オオサカジン

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2013年06月09日

『もずやと学ぶアーツ&クラフツ』第9話

【ロンドン 黄金の時代】

ずいぶん、ご無沙汰してしまいました。

また、ボチボチ書きます。

言い訳じゃないですけど、この本は内容が細かくて、抽象的にエキスを抽出するのが大変なのです。

まぁ、頑張ります。

詳細は、読んで頂くとして・・・

ここに書いてある事で、参考になる事は・・・

アールヌーボーが日本から何を学んだか?です。

ずばり、『空間』と『線』だと想います。

イギリスに至ってそれが、顕在化してきているんです。

ダダイズムやキュビズムというのもその延長線上にあるのだと想います。

それまでのヨーロッパの絵を思い浮かべてください。

あくまで写実的に立体的に描かれていますよね。

写真と見まごうくらいです。

ところが浮世絵は・・・

ペタンとした構図、シンプルな線、色も少ない。そして、なによりシンプルです。

それでいて、必要なすべてが描かれている。

アーティストには新鮮に映ったのでしょうけど、それだけじゃそれほど広まらない。

大衆に受け入れられたからでしょう。

浮世絵は誰の為に描かれたか?

それを考えればなぜ、ヨーロッパの民衆に広く受け入れられたのかが解るでしょう。

つまり、イメージが直線的に入ってくるのです。

また、それだけヨーロッパの大衆も芸術的に成熟していたという事も言えるかも知れません。

本の挿絵やポスターなどに使われたのは、伝えたいイメージが見た人にグサッと入ってくるからでしょう。

そして記憶に残りやすい。

本のストーリーや商品イメージがその挿絵やポスターと連動するわけです。

鑑賞用として、じっくり見てくれるわけでもない。

美術館に飾られる訳でもない。

じゃ、どうして眼を向けさせて、感動を与えるか、あるいは印象に残させるか。

これがデザインという物のはじまりです。

染め物でも織物でもグチャグチャしたのは、印象に残りにくいんです。

余分なものをできるだけ排除して、自分が伝えたい物、勝負したい事を浮き上がらせる。

多色使いの物でも、心に残るのはその中の一色です。

そして、美しい造形は周りの空間によって引き立てられます。

日本の伝統工芸はまさにココなんです。

線と空間。そして色。

浮世絵も、美術と言うより工芸に含めた方が妥当なのかも知れません。

だから、アールヌーボーでも絵や建築から工芸品へと流れ、互いに作用しながら拡大していったんです。

でも、この進化の過程で日本とは違う部分があるんです。

それは、ヨーロッパでは思想や哲学が入ってしまったことです。

日本の美術・工芸にはそれがなかった。

これは余談になるんですが、この思想・哲学を美術・工芸に持ち込んだことが日本においては大きな過ちだったと私は思っています。

つまり自我を注入することを作り手に強いた。

ヨーロッパの大衆文化というのは、革命によってもたらされました。

それまでは、文化とは王族や貴族のものだった。

でも、日本では違います。

だからヨーロッパでは革命以降、大衆文化が花開いたと同時に、美術工芸に革命思想が入り込むようになったんでしょう。

宗教的な土台も違います。

しかし、特に明治維新後、欧米の文化を良しとして何でもかんでも欧米流に習った。

美術・芸術大学でも欧米風の美術・工芸思想を広める。

これが、いまの美術工芸をダメにしているんだと私は思っています。

貴族文化にしても大衆文化にしても我が国の方がはるかに進んでいたんです。

宗教、信条、風土が違うのに、同じ事をしたって向こうに評価されるわけないんです。

ただただ、良い物を造ろう、美しい物を造ろう。

使いやすい、丈夫な物をつくって喜んでもらおう。

それでいいんだろうと想います。

なんでもそうですが、もういい加減、欧米にすり寄り、評価されようという考え方は止めた方が良いと想いますね。



  

2013年03月10日

『もずやと学ぶアーツ&クラフツ』第8話

【フランス 花のスタイル】

この本は、工芸の助けとするにはあまりにも細かいので、必要な部分を抜粋して書きますね。

ここにきて、ようやくおなじみの名前が出てきます。

アールヌーボーを少しでも知っていれば、エミール・ガレの名は記憶があるだろうと想います。

まず、フランスのアール・ヌーボーはパリとナンシーの二つの都市を拠点としていました。

その一つ、ナンシーで生まれたのがエミール・ガレです。

ガレは、哲学・生物学・製図を学んだそうです。

もともと焼き物や家具を作っていたそうですが、モリスの運動に共鳴してガラス器を作るようになったそうです。

本にはグチャグチャ書いてありますが、ここがポイントです。

ロレーヌの豊かな資源と工芸の伝統からエミール・ガレを中心とするナンシー派がうまれたんです。

ガレが、哲学、生物学、製図を学んでいた。

これを知っただけで、作品を見たことのある人の中にはピンとくる人もいるだろうと想います。

まず、哲学を学んだからこそ、モリスに影響されたのでしょう。

アーツ&クラフツは遡れば哲学にいきつきます。

そして、生物学。

ガレの作品が細かく、ある意味生々しい生き物の描写はグロテスクにさえ映ります。

そして製図。

製図は立体を平面にする作業です。

そこにナンシーの環境とガレの感性が加わって、あのガラス器が生まれたんです。

生物学により、生き物を細かくとらえる目を、そして製図で立体のものを平面に置き換える手を持った。

つまり、活き活きとした自然を工芸品の中に閉じ込める術を会得していたんですね。

ガレの作品を見るとき、諏訪の北澤美術館に行くと光線のあて方に工夫がされていて、とても美しいのですが、

ガラスの色だけでなく、その生物の描写です。

現実に見ないと解らないと想うので、是非、諏訪の北澤美術館に行ってみてください。

あそこから、アール・ヌーボーそしてアール・デコのはじまりを感じてもらえたらいいと想います。

ガレは日本の陶器を模したガラス作品も作っています。

それだけ、日本の工芸品が『自然を作品にとじこめる』事に優れていたということです。

あのガレのそのまんまの描写から、だんだんと抽象化、図案化してくる。

これがデザインのはじまりです。

ここにも書かれているルネ・ラリックやマイセンも、いままでのモノに新たな価値を付け加えたんですね。

日本人にとっては、当たり前に見えるモノでも、当時の欧米人にとっては画期的なことだったんです。

それは、『立体のモノを平面的に描写する』という事なんですね。

そうなると、宝石や身の回り品、食器、調度品、そして建築などに、様々な装飾を加えようとするんです。

ここで、学びたいと想うのは、『置き換える力』なんですね。

私なら、絵も描けないし、織れないし、染められない。

だから、その前にある、自然とか、歴史とか、人間とか、様々なモノつまり置き換える前のモノを集めるわけです。

それを貯めに貯めておく。

その私がもっているカタマリのようなモノが、作家さんと結びついたときに、作品になるんです。

これは、作詞家と作曲家、歌手の関係に似ているのでしょうか。

それは、たぶん、私の作品でも作家さんの作品でもないのだろうと想います。

この世が生んだ作品なんでしょうね。

たしかガレもパリに工房を構えていたのが、途中からナンシーに帰っているんです。

ナンシーという所に行ったことがないので解りませんが、パリとはずいぶん違うところなのじゃないでしょうか。

絵画や彫刻が、精密で写実的な描写から、デザイン、創造というものに重点が移ってくると、重要なのは感性です。

多くの人は、その感性は自分が天から与えられたものだと想っているでしょうが、違いますね。

もちろん、天分もありますが、多くは環境によって育てられるモノです。

私の感性は南大阪という土地によって培われたものですし、もし京都に生まれ育っていたら全然別のものになっていたと想います。

私は、だからこそガレはナンシーに帰ったんだと想うんです。

私がピンとくる作品は、東京や京都に移り住んだのでは造れないと想います。

この南大阪の空気と風土が生んだ私の感性と、作り手さんの感性が結びついてこそできるものです。

イギリス、ドイツで何故、アール・ヌーボーが育たなかったのか。

それも同じ理由でしょう。

芸術のタネはどこにもありますが、その土地の風土や環境と合致してこそ、大輪の花を咲かせるのでしょう。



  

2013年02月19日

『もずやと学ぶアーツ&クラフツ』第7話

【ホイッスラーとジャポニズム】

『ジェームス・マックニール・ホイッスラーはアメリカ人で、パリでファンタン・ラトゥールやブラックモンと共に画家の修業をした。

ブラックモンは1856年に日本から送られた陶器の詰め物につかわれた紙くずから北斎の漫画を発見し、ホイッスラーたちに見せた。

ここに日本の浮世絵の美がヨーロッパで発見され、印象派に影響する。』


どうやら、このホイッスラーという人がキーマンなようです。


この本の中では前述のラスキンとホイッスラーの争いの事が書かれていますが、それはおいといて、問題はこういうことです。

『なぜイギリスにアール・ヌーボーが生まれながら、コンチネンタル・アール・ヌーボーが成長した時に、、イギリスでは失われたか、モリスにおいてモダン・デザインの糸口がつけられながら、なぜモダン・デザインがイギリスでは発展しなかったか』

この原因をイギリスの先進性と保守性にあるとして、ハーバート・リードという人が以下の様に書いているそうです。

『なんらかの理由の為に、コンスタブルやターナーの作品に至現された近代的な意義に対しては、彼らはぴたりと心の扉を閉ざしてしまい、衒学と俗物性の臭気に包まれた異様な隠れ家に逃避しているのだ』

『美の為の美』の概念がイギリスとフランスでは違ったようです。

イギリスでは常に倫理的。

フランスでは印象派が現れている。

ハーバート・リードはこの理由を『イギリス社会のピューリタニズム、ヴィクトリアンの繁栄のスノビズムから来る』としています。

そもそも、イギリスの美術が線的(グラフィック)で、世俗的であって、反印象主義的性格をもっていたともされています。

あと、グチャグチャかかれていますが、要するにこういうことです。

『グラフィックであることが、そしてストイックであることが、イギリスにアール・ヌーボーを生み出した。しかし、その社会の保守性、ピューリタニズムがついにそれに革命性を与えない。イギリスにおいては自由な芸術はまだ存在していなかった』

そしたら、なんでそこから、大陸に渡ってアール・ヌーボーが発展したのか?です。

イギリスにおいてアールヌーボーは反印象主義であった、それを印象派と接近させ、後期印象派との類縁性を示さしめたのは、

『日本の浮世絵の発見』である、としています。

『東洋の芸術では、装飾的な性質と、印象派的な性質とが、独特のかたちで総合されているため、印象派の人々も、その正反対の極に立つアールヌーボーの創始者たちも、共に日本版画や中国の陶器が教えるものを使うことができた』

つまり、日本の浮世絵によって『ヨーロッパの歴史を超え、ヨーロッパの文脈では理解不能な美の発見、美の相対化による普遍的な美の発見』がなされた、ということです。

ラスキンとホイッスラーが喧嘩してた。

ラスキンは『線や!グラフィックや!倫理や道徳や!』

ホイッスラーは『なにゆうてんねん、きれいかったらええやんか!』

と言い争いをしていたわけです。

周りで聞いて居る人も、『そやなぁ、どっちなんやろ、キレイやったら何してもええてわけやないやろし・・・』

そこにせせら笑うように、北斎の版画がシューって出来てきた。

度肝を抜かれたわけです。

言い争っているラスキンとホイッスラーの溝埋める概念、すなわち、『平面性』がそこにはあったわけです。

エーッ!!!って感じなわけですよ。

こんなん、しらんかった!って。

立体的なモノを、立体として三次元で描くか、一次元で描くかと争っているときに、

『二次元は?結構ええかんじやよ』

って、出てきたわけですよ。

そしたら、これは、いろんな事に使えるわけですよ。

平面に装飾できる。

一番大事なことは、『高度に抽象化できる』ということだと想います。

1867年にはパリ万博には日本の茶室が造られ、漆器、袱紗、浮世絵などが展示されたそうです。

ホイッスラーはこの後、熱狂的な日本愛好家になって、イギリスにも日本趣味が紹介されることになったそうです。

『ホイッスラーにとって、東洋の発見は、歴史主義の意味と枠から彼を解放し、抽象主義への道を開いてくれるものであり、プレラファエルの抽象趣味とはまったくちがっていた』

キリスト教的な道徳や倫理というものから解放された芸術が、東洋の発見によって初めて実現した、ということです。

さらにホイッスラーは、パリにボヘミアにズムとデカダンスをもたらしました。

つまり、『芸術における道徳的責任の解除、自由なる芸術の概念をもちこんだ』ということです。

日本でいえば、曼荼羅やら、仏教がを描いていた人が、急に『何描いてもええよ』と言われた。

『そうは、いうてもなぁ、やっぱり他人様のためになる絵を描かなあかん』

そう想ってたら、『そんなん、古い古い。絵はキレイなんがいちばんや。説教くさい絵はやめてくれ』

どっちもどっちですけど、流れ的には、芸術家は自由を選びたかった。

その背中を押したというか、流れを力強いものにしたのが浮世絵などの日本美術だった、ということでしょうね。

日本側から考えると、前にも描きましたが、いかにわが国の大衆文化が成熟していたか、ということです。

そして、美的才能にあふれていたか、ということでもあります。

が、しかし、この本の著者は、こう書いています。

『モリスと白樺派の柳宗悦の民芸運動との関係など、これから解明されるべき問題である。なぜ前者はモダン・デザインにつながり、日本の民藝が孤立しているか』


まさしく、この事が、この『アーツ&クラフツ』の連載のテーマです。

これから、まだまだ先は長いので、みなさんも考えながら、読み進めてくださいね。


  

2013年02月13日

『もずやと学ぶアーツ&クラフツ』第6話

【プロト・アール・ヌーボー】

ここでまず初めに書かれているのは、ヘンリー・コールの事ですね。

コールは機械生産に積極的にデザインを適応させようとして、デザイン・スクールでインダストリアル・デザインを教えたということです。

そして、このコールのデザイン・スクールとモリスの運動の影響で1880-90年に芸術的共同体が次々に作られたそうです。

1882年 センチュリー・ギルド

1884年 アート・ワーカーズ・ギルド

      ホーム・アンド・インダストリー・アソシエーション

1888年 ギルド・アンド・スクール・オブ・ハンドクラフト

      アーツ・アンド・クラフト・展覧会協会

アーサー・ハイゲート・マクマードの『レンの市教会』のタイトルページのデザインはアール・ヌーボーの最初の作品とされているらしいですが、この作品の線はブレイクと北斎から来ているとされているそうです。

どんなデザインかは自分で検索してくださいね。

そして、こう書かれています。

『ドレッサー、マクマード、ウォルター、クレインなどの1870年代末から80年代の活動において、イギリスはいわゆる拝・アール・ヌーボー(盛期アール・ヌーボー)の入り口に達する。ここまでをプロト・アール・ヌーボー(初期アール・ヌーボー)と言っている。マクマードやクレインにはアシメトリー(非対称)の流動する線が現れる。これらの線にはブレイク、ゴシック、ケルト、そして日本の影響が入っている』

明治維新後、陶磁器を初めとする日本の工芸品や美術品が交易品として、あるいは、外国の好事家の手に渡り、欧米の美術工芸に大きな影響を与えたのは疑いようの無い事実です。

アール・ヌーボーの代表作家といわれるエミール・ガレも日本の工芸品から大きな影響を受けているのです。

極東の小国に過ぎない様に見える日本の文化がどうしてそこまで大きな影響を与えたのか?

理由は様々であろうと想います。

ひとつは、日本の庶民文化がきわめて成熟したレベルに達していたこと。

その文化が庶民レベルにまで浸透していたこと。

その文化が特異性を持っていた事。

次の章ではジャポニズムについて書かれていますが、いまの西洋のアール・デコつまりデザインやブランド等というモノも、日本の影響無しでは生まれ得なかったのだろうと想います。

なぜかというと、『大衆文化』『町人文化』というものが日本ほど高度に発達した国は無かったからだろうと私は考えています。

現代に生きる私達はどうしても、外国から日本に文化が流入したと考えがちです。

でも、陸続きになっている大陸の諸国で、そんなに文化の影響を受け、その文化を自国のモノとして吸収しているでしょうか?

なぜ、日本だけが、インド、チャイナなどのアジア諸国、そして欧米の文化を難なく吸収し、楽しみ、自分のモノとして活かせるのでしょうか?

余り書くと、宗教がかってくるので、これ以上は、みなさんで考えて頂いたら、と想います。

聖徳太子様が仏教を導入しようとしたとき、遣隋使、遣唐使が派遣されたとき、様々な国と交易したとき、そして明治維新後に

開国したとき、大東亜戦争に敗れて米国の文化が津波のように押し寄せたとき・・・

私達の祖先は大らかにそれを受け入れ、見事に自分のモノにして、さらに、元モノをしのぐ良い物を作り上げました。

まさに、その『更に良い物』が大きな影響を与えているんですね。

そして、一番重要なのは、受け入れる日本人の『文化力』です。

これがなければ、つくり出すことはもちろん、そのまま受け入れる事もできません。

当時の人が作った物は、欧米に受けるモノと想って作ったわけではないのです。

ただ、ひたすら良い物をと作ったんでしょう。

それらの作品が、彼らの度肝を抜いた。

ところが、デザインという面では、どうもどんどん退化しているような気がするんです。

何故?と考えたら、外国文化が入りすぎて、日本人は自分を見つめることが出来なくなっているからじゃないかと想うんですね。

日本は島国で、鎖国しなくても鎖国に誓い状態だった。

だから、『ガラパゴス』と言われるくらい、独自生が保てたんですね。

ところが、いろんな外国の文化がとめどなく入ってくる、昨今はグローバル化とか言って、日本的でなく世界標準なんて言われ出した。

日本的なモノは古いといって切り捨てられた。

デザインを生むはずの、日本の原風景も失われた。

これは、日本だけでなく、世界の文化大国に同じように言える事だろうと想います。

でも、歴史を振り返って、私達は今、気づかねばならないと想います。

日本人が日本的であること以上に競争力と影響力のあることはないのだと。

この事は、後に出てくるアール・ヌーボーの作家の動きからも解ることであろうと想います。

  

2013年02月02日

『もずやと学ぶアーツ&クラフツ』第5話

【モリスとアーツ&クラフツ】

いよいよシンウチ登場ですね。

ウィリアム・モリスこそが、アーツ&クラフツの現実的には源流になります。

まずはじめに、ウィリアム・モリスの作品を確認してみてください。

『ウィリアム・モリス、デザイナー、詩人、そして社会改革家、はすべての健全なる芸術はバイ・ザ・ピープル、フォー・ザ・ピープルでなければならないと大変な力をこめて演説した』(ニコラゥス・ペヴスナー)

前述のラスキンの手仕事への夢はウィリアム・モリスによって現実化したし、モリスはラスキンを大変尊敬していたそうです。

1859年にモリスは結婚し、その新居として『赤い家』をつくります。

この『赤い家』がアーツ&クラフツ運動の拠点となり、様々な工芸家の作品を生んだんです。

1878年にはカーペット、1883年にはさらさ木綿の染色をはじめたとあります。

そしてちょうどこのころ、社会主義運動にひかれていったようです。

ここで大きなキーワードが見つかりました。

それは『労働の疎外』という言葉です。

労働の疎外とはこういう事です。

資本主義社会では労働者の作った商品が自立して,資本として自分に対立するが,それは自分の労働が他人の労働,強制された労働,自分を苦しめる労働になることを意味する。このことが疎外された労働である。この労働の根源をマルクス(K. H. Marx)は,資本主義的私的所有,特に生産手段と生産者である賃労働者の分離に求めた。

つまり、物が魂の入らない人間によって造られる。使役、苦行の上に造られた物が美しいはずがない。

なぜそういう事になったのかというと、それは資本主義による資本家と労働者の分離であり、機械化がさらにものづくりから人間を遠ざけたからだ。

だから、資本家を倒して、労働者は自分の意志で、自分の手によって、物を造らなければならない。

そうすれば、労働者は幸福になり、世の中は美しい物で溢れる。これぞまさしくユートピアである・・・

こういう理屈なのですね。

ですからモリスは『芸術の変革は社会の変革を必要とする』と述べています。

この本の著者は、かなりモリスを美化しているように感じます。

私はね、ここらへんがどうもひっかかるんですよ。

というのは、私達日本人とは『労働』や『芸術』に対する考え方が基本的に違うんじゃないかと想うんですよ。

モリスはイギリス人ですから、キリスト教徒ですよね。

私は全然よく知らないのですが、キリスト教では『労働は神から与えられた原罪』なんだそうですね。

アダムとイブが禁断のリンゴを食べたときから、神が人間に罰として課したのが労働だった。

徳というのかなんというのか知りませんが、そういうのが積まれれば原罪から解放される、いう考え方なのでしょうか。

考えて見れば、当時、欧米には奴隷もいたし、植民地もありましたよね。

モリスがこういう考え方つまり、ゴシック時代を理想とするということは、その時代の建築家や工芸家は、労働者とは見なされていなかったし、自分たちもそう想っていなかったのでしょうか。

日本では、かなり機械化が進んだ今でも、職人技というのはまだまだ残っているし、機械というのが道具でそれを使いこなすのが名工とされていますよね。

19世紀にオートメーション化されていたはずもなく、イギリスと言えば、毛織物が有名ですが、毛織なんて今でもオートメーション化されず、機械から機械へ台車に乗せて反物を運び、一反、一反縫い付けて、加工の機械に通すんです。

モリスの発言を読むと、本来、芸術家である人が、こころならずも、単純労働に使われていると取れますが、そうではないと想います。

大資本による機械生産がはじまったことで、芸術家、工芸家は仕事を失ったんでしょう。

また、それまで芸術家・工芸家を支えてくれた、王族・貴族も没落していた。

もちろん、彼らからすれば機械生産のものなど、反吐がでるほど醜く見えたでしょうし、見たくもなかったでしょう。

フランスの作家、モーパッサンがエッフェル塔を嫌ってパリから出て行ったのと同じような話だと想います。

「この怪物が悪夢のように視線を追い、精神にとりつき、純朴な可愛そうな者達を脅かすが、彼等は芸術的建築に対する、直線と均整とに対する趣味をまだ持ちつづけているのである。」

「私はパリ、そしてフランスからも離れた。何故ならエッフェル塔があまりにも私を憂鬱にさせることになったからだ。
 どこからもそれが目に入るだけではなく、至るところでそれを目にする。ありとあらゆるありふれた材料で作られ、至る所のウインドーに飾られていて、避けようもなく苦しい悪夢なのだ。」

こうモーパッサンが書いたのが19世紀末ですから、全く同時期です。

でも、醜いモノが増えたのは、機械生産のせいだというのはわかりますけど、だからといって、資本家を打倒して、社会主義にして、みなが平等であれば、また美しい物が世の中に溢れる、というのは私には何か違和感があります。

私は、マルクス経済学も苦手でしたし、社会主義の考え方がどうも体質に合わないみたいで、あまり勉強してないんですが、社会主義というのは、みんなが自由・平等で、その中からは素晴らしい芸術や文化、そして物質的な幸福も生まれてくると考えているんでしょうね。

モリスもマルクスを読んでいたようですが、今の社会主義国や共産主義国を見ているからでしょうけど、そこからすばらしい文化や経済がうみだされるとは、どうしても思えないんです。

宗教改革にはじまって、教会の衰退、王権の崩壊と来て、民衆が主役になった。そこで生まれたのが資本主義で、産業革命がおこり、さらに大資本が誕生し、機械化が進んだ。

根っこは同じですよね。

これは一つの流れの中で起こった事です。マルクス主義者というか社会主義者にとっては思うつぼのはずです。

それなのに、また、ドェーイってちゃぶ台をひっくりかえそうとする。

マルクスは、実は、『芸術論』を書いています。

マルクスは、芸術という物に思想を乗せれば、世の中に早く、広く、深く、その思想が浸透することを知っていたんです。

それで、ラスキンが染まり、モリスも染まったんです。

そして、その思想は、明治の開国と共に、文明開化のひとつとして押し寄せたんですね。

思想の話は、これくらいにして、結果的にウィリアム・モリスがつくったモリス商会は大もうけをします。

しかし、モリス商会の商品は非常に高価で一般民衆の手のとどくモノではなかった。

モリスの功績は『生活の中に美を取り入れる』という考え方を広めたことだろうと私は評価しています。

日本人は、太古の昔からそうですからね。

庶民がつかうモノにも美が溢れていたし、生活も清潔で、基本的には平和で豊かな暮らしをしていた。

でも、ヨーロッパの民衆はそうではなかったのしょう。

私達がヨーロッパに行くと、教会や美術館の素晴らしさに目を奪われてしまいますが、それらはすべて特権階級のモノです。

工芸品もそうですね。

でも、日本では、庶民の使うモノにも美しいモノがあったし、その延長線上に朝廷や幕府への献上品があった。

日本の芸術は風土に溶け込んで安らぎを与えるのに、この時期以降の欧米の芸術にはなにか挑戦的なものを感じる。

何かよく分からないのは、基本的に、思想と歴史の土台が彼らとは違うからだと想うんですよね。

1枚の絵をまっすぐに見たとき、思想が違えば見え方、読み取れるモノも違うんです。

日本画を見て、日本人の間でものすごく見方・感じ方に開きがあるということは無いと想うんですよ。

・・・書き出すと、終わりがないので、このへんにしときます。

モリスの話はあとでも出てくると想いますので、また書きます。

  

2013年01月27日

『もずやと学ぶアーツ&クラフツ』第4話

【ジョン・ラスキン】

少し、投稿が遠のいたのは、この節をまとめるのに手間取ったからです。

中身が飛び散っていて、趣旨をつかむのに苦労しました。

それだけ、このジョン・ラスキンという人の活動範囲が広くまた、影響度も大きいということかも知れません。


ジョン・ラスキンは『前半は美の思想家、後半は社会の思想家』だったと書かれています。

経済論も展開したようですが、大したものではなかったようです。

しかし、経済論を展開したということが後のラスキンの存在意義を高める事になったようです。

『今日、我々は、概して、経済問題が道徳的議論から切り離せないという考えを持っている』

『ラスキンのモラリティックな芸術理論には今日の為のラスキンは無い。しかしそれは明日の為のラスキンであるだろう』

(ケニス・クラーク)

そして、

『ラスキンを芸術をこえて駆り立てていった上念の張力こそがラスキンお最上の作品に影響を与えているのである』

何度も何度も、この節を読み返したら解ったのですが、ラスキンの功績は

『芸術に精神性・道徳性を盛り込む事を示唆した』

ということなんですね。

『フロレンスの美について語るためには、まず我々自身がが我々の生活を美しくしなければならない』

『子供達が飢えて死んでいくとき、フロレンスの芸術は何の役にたったか、という芸術をおびやかし続ける原始的問題がラスキンによって提出される』

つまり、芸術というのは何の為にあるのか?という事ですね。

このあとに、印象派やらラファエル前派やら、キュービズムやら書かれているんですが、ポイントはココです。

『見ることと知る事の関係を明らかにしたゲシュタルト心理学的な構成概念の導入によって』

ゲシュタルト心理学:人間の精神を、部分や要素の集合ではなく、全体性や構造に重点を置いて捉える。

この構成概念の導入が『ターナーの絵画の感覚性からゴシックの構築性へとラスキンを向かわせた』のです。

『建築とは人間によって立てられた建物を、用途は何であろうと、それを観る事が人間の精神的な健康、力、および快楽に貢献するように整え飾るところの美術である』

ようやく出てきましたね。

『芸術の効用』という物に目を向けたわけです。

『ラスキンは建築とは肉体的機能性のみではなく、精神性そのものとして定義する。構造と装飾の関係が問題となる』

『ラスキンには昨日主義的側面がある。しかし、機能主義とラスキンを分かつのは<必要>としての構造を超える精神的なものとしての建築の原イメージである』

つまり、建築の構造と装飾が人間の精神に影響を与える、という事ですね。

ひいては、物が精神に影響を与える、という結論が導き出されるわけです。

『機械による大量生産される製品に醜さに対して、ラスキンは中世の工人たちの工人たちの手仕事によってつくられた美しいかたちを理想とする』

『機械にまで物化した労働者と中世の自由な職人との対比。全的人間の自由な創造こそが真の建築を生み出すのであり、建築とは社会体制にかかっているのである。ラスキンの機械への反対を進歩への反対とするのは間違っている。それは人間の機械化への反対なのである。』

『神の家と人の家は等しく美しくあるべきであるという思想、建築は精神に働きかけねばならない、つまりは建築の原イメージ、芸術としての建築、がラスキンのアールヌーボーへの問題提起である』

後で出てくる、アーツ&クラフツ運動の主役、ウイリアム・モリスが家具やインテリアを中心に造ったのは、ここに流れがあるからなんですね。

『世紀末はすべてラスキンから流れ出している。ラスキンを受け継ぐのはウィリアムモリスである。生活の為の美として、民衆芸術の創造をモリスは目標とする。一方、世紀末のデカダニズムもラスキンをその根としている美のための美としての、芸術の自立性』

デカダニズムというのは19世紀末に現れた『世紀末の憂鬱』から出たものなのでしょうが、定義をググっても出てきませんね。

とりあえず、憂鬱な感じと覚えておいて、あとは当時の作品から感じ取ったらいいと想います。

『世紀末と美のための美、デカダンと社会主義はラスキンにおいて出会う、アールヌーボーの二つの顔である』

『世紀末』『デカダン』というのはアールヌーボーを考える上での大事なキーワードです。

デカダン:19世紀末に文学的な潮流として現れたデカダンスに属する動き。転じて、世紀末的な耽美的かつ虚無的な態度を意味する語としても用いられる。デカダント。

世紀末芸術というのを調べれば、なんとなく感じがわかるかもしれません。

なんとなく、先が知れない、憂鬱な感じ・・・と言えばいいでしょうか。

作品を見ても、なんか暗い影があるような感じがするのはそういう世相を反映しているのかも知れません。

そういう世の中でラスキンの思想が生まれ、ウィリアムモリスに受け継がれた、ということなんです。

ラスキンを源流として、芸術の流れは今にまで続いています。

とくに西洋絵画、アカデミズムとも言える大学教育では、その流れは顕著です。

どんな流れかというと、芸術に精神性を盛り込んだ、社会運動としての芸術、という流れです。

アーツ&クラフツ運動にもその流れが当初から来ていて、それが日本の民芸運動にまで連なる訳です。

注目すべきは、ラスキンと同時期にマルクスは資本論を著しており、ラスキン自身も労働者の権利回復の為の社会主義運動をしていたのです。

柳宗悦の民藝論を後で一緒に勉強しますが、柳が『貴族的工芸』を徹底的に攻撃したのも、ここに民芸運動の根本があるからだと私は考えています。

しかし、わが国では、貴族的工芸と民衆的工芸を分けることは出来なかったのです。

柳が忌み嫌った『下手な手で下手な細工をする』作り手は、『作品に意図を盛り込む』ラスキンの言う工芸家でした。

そこに、矛盾が生じ、アールヌーボーは、アールデコにとって変わられ、民藝論は自滅したのだと私は感じています。

  

2013年01月13日

『もずやと学ぶアーツ&クラフツ』第3話

【ゴシック・リバイバル】

ゴシックってどんな感じのを言うか、イメージが湧かない方は自分で検索してくださいね。

『ゴシック・リバイバルはイギリス的運動であった。多分、造形芸術における唯一の純粋なイギリス的運動であった。』(ケニス・クラーク)

『それがまさにイギリスのものであるのは、イギリス・ゴシックが、決して、大陸のように途絶していたわけでなく、ブレイクがのべていたように、パーペンディキュラー(垂直的)なイギリス・ゴシックの線的性格が受け継がれていたことにある』

『本格的なゴシック・リバイバルの運動は1830年頃からである』

『ゴシック・リバイバルは実際の建築よりも、ゴシックの歴史的研究において成果をあげ、イギリスの伝統としてのゴシックに眼を向け、その構造と装飾の資料が集成された。ゴシックの家具やカーペットなどの文様が研究され、ウィリアムモリスの工芸運動を準備したし、ゴシックの地方建築(ヴィラ)などの素朴な美しさの発見はドメスティック・リバイバルをよびおこしている』

『この運動はラファエル前派と同じく、スタイルだけでなく、モラリッシュな様相を含んでいる』

『リバイバルの最上の精神・・・ビュージン、ラスキン、ウィリアムモリス・・・は芸術の変革から社会の変革へ、死せる装飾的フォルムの擁護から社会秩序の不滅の原理の擁護へと向かった』(ケニス・クラーク)

『ゴシックのカテドラルの構造はヴィオレ・ル・デュック』によって研究され、彼はゴシック構造を絶対的合理生としてとらえた。また一方で、ゴシックの装飾文様を紹介した。デュックの図案はアールヌーボーのソースとなっている』


ゴシック様式のリバイバルからそれを分解して構造・装飾が抜き出され、さらに、精神とか原理とかいう物へと昇華され、またさらに、そこから形つまり図案とか装飾へと戻っていったような感じがありますね。

精神というか抽象的なものから形、具体的な物へ、そしてそこからまた精神へというのは宗教でよく見られるんです。

たとえば、仏像です。

飛鳥時代、奈良時代の仏像と、平安時代以降の仏像は表情が違いますよね。

お寺に行けば絵解きというお釈迦様の教えをわかりやすく図解した絵がおいてあったりします。

それは、教えや伝えたいものが変わると、それを表現した偶像も変化していること、そして言葉よりも絵や像がより一般的に理解されやすい事をしめしています。

18世紀まで教会から委託されて描かれていた絵は、すべて聖書の話です。

つまりお寺の絵解きと同じです。

お釈迦様やキリスト様の教えがあって、それが様々な形となって、偶像として信仰の対象となる。

そこから、さらに新たな教えが生まれたりもするわけです。

私達日本人も西洋人も、美しいものに神が宿るような気がするのは同じことだろうと想います。

醜いものは神から見放された物と自然に感じるでしょう。

お釈迦様やキリスト様の醜い姿を描いた絵を私は見たことがありません。

あるはずがないのですね。

私達、日本人なら、東大寺の盧舎那仏(大仏様)の安らかで大きな姿を見て、何も感じない人はいないしょう。

その『感じた何か』が造られた目的なんですね。

私の住んでいる河内、飛鳥、奈良のあたりには国宝どころか、平安京が出来る前に造られた仏像がたくさんあります。

それらの仏像と平安遷都以降につくられた仏像とはなにかが違っているんです。

ここが、この美術工芸史をつかむポイントだと私は思っています。


ウィリアム・モリスが擁護を目指したという『社会秩序の不滅の原理』とはなんでしょう?

上記の話が間違っていないとすれば、この『社会秩序の不滅の原理の擁護』こそがモリスのアーツ&クラフツ運動の目的で、彼の作品の制作意図だと言えるでしょう。

モリスについては後で詳しく出てくるので今は触れませんが、芸術・工芸というものと思想・哲学との関わり方について考え、その距離感はどうあるべきなのかを考える事は、作家として生きていく上で大きな意味があることだと想います。

モリスは、社会主義運動をしながらも、モリス商会という会社を立ち上げ、自己の中に大きな矛盾をはらんでいきます。そこにも深く考えるべきポイントがあります。

  

2013年01月06日

『もずやと学ぶアーツ&クラフツ』第2話

昨日は初釜、今日は謡い初めを終えて、いよいよ明日から仕事始めです。


【ラファエル前派】(プレラファエリズム)

ここくらいからいろんな芸術家の名前が出てきますが、できたらネットで背景や作品を参照してくださいね。

・ラファエル前派はミレー、ハント、ラセッティによって結成された。

・当時のアカデミズムはラファエルを偶像視し、『崇高なる芸術』という観念がヴィクトリア朝をとらえていた。

・ラファエル前派はこれに対して、初期ルネッサンスのジオットやオルカーニャなどの素朴で力強い描写に戻ることを主張した。

・『ラファエル前派には一つの理想はない。自然の中に見た物を画布に再現することである』(ミレー)

・コンベンショナル(慣習的)な技法ではなく、自然そのものから出発することを目標として掲げた。

・プリミティヴなもの、日常的なものにおける美の発見が求められた。


上に出てきた『アカデミズム』という言葉に注意してくださいね。

○ラファエル前派の自然主義=細部における写実、触感的表現→空気遠近法の否定、タピスリ的な工芸性

○ラファエル前派は目で見、触って確かめられるものしか描写しない。しかもこの自然の表面のみによって象徴としての幻影を主題としていたのである。

○この室内性、触覚性、工芸性がバーン・ジョーンズからモリスに受け継がれた。

○ラファエル前派の中で、
  ミレー・・・自然主義、写実主義を主張
  ロセッティ・・・幻想的象徴性・・・・・・・・・・→ウィリアムモリス
  ハント・・・中間的


☆ラファエル前派がアールヌーボーに送るのは触覚的写実(室内性、平面性、工芸性)による神話的幻影、象徴性

○ロセッティにおいてラファエル前派は大きく転回する

『外的自然への忠実』から『自分自身の内的経験への忠実』へ→ラファエル前派の自然主義はモラリッシュ(道徳的)

ーーーしかし神々は死んでいたーーー

実践理性としての道徳は神の代わりに美を選んだ(美の宗教)

=自然から出発しながら芸術至上に達する

→『自然は芸術を模倣する』(ワイルド)

○バーン・ジョーンズにおける
 
 ・自然の写実に関わる構成(コンポジション)の優位

 ・視覚言語としてのイディオムの構成

 →デザインの萌芽→ウィリアムモリスのアーツ&クラフツ運動はここから始まる。

○イギリスのロマン主義の道徳性は、フランスにおける象徴主義の社会からの断絶に比べてつねに社会的である。アールヌーボーがなぜイギリスにはじまるかという原因のひとつがここにある。



と、こんな感じのあらすじです。

かなりわかりにくいと想いますし、私の理解も不十分、あるいは間違っているかも知れません。

たぶん、こういう事だと想うんです。

教会が力を持っていた時代は芸術家は教会で教化につかう宗教画を描いていれば良かったし、王権が強いときは王家や貴族の絵を注文で描いてれば良かった。

しかし、宗教改革によって教会の権威は失墜し、神ー教会ー民衆から、神ー民衆とダイレクトに神と繋がっているという気持ちができた。

つまり、神は我々の中にある。

また、教会、王族・貴族から注文をもらっていた芸術家は絶対的パトロンを失った。

誰が買うとも知れない絵を描かねばならないわけです。

何の為に描く?

絵画の制作が労働とは捉えたくないでしょう。労働は原罪によって発生した罰ですから。

そこに入ってくるのは、自分の精神。

神と繋がっている自分から生まれてくる主張です。

大衆性と道徳性・倫理性、双方を満たさねばならないわけですよね。

結論として生まれてきたのが『抽象性』、つまりメッセージ性です。

卑近な題材の中を見出して、その中に挟まっている猥雑な物を取り払う。

単純化し連呼することで、自分のメッセージを作品の中に込める。

たぶん、『南無阿弥陀仏』『何無妙法蓮華経』のお念仏と同じです。

重要なのは、技法の変化つまり、ラファエル以前の表現に戻るべきだとした、ということよりも、『抽象化』し『デザイン化』した、という部分です。

表現にとらわれると、アールデコへの流れがわかりにくくなります。

結末して、アールヌーボーの自然写実的な表現は挫折し、よりデザイン的なアールデコになって初めて、幅広く民衆に受け入れられデザインとしての洗練を見せたと言えると想います。

とにかくこの話は建築から絵画、陶器、ガラス、金属器、洋服、舞台芸術まで幅広いジャンルに渡りますから、テーマを絞らないと訳が分からなくなるんです。


注目していきたいのは、抽象化、デザイン化というキーワードです。

この言葉から何を連想しますか?

私達、呉服業界の者なら、『家紋』だと想います。

世界中見渡しても、この日本の家紋ほどすぐれたデザインは無いと私は思います。

後にジャポニズムがいかにアールヌーボー・アールデコに影響を与えたかを書くことになるかと想いますが、日本人のデザイン力が如何に図抜けているかが解ると想います。


デザインとはデ・サイン。

つまり記号化です。

絵画、彫刻などの純粋芸術、工芸などの応用芸術、舞台芸術まで含めて、その中に記号として作者の主張を埋め込む。

この記号がデザインです。

続きはまた今度 (^_^)






  

2013年01月02日

『もずやと学ぶアーツ&クラフツ』第1話

さてさて、今日からはじめましょう。

私は美術工芸論の専門家でもありませんし、学者でもありません。

知識は十分ではありませんし、あくまでも自分の仕事に役立つような読み方をしていきます。

アーツ&クラフツ、アールヌーボー、アールデコ、といっても建築からファッションまできわめてジャンルが広く、社会現象とも言える大きな潮流です。

この中で、私が焦点を当てていこうとするのは、あくまでも日本の工芸であり、最終的には染織です。

大学で勉強した、あるいはしている方もいらっしゃると想いますが、学者さんとはまた違う視点というのを感じてもらったらいいのではないかと想います。

私は、工芸の世界に生きていますし、工芸品には興味を持ってきました。工芸論を体系的に学んだのは大阪芸術大学の通信教育です。

通信ですから講義はありません。本を読んでレポートを書くだけです。

私の記憶によれば、このジャンルの科目は数種類あったと想いますがオールAでした(^_^)v(あたりまえですが)

この連載もその知識をベースに、私なりの味付けをして書いていく事になると想います。

ゴタクを並べてないで書きますね(^_^;)

【Ⅲ プロト・アール・ヌーボーの歴史】


【アール・ヌーボーの起源】

ここではアール・ヌーボーの起源としてウイリアム・ブレイクをあげています。

ウイリアム・ブレイクというと民芸運動の柳宗悦が研究者として知られています。

これはポイントですので、押さえておいてくださいね。

なぜかというと、19世紀末からの工芸・芸術の流れは宗教・哲学・思想とは切っても切れない関係にあるからです。

そこを知らないと、『芸術・工芸の呪縛』から解かれることはないし、それがこの連載を書く目的の一つでもあります。

『ブレイクにはアール・ヌーボーのライトモチーフのすべてがある。流れるような動線とそのリズム。非対称性。植物的モチーフ』

ここであげられている『アール・ヌーボーのライトモチーフ』は日本人にとっては自然に感じられる物です。

ジャポニズムとアール・ヌーボーとの関係についてはあとでお話しする機会があるだろうと想います。

ブレイクがアールヌーボーに先駆すると考えられる点としてこの本の著者は次の3点をあげています。

1.モチーフ、形態

2.印刷技法によるグラフィックアート

3.詩にうたわれた思想(社会主義、宗教的、象徴的、芸術的ユートピア、宇宙的感覚)

そして、こう書いてます。

『ブレイクにおいてはこれはスタイルの問題ではなく、その終末論的思想によって選び取られたものである』

『ブレイクの抱いていたのはそこにおける天国と地獄の結婚というユートピアであった。終末感、予言書とは社会の激動と抑圧の時に現れる。それは社会の抑圧への怒りから生まれている』

ブレイクをアールヌーボーの起源として捉えるとすれば、そこには同じものが流れていると考えるのが自然でしょう。

ブレイクのもった抑圧への怒りとは何に対してであったか?

それは『革命思想』です。

ブレイクの生きた時代を確認してみてください。1757−1827ですね。

この間に何がありましたか?

非難爆発バスティーユ。1789年、フランス革命の始まりとなるバスティーユの襲撃が起こっていますね。

最近、慶應の通信で政治学の教科書を読んでいて気づいたのですが、この芸術の流れは宗教改革から始まっているんですよ。

つまりマルティン・ルター、カルヴァンの時代、実に16世紀の話です。

ここから、教会の権威の低下、王権への不満・地位の低下、フランス革命、各国で王権の打倒と民主化、芸術の主役の交代・・・

と繋がっていくのです。

この流れの中から、宗教・哲学が無くなることはありませんでした。

というより、常に宗教と哲学が核心にあったと言うべきでしょう。

これが理解できないのは日本人の特徴かもしれませんが、民藝論までの流れを考える上でも大変重要なポイントです。

柳宗悦がウイリアム・ブレイクの研究をしたこと、白樺派に参加していたことも注目すべき点です。

話を戻すと、このウイリアム・ブレイクからラファエル前派の運動を経て、アールヌーボーへと流れ込んでいくのです。

『ブレイクがあらゆるジャンルを超えた普遍的芸術家としてアールヌーボーの理想であることであり、究極的には普遍的人間を志向していたということがある』

普遍的芸術、普遍的人間って何でしょう?

『ブレイクの終末感、ユートピア思想における社会と歴史の弁証法の洞察、社会と芸術の孤立でなく葛藤。ブレイクはヴィジョネール(幻視者)であり、レボリューショネル(革命家)である』

そしてこう書かれています。

『子供の無邪気さと悪魔の美しさと、美と政治の揺れ動き、芸術を超えてかりたてられていく衝動こそブレイクとラスキン、モリスを、そしてアールヌーボーを外的スタイルのみでなく、内的精神においてつなぐものである』

なんとなく解るでしょう?

つまりは政治・社会を芸術で『革命』しようとしたのです。

宗教改革は神と民との直接の繋がりを意識づけた。

民はだれも、神の下において平等である。

すなわちこれは教会や王権の存在否定に繋がります。

ここから、持てる物による持たざる物の収奪という観念が生まれ、マルクス・レーニン主義を生み出します。

唯物史観です。

神の否定。反商業主義。

ウィリアムモリスも社会主義運動家であった事を考えると、この流れを指摘しない方がおかしいと想います。

そして、これには産業革命も大きく影響しているのです。

後に詳しく書く機会があると想いますが、王権の崩壊によって経済の主体は民衆に移った。

それによって、大衆文化が発展したんですが、これは蒸気機関の発明もあって機械による大量生産が行われる事になった。

それまでの職工は機械に仕事を奪われることになる。

これが、アーツ&クラフツ運動の原点となったんです。


という感じで、今日はこんなところにしときます(^_^;)

  

2012年12月19日

『もずやと学ぶアーツ&クラフツ』の意義

来年からはじめる、『もずやと学ぶアーツ&クラフツ』について、なぜ今、この話を書きたいのか、をお話ししておきたいと思います。

一番は、その流れなんですね。

ヨーロッパの王政の崩壊から、近代機械産業の発展、消費の主役の交代、その流れとともに、アーツ&クラフツ、アールヌーボー、アールデコと移っていきます。

この流れを宗教、哲学、思想、経済、芸術、工芸と並べて見ていくと、この先、私達が何を目指せばいいのか、何を取り戻さねばならないのかが解るのではないかと想うんです。

今の芸術論、工芸論は昔から言われてきた物ではありません。

ほんの100年ほどの歴史しかない。

機械産業の隆盛で、町には失業者が溢れ、同時に、機械生産による美を伴わない品物が生活に入り込む。

ウィリアムモリスの運動も、彼が社会主義者だったことを忘れては語れないのです。

しかし、モリスの作った品物も結局は庶民の暮らしには程遠い高価なものだった。

アールヌーボーも同じです。

そこで生まれたのが、『デザイン』をメインにしたアールデコです。

機械生産により、洗練されたデザインのものが数多く、廉価に市場に行き渡るようになった。

この時点で、『手仕事はデザインに敗北した』といえるかもしれません。

そして、その流れは今も続いていて、デザイン自体も衰退し、機能と価格が最高の訴求内容となってきています。

安い、温かい、丈夫等々・・・

デザインの美しささえ顧みられなくなる。

建築もアールヌーボー・アールデコの代表選手ですが、建築さえも無機質な機能最優先のものばかりになってきています。

つまり、生活の全てから美しさが消えようとしているのです。

19世紀末からの流れをみると、それは上流から下流へ、高きから低きに流れる、必然と言えるかも知れません。

工芸に身を置く方々は、その流れに身を任せるのか、あるいは、流れに逆らってあくまで美しさを追求するのか。

そして、その美しさは何によって表現するのか?

『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』という言葉があります。

私は、この話の中で、読んでくださる皆さんに一方的な方向付けをするつもりはありません。

無論、私の主観、哲学、人生観が話の中にも大きく反映してくるとおもいますが、それに気を取られないで、歴史の流れを把握して、自らの頭でこれからの自分の方向性を考えて欲しいのです。

また、芸術や工芸のありかた、政治や宗教、哲学とどのように関わってきたのかを知り、また芸術・工芸の様々な分野がどのように影響しあってきたのかも知って欲しいと想います。

そして、その中で日本の民藝論をどのように位置づけるべきなのか、も考えてもらえたら、と想います。

あくまで、このブログは私の書きたいように書きます。

独断と偏見で書きます。

それに反対意見を持たれるのもいいでしょうし、共感されるのももちろん結構です。

どちらにしても、学びを深め、自分の立ち位置をしっかり見据えるきっかけになればと想っています。

話の流れとしては、先にあげたテキストを元に、アールヌーボー→アールデコ→民藝論と進んでいきます。前二つはヨーロッパ中に話が飛びますし、他分野にまたがった話になりますので、かなり時間がかかるかもしれません。

私も大好きな分野の話なので、楽しみながら書いていきたいと想います。

年が明け次第、開始しますので宜しくお願い致します。