計な事を考えたり、叫んではいけないんです。
それは自分で自分を暗示にかけているだけなんです。
鑑賞者は、キレイな物はキレイ、まずい物はまずいと思えないと行けない。
そのためには、いかに先入観や偏見、予断を排除するかが大事なんです。
茶会などでは、お道具を手にとって鑑賞することが許されます。
その時も同じことです。
私は、自分の修練として、道具のいわれや銘などを耳に入れない事にしています。
心に残った物だけ、あとで宗匠に伺えば良い、と私は思っています。
『眼から入った物を腹に入れる』というかんじでしょうか。
続けていくと、どんどん参考書がお腹の中で積み上がっていきます。
しょうむない物は自然にどんどん排泄されていくはずです。
作品も他人の話も、まずは黙ってじっくり自分の中に取り込んでみる、ということなのでしょうね。
関連記事