2013年05月06日
布への敬意
ちょっと、ある作り手さんと話をしているときに、話題になったのです。
反物を持つ時の態度の話です。
その手に、その目に、そして身体全体に、『布への敬意』が感じられるか、という事です。
作り手さんはもちろんですが、私はキモノという物の何倍も『布』が好きです。
美しい布を見ると、頬ずりしたくなります。
ひげ面で、脂ぎった顔ですが、そういう衝動に駆られ、もっと行くと食べてしまいたくなります。
それは、『ずいぶん手間がかかったんだろうなぁ』とか『こんな材料を使っているんだナ』とか、そんな余分な感情はありません。
ただ、『この布がこの私の前に、手の中にある』という喜びと、その美しさを醸し出す布へのそして、それを作った作者への敬意なんですね。
それが身体全体からにじみ出る。
これがほんとの『布好き』です。
問屋へ行くと、従業員がポンポン、ポンポン、反物を投げて、得意先に見せている姿をよく見かけます。
そして、その得意先も、反物をグチャグチャにして、踏みつけて、後片付けも手伝わないで、その場を後にする。
私なら、そんなコトしませんよ。というか出来ないんです。
1点1点、精神を集中してジッと見て、買う物も買わない物も、ちゃんと巻き返して帰ります。
仕入れ先に対する礼儀もありますが、布に対する礼儀なんですね。
高級品だからとか、手作りだからとか、そんな事じゃないんです。
ただ単に、『美しい物への敬意』なんです。
美しい仏像をみれば、自然と手を合わせたくなりますよね。
私達日本人なら、美しい山、たとえば富士山を見れば、手を合わせたくなります。
それと同じ気持ちなんです。
ヤマトンチュもウチナンチュも、そこのところは共通しているんだと想います。
それは『万物に神は宿る』という精神性のせいでしょうか。
ところが、反物を雑に扱う人が居る。
私も、若い時、鐘紡のオバサンに叱られた事があります。
『あんた、もっと反物を丁寧に扱いなさい』って。
その言葉は、25年以上経った今でも、忘れません。
機械織りであろうが、化学染めであろうが、毛織りであろうが、そんなものは関係ないんです。
繊維業界にいて、繊維製品=布を扱う者は、布が好きで、敬意を持って仕事をしなければならない、という事なんです。
あなたの大切な作品を売る時、買い手が『布を大切にする人かどうか』をジックリ観察してみてください。
そこに『布に対する敬意』が感じられないなら、その布はどこでどう処分されるか解りません。
そして、布に敬意がない人は、作り手に敬意があるはずがないのです。
作り手もきっと使い捨てにされます。
そして、買う側は、心を込めて作ったとっておきの作品を譲ってもらえる様にならなければなりません。
そんな作品に、本来値段は付けられないんですが、商人ならば精一杯厳しく精一杯の感謝を込めて値段をつけてあげましょう。
そして、商人なら、その布を大切にしてくれる方へお渡しするのも、布や作り手への恩返しだと私は思います。
消費者の方々なら、目の前にいる商人が、布に敬意を持って、布を大切にしている人かどうかを、ご覧になって頂きたいと想うのです。
私が作品についてお話しするとき、時には楽しそうに、時には怒りを込めて、お話しする姿をご覧になるでしょう。
私は、私が持っている布が大好きですし、作ってくれる人達も大好きです。
また、大好きな人としかお付き合いをしない、これが私のポリシーです。
その気持ちが伝われば、必ず、お客様もその布を大切に使ってくださると想います。
布を扱う人達は、もう一度、『布への敬意』が十分であるかどうか、本当に布を愛しているのかどうか、問い直してみることも必要ではないかと想います。
反物を持つ時の態度の話です。
その手に、その目に、そして身体全体に、『布への敬意』が感じられるか、という事です。
作り手さんはもちろんですが、私はキモノという物の何倍も『布』が好きです。
美しい布を見ると、頬ずりしたくなります。
ひげ面で、脂ぎった顔ですが、そういう衝動に駆られ、もっと行くと食べてしまいたくなります。
それは、『ずいぶん手間がかかったんだろうなぁ』とか『こんな材料を使っているんだナ』とか、そんな余分な感情はありません。
ただ、『この布がこの私の前に、手の中にある』という喜びと、その美しさを醸し出す布へのそして、それを作った作者への敬意なんですね。
それが身体全体からにじみ出る。
これがほんとの『布好き』です。
問屋へ行くと、従業員がポンポン、ポンポン、反物を投げて、得意先に見せている姿をよく見かけます。
そして、その得意先も、反物をグチャグチャにして、踏みつけて、後片付けも手伝わないで、その場を後にする。
私なら、そんなコトしませんよ。というか出来ないんです。
1点1点、精神を集中してジッと見て、買う物も買わない物も、ちゃんと巻き返して帰ります。
仕入れ先に対する礼儀もありますが、布に対する礼儀なんですね。
高級品だからとか、手作りだからとか、そんな事じゃないんです。
ただ単に、『美しい物への敬意』なんです。
美しい仏像をみれば、自然と手を合わせたくなりますよね。
私達日本人なら、美しい山、たとえば富士山を見れば、手を合わせたくなります。
それと同じ気持ちなんです。
ヤマトンチュもウチナンチュも、そこのところは共通しているんだと想います。
それは『万物に神は宿る』という精神性のせいでしょうか。
ところが、反物を雑に扱う人が居る。
私も、若い時、鐘紡のオバサンに叱られた事があります。
『あんた、もっと反物を丁寧に扱いなさい』って。
その言葉は、25年以上経った今でも、忘れません。
機械織りであろうが、化学染めであろうが、毛織りであろうが、そんなものは関係ないんです。
繊維業界にいて、繊維製品=布を扱う者は、布が好きで、敬意を持って仕事をしなければならない、という事なんです。
あなたの大切な作品を売る時、買い手が『布を大切にする人かどうか』をジックリ観察してみてください。
そこに『布に対する敬意』が感じられないなら、その布はどこでどう処分されるか解りません。
そして、布に敬意がない人は、作り手に敬意があるはずがないのです。
作り手もきっと使い捨てにされます。
そして、買う側は、心を込めて作ったとっておきの作品を譲ってもらえる様にならなければなりません。
そんな作品に、本来値段は付けられないんですが、商人ならば精一杯厳しく精一杯の感謝を込めて値段をつけてあげましょう。
そして、商人なら、その布を大切にしてくれる方へお渡しするのも、布や作り手への恩返しだと私は思います。
消費者の方々なら、目の前にいる商人が、布に敬意を持って、布を大切にしている人かどうかを、ご覧になって頂きたいと想うのです。
私が作品についてお話しするとき、時には楽しそうに、時には怒りを込めて、お話しする姿をご覧になるでしょう。
私は、私が持っている布が大好きですし、作ってくれる人達も大好きです。
また、大好きな人としかお付き合いをしない、これが私のポリシーです。
その気持ちが伝われば、必ず、お客様もその布を大切に使ってくださると想います。
布を扱う人達は、もう一度、『布への敬意』が十分であるかどうか、本当に布を愛しているのかどうか、問い直してみることも必要ではないかと想います。
Posted by 渡辺幻門 at 21:17│Comments(0)
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