2013年03月09日
『もずやと学ぶ日本の伝統織物』第16話
しばらくサボっていましたが、また書きますね。
【南部紫根染】(南部紬:岩手県岩泉町、盛岡市)
○紫根染には後染と先染がある。
○後染は盛岡市紺屋町の藤田謙さんが、綿または絹に絞り加工をして紫根染めを行い、現代風の感覚。
○岩泉町の八重樫フジ・フキさんは手つむぎの絹糸を紫根に染めて手機(高機)で織っている。
○県の無形文化財には八重樫さんたちが指定されている。
○現在、南部紫根染の由来を語る文献はない。八重樫家に保存されている縞帳から推察すると、この縞帳は1825〜7年の間に当家2代目の八重樫ツチ女が、自分でも製織しながら収集したもので、これより以前から伝えられたものであるのは確かである。
○この地は元々養蚕が盛んで、地元で使うのはもとより、八王子や横浜に絹糸を出荷していた。
○下染は灰汁→灰汁→灰汁→ご汁の染め作業が前後4回繰り返される。
○その後1年間寝かされ、十分に枯らされてから、本染めとなる。
○本染めはむらさき科の多年生草木「むらさき」の根を染料とする。
○本染めの順序
1.根を石臼に入れて杵でつく。
2.麻袋に入れてその上から熱湯をかけ、紫の液を出し、これをたらいに受ける。
また麻袋の紫根を石臼に返してふたたびひく。
同じ事を2〜3回続けて根から染液をとる。
3.すでに灰染めしていある絹糸を、2カ所麻糸で結んでこれを第1回の熱い紫染液につける。
4.絹糸をひたしたまま蓋をし、染液がぬるま湯になるまで置く。
5.焼く30分後、絹糸をたらいから取り出し、染木から下げたカギに麻糸の部分をかけてつるし、染液をしたたり落として水を切る。
6.これを5回繰り返して終わる。
7.染め終えた糸は家の中に内干しにする。
○盛岡市内の後染は種々異なる点があると想われるが、残念ながらその技法は藤田家の秘伝とされている。
○古代染料の一種としての紫は、おそらくはこの地方で古来からごく手近なものとして、用いられて来たようである。江戸時代には、遠く京都からも需要がある程だったが、そのため南部藩では、他領持ち出し禁止の措置をとったこともある。
(以上引用)
いまは絞りの後染を見る方が多いのですかね。
ご他聞にもれず、織物、つまり先染というのは織るまでの工程が恐ろしいほど長い。
よくお客様に『もうこんなの織る人少ないんでしょう』と言われますが、織る人は沢山いるんですね。
その前の、糸作りやら、染料作りやらが、大変で、織り始めたら織り手さんはもう次の作品の事を考えながら織っていると言います。
紫根染ですから、もちろん天然染料なのでしょうが、今はおそらく100%というわけじゃないでしょうね。
藍でも、100%天然の発酵建ての藍で染めている人はごく一部だと聞きます。
藍の話をするととてつもなく長くなるので、また別の機会にしますが、今の時代、天然染料100%というのはきわめて難しいしリスクが大きいと想います。
お客様方は天然染料100%をお望みになる方が多くいらっしゃると想いますが、そうであるならば、それにともなうお客様の手間とリスクをも理解していただかなくてはなりません。
天然のモノだから、と大らかにいろんな出来事を許してくださる方はまだまだ極極少数だろうと想います。
100%でないと要らないと言われるし、100%にするとクレームになるし・・・と言うことで、作り手も商人も戸惑っているわけですね。
私の場合は、リスクをおかしてまで、天然染料100%を作り手に課さない事にしています。
今の時点では、化学と天然の併用が最善の選択だろうと想いますね。
琉球藍など100%のモノで、堅牢度などに問題がある場合は、私が抱え込んで、私が直に説明して買って頂いています。
他の販売員に託すことをしない、ということです。
ありのままを申し上げ、十分な情報を聞いて頂いた上で買って頂くようにしています。
それは、他の人には任せられないことなんです。
場合によっては『お客様を選ばせていただく』事もあります。
生意気な様ですが、天然染料100%というのは色が素晴らしい事と引き替えに、もろい部分もあり、それを受け入れて頂くには、キモノや染織、そしてメンテナンス・保管に十分な知識をお持ち頂いている事が必要な場合があるんです。
逆に言えば、そこまでしてお客様にお勧めする作品というのは、超弩級のモノということが言えます。
超弩級のモノを知っているから、要らぬまやかしは必要ないとも言えるわけですね。
画像をググってみると、一杯出てきますがやっぱり絞りですねぇ。
先染の現物が見てみたいなぁ。
でも、草木染めなのに先染が消えて、後染めが残っているなんて、なんか不思議ですね。
【南部紫根染】(南部紬:岩手県岩泉町、盛岡市)
○紫根染には後染と先染がある。
○後染は盛岡市紺屋町の藤田謙さんが、綿または絹に絞り加工をして紫根染めを行い、現代風の感覚。
○岩泉町の八重樫フジ・フキさんは手つむぎの絹糸を紫根に染めて手機(高機)で織っている。
○県の無形文化財には八重樫さんたちが指定されている。
○現在、南部紫根染の由来を語る文献はない。八重樫家に保存されている縞帳から推察すると、この縞帳は1825〜7年の間に当家2代目の八重樫ツチ女が、自分でも製織しながら収集したもので、これより以前から伝えられたものであるのは確かである。
○この地は元々養蚕が盛んで、地元で使うのはもとより、八王子や横浜に絹糸を出荷していた。
○下染は灰汁→灰汁→灰汁→ご汁の染め作業が前後4回繰り返される。
○その後1年間寝かされ、十分に枯らされてから、本染めとなる。
○本染めはむらさき科の多年生草木「むらさき」の根を染料とする。
○本染めの順序
1.根を石臼に入れて杵でつく。
2.麻袋に入れてその上から熱湯をかけ、紫の液を出し、これをたらいに受ける。
また麻袋の紫根を石臼に返してふたたびひく。
同じ事を2〜3回続けて根から染液をとる。
3.すでに灰染めしていある絹糸を、2カ所麻糸で結んでこれを第1回の熱い紫染液につける。
4.絹糸をひたしたまま蓋をし、染液がぬるま湯になるまで置く。
5.焼く30分後、絹糸をたらいから取り出し、染木から下げたカギに麻糸の部分をかけてつるし、染液をしたたり落として水を切る。
6.これを5回繰り返して終わる。
7.染め終えた糸は家の中に内干しにする。
○盛岡市内の後染は種々異なる点があると想われるが、残念ながらその技法は藤田家の秘伝とされている。
○古代染料の一種としての紫は、おそらくはこの地方で古来からごく手近なものとして、用いられて来たようである。江戸時代には、遠く京都からも需要がある程だったが、そのため南部藩では、他領持ち出し禁止の措置をとったこともある。
(以上引用)
いまは絞りの後染を見る方が多いのですかね。
ご他聞にもれず、織物、つまり先染というのは織るまでの工程が恐ろしいほど長い。
よくお客様に『もうこんなの織る人少ないんでしょう』と言われますが、織る人は沢山いるんですね。
その前の、糸作りやら、染料作りやらが、大変で、織り始めたら織り手さんはもう次の作品の事を考えながら織っていると言います。
紫根染ですから、もちろん天然染料なのでしょうが、今はおそらく100%というわけじゃないでしょうね。
藍でも、100%天然の発酵建ての藍で染めている人はごく一部だと聞きます。
藍の話をするととてつもなく長くなるので、また別の機会にしますが、今の時代、天然染料100%というのはきわめて難しいしリスクが大きいと想います。
お客様方は天然染料100%をお望みになる方が多くいらっしゃると想いますが、そうであるならば、それにともなうお客様の手間とリスクをも理解していただかなくてはなりません。
天然のモノだから、と大らかにいろんな出来事を許してくださる方はまだまだ極極少数だろうと想います。
100%でないと要らないと言われるし、100%にするとクレームになるし・・・と言うことで、作り手も商人も戸惑っているわけですね。
私の場合は、リスクをおかしてまで、天然染料100%を作り手に課さない事にしています。
今の時点では、化学と天然の併用が最善の選択だろうと想いますね。
琉球藍など100%のモノで、堅牢度などに問題がある場合は、私が抱え込んで、私が直に説明して買って頂いています。
他の販売員に託すことをしない、ということです。
ありのままを申し上げ、十分な情報を聞いて頂いた上で買って頂くようにしています。
それは、他の人には任せられないことなんです。
場合によっては『お客様を選ばせていただく』事もあります。
生意気な様ですが、天然染料100%というのは色が素晴らしい事と引き替えに、もろい部分もあり、それを受け入れて頂くには、キモノや染織、そしてメンテナンス・保管に十分な知識をお持ち頂いている事が必要な場合があるんです。
逆に言えば、そこまでしてお客様にお勧めする作品というのは、超弩級のモノということが言えます。
超弩級のモノを知っているから、要らぬまやかしは必要ないとも言えるわけですね。
画像をググってみると、一杯出てきますがやっぱり絞りですねぇ。
先染の現物が見てみたいなぁ。
でも、草木染めなのに先染が消えて、後染めが残っているなんて、なんか不思議ですね。
Posted by 渡辺幻門 at 19:54│Comments(0)
│日本の伝統織物
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