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  | 羽曳野市

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2013年05月20日

布のしあわせ

先日の沖縄もずや会で、こんな話をしました。

『美しいが用いられない布と、そこそこだが愛用される布、どちらが布として幸せか?』

作り手の一人は、『私は美しい布を作りたい』と言いました。

私は『作り手の幸せの話をしているのではなく、布が幸せかどうかです』と答えました。

作り手さん『布の幸せというなら・・・』

美しく、作り手の思いも存分に織り上げられ染め上げられた布。

作り手はそれをこの世に生み出す事を目標とし、喜びとします。

でも、その布が、誰にも用いられず、何にも使われないとしたら・・・

その布は、反物のまま、あるいは、四角いキレのまま、ある程度までは美しいままの状態を保持するかも知れないけれど、いずれはその美しさも削がれて朽ち果てていくんです。

その布は誰のために作られた物なのか?

制作者の自己満足のため?

それもいいでしょう。アリだと思います。

でも、制作者の手から離れ、着物として縫われ、永年に渡り、母から娘へと受け継がれ、小物として活用され、木綿なら最後は雑巾になる・・・

そんな布とどちらが幸せですか?

私は後者だと思います。

何故か?

布は鑑賞するだけでは、その魅力のすべてを味わいきれないからです。

保温、保湿、耐久性、着心地、などなど、衣類として、そして様々な用途としてふさわしい機能をも持っているからです。

人は見た目じゃ解らないといいますが、それと同じ事。

布は着てみて初めて真価を発揮する部分も大いにあるわけです。

ハンサムだと思っていたけど、とんでもない男だった!なんて事もあるし、

ブオトコだけど、付き合ってみると案外いいし、結婚して家庭を持ってみると、素晴らしい人だと気づかされた。

幸せな人生だった、と思うこともあるでしょう。

そう思ってもらえたら、男も幸せです。

男前やけど、なんかいけすかんわぁ、と思われたらどうしようもないんです。

丈夫でよう働く!稼ぎもええ!と言われた方がいい。

そして最後は、『ありがとう。ええとこ行きや』と言われて一生を終えられたら、男として本望ですわな。

という訳で、わたしはあくまでも『使って喜んでもらえる布』を造りたいと思います。

いま、制作にとりくんでいるのがコレ。

布のしあわせ

ある場所で、綿X綿の手織りで織ってもらっています。

試作が仕立て上がって来たので、今、着用テストをしています。

これを書いている今も、着ています。

2日目ですが、なかなか良い感じです。

薄手ですが、それほどシワにならないし、ボコボコしてこない。

もうちょっとハリ感が出せないかな、という感じはあります。

絹は良いのですが、綿は綿で良い所もあるんです。

でも、語弊があるかも知れませんが、価格と品質のバランスがとれたものが少ない様に感じるんです。

ちょっと出かけるときとか、居酒屋に飲みに行くときなんかには、綿の着物に雪駄履きというのが、とくにこれからのシーズンは気持ちが良いんです。

でも、私が着るとなると、かなりの耐久性が要求されます。

身体はでかいし、デコボコしているし、よく汚すし。

テストは2ヶ月くらい毎日連続して着用してみる事にしています。

オリジナルで造っている着物はたいていこのテストをしています。

だから自信をもって勧められるんですね。

『せっかく買うたんやから、着倒して、使い倒しとくなはれ』と言う気持ちですし、

最後には『ありがとう、よう働いてくれはった』と布に言ってもらえる様なものを造りたいと思っています。


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Posted by 渡辺幻門 at 14:22│Comments(1)迷作選
この記事へのコメント
糊つけは重要なポイントですが、知らない人が多いです。また、コットンボールが戦後に米綿に置き換わったのも、浴衣が涼しくない理由と 囁かれていますね。
Posted by しぶさん at 2013年05月21日 08:17
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