2010年10月26日
琉球びんがた鑑賞入門?

先日仕入れした金城昌太郎さんの作品です。
琉球びんがたを見るときは、何処を見るか。
琉球びんがたにはいろんな決まりごとがありますが、それは鑑賞者、使用者にはあまり関係がありません。伝統を守る人達が考える事です。
よい琉球びんがたとはなにか?
一番は、色です。
なーんだ、そんなことか、と想われるかも知れませんが、案外これがおざなりにされているのが現状です。
昌太郎さんの作品の場合、彼しか出せない色があります。一つ一つの色が非常によく練られているんです。
良くない作品は色にキレがありません。
透明感があって、コクがあり、作家の個性が表れているのが良い作品です。
とくに作家独特の色というのは多くの作品を見なければわかりませんが、それが解るようになると古典紅型の見方も変わってきます。そして、染下の素材によって色を使い分ける技量というのも測ることができるのです。
色は単体の色を見るだけでなく、全体のバランスを見なければなりません。
この作品は、色の濃淡、強弱、陰影、明暗が上手く配置されています。
そして、そこに加わるのが琉球びんがた独特の『隈取り』です。
単体の色にさらに、強弱が加わるのです。この隈がいやらしくなく自然に入らなければなりません。
この作品は当社が扱うものとしてはかなりおとなしい部類ですが、それだけでなく、メリハリと伸びやかさがあります。
そして、決め手は地色。琉球びんがたの作家さんは、地色には無頓着なのか、指図通りに上がってくることは希です。昌太郎さんは、こちらの指図を全く受け付けない人ですが、地色のよさは群を抜いています。
地色、差し色、隈取りの色、そしてそのバランスに於いて彼をしのぐ作家はいないでしょう。
琉球びんがたがケバケバしいとかくどいというのは、柄が沢山あるからではなくて、単調だからそう見えるのです。良い紅型は上手に空間がとってあります。
そして、大事なのは『線』です。ご存じのように、琉球びんがたは、型染です。突き彫りというやり方で手彫りします。ですから、なめらかな線が出しにくいのです。ここが友禅技法と大きく違うところです。型彫りが上手くないと、なめらかで伸びやかな線は出ないのです。
そして、色の部分でも触れましたが、空間の取り方です。
実は同じ型で造った作品がもう一つあったのですが、写真の作品の方が空間の取り方がよかったのでこちらにしました。これはどうしてそうなっているかというと、柄が多いにも関わらず、地色から連なるグレーのグレデーションが絶妙に設定されていて、それによって空間が保たれているからです。昌太郎さんは、この取り方が非常に上手いのです。
空間を上手く取ることによって、型染めの単調さが解消されています。そして、テンポとリズムが出て、力強さが増すのです。グレーの濃淡で抜いている部分に色を入れたとすると、一つ一つの文様の造形美が削がれてしまいます。強調するところと、引くところを上手く使い分けています。
金城昌太郎さんの場合は、色の洗練度と構成力が持ち味と言えるでしょうか。
そして、それぞれの作家さんに持ち味、得意技、決め球があります。
城間栄順さんも沖縄を代表する作家さんですが、城間さんは古典を染めさせたら全く他の追随を許さないと評価しています。それは技量を超えた城間さんの持つ何かであろうと想います。あの力強さと華やかさ、色の深みは琉球びんがたを代表するにふさわしいものであろうと想います。
琉球びんがたというのは技法の名前であって、ああいう色合いとか柄行の事をいうのではありません。
加賀友禅でも毎田健治や中町博で作風がちがうように、びんがたも作家によって全く作風が違うのです。
作家さんの京友禅を持っていても、『京友禅は一枚もう持っているから』とは言わないでしょう。
日本画、油絵、版画、貼り絵、それぞれ味わいも趣味も違うように、びんがたにも色々あるのです。そして、同じ作家でも出来不出来があります。
びんがただけの話ではなく、作家名に囚われず、まず、じっくり作品を観る。
そして、いろんな作品と見比べてみるのです。
本当の着物を着る愉しみというのは、芸術品を身につけるという事なのです。
Posted by 渡辺幻門 at
22:25
│Comments(0)
2010年10月26日
琉球びんがた鑑賞入門?

先日仕入れした金城昌太郎さんの作品です。
琉球びんがたを見るときは、何処を見るか。
琉球びんがたにはいろんな決まりごとがありますが、それは鑑賞者、使用者にはあまり関係がありません。伝統を守る人達が考える事です。
よい琉球びんがたとはなにか?
一番は、色です。
なーんだ、そんなことか、と想われるかも知れませんが、案外これがおざなりにされているのが現状です。
昌太郎さんの作品の場合、彼しか出せない色があります。一つ一つの色が非常によく練られているんです。
良くない作品は色にキレがありません。
透明感があって、コクがあり、作家の個性が表れているのが良い作品です。
とくに作家独特の色というのは多くの作品を見なければわかりませんが、それが解るようになると古典紅型の見方も変わってきます。そして、染下の素材によって色を使い分ける技量というのも測ることができるのです。
色は単体の色を見るだけでなく、全体のバランスを見なければなりません。
この作品は、色の濃淡、強弱、陰影、明暗が上手く配置されています。
そして、そこに加わるのが琉球びんがた独特の『隈取り』です。
単体の色にさらに、強弱が加わるのです。この隈がいやらしくなく自然に入らなければなりません。
この作品は当社が扱うものとしてはかなりおとなしい部類ですが、それだけでなく、メリハリと伸びやかさがあります。
そして、決め手は地色。琉球びんがたの作家さんは、地色には無頓着なのか、指図通りに上がってくることは希です。昌太郎さんは、こちらの指図を全く受け付けない人ですが、地色のよさは群を抜いています。
地色、差し色、隈取りの色、そしてそのバランスに於いて彼をしのぐ作家はいないでしょう。
琉球びんがたがケバケバしいとかくどいというのは、柄が沢山あるからではなくて、単調だからそう見えるのです。良い紅型は上手に空間がとってあります。
そして、大事なのは『線』です。ご存じのように、琉球びんがたは、型染です。突き彫りというやり方で手彫りします。ですから、なめらかな線が出しにくいのです。ここが友禅技法と大きく違うところです。型彫りが上手くないと、なめらかで伸びやかな線は出ないのです。
そして、色の部分でも触れましたが、空間の取り方です。
実は同じ型で造った作品がもう一つあったのですが、写真の作品の方が空間の取り方がよかったのでこちらにしました。これはどうしてそうなっているかというと、柄が多いにも関わらず、地色から連なるグレーのグレデーションが絶妙に設定されていて、それによって空間が保たれているからです。昌太郎さんは、この取り方が非常に上手いのです。
空間を上手く取ることによって、型染めの単調さが解消されています。そして、テンポとリズムが出て、力強さが増すのです。グレーの濃淡で抜いている部分に色を入れたとすると、一つ一つの文様の造形美が削がれてしまいます。強調するところと、引くところを上手く使い分けています。
金城昌太郎さんの場合は、色の洗練度と構成力が持ち味と言えるでしょうか。
そして、それぞれの作家さんに持ち味、得意技、決め球があります。
城間栄順さんも沖縄を代表する作家さんですが、城間さんは古典を染めさせたら全く他の追随を許さないと評価しています。それは技量を超えた城間さんの持つ何かであろうと想います。あの力強さと華やかさ、色の深みは琉球びんがたを代表するにふさわしいものであろうと想います。
琉球びんがたというのは技法の名前であって、ああいう色合いとか柄行の事をいうのではありません。
加賀友禅でも毎田健治や中町博で作風がちがうように、びんがたも作家によって全く作風が違うのです。
作家さんの京友禅を持っていても、『京友禅は一枚もう持っているから』とは言わないでしょう。
日本画、油絵、版画、貼り絵、それぞれ味わいも趣味も違うように、びんがたにも色々あるのです。そして、同じ作家でも出来不出来があります。
びんがただけの話ではなく、作家名に囚われず、まず、じっくり作品を観る。
そして、いろんな作品と見比べてみるのです。
本当の着物を着る愉しみというのは、芸術品を身につけるという事なのです。
Posted by 渡辺幻門 at
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2010年10月26日
琉球びんがた鑑賞入門?

先日仕入れした金城昌太郎さんの作品です。
琉球びんがたを見るときは、何処を見るか。
琉球びんがたにはいろんな決まりごとがありますが、それは鑑賞者、使用者にはあまり関係がありません。伝統を守る人達が考える事です。
よい琉球びんがたとはなにか?
一番は、色です。
なーんだ、そんなことか、と想われるかも知れませんが、案外これがおざなりにされているのが現状です。
昌太郎さんの作品の場合、彼しか出せない色があります。一つ一つの色が非常によく練られているんです。
良くない作品は色にキレがありません。
透明感があって、コクがあり、作家の個性が表れているのが良い作品です。
とくに作家独特の色というのは多くの作品を見なければわかりませんが、それが解るようになると古典紅型の見方も変わってきます。そして、染下の素材によって色を使い分ける技量というのも測ることができるのです。
色は単体の色を見るだけでなく、全体のバランスを見なければなりません。
この作品は、色の濃淡、強弱、陰影、明暗が上手く配置されています。
そして、そこに加わるのが琉球びんがた独特の『隈取り』です。
単体の色にさらに、強弱が加わるのです。この隈がいやらしくなく自然に入らなければなりません。
この作品は当社が扱うものとしてはかなりおとなしい部類ですが、それだけでなく、メリハリと伸びやかさがあります。
そして、決め手は地色。琉球びんがたの作家さんは、地色には無頓着なのか、指図通りに上がってくることは希です。昌太郎さんは、こちらの指図を全く受け付けない人ですが、地色のよさは群を抜いています。
地色、差し色、隈取りの色、そしてそのバランスに於いて彼をしのぐ作家はいないでしょう。
琉球びんがたがケバケバしいとかくどいというのは、柄が沢山あるからではなくて、単調だからそう見えるのです。良い紅型は上手に空間がとってあります。
そして、大事なのは『線』です。ご存じのように、琉球びんがたは、型染です。突き彫りというやり方で手彫りします。ですから、なめらかな線が出しにくいのです。ここが友禅技法と大きく違うところです。型彫りが上手くないと、なめらかで伸びやかな線は出ないのです。
そして、色の部分でも触れましたが、空間の取り方です。
実は同じ型で造った作品がもう一つあったのですが、写真の作品の方が空間の取り方がよかったのでこちらにしました。これはどうしてそうなっているかというと、柄が多いにも関わらず、地色から連なるグレーのグレデーションが絶妙に設定されていて、それによって空間が保たれているからです。昌太郎さんは、この取り方が非常に上手いのです。
空間を上手く取ることによって、型染めの単調さが解消されています。そして、テンポとリズムが出て、力強さが増すのです。グレーの濃淡で抜いている部分に色を入れたとすると、一つ一つの文様の造形美が削がれてしまいます。強調するところと、引くところを上手く使い分けています。
金城昌太郎さんの場合は、色の洗練度と構成力が持ち味と言えるでしょうか。
そして、それぞれの作家さんに持ち味、得意技、決め球があります。
城間栄順さんも沖縄を代表する作家さんですが、城間さんは古典を染めさせたら全く他の追随を許さないと評価しています。それは技量を超えた城間さんの持つ何かであろうと想います。あの力強さと華やかさ、色の深みは琉球びんがたを代表するにふさわしいものであろうと想います。
琉球びんがたというのは技法の名前であって、ああいう色合いとか柄行の事をいうのではありません。
加賀友禅でも毎田健治や中町博で作風がちがうように、びんがたも作家によって全く作風が違うのです。
作家さんの京友禅を持っていても、『京友禅は一枚もう持っているから』とは言わないでしょう。
日本画、油絵、版画、貼り絵、それぞれ味わいも趣味も違うように、びんがたにも色々あるのです。そして、同じ作家でも出来不出来があります。
びんがただけの話ではなく、作家名に囚われず、まず、じっくり作品を観る。
そして、いろんな作品と見比べてみるのです。
本当の着物を着る愉しみというのは、芸術品を身につけるという事なのです。
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22:25
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2010年10月22日
10月沖縄訪問まとめ【主権編】
尖閣列島近海の領海侵犯問題で沖縄に注目が集まっています。
主要マスメディアはもちろん、ネット上でも沖縄県民はどう考え、どう感じているのかはほとんど知らされていないのではないかと思います。
下手をすれば、沖縄は米軍基地に反対している位だから、チャイナの支配になっても良いくらいに考えているのではないかと思っている人もいるのではないでしょうか。
断言します。
沖縄県民、とくに八重山諸島の住民はチャイナの脅威に大きな不安を抱え、それを隠しませんし、民主党政権に対して大きな不満を持っています。
タクシーの運転手、染織の作家、居酒屋の店主等々、口を揃えて、
『どうなるんだろうね〜』
『なぜ、ちゃんと対応してくれないかね〜』
『民主党は早く降ろさないとだめだね〜』
『中国が攻めてきたら、めちゃくちゃな事になるね〜』
『そうなっても、たぶん、政府は助けてくれないだろうね〜』
と他府県では聴けないような生々しい声を私達ナイチャーにぶつけてきます。
これは世間話と受け取ってはいけないのです。
沖縄県民の悲痛な叫びなのです。
このような不安な言葉=今の政権は政権の体をなしていないという事です。
私は、私の仲間には言っています。
『微力かも知れませんが、もし尖閣が取られる事になったら、私は沖縄に乗り込みます。そして玉砕してでもみなさんを守ります!』
そんなバカな!と思われるでしょう。
でも、そう言わざるを得ないほど、沖縄の仲間達の不安は大きいし、政府への不信が渦巻いているのです。
いわば、
ヤマトはウチナーを見捨てるのではないか!
と思われていると言うことです。
そんな沖縄の人達の生の声がマスメディアに阻まれて届かないのです!
私の仲間はほとんどが女性です。
ですから、私から政治問題を話すことはあまりありませんでした。
でも、彼女たちから訴えかけてくるのです。
そんな悲痛な叫びを挙げている仲間達をどうして突き放すことが出来るでしょう。
みんな、子や孫を持つ普通の女性達です。
また、いままではのんびり暮らしていたタクシーの運転手や居酒屋のオヤジです。
その人達が声を一つにして、不安と怒りを露わにしているのです。
『私は沖縄が好きです』
多くの人がそういいます。
沖縄を愛する気持ちがあるなら、どうか一言でも同じように声を挙げてください。
ひとつでいいから、行動を起こしてください。
一日に一度でいいですから、沖縄の事を想ってください。
そして、沖縄のために何をするのがいいのか、一緒に考えてください。
もずやからのお願いです。
主要マスメディアはもちろん、ネット上でも沖縄県民はどう考え、どう感じているのかはほとんど知らされていないのではないかと思います。
下手をすれば、沖縄は米軍基地に反対している位だから、チャイナの支配になっても良いくらいに考えているのではないかと思っている人もいるのではないでしょうか。
断言します。
沖縄県民、とくに八重山諸島の住民はチャイナの脅威に大きな不安を抱え、それを隠しませんし、民主党政権に対して大きな不満を持っています。
タクシーの運転手、染織の作家、居酒屋の店主等々、口を揃えて、
『どうなるんだろうね〜』
『なぜ、ちゃんと対応してくれないかね〜』
『民主党は早く降ろさないとだめだね〜』
『中国が攻めてきたら、めちゃくちゃな事になるね〜』
『そうなっても、たぶん、政府は助けてくれないだろうね〜』
と他府県では聴けないような生々しい声を私達ナイチャーにぶつけてきます。
これは世間話と受け取ってはいけないのです。
沖縄県民の悲痛な叫びなのです。
このような不安な言葉=今の政権は政権の体をなしていないという事です。
私は、私の仲間には言っています。
『微力かも知れませんが、もし尖閣が取られる事になったら、私は沖縄に乗り込みます。そして玉砕してでもみなさんを守ります!』
そんなバカな!と思われるでしょう。
でも、そう言わざるを得ないほど、沖縄の仲間達の不安は大きいし、政府への不信が渦巻いているのです。
いわば、
ヤマトはウチナーを見捨てるのではないか!
と思われていると言うことです。
そんな沖縄の人達の生の声がマスメディアに阻まれて届かないのです!
私の仲間はほとんどが女性です。
ですから、私から政治問題を話すことはあまりありませんでした。
でも、彼女たちから訴えかけてくるのです。
そんな悲痛な叫びを挙げている仲間達をどうして突き放すことが出来るでしょう。
みんな、子や孫を持つ普通の女性達です。
また、いままではのんびり暮らしていたタクシーの運転手や居酒屋のオヤジです。
その人達が声を一つにして、不安と怒りを露わにしているのです。
『私は沖縄が好きです』
多くの人がそういいます。
沖縄を愛する気持ちがあるなら、どうか一言でも同じように声を挙げてください。
ひとつでいいから、行動を起こしてください。
一日に一度でいいですから、沖縄の事を想ってください。
そして、沖縄のために何をするのがいいのか、一緒に考えてください。
もずやからのお願いです。
Posted by 渡辺幻門 at
23:56
│Comments(0)
2010年10月22日
10月沖縄訪問まとめ【主権編】
尖閣列島近海の領海侵犯問題で沖縄に注目が集まっています。
主要マスメディアはもちろん、ネット上でも沖縄県民はどう考え、どう感じているのかはほとんど知らされていないのではないかと思います。
下手をすれば、沖縄は米軍基地に反対している位だから、チャイナの支配になっても良いくらいに考えているのではないかと思っている人もいるのではないでしょうか。
断言します。
沖縄県民、とくに八重山諸島の住民はチャイナの脅威に大きな不安を抱え、それを隠しませんし、民主党政権に対して大きな不満を持っています。
タクシーの運転手、染織の作家、居酒屋の店主等々、口を揃えて、
『どうなるんだろうね〜』
『なぜ、ちゃんと対応してくれないかね〜』
『民主党は早く降ろさないとだめだね〜』
『中国が攻めてきたら、めちゃくちゃな事になるね〜』
『そうなっても、たぶん、政府は助けてくれないだろうね〜』
と他府県では聴けないような生々しい声を私達ナイチャーにぶつけてきます。
これは世間話と受け取ってはいけないのです。
沖縄県民の悲痛な叫びなのです。
このような不安な言葉=今の政権は政権の体をなしていないという事です。
私は、私の仲間には言っています。
『微力かも知れませんが、もし尖閣が取られる事になったら、私は沖縄に乗り込みます。そして玉砕してでもみなさんを守ります!』
そんなバカな!と思われるでしょう。
でも、そう言わざるを得ないほど、沖縄の仲間達の不安は大きいし、政府への不信が渦巻いているのです。
いわば、
ヤマトはウチナーを見捨てるのではないか!
と思われていると言うことです。
そんな沖縄の人達の生の声がマスメディアに阻まれて届かないのです!
私の仲間はほとんどが女性です。
ですから、私から政治問題を話すことはあまりありませんでした。
でも、彼女たちから訴えかけてくるのです。
そんな悲痛な叫びを挙げている仲間達をどうして突き放すことが出来るでしょう。
みんな、子や孫を持つ普通の女性達です。
また、いままではのんびり暮らしていたタクシーの運転手や居酒屋のオヤジです。
その人達が声を一つにして、不安と怒りを露わにしているのです。
『私は沖縄が好きです』
多くの人がそういいます。
沖縄を愛する気持ちがあるなら、どうか一言でも同じように声を挙げてください。
ひとつでいいから、行動を起こしてください。
一日に一度でいいですから、沖縄の事を想ってください。
そして、沖縄のために何をするのがいいのか、一緒に考えてください。
もずやからのお願いです。
主要マスメディアはもちろん、ネット上でも沖縄県民はどう考え、どう感じているのかはほとんど知らされていないのではないかと思います。
下手をすれば、沖縄は米軍基地に反対している位だから、チャイナの支配になっても良いくらいに考えているのではないかと思っている人もいるのではないでしょうか。
断言します。
沖縄県民、とくに八重山諸島の住民はチャイナの脅威に大きな不安を抱え、それを隠しませんし、民主党政権に対して大きな不満を持っています。
タクシーの運転手、染織の作家、居酒屋の店主等々、口を揃えて、
『どうなるんだろうね〜』
『なぜ、ちゃんと対応してくれないかね〜』
『民主党は早く降ろさないとだめだね〜』
『中国が攻めてきたら、めちゃくちゃな事になるね〜』
『そうなっても、たぶん、政府は助けてくれないだろうね〜』
と他府県では聴けないような生々しい声を私達ナイチャーにぶつけてきます。
これは世間話と受け取ってはいけないのです。
沖縄県民の悲痛な叫びなのです。
このような不安な言葉=今の政権は政権の体をなしていないという事です。
私は、私の仲間には言っています。
『微力かも知れませんが、もし尖閣が取られる事になったら、私は沖縄に乗り込みます。そして玉砕してでもみなさんを守ります!』
そんなバカな!と思われるでしょう。
でも、そう言わざるを得ないほど、沖縄の仲間達の不安は大きいし、政府への不信が渦巻いているのです。
いわば、
ヤマトはウチナーを見捨てるのではないか!
と思われていると言うことです。
そんな沖縄の人達の生の声がマスメディアに阻まれて届かないのです!
私の仲間はほとんどが女性です。
ですから、私から政治問題を話すことはあまりありませんでした。
でも、彼女たちから訴えかけてくるのです。
そんな悲痛な叫びを挙げている仲間達をどうして突き放すことが出来るでしょう。
みんな、子や孫を持つ普通の女性達です。
また、いままではのんびり暮らしていたタクシーの運転手や居酒屋のオヤジです。
その人達が声を一つにして、不安と怒りを露わにしているのです。
『私は沖縄が好きです』
多くの人がそういいます。
沖縄を愛する気持ちがあるなら、どうか一言でも同じように声を挙げてください。
ひとつでいいから、行動を起こしてください。
一日に一度でいいですから、沖縄の事を想ってください。
そして、沖縄のために何をするのがいいのか、一緒に考えてください。
もずやからのお願いです。
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10月沖縄訪問まとめ【主権編】
尖閣列島近海の領海侵犯問題で沖縄に注目が集まっています。
主要マスメディアはもちろん、ネット上でも沖縄県民はどう考え、どう感じているのかはほとんど知らされていないのではないかと思います。
下手をすれば、沖縄は米軍基地に反対している位だから、チャイナの支配になっても良いくらいに考えているのではないかと思っている人もいるのではないでしょうか。
断言します。
沖縄県民、とくに八重山諸島の住民はチャイナの脅威に大きな不安を抱え、それを隠しませんし、民主党政権に対して大きな不満を持っています。
タクシーの運転手、染織の作家、居酒屋の店主等々、口を揃えて、
『どうなるんだろうね〜』
『なぜ、ちゃんと対応してくれないかね〜』
『民主党は早く降ろさないとだめだね〜』
『中国が攻めてきたら、めちゃくちゃな事になるね〜』
『そうなっても、たぶん、政府は助けてくれないだろうね〜』
と他府県では聴けないような生々しい声を私達ナイチャーにぶつけてきます。
これは世間話と受け取ってはいけないのです。
沖縄県民の悲痛な叫びなのです。
このような不安な言葉=今の政権は政権の体をなしていないという事です。
私は、私の仲間には言っています。
『微力かも知れませんが、もし尖閣が取られる事になったら、私は沖縄に乗り込みます。そして玉砕してでもみなさんを守ります!』
そんなバカな!と思われるでしょう。
でも、そう言わざるを得ないほど、沖縄の仲間達の不安は大きいし、政府への不信が渦巻いているのです。
いわば、
ヤマトはウチナーを見捨てるのではないか!
と思われていると言うことです。
そんな沖縄の人達の生の声がマスメディアに阻まれて届かないのです!
私の仲間はほとんどが女性です。
ですから、私から政治問題を話すことはあまりありませんでした。
でも、彼女たちから訴えかけてくるのです。
そんな悲痛な叫びを挙げている仲間達をどうして突き放すことが出来るでしょう。
みんな、子や孫を持つ普通の女性達です。
また、いままではのんびり暮らしていたタクシーの運転手や居酒屋のオヤジです。
その人達が声を一つにして、不安と怒りを露わにしているのです。
『私は沖縄が好きです』
多くの人がそういいます。
沖縄を愛する気持ちがあるなら、どうか一言でも同じように声を挙げてください。
ひとつでいいから、行動を起こしてください。
一日に一度でいいですから、沖縄の事を想ってください。
そして、沖縄のために何をするのがいいのか、一緒に考えてください。
もずやからのお願いです。
主要マスメディアはもちろん、ネット上でも沖縄県民はどう考え、どう感じているのかはほとんど知らされていないのではないかと思います。
下手をすれば、沖縄は米軍基地に反対している位だから、チャイナの支配になっても良いくらいに考えているのではないかと思っている人もいるのではないでしょうか。
断言します。
沖縄県民、とくに八重山諸島の住民はチャイナの脅威に大きな不安を抱え、それを隠しませんし、民主党政権に対して大きな不満を持っています。
タクシーの運転手、染織の作家、居酒屋の店主等々、口を揃えて、
『どうなるんだろうね〜』
『なぜ、ちゃんと対応してくれないかね〜』
『民主党は早く降ろさないとだめだね〜』
『中国が攻めてきたら、めちゃくちゃな事になるね〜』
『そうなっても、たぶん、政府は助けてくれないだろうね〜』
と他府県では聴けないような生々しい声を私達ナイチャーにぶつけてきます。
これは世間話と受け取ってはいけないのです。
沖縄県民の悲痛な叫びなのです。
このような不安な言葉=今の政権は政権の体をなしていないという事です。
私は、私の仲間には言っています。
『微力かも知れませんが、もし尖閣が取られる事になったら、私は沖縄に乗り込みます。そして玉砕してでもみなさんを守ります!』
そんなバカな!と思われるでしょう。
でも、そう言わざるを得ないほど、沖縄の仲間達の不安は大きいし、政府への不信が渦巻いているのです。
いわば、
ヤマトはウチナーを見捨てるのではないか!
と思われていると言うことです。
そんな沖縄の人達の生の声がマスメディアに阻まれて届かないのです!
私の仲間はほとんどが女性です。
ですから、私から政治問題を話すことはあまりありませんでした。
でも、彼女たちから訴えかけてくるのです。
そんな悲痛な叫びを挙げている仲間達をどうして突き放すことが出来るでしょう。
みんな、子や孫を持つ普通の女性達です。
また、いままではのんびり暮らしていたタクシーの運転手や居酒屋のオヤジです。
その人達が声を一つにして、不安と怒りを露わにしているのです。
『私は沖縄が好きです』
多くの人がそういいます。
沖縄を愛する気持ちがあるなら、どうか一言でも同じように声を挙げてください。
ひとつでいいから、行動を起こしてください。
一日に一度でいいですから、沖縄の事を想ってください。
そして、沖縄のために何をするのがいいのか、一緒に考えてください。
もずやからのお願いです。
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2010年10月22日
10月沖縄訪問まとめ【染織編】
今回は、久しぶりに八重山諸島を回りました。
石垣島、西表島、与那国島です。
そこで見たモノは染織工芸の光と影です。
片方の作家さんは、自分のあるいは、伝統の世界を貫こうという信念で動き、もう片方は金になるなら何でもつくる、という世界です。
後者の様になるのは、本土復帰30周年前後に全盛期を迎えた産地、あるいは作家です。
与那国島では、人口1500人のうち、織物をしている人が30人居ると言うことです。
全人口の2%です。
30人が毎月一反の与那国織を織るとしたら、12ヶ月で360反。
少し前まではもっと多かったでしょう。
数字だけを見れば、盛んな仕事で良いことだと思います。
しかし、問題はその中味です。
私が見たところ、読谷、与那国は同じアイテムを造ろうとしている。
読谷は与那国のパクリを造り、与那国は首里のパクリをしようとしている。
双方とも伝統ある技法、特色ある色柄があります。
であるのに、売れ筋の名の下に、本来自分たちの産地の物ではない物を造っている。
これは伝統工芸に対する大いなる冒涜です。
進化でも何でもない。
これは、伝統と歴史のある産地をただの工場としてしまう大愚です。
それを指図している問屋は『それは産地が望んでいることだ』というかもしれませんが、それは詭弁です。
そのために、傷つき、損なう産地が必ず出てくるからです。
伝統工芸の世界に於いて、競争の原理はありえません。あるのは共生のみです。
いかに共生し、お互いの立場を守りつつ存続していくか。
これは単一の産地のみならず、全産地が全体を認識しながら思わねばならない事であると私は思います。
そのためには、『市場領域』を定めねばなりません。
自分たちの産地が日本の染織においてどんな位置づけにあるのか、また何処に根を生やして仕事を継続していくのか、それを策定しなければなりません。
それはいわば、『軸』です。
軸がぶれたらすべてが崩れます。
与那国織は与那国織の、読谷には読谷の、首里には首里の持ち分というのがあるはずです。どれが優位であるとか、どれを残すべきだというのはありません。すべからく均等に残すべきです。
そのため必要な事は独自性を貫くという事だと思います。
与那国が首里のマネをして、首里以上の物が出来るわけはないし、首里が読谷のマネをしてもあの力強い味わいはでません。すべての産地に言える事です。
いまは、選択と集中をして、自らの一番の得意分野で勝負すべきです。
もずやが京友禅をやっても、一場面では器用に立ち回って専門問屋の間を縫うことは出来たとしても、真っ向勝負では勝ち目がないのと同じ事です。もずやは琉球染織に最大限の力を投入してこそ、この市場に於いて存在価値があるのです。
何度も口を酸っぱくして言いますが、私達は長い伝統工芸の一場面を担っているに過ぎないのです。私達の前には多くの先人の苦労と蓄積があり、その宝物を後に続く人に渡さねばならないのです。いまを生きている私達だけで食い散らかしては絶対にならないのです。
そして、別次元の問題として気になるのは、有力問屋がなりふり構わぬ販路開拓を行っていること。そして、デフレの今日、帯ではなくて、高価な着尺が中心に動いていることです。後者は特に不自然です。市場の動きと逆行しています。まともに売り上げを取るためなら、普通の感覚では売りやすい帯の仕入れを中心に行うはずです。なぜなら、着物は仕立てと裏で10万近く掛かるからです。それが帯の何倍もする着尺が動き、帯の動きが止まっている。これは絶対におかしいのです。なぜ、こういう事が起こるかと考えて見ると、それは、品物の出て行く先、そして取引方法に問題があるからだろうと思います。婉曲的に言えば、お客さまのタンスに入り着用して頂く事を終着点としていないのではないか?という事です。
これが当たっているとしたら、本当に危険です。このバブルがはじけたら、琉球染織は終わりです。高価な着尺の価格は地に落ち、買いやすい価格帯のよい作品は市場価値を失い、問屋は手を着けなくなります。そうなったらほんとうに終わりです。産地ものとしては二度と立ち上がれません。
そうならないために産地で行うべき事は、自分たちの産地の歴史や風土など、物作りの基本となることをきちんと学び直す事です。そして、他産地の事もよく知ること。その中で、自分たちが何を造るべきかを考える事です。今売れていると言うことは将来は売れなくなると言うことです。今、売れることよりも、ずっと仕事を続けていくために何をすべきかを考えるべきなのです。
はっきり断言しておきます。
これからの時代、不勉強な人、センスの無い人、志の低い人は伝統工芸の世界で生きていくことは出来ないし、伝統工芸の永続性の為にはむしろ邪魔だと行っても過言ではありません。
過去に拘泥することが伝統染織唯一の道ではありません。しかし歴史と伝統という土台の上に組み立てるのでなければ、まさに砂上の楼閣です。
産商が一体となって、正しく王道を歩く事のみが伝統工芸に残された道なのだと私は断言します。
石垣島、西表島、与那国島です。
そこで見たモノは染織工芸の光と影です。
片方の作家さんは、自分のあるいは、伝統の世界を貫こうという信念で動き、もう片方は金になるなら何でもつくる、という世界です。
後者の様になるのは、本土復帰30周年前後に全盛期を迎えた産地、あるいは作家です。
与那国島では、人口1500人のうち、織物をしている人が30人居ると言うことです。
全人口の2%です。
30人が毎月一反の与那国織を織るとしたら、12ヶ月で360反。
少し前まではもっと多かったでしょう。
数字だけを見れば、盛んな仕事で良いことだと思います。
しかし、問題はその中味です。
私が見たところ、読谷、与那国は同じアイテムを造ろうとしている。
読谷は与那国のパクリを造り、与那国は首里のパクリをしようとしている。
双方とも伝統ある技法、特色ある色柄があります。
であるのに、売れ筋の名の下に、本来自分たちの産地の物ではない物を造っている。
これは伝統工芸に対する大いなる冒涜です。
進化でも何でもない。
これは、伝統と歴史のある産地をただの工場としてしまう大愚です。
それを指図している問屋は『それは産地が望んでいることだ』というかもしれませんが、それは詭弁です。
そのために、傷つき、損なう産地が必ず出てくるからです。
伝統工芸の世界に於いて、競争の原理はありえません。あるのは共生のみです。
いかに共生し、お互いの立場を守りつつ存続していくか。
これは単一の産地のみならず、全産地が全体を認識しながら思わねばならない事であると私は思います。
そのためには、『市場領域』を定めねばなりません。
自分たちの産地が日本の染織においてどんな位置づけにあるのか、また何処に根を生やして仕事を継続していくのか、それを策定しなければなりません。
それはいわば、『軸』です。
軸がぶれたらすべてが崩れます。
与那国織は与那国織の、読谷には読谷の、首里には首里の持ち分というのがあるはずです。どれが優位であるとか、どれを残すべきだというのはありません。すべからく均等に残すべきです。
そのため必要な事は独自性を貫くという事だと思います。
与那国が首里のマネをして、首里以上の物が出来るわけはないし、首里が読谷のマネをしてもあの力強い味わいはでません。すべての産地に言える事です。
いまは、選択と集中をして、自らの一番の得意分野で勝負すべきです。
もずやが京友禅をやっても、一場面では器用に立ち回って専門問屋の間を縫うことは出来たとしても、真っ向勝負では勝ち目がないのと同じ事です。もずやは琉球染織に最大限の力を投入してこそ、この市場に於いて存在価値があるのです。
何度も口を酸っぱくして言いますが、私達は長い伝統工芸の一場面を担っているに過ぎないのです。私達の前には多くの先人の苦労と蓄積があり、その宝物を後に続く人に渡さねばならないのです。いまを生きている私達だけで食い散らかしては絶対にならないのです。
そして、別次元の問題として気になるのは、有力問屋がなりふり構わぬ販路開拓を行っていること。そして、デフレの今日、帯ではなくて、高価な着尺が中心に動いていることです。後者は特に不自然です。市場の動きと逆行しています。まともに売り上げを取るためなら、普通の感覚では売りやすい帯の仕入れを中心に行うはずです。なぜなら、着物は仕立てと裏で10万近く掛かるからです。それが帯の何倍もする着尺が動き、帯の動きが止まっている。これは絶対におかしいのです。なぜ、こういう事が起こるかと考えて見ると、それは、品物の出て行く先、そして取引方法に問題があるからだろうと思います。婉曲的に言えば、お客さまのタンスに入り着用して頂く事を終着点としていないのではないか?という事です。
これが当たっているとしたら、本当に危険です。このバブルがはじけたら、琉球染織は終わりです。高価な着尺の価格は地に落ち、買いやすい価格帯のよい作品は市場価値を失い、問屋は手を着けなくなります。そうなったらほんとうに終わりです。産地ものとしては二度と立ち上がれません。
そうならないために産地で行うべき事は、自分たちの産地の歴史や風土など、物作りの基本となることをきちんと学び直す事です。そして、他産地の事もよく知ること。その中で、自分たちが何を造るべきかを考える事です。今売れていると言うことは将来は売れなくなると言うことです。今、売れることよりも、ずっと仕事を続けていくために何をすべきかを考えるべきなのです。
はっきり断言しておきます。
これからの時代、不勉強な人、センスの無い人、志の低い人は伝統工芸の世界で生きていくことは出来ないし、伝統工芸の永続性の為にはむしろ邪魔だと行っても過言ではありません。
過去に拘泥することが伝統染織唯一の道ではありません。しかし歴史と伝統という土台の上に組み立てるのでなければ、まさに砂上の楼閣です。
産商が一体となって、正しく王道を歩く事のみが伝統工芸に残された道なのだと私は断言します。
Posted by 渡辺幻門 at
23:25
│Comments(0)
2010年10月22日
10月沖縄訪問まとめ【染織編】
今回は、久しぶりに八重山諸島を回りました。
石垣島、西表島、与那国島です。
そこで見たモノは染織工芸の光と影です。
片方の作家さんは、自分のあるいは、伝統の世界を貫こうという信念で動き、もう片方は金になるなら何でもつくる、という世界です。
後者の様になるのは、本土復帰30周年前後に全盛期を迎えた産地、あるいは作家です。
与那国島では、人口1500人のうち、織物をしている人が30人居ると言うことです。
全人口の2%です。
30人が毎月一反の与那国織を織るとしたら、12ヶ月で360反。
少し前まではもっと多かったでしょう。
数字だけを見れば、盛んな仕事で良いことだと思います。
しかし、問題はその中味です。
私が見たところ、読谷、与那国は同じアイテムを造ろうとしている。
読谷は与那国のパクリを造り、与那国は首里のパクリをしようとしている。
双方とも伝統ある技法、特色ある色柄があります。
であるのに、売れ筋の名の下に、本来自分たちの産地の物ではない物を造っている。
これは伝統工芸に対する大いなる冒涜です。
進化でも何でもない。
これは、伝統と歴史のある産地をただの工場としてしまう大愚です。
それを指図している問屋は『それは産地が望んでいることだ』というかもしれませんが、それは詭弁です。
そのために、傷つき、損なう産地が必ず出てくるからです。
伝統工芸の世界に於いて、競争の原理はありえません。あるのは共生のみです。
いかに共生し、お互いの立場を守りつつ存続していくか。
これは単一の産地のみならず、全産地が全体を認識しながら思わねばならない事であると私は思います。
そのためには、『市場領域』を定めねばなりません。
自分たちの産地が日本の染織においてどんな位置づけにあるのか、また何処に根を生やして仕事を継続していくのか、それを策定しなければなりません。
それはいわば、『軸』です。
軸がぶれたらすべてが崩れます。
与那国織は与那国織の、読谷には読谷の、首里には首里の持ち分というのがあるはずです。どれが優位であるとか、どれを残すべきだというのはありません。すべからく均等に残すべきです。
そのため必要な事は独自性を貫くという事だと思います。
与那国が首里のマネをして、首里以上の物が出来るわけはないし、首里が読谷のマネをしてもあの力強い味わいはでません。すべての産地に言える事です。
いまは、選択と集中をして、自らの一番の得意分野で勝負すべきです。
もずやが京友禅をやっても、一場面では器用に立ち回って専門問屋の間を縫うことは出来たとしても、真っ向勝負では勝ち目がないのと同じ事です。もずやは琉球染織に最大限の力を投入してこそ、この市場に於いて存在価値があるのです。
何度も口を酸っぱくして言いますが、私達は長い伝統工芸の一場面を担っているに過ぎないのです。私達の前には多くの先人の苦労と蓄積があり、その宝物を後に続く人に渡さねばならないのです。いまを生きている私達だけで食い散らかしては絶対にならないのです。
そして、別次元の問題として気になるのは、有力問屋がなりふり構わぬ販路開拓を行っていること。そして、デフレの今日、帯ではなくて、高価な着尺が中心に動いていることです。後者は特に不自然です。市場の動きと逆行しています。まともに売り上げを取るためなら、普通の感覚では売りやすい帯の仕入れを中心に行うはずです。なぜなら、着物は仕立てと裏で10万近く掛かるからです。それが帯の何倍もする着尺が動き、帯の動きが止まっている。これは絶対におかしいのです。なぜ、こういう事が起こるかと考えて見ると、それは、品物の出て行く先、そして取引方法に問題があるからだろうと思います。婉曲的に言えば、お客さまのタンスに入り着用して頂く事を終着点としていないのではないか?という事です。
これが当たっているとしたら、本当に危険です。このバブルがはじけたら、琉球染織は終わりです。高価な着尺の価格は地に落ち、買いやすい価格帯のよい作品は市場価値を失い、問屋は手を着けなくなります。そうなったらほんとうに終わりです。産地ものとしては二度と立ち上がれません。
そうならないために産地で行うべき事は、自分たちの産地の歴史や風土など、物作りの基本となることをきちんと学び直す事です。そして、他産地の事もよく知ること。その中で、自分たちが何を造るべきかを考える事です。今売れていると言うことは将来は売れなくなると言うことです。今、売れることよりも、ずっと仕事を続けていくために何をすべきかを考えるべきなのです。
はっきり断言しておきます。
これからの時代、不勉強な人、センスの無い人、志の低い人は伝統工芸の世界で生きていくことは出来ないし、伝統工芸の永続性の為にはむしろ邪魔だと行っても過言ではありません。
過去に拘泥することが伝統染織唯一の道ではありません。しかし歴史と伝統という土台の上に組み立てるのでなければ、まさに砂上の楼閣です。
産商が一体となって、正しく王道を歩く事のみが伝統工芸に残された道なのだと私は断言します。
石垣島、西表島、与那国島です。
そこで見たモノは染織工芸の光と影です。
片方の作家さんは、自分のあるいは、伝統の世界を貫こうという信念で動き、もう片方は金になるなら何でもつくる、という世界です。
後者の様になるのは、本土復帰30周年前後に全盛期を迎えた産地、あるいは作家です。
与那国島では、人口1500人のうち、織物をしている人が30人居ると言うことです。
全人口の2%です。
30人が毎月一反の与那国織を織るとしたら、12ヶ月で360反。
少し前まではもっと多かったでしょう。
数字だけを見れば、盛んな仕事で良いことだと思います。
しかし、問題はその中味です。
私が見たところ、読谷、与那国は同じアイテムを造ろうとしている。
読谷は与那国のパクリを造り、与那国は首里のパクリをしようとしている。
双方とも伝統ある技法、特色ある色柄があります。
であるのに、売れ筋の名の下に、本来自分たちの産地の物ではない物を造っている。
これは伝統工芸に対する大いなる冒涜です。
進化でも何でもない。
これは、伝統と歴史のある産地をただの工場としてしまう大愚です。
それを指図している問屋は『それは産地が望んでいることだ』というかもしれませんが、それは詭弁です。
そのために、傷つき、損なう産地が必ず出てくるからです。
伝統工芸の世界に於いて、競争の原理はありえません。あるのは共生のみです。
いかに共生し、お互いの立場を守りつつ存続していくか。
これは単一の産地のみならず、全産地が全体を認識しながら思わねばならない事であると私は思います。
そのためには、『市場領域』を定めねばなりません。
自分たちの産地が日本の染織においてどんな位置づけにあるのか、また何処に根を生やして仕事を継続していくのか、それを策定しなければなりません。
それはいわば、『軸』です。
軸がぶれたらすべてが崩れます。
与那国織は与那国織の、読谷には読谷の、首里には首里の持ち分というのがあるはずです。どれが優位であるとか、どれを残すべきだというのはありません。すべからく均等に残すべきです。
そのため必要な事は独自性を貫くという事だと思います。
与那国が首里のマネをして、首里以上の物が出来るわけはないし、首里が読谷のマネをしてもあの力強い味わいはでません。すべての産地に言える事です。
いまは、選択と集中をして、自らの一番の得意分野で勝負すべきです。
もずやが京友禅をやっても、一場面では器用に立ち回って専門問屋の間を縫うことは出来たとしても、真っ向勝負では勝ち目がないのと同じ事です。もずやは琉球染織に最大限の力を投入してこそ、この市場に於いて存在価値があるのです。
何度も口を酸っぱくして言いますが、私達は長い伝統工芸の一場面を担っているに過ぎないのです。私達の前には多くの先人の苦労と蓄積があり、その宝物を後に続く人に渡さねばならないのです。いまを生きている私達だけで食い散らかしては絶対にならないのです。
そして、別次元の問題として気になるのは、有力問屋がなりふり構わぬ販路開拓を行っていること。そして、デフレの今日、帯ではなくて、高価な着尺が中心に動いていることです。後者は特に不自然です。市場の動きと逆行しています。まともに売り上げを取るためなら、普通の感覚では売りやすい帯の仕入れを中心に行うはずです。なぜなら、着物は仕立てと裏で10万近く掛かるからです。それが帯の何倍もする着尺が動き、帯の動きが止まっている。これは絶対におかしいのです。なぜ、こういう事が起こるかと考えて見ると、それは、品物の出て行く先、そして取引方法に問題があるからだろうと思います。婉曲的に言えば、お客さまのタンスに入り着用して頂く事を終着点としていないのではないか?という事です。
これが当たっているとしたら、本当に危険です。このバブルがはじけたら、琉球染織は終わりです。高価な着尺の価格は地に落ち、買いやすい価格帯のよい作品は市場価値を失い、問屋は手を着けなくなります。そうなったらほんとうに終わりです。産地ものとしては二度と立ち上がれません。
そうならないために産地で行うべき事は、自分たちの産地の歴史や風土など、物作りの基本となることをきちんと学び直す事です。そして、他産地の事もよく知ること。その中で、自分たちが何を造るべきかを考える事です。今売れていると言うことは将来は売れなくなると言うことです。今、売れることよりも、ずっと仕事を続けていくために何をすべきかを考えるべきなのです。
はっきり断言しておきます。
これからの時代、不勉強な人、センスの無い人、志の低い人は伝統工芸の世界で生きていくことは出来ないし、伝統工芸の永続性の為にはむしろ邪魔だと行っても過言ではありません。
過去に拘泥することが伝統染織唯一の道ではありません。しかし歴史と伝統という土台の上に組み立てるのでなければ、まさに砂上の楼閣です。
産商が一体となって、正しく王道を歩く事のみが伝統工芸に残された道なのだと私は断言します。
Posted by 渡辺幻門 at
23:25
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2010年10月22日
10月沖縄訪問まとめ【染織編】
今回は、久しぶりに八重山諸島を回りました。
石垣島、西表島、与那国島です。
そこで見たモノは染織工芸の光と影です。
片方の作家さんは、自分のあるいは、伝統の世界を貫こうという信念で動き、もう片方は金になるなら何でもつくる、という世界です。
後者の様になるのは、本土復帰30周年前後に全盛期を迎えた産地、あるいは作家です。
与那国島では、人口1500人のうち、織物をしている人が30人居ると言うことです。
全人口の2%です。
30人が毎月一反の与那国織を織るとしたら、12ヶ月で360反。
少し前まではもっと多かったでしょう。
数字だけを見れば、盛んな仕事で良いことだと思います。
しかし、問題はその中味です。
私が見たところ、読谷、与那国は同じアイテムを造ろうとしている。
読谷は与那国のパクリを造り、与那国は首里のパクリをしようとしている。
双方とも伝統ある技法、特色ある色柄があります。
であるのに、売れ筋の名の下に、本来自分たちの産地の物ではない物を造っている。
これは伝統工芸に対する大いなる冒涜です。
進化でも何でもない。
これは、伝統と歴史のある産地をただの工場としてしまう大愚です。
それを指図している問屋は『それは産地が望んでいることだ』というかもしれませんが、それは詭弁です。
そのために、傷つき、損なう産地が必ず出てくるからです。
伝統工芸の世界に於いて、競争の原理はありえません。あるのは共生のみです。
いかに共生し、お互いの立場を守りつつ存続していくか。
これは単一の産地のみならず、全産地が全体を認識しながら思わねばならない事であると私は思います。
そのためには、『市場領域』を定めねばなりません。
自分たちの産地が日本の染織においてどんな位置づけにあるのか、また何処に根を生やして仕事を継続していくのか、それを策定しなければなりません。
それはいわば、『軸』です。
軸がぶれたらすべてが崩れます。
与那国織は与那国織の、読谷には読谷の、首里には首里の持ち分というのがあるはずです。どれが優位であるとか、どれを残すべきだというのはありません。すべからく均等に残すべきです。
そのため必要な事は独自性を貫くという事だと思います。
与那国が首里のマネをして、首里以上の物が出来るわけはないし、首里が読谷のマネをしてもあの力強い味わいはでません。すべての産地に言える事です。
いまは、選択と集中をして、自らの一番の得意分野で勝負すべきです。
もずやが京友禅をやっても、一場面では器用に立ち回って専門問屋の間を縫うことは出来たとしても、真っ向勝負では勝ち目がないのと同じ事です。もずやは琉球染織に最大限の力を投入してこそ、この市場に於いて存在価値があるのです。
何度も口を酸っぱくして言いますが、私達は長い伝統工芸の一場面を担っているに過ぎないのです。私達の前には多くの先人の苦労と蓄積があり、その宝物を後に続く人に渡さねばならないのです。いまを生きている私達だけで食い散らかしては絶対にならないのです。
そして、別次元の問題として気になるのは、有力問屋がなりふり構わぬ販路開拓を行っていること。そして、デフレの今日、帯ではなくて、高価な着尺が中心に動いていることです。後者は特に不自然です。市場の動きと逆行しています。まともに売り上げを取るためなら、普通の感覚では売りやすい帯の仕入れを中心に行うはずです。なぜなら、着物は仕立てと裏で10万近く掛かるからです。それが帯の何倍もする着尺が動き、帯の動きが止まっている。これは絶対におかしいのです。なぜ、こういう事が起こるかと考えて見ると、それは、品物の出て行く先、そして取引方法に問題があるからだろうと思います。婉曲的に言えば、お客さまのタンスに入り着用して頂く事を終着点としていないのではないか?という事です。
これが当たっているとしたら、本当に危険です。このバブルがはじけたら、琉球染織は終わりです。高価な着尺の価格は地に落ち、買いやすい価格帯のよい作品は市場価値を失い、問屋は手を着けなくなります。そうなったらほんとうに終わりです。産地ものとしては二度と立ち上がれません。
そうならないために産地で行うべき事は、自分たちの産地の歴史や風土など、物作りの基本となることをきちんと学び直す事です。そして、他産地の事もよく知ること。その中で、自分たちが何を造るべきかを考える事です。今売れていると言うことは将来は売れなくなると言うことです。今、売れることよりも、ずっと仕事を続けていくために何をすべきかを考えるべきなのです。
はっきり断言しておきます。
これからの時代、不勉強な人、センスの無い人、志の低い人は伝統工芸の世界で生きていくことは出来ないし、伝統工芸の永続性の為にはむしろ邪魔だと行っても過言ではありません。
過去に拘泥することが伝統染織唯一の道ではありません。しかし歴史と伝統という土台の上に組み立てるのでなければ、まさに砂上の楼閣です。
産商が一体となって、正しく王道を歩く事のみが伝統工芸に残された道なのだと私は断言します。
石垣島、西表島、与那国島です。
そこで見たモノは染織工芸の光と影です。
片方の作家さんは、自分のあるいは、伝統の世界を貫こうという信念で動き、もう片方は金になるなら何でもつくる、という世界です。
後者の様になるのは、本土復帰30周年前後に全盛期を迎えた産地、あるいは作家です。
与那国島では、人口1500人のうち、織物をしている人が30人居ると言うことです。
全人口の2%です。
30人が毎月一反の与那国織を織るとしたら、12ヶ月で360反。
少し前まではもっと多かったでしょう。
数字だけを見れば、盛んな仕事で良いことだと思います。
しかし、問題はその中味です。
私が見たところ、読谷、与那国は同じアイテムを造ろうとしている。
読谷は与那国のパクリを造り、与那国は首里のパクリをしようとしている。
双方とも伝統ある技法、特色ある色柄があります。
であるのに、売れ筋の名の下に、本来自分たちの産地の物ではない物を造っている。
これは伝統工芸に対する大いなる冒涜です。
進化でも何でもない。
これは、伝統と歴史のある産地をただの工場としてしまう大愚です。
それを指図している問屋は『それは産地が望んでいることだ』というかもしれませんが、それは詭弁です。
そのために、傷つき、損なう産地が必ず出てくるからです。
伝統工芸の世界に於いて、競争の原理はありえません。あるのは共生のみです。
いかに共生し、お互いの立場を守りつつ存続していくか。
これは単一の産地のみならず、全産地が全体を認識しながら思わねばならない事であると私は思います。
そのためには、『市場領域』を定めねばなりません。
自分たちの産地が日本の染織においてどんな位置づけにあるのか、また何処に根を生やして仕事を継続していくのか、それを策定しなければなりません。
それはいわば、『軸』です。
軸がぶれたらすべてが崩れます。
与那国織は与那国織の、読谷には読谷の、首里には首里の持ち分というのがあるはずです。どれが優位であるとか、どれを残すべきだというのはありません。すべからく均等に残すべきです。
そのため必要な事は独自性を貫くという事だと思います。
与那国が首里のマネをして、首里以上の物が出来るわけはないし、首里が読谷のマネをしてもあの力強い味わいはでません。すべての産地に言える事です。
いまは、選択と集中をして、自らの一番の得意分野で勝負すべきです。
もずやが京友禅をやっても、一場面では器用に立ち回って専門問屋の間を縫うことは出来たとしても、真っ向勝負では勝ち目がないのと同じ事です。もずやは琉球染織に最大限の力を投入してこそ、この市場に於いて存在価値があるのです。
何度も口を酸っぱくして言いますが、私達は長い伝統工芸の一場面を担っているに過ぎないのです。私達の前には多くの先人の苦労と蓄積があり、その宝物を後に続く人に渡さねばならないのです。いまを生きている私達だけで食い散らかしては絶対にならないのです。
そして、別次元の問題として気になるのは、有力問屋がなりふり構わぬ販路開拓を行っていること。そして、デフレの今日、帯ではなくて、高価な着尺が中心に動いていることです。後者は特に不自然です。市場の動きと逆行しています。まともに売り上げを取るためなら、普通の感覚では売りやすい帯の仕入れを中心に行うはずです。なぜなら、着物は仕立てと裏で10万近く掛かるからです。それが帯の何倍もする着尺が動き、帯の動きが止まっている。これは絶対におかしいのです。なぜ、こういう事が起こるかと考えて見ると、それは、品物の出て行く先、そして取引方法に問題があるからだろうと思います。婉曲的に言えば、お客さまのタンスに入り着用して頂く事を終着点としていないのではないか?という事です。
これが当たっているとしたら、本当に危険です。このバブルがはじけたら、琉球染織は終わりです。高価な着尺の価格は地に落ち、買いやすい価格帯のよい作品は市場価値を失い、問屋は手を着けなくなります。そうなったらほんとうに終わりです。産地ものとしては二度と立ち上がれません。
そうならないために産地で行うべき事は、自分たちの産地の歴史や風土など、物作りの基本となることをきちんと学び直す事です。そして、他産地の事もよく知ること。その中で、自分たちが何を造るべきかを考える事です。今売れていると言うことは将来は売れなくなると言うことです。今、売れることよりも、ずっと仕事を続けていくために何をすべきかを考えるべきなのです。
はっきり断言しておきます。
これからの時代、不勉強な人、センスの無い人、志の低い人は伝統工芸の世界で生きていくことは出来ないし、伝統工芸の永続性の為にはむしろ邪魔だと行っても過言ではありません。
過去に拘泥することが伝統染織唯一の道ではありません。しかし歴史と伝統という土台の上に組み立てるのでなければ、まさに砂上の楼閣です。
産商が一体となって、正しく王道を歩く事のみが伝統工芸に残された道なのだと私は断言します。
Posted by 渡辺幻門 at
23:25
│Comments(0)
2010年10月22日
沖縄7日目
朝、7時半に集合して、ホテルで朝ご飯。
再度、9時に集合して、レンタカーで沖縄県立博物館へ。
ちょうど『海のクロスロード八重山』という特別展をやっていました。
首里もいいけど、八重山の文化というのはまた違う重みと伸びやかさがあっていいですね。
私は、今更ながら八重山諸島の大ファンになりました。
参考文献も沢山買い込みましたので、また研究してご紹介しますね。
10時半ころに金城昌太郎氏のところへ。
紅型論議に華が咲いて帯を一本仕入れ。
今年も書いた、沖展の紅型部門の総評へのインターネットでの批判が大反響を呼んでいると聞いて大盛り上がり。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1111718227&owner_id=8270135
https://mypage.mag2.com/mypage/publisher/mngmag/IssueHistoryDetail.do?issueId=47527460
『これは沖縄の人間では書けないね。私達が思ってる事を書いてくれて、ありがたいことだね』という話になっていると聞いて、非常にうれしかったです。
金城さんも私が書いているとは全く知りませんでした。
でも、きちんと読んでくれているのですね。
その後、ランチ。
場所は『琉球料理の山本彩香』です。
機嫌良く食事をしていたのですが、店主の山本彩香が店に出てきたところで、機嫌が悪くなりました。
私は、ここの店の店主が大嫌いです。
料理、とくに豆腐ようは美味いと思いますが、店主はゲーが出るほど嫌いです。
何を食べたか解らないくらい、また、母にきつく当たるくらい、機嫌が悪くなりました。
私は大嫌いなのですが、ナイチャー好みの味付けではあるので母の為に行った店なのでした。
なぜ、それほど嫌いなのかはここでは控えますが、とりあえず、ゲーが出るほど嫌いです。
ランチをさっさと終わらせて、今度は豊見城の紅型工房へ。
この人も、私と志を一つにする仲間です。
紅型をはじめとする染織のありかたなどを2時間以上にわたり意見交換。
5時前に工房をあとにして、今回の訪問予定は終了。
やれやれです。
あとは、☆misato☆ネェネェに教えてもらった、安里にある『焼き鳥奄美』で一杯。
パリパリして美味かった〜
明日の昼の便で帰阪します。
Posted by 渡辺幻門 at
22:07
│Comments(0)
2010年10月22日
沖縄7日目
朝、7時半に集合して、ホテルで朝ご飯。
再度、9時に集合して、レンタカーで沖縄県立博物館へ。
ちょうど『海のクロスロード八重山』という特別展をやっていました。
首里もいいけど、八重山の文化というのはまた違う重みと伸びやかさがあっていいですね。
私は、今更ながら八重山諸島の大ファンになりました。
参考文献も沢山買い込みましたので、また研究してご紹介しますね。
10時半ころに金城昌太郎氏のところへ。
紅型論議に華が咲いて帯を一本仕入れ。
今年も書いた、沖展の紅型部門の総評へのインターネットでの批判が大反響を呼んでいると聞いて大盛り上がり。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1111718227&owner_id=8270135
https://mypage.mag2.com/mypage/publisher/mngmag/IssueHistoryDetail.do?issueId=47527460
『これは沖縄の人間では書けないね。私達が思ってる事を書いてくれて、ありがたいことだね』という話になっていると聞いて、非常にうれしかったです。
金城さんも私が書いているとは全く知りませんでした。
でも、きちんと読んでくれているのですね。
その後、ランチ。
場所は『琉球料理の山本彩香』です。
機嫌良く食事をしていたのですが、店主の山本彩香が店に出てきたところで、機嫌が悪くなりました。
私は、ここの店の店主が大嫌いです。
料理、とくに豆腐ようは美味いと思いますが、店主はゲーが出るほど嫌いです。
何を食べたか解らないくらい、また、母にきつく当たるくらい、機嫌が悪くなりました。
私は大嫌いなのですが、ナイチャー好みの味付けではあるので母の為に行った店なのでした。
なぜ、それほど嫌いなのかはここでは控えますが、とりあえず、ゲーが出るほど嫌いです。
ランチをさっさと終わらせて、今度は豊見城の紅型工房へ。
この人も、私と志を一つにする仲間です。
紅型をはじめとする染織のありかたなどを2時間以上にわたり意見交換。
5時前に工房をあとにして、今回の訪問予定は終了。
やれやれです。
あとは、☆misato☆ネェネェに教えてもらった、安里にある『焼き鳥奄美』で一杯。
パリパリして美味かった〜
明日の昼の便で帰阪します。
Posted by 渡辺幻門 at
22:07
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2010年10月22日
沖縄7日目
朝、7時半に集合して、ホテルで朝ご飯。
再度、9時に集合して、レンタカーで沖縄県立博物館へ。
ちょうど『海のクロスロード八重山』という特別展をやっていました。
首里もいいけど、八重山の文化というのはまた違う重みと伸びやかさがあっていいですね。
私は、今更ながら八重山諸島の大ファンになりました。
参考文献も沢山買い込みましたので、また研究してご紹介しますね。
10時半ころに金城昌太郎氏のところへ。
紅型論議に華が咲いて帯を一本仕入れ。
今年も書いた、沖展の紅型部門の総評へのインターネットでの批判が大反響を呼んでいると聞いて大盛り上がり。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1111718227&owner_id=8270135
https://mypage.mag2.com/mypage/publisher/mngmag/IssueHistoryDetail.do?issueId=47527460
『これは沖縄の人間では書けないね。私達が思ってる事を書いてくれて、ありがたいことだね』という話になっていると聞いて、非常にうれしかったです。
金城さんも私が書いているとは全く知りませんでした。
でも、きちんと読んでくれているのですね。
その後、ランチ。
場所は『琉球料理の山本彩香』です。
機嫌良く食事をしていたのですが、店主の山本彩香が店に出てきたところで、機嫌が悪くなりました。
私は、ここの店の店主が大嫌いです。
料理、とくに豆腐ようは美味いと思いますが、店主はゲーが出るほど嫌いです。
何を食べたか解らないくらい、また、母にきつく当たるくらい、機嫌が悪くなりました。
私は大嫌いなのですが、ナイチャー好みの味付けではあるので母の為に行った店なのでした。
なぜ、それほど嫌いなのかはここでは控えますが、とりあえず、ゲーが出るほど嫌いです。
ランチをさっさと終わらせて、今度は豊見城の紅型工房へ。
この人も、私と志を一つにする仲間です。
紅型をはじめとする染織のありかたなどを2時間以上にわたり意見交換。
5時前に工房をあとにして、今回の訪問予定は終了。
やれやれです。
あとは、☆misato☆ネェネェに教えてもらった、安里にある『焼き鳥奄美』で一杯。
パリパリして美味かった〜
明日の昼の便で帰阪します。
Posted by 渡辺幻門 at
22:07
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2010年10月22日
沖縄6日目
与那国空港を11:10に出発する予定が、台風13号の影響で20分ほど遅延。
石垣島には12時半くらいに到着。
石垣島は大雨でした。
竹富島に行って、ぐんぼうを見ようと思っていたのですが、飛行機の遅延と悪天候の為断念し、アーケードのある商店街へタクシーを走らせました。
とりあえず、石垣島公設市場の食堂でランチ。
八重山そばです。
八重山そばはあっさりしていて、好きなんですよね。
近くの陶器屋で、線香立てとおちょこを買って15時前に再度石垣空港へ。
ところが、またまた飛行機が遅延。
30分遅れで那覇に着きました。
疲れ果てて、松山のスーパーでおにぎりとカップのかれーうどんを購入。
夕食はそれで済ませて、長い一日は終わりました・・・
石垣島には12時半くらいに到着。
石垣島は大雨でした。
竹富島に行って、ぐんぼうを見ようと思っていたのですが、飛行機の遅延と悪天候の為断念し、アーケードのある商店街へタクシーを走らせました。
とりあえず、石垣島公設市場の食堂でランチ。
八重山そばです。
八重山そばはあっさりしていて、好きなんですよね。
近くの陶器屋で、線香立てとおちょこを買って15時前に再度石垣空港へ。
ところが、またまた飛行機が遅延。
30分遅れで那覇に着きました。
疲れ果てて、松山のスーパーでおにぎりとカップのかれーうどんを購入。
夕食はそれで済ませて、長い一日は終わりました・・・
Posted by 渡辺幻門 at
22:05
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2010年10月22日
沖縄6日目
与那国空港を11:10に出発する予定が、台風13号の影響で20分ほど遅延。
石垣島には12時半くらいに到着。
石垣島は大雨でした。
竹富島に行って、ぐんぼうを見ようと思っていたのですが、飛行機の遅延と悪天候の為断念し、アーケードのある商店街へタクシーを走らせました。
とりあえず、石垣島公設市場の食堂でランチ。
八重山そばです。
八重山そばはあっさりしていて、好きなんですよね。
近くの陶器屋で、線香立てとおちょこを買って15時前に再度石垣空港へ。
ところが、またまた飛行機が遅延。
30分遅れで那覇に着きました。
疲れ果てて、松山のスーパーでおにぎりとカップのかれーうどんを購入。
夕食はそれで済ませて、長い一日は終わりました・・・
石垣島には12時半くらいに到着。
石垣島は大雨でした。
竹富島に行って、ぐんぼうを見ようと思っていたのですが、飛行機の遅延と悪天候の為断念し、アーケードのある商店街へタクシーを走らせました。
とりあえず、石垣島公設市場の食堂でランチ。
八重山そばです。
八重山そばはあっさりしていて、好きなんですよね。
近くの陶器屋で、線香立てとおちょこを買って15時前に再度石垣空港へ。
ところが、またまた飛行機が遅延。
30分遅れで那覇に着きました。
疲れ果てて、松山のスーパーでおにぎりとカップのかれーうどんを購入。
夕食はそれで済ませて、長い一日は終わりました・・・
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2010年10月22日
沖縄6日目
与那国空港を11:10に出発する予定が、台風13号の影響で20分ほど遅延。
石垣島には12時半くらいに到着。
石垣島は大雨でした。
竹富島に行って、ぐんぼうを見ようと思っていたのですが、飛行機の遅延と悪天候の為断念し、アーケードのある商店街へタクシーを走らせました。
とりあえず、石垣島公設市場の食堂でランチ。
八重山そばです。
八重山そばはあっさりしていて、好きなんですよね。
近くの陶器屋で、線香立てとおちょこを買って15時前に再度石垣空港へ。
ところが、またまた飛行機が遅延。
30分遅れで那覇に着きました。
疲れ果てて、松山のスーパーでおにぎりとカップのかれーうどんを購入。
夕食はそれで済ませて、長い一日は終わりました・・・
石垣島には12時半くらいに到着。
石垣島は大雨でした。
竹富島に行って、ぐんぼうを見ようと思っていたのですが、飛行機の遅延と悪天候の為断念し、アーケードのある商店街へタクシーを走らせました。
とりあえず、石垣島公設市場の食堂でランチ。
八重山そばです。
八重山そばはあっさりしていて、好きなんですよね。
近くの陶器屋で、線香立てとおちょこを買って15時前に再度石垣空港へ。
ところが、またまた飛行機が遅延。
30分遅れで那覇に着きました。
疲れ果てて、松山のスーパーでおにぎりとカップのかれーうどんを購入。
夕食はそれで済ませて、長い一日は終わりました・・・
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2010年10月22日
沖縄5日目(与那国島とドゥタティ)
10:05の便で石垣島から与那国島へ。
アッという間に与那国空港に到着しました。
石垣島の悪天候から一変!与那国は快晴でした。
空港には仲間が迎えに来てくれていて、とりあえずは昼食。
ゆしどうふランチです。
量が多い!
食後、案内されるまま、織り子さんや陶工さんの所を訪問。
ドクターコトーの現場も。
そして、仲間の工房へ。
見るなり、与那国織を一本仕入れ。
あと、ドゥタティを2反頂きました。
与那国ドゥタティというのは、経綿、緯苧麻の祭礼用の衣裳の事です。
経ラミーの物もありましたが、迷わず手引き苧麻の物を購入。
苧麻は与那国島で栽培、ブーうみされています。
藍はインド藍を使用。
これは、私が着用します
あと、与那国伝統のミンサーも頂きました。
これも、私が締めます
ドゥタティもミンサーも伝統的な祭礼用のコスチュームなので、色柄は一種類です。それだけに、非常に力強い。何とも言えない奥深い魅力があります。これは、いろんな物を見慣れてきた者にしか解らないものかもしれません。新鮮であり、かつ歴史を感じる物。それが本当の伝統染織であろうと思います。
与那国花織よりも、ドゥタティとミンサーには全く個人技を突き抜けた美しさを感じました。
お披露目は12月の銀座での展示会で
この仲間は泡盛の酒蔵の娘さんで、工房も泡盛工場の敷地内にあります。
ということで、泡盛工場も見学。
いくらか試飲させてもらって、泡盛3本と、なぜかTシャツ2枚を頂きました。
与那国の泡盛といえば、60度の花酒が有名ですね。
今回頂いたのも、3本とも60度です。
ちびっと飲んだ瞬間に香りが口と鼻を貫き、まさにお花畑感覚。
崎元酒造ですので、ごひいきに。
あと、組合にも行きましたが、仕入れすることもナシ。
あちこち観光。その様子はアルバム参照。
http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000000487900&owner_id=8270135
あれこれ、問題点も浮き彫りになりましたが、おとなしく5時頃ホテルへ。
アイランドホテル与那国です。
夕食はホテルでバイキング。
ここのバイキングは内容が良かったですよ。
母によれば、パイナップルがとてつもなくうまかったらしいです。
ということで、魅力満載の与那国島でした
アッという間に与那国空港に到着しました。
石垣島の悪天候から一変!与那国は快晴でした。
空港には仲間が迎えに来てくれていて、とりあえずは昼食。
ゆしどうふランチです。
量が多い!
食後、案内されるまま、織り子さんや陶工さんの所を訪問。
ドクターコトーの現場も。
そして、仲間の工房へ。
見るなり、与那国織を一本仕入れ。
あと、ドゥタティを2反頂きました。
与那国ドゥタティというのは、経綿、緯苧麻の祭礼用の衣裳の事です。
経ラミーの物もありましたが、迷わず手引き苧麻の物を購入。
苧麻は与那国島で栽培、ブーうみされています。
藍はインド藍を使用。
これは、私が着用します
あと、与那国伝統のミンサーも頂きました。
これも、私が締めます
ドゥタティもミンサーも伝統的な祭礼用のコスチュームなので、色柄は一種類です。それだけに、非常に力強い。何とも言えない奥深い魅力があります。これは、いろんな物を見慣れてきた者にしか解らないものかもしれません。新鮮であり、かつ歴史を感じる物。それが本当の伝統染織であろうと思います。
与那国花織よりも、ドゥタティとミンサーには全く個人技を突き抜けた美しさを感じました。
お披露目は12月の銀座での展示会で
この仲間は泡盛の酒蔵の娘さんで、工房も泡盛工場の敷地内にあります。
ということで、泡盛工場も見学。
いくらか試飲させてもらって、泡盛3本と、なぜかTシャツ2枚を頂きました。
与那国の泡盛といえば、60度の花酒が有名ですね。
今回頂いたのも、3本とも60度です。
ちびっと飲んだ瞬間に香りが口と鼻を貫き、まさにお花畑感覚。
崎元酒造ですので、ごひいきに。
あと、組合にも行きましたが、仕入れすることもナシ。
あちこち観光。その様子はアルバム参照。
http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000000487900&owner_id=8270135
あれこれ、問題点も浮き彫りになりましたが、おとなしく5時頃ホテルへ。
アイランドホテル与那国です。
夕食はホテルでバイキング。
ここのバイキングは内容が良かったですよ。
母によれば、パイナップルがとてつもなくうまかったらしいです。
ということで、魅力満載の与那国島でした
Posted by 渡辺幻門 at
22:03
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2010年10月22日
沖縄5日目(与那国島とドゥタティ)
10:05の便で石垣島から与那国島へ。
アッという間に与那国空港に到着しました。
石垣島の悪天候から一変!与那国は快晴でした。
空港には仲間が迎えに来てくれていて、とりあえずは昼食。
ゆしどうふランチです。
量が多い!
食後、案内されるまま、織り子さんや陶工さんの所を訪問。
ドクターコトーの現場も。
そして、仲間の工房へ。
見るなり、与那国織を一本仕入れ。
あと、ドゥタティを2反頂きました。
与那国ドゥタティというのは、経綿、緯苧麻の祭礼用の衣裳の事です。
経ラミーの物もありましたが、迷わず手引き苧麻の物を購入。
苧麻は与那国島で栽培、ブーうみされています。
藍はインド藍を使用。
これは、私が着用します
あと、与那国伝統のミンサーも頂きました。
これも、私が締めます
ドゥタティもミンサーも伝統的な祭礼用のコスチュームなので、色柄は一種類です。それだけに、非常に力強い。何とも言えない奥深い魅力があります。これは、いろんな物を見慣れてきた者にしか解らないものかもしれません。新鮮であり、かつ歴史を感じる物。それが本当の伝統染織であろうと思います。
与那国花織よりも、ドゥタティとミンサーには全く個人技を突き抜けた美しさを感じました。
お披露目は12月の銀座での展示会で
この仲間は泡盛の酒蔵の娘さんで、工房も泡盛工場の敷地内にあります。
ということで、泡盛工場も見学。
いくらか試飲させてもらって、泡盛3本と、なぜかTシャツ2枚を頂きました。
与那国の泡盛といえば、60度の花酒が有名ですね。
今回頂いたのも、3本とも60度です。
ちびっと飲んだ瞬間に香りが口と鼻を貫き、まさにお花畑感覚。
崎元酒造ですので、ごひいきに。
あと、組合にも行きましたが、仕入れすることもナシ。
あちこち観光。その様子はアルバム参照。
http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000000487900&owner_id=8270135
あれこれ、問題点も浮き彫りになりましたが、おとなしく5時頃ホテルへ。
アイランドホテル与那国です。
夕食はホテルでバイキング。
ここのバイキングは内容が良かったですよ。
母によれば、パイナップルがとてつもなくうまかったらしいです。
ということで、魅力満載の与那国島でした
アッという間に与那国空港に到着しました。
石垣島の悪天候から一変!与那国は快晴でした。
空港には仲間が迎えに来てくれていて、とりあえずは昼食。
ゆしどうふランチです。
量が多い!
食後、案内されるまま、織り子さんや陶工さんの所を訪問。
ドクターコトーの現場も。
そして、仲間の工房へ。
見るなり、与那国織を一本仕入れ。
あと、ドゥタティを2反頂きました。
与那国ドゥタティというのは、経綿、緯苧麻の祭礼用の衣裳の事です。
経ラミーの物もありましたが、迷わず手引き苧麻の物を購入。
苧麻は与那国島で栽培、ブーうみされています。
藍はインド藍を使用。
これは、私が着用します
あと、与那国伝統のミンサーも頂きました。
これも、私が締めます
ドゥタティもミンサーも伝統的な祭礼用のコスチュームなので、色柄は一種類です。それだけに、非常に力強い。何とも言えない奥深い魅力があります。これは、いろんな物を見慣れてきた者にしか解らないものかもしれません。新鮮であり、かつ歴史を感じる物。それが本当の伝統染織であろうと思います。
与那国花織よりも、ドゥタティとミンサーには全く個人技を突き抜けた美しさを感じました。
お披露目は12月の銀座での展示会で
この仲間は泡盛の酒蔵の娘さんで、工房も泡盛工場の敷地内にあります。
ということで、泡盛工場も見学。
いくらか試飲させてもらって、泡盛3本と、なぜかTシャツ2枚を頂きました。
与那国の泡盛といえば、60度の花酒が有名ですね。
今回頂いたのも、3本とも60度です。
ちびっと飲んだ瞬間に香りが口と鼻を貫き、まさにお花畑感覚。
崎元酒造ですので、ごひいきに。
あと、組合にも行きましたが、仕入れすることもナシ。
あちこち観光。その様子はアルバム参照。
http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000000487900&owner_id=8270135
あれこれ、問題点も浮き彫りになりましたが、おとなしく5時頃ホテルへ。
アイランドホテル与那国です。
夕食はホテルでバイキング。
ここのバイキングは内容が良かったですよ。
母によれば、パイナップルがとてつもなくうまかったらしいです。
ということで、魅力満載の与那国島でした
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沖縄5日目(与那国島とドゥタティ)
10:05の便で石垣島から与那国島へ。
アッという間に与那国空港に到着しました。
石垣島の悪天候から一変!与那国は快晴でした。
空港には仲間が迎えに来てくれていて、とりあえずは昼食。
ゆしどうふランチです。
量が多い!
食後、案内されるまま、織り子さんや陶工さんの所を訪問。
ドクターコトーの現場も。
そして、仲間の工房へ。
見るなり、与那国織を一本仕入れ。
あと、ドゥタティを2反頂きました。
与那国ドゥタティというのは、経綿、緯苧麻の祭礼用の衣裳の事です。
経ラミーの物もありましたが、迷わず手引き苧麻の物を購入。
苧麻は与那国島で栽培、ブーうみされています。
藍はインド藍を使用。
これは、私が着用します
あと、与那国伝統のミンサーも頂きました。
これも、私が締めます
ドゥタティもミンサーも伝統的な祭礼用のコスチュームなので、色柄は一種類です。それだけに、非常に力強い。何とも言えない奥深い魅力があります。これは、いろんな物を見慣れてきた者にしか解らないものかもしれません。新鮮であり、かつ歴史を感じる物。それが本当の伝統染織であろうと思います。
与那国花織よりも、ドゥタティとミンサーには全く個人技を突き抜けた美しさを感じました。
お披露目は12月の銀座での展示会で
この仲間は泡盛の酒蔵の娘さんで、工房も泡盛工場の敷地内にあります。
ということで、泡盛工場も見学。
いくらか試飲させてもらって、泡盛3本と、なぜかTシャツ2枚を頂きました。
与那国の泡盛といえば、60度の花酒が有名ですね。
今回頂いたのも、3本とも60度です。
ちびっと飲んだ瞬間に香りが口と鼻を貫き、まさにお花畑感覚。
崎元酒造ですので、ごひいきに。
あと、組合にも行きましたが、仕入れすることもナシ。
あちこち観光。その様子はアルバム参照。
http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000000487900&owner_id=8270135
あれこれ、問題点も浮き彫りになりましたが、おとなしく5時頃ホテルへ。
アイランドホテル与那国です。
夕食はホテルでバイキング。
ここのバイキングは内容が良かったですよ。
母によれば、パイナップルがとてつもなくうまかったらしいです。
ということで、魅力満載の与那国島でした
アッという間に与那国空港に到着しました。
石垣島の悪天候から一変!与那国は快晴でした。
空港には仲間が迎えに来てくれていて、とりあえずは昼食。
ゆしどうふランチです。
量が多い!
食後、案内されるまま、織り子さんや陶工さんの所を訪問。
ドクターコトーの現場も。
そして、仲間の工房へ。
見るなり、与那国織を一本仕入れ。
あと、ドゥタティを2反頂きました。
与那国ドゥタティというのは、経綿、緯苧麻の祭礼用の衣裳の事です。
経ラミーの物もありましたが、迷わず手引き苧麻の物を購入。
苧麻は与那国島で栽培、ブーうみされています。
藍はインド藍を使用。
これは、私が着用します
あと、与那国伝統のミンサーも頂きました。
これも、私が締めます
ドゥタティもミンサーも伝統的な祭礼用のコスチュームなので、色柄は一種類です。それだけに、非常に力強い。何とも言えない奥深い魅力があります。これは、いろんな物を見慣れてきた者にしか解らないものかもしれません。新鮮であり、かつ歴史を感じる物。それが本当の伝統染織であろうと思います。
与那国花織よりも、ドゥタティとミンサーには全く個人技を突き抜けた美しさを感じました。
お披露目は12月の銀座での展示会で
この仲間は泡盛の酒蔵の娘さんで、工房も泡盛工場の敷地内にあります。
ということで、泡盛工場も見学。
いくらか試飲させてもらって、泡盛3本と、なぜかTシャツ2枚を頂きました。
与那国の泡盛といえば、60度の花酒が有名ですね。
今回頂いたのも、3本とも60度です。
ちびっと飲んだ瞬間に香りが口と鼻を貫き、まさにお花畑感覚。
崎元酒造ですので、ごひいきに。
あと、組合にも行きましたが、仕入れすることもナシ。
あちこち観光。その様子はアルバム参照。
http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000000487900&owner_id=8270135
あれこれ、問題点も浮き彫りになりましたが、おとなしく5時頃ホテルへ。
アイランドホテル与那国です。
夕食はホテルでバイキング。
ここのバイキングは内容が良かったですよ。
母によれば、パイナップルがとてつもなくうまかったらしいです。
ということで、魅力満載の与那国島でした
Posted by 渡辺幻門 at
22:03
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2010年10月19日
沖縄四日目(石垣・西表)
ホテルを7:00に出て、那覇空港へ。
8:20の飛行機に乗って石垣島へ向かいました。
台風が近づいているので、気候は悪く碧い海も見れませんでしたが安定した飛行でした。
9:20石垣空港着。
まずはホテルにチェックインを済ませ、荷物を預けて、八重山上布の新垣幸子さんを訪問。
新垣幸子さんは、手くくりの八重山上布を復活させた人です。とてもセンスが良く、物作りや作家としてのあり方に於いてもしっかりした考え方をもたれている方です。私の最も尊敬する作家さんの一人です。新垣さんと話すと八重山の歴史や文化について語ってくださるのでとても楽しみなのです。今問題になっている流通の事についても大変心配されていて、2時間ほどもたっぷり話させて頂きました。話に夢中になってついつい仕入れを忘れてしまいがちになるのですが、機にかかっている帯を一本と別に一本注文させてもらいました。
さて、ランチはいつもの『パポイヤ』です。
石垣牛のステーキが目当てです。
母はエビとのセットを頼みました。
ここのステーキはそのまま何も着けなくても美味しいですが、私は塩をつけて食べるのが好きです。那覇だったら、倍の値段取られるかもしれません。
1時半の西表島フェリーを目指して石垣港へ。
石垣昭子さん訪問です。電話が繋がらなくて肝を冷やしましたが、西表島に着いてから連絡が取れたんです。フェリーには40分ほど乗っていましたが、海が荒れていて、舟が海面上を飛び跳ねるという感じでした。
西表島は上原港と大原港の二つの港があって、航路も二つあります。どっちに行けばいいのか分からなくて、新垣幸子さんに電話して聞いたのです(^_^;)危なかった・・・
上原港からフェリー会社が出しているバスで『紅露(くーる)工房』へ。石垣昭子さんの工房です。
写真でお顔は拝見したことはあったのですが、思った以上に、優しく上品な人でした。そして、やっぱり作家としての確固たる信念を持たれていました。着物・帯よりも、服地やインテリアなどの素材として作品を造られるのが中心ですが、一番驚いたのは、染料から繊維まで全部西表島でそれも自分の手で造るのだそうです。なんと、琉球藍も自生していてそれから染料を造るのだというのです。もちろん、絹糸も芭蕉もです。これは驚異的です。それも、昭子さんと1〜2人のお弟子さんだけでやるのです。それで価格はというと、ビックリ!です。こんな人も本当に世の中には存在するんだ!とさすがの私も脱帽しました。
八重山地方を中心に古くから伝わるスディナという衣裳の普及に力を注がれているという事で、琉装を普及しようと考えている私と意気投合し、色々とお話しや情報を頂きました。
なんと、私が通っている大阪芸大の井関先生とも懇意だということで、すっかり打ち解けてくださり、有意義な会話になりました。
問屋との取引は基本的になさらないそうですが、そういう流れで、特別に注文を受けてくださいました。これも、芸大に入った恩恵ですかね。
石垣昭子さんは環境問題にも強い関心を持たれているらしく、とても頭の良い方のように感じました。ご縁を頂いて光栄だと思います。
新垣幸子さんもそうでしたが、私の名前が知らず知らずのうちに作家さんの間で話題に上っているらしく、その辺りも新しい関係を築くのに助けられています。
お弟子さんに港まで送ってもらったのですが、石垣昭子さんも、ご紹介いただいた多和田先生も、このお弟子さんも女子美出身なんだそうです。その他沖縄には多くの女子美出身の作家さんがいらして、この大学、そして、柳悦孝氏の沖縄染織への大きな貢献を思わずにはいらせません。
帰りは比較的スムーズな航海で、5時過ぎに石垣港着。
昔良く行っていた『ゆうな』で夕食。
8:20の飛行機に乗って石垣島へ向かいました。
台風が近づいているので、気候は悪く碧い海も見れませんでしたが安定した飛行でした。
9:20石垣空港着。
まずはホテルにチェックインを済ませ、荷物を預けて、八重山上布の新垣幸子さんを訪問。
新垣幸子さんは、手くくりの八重山上布を復活させた人です。とてもセンスが良く、物作りや作家としてのあり方に於いてもしっかりした考え方をもたれている方です。私の最も尊敬する作家さんの一人です。新垣さんと話すと八重山の歴史や文化について語ってくださるのでとても楽しみなのです。今問題になっている流通の事についても大変心配されていて、2時間ほどもたっぷり話させて頂きました。話に夢中になってついつい仕入れを忘れてしまいがちになるのですが、機にかかっている帯を一本と別に一本注文させてもらいました。
さて、ランチはいつもの『パポイヤ』です。
石垣牛のステーキが目当てです。
母はエビとのセットを頼みました。
ここのステーキはそのまま何も着けなくても美味しいですが、私は塩をつけて食べるのが好きです。那覇だったら、倍の値段取られるかもしれません。
1時半の西表島フェリーを目指して石垣港へ。
石垣昭子さん訪問です。電話が繋がらなくて肝を冷やしましたが、西表島に着いてから連絡が取れたんです。フェリーには40分ほど乗っていましたが、海が荒れていて、舟が海面上を飛び跳ねるという感じでした。
西表島は上原港と大原港の二つの港があって、航路も二つあります。どっちに行けばいいのか分からなくて、新垣幸子さんに電話して聞いたのです(^_^;)危なかった・・・
上原港からフェリー会社が出しているバスで『紅露(くーる)工房』へ。石垣昭子さんの工房です。
写真でお顔は拝見したことはあったのですが、思った以上に、優しく上品な人でした。そして、やっぱり作家としての確固たる信念を持たれていました。着物・帯よりも、服地やインテリアなどの素材として作品を造られるのが中心ですが、一番驚いたのは、染料から繊維まで全部西表島でそれも自分の手で造るのだそうです。なんと、琉球藍も自生していてそれから染料を造るのだというのです。もちろん、絹糸も芭蕉もです。これは驚異的です。それも、昭子さんと1〜2人のお弟子さんだけでやるのです。それで価格はというと、ビックリ!です。こんな人も本当に世の中には存在するんだ!とさすがの私も脱帽しました。
八重山地方を中心に古くから伝わるスディナという衣裳の普及に力を注がれているという事で、琉装を普及しようと考えている私と意気投合し、色々とお話しや情報を頂きました。
なんと、私が通っている大阪芸大の井関先生とも懇意だということで、すっかり打ち解けてくださり、有意義な会話になりました。
問屋との取引は基本的になさらないそうですが、そういう流れで、特別に注文を受けてくださいました。これも、芸大に入った恩恵ですかね。
石垣昭子さんは環境問題にも強い関心を持たれているらしく、とても頭の良い方のように感じました。ご縁を頂いて光栄だと思います。
新垣幸子さんもそうでしたが、私の名前が知らず知らずのうちに作家さんの間で話題に上っているらしく、その辺りも新しい関係を築くのに助けられています。
お弟子さんに港まで送ってもらったのですが、石垣昭子さんも、ご紹介いただいた多和田先生も、このお弟子さんも女子美出身なんだそうです。その他沖縄には多くの女子美出身の作家さんがいらして、この大学、そして、柳悦孝氏の沖縄染織への大きな貢献を思わずにはいらせません。
帰りは比較的スムーズな航海で、5時過ぎに石垣港着。
昔良く行っていた『ゆうな』で夕食。
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21:38
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2010年10月19日
沖縄四日目(石垣・西表)
ホテルを7:00に出て、那覇空港へ。
8:20の飛行機に乗って石垣島へ向かいました。
台風が近づいているので、気候は悪く碧い海も見れませんでしたが安定した飛行でした。
9:20石垣空港着。
まずはホテルにチェックインを済ませ、荷物を預けて、八重山上布の新垣幸子さんを訪問。
新垣幸子さんは、手くくりの八重山上布を復活させた人です。とてもセンスが良く、物作りや作家としてのあり方に於いてもしっかりした考え方をもたれている方です。私の最も尊敬する作家さんの一人です。新垣さんと話すと八重山の歴史や文化について語ってくださるのでとても楽しみなのです。今問題になっている流通の事についても大変心配されていて、2時間ほどもたっぷり話させて頂きました。話に夢中になってついつい仕入れを忘れてしまいがちになるのですが、機にかかっている帯を一本と別に一本注文させてもらいました。
さて、ランチはいつもの『パポイヤ』です。
石垣牛のステーキが目当てです。
母はエビとのセットを頼みました。
ここのステーキはそのまま何も着けなくても美味しいですが、私は塩をつけて食べるのが好きです。那覇だったら、倍の値段取られるかもしれません。
1時半の西表島フェリーを目指して石垣港へ。
石垣昭子さん訪問です。電話が繋がらなくて肝を冷やしましたが、西表島に着いてから連絡が取れたんです。フェリーには40分ほど乗っていましたが、海が荒れていて、舟が海面上を飛び跳ねるという感じでした。
西表島は上原港と大原港の二つの港があって、航路も二つあります。どっちに行けばいいのか分からなくて、新垣幸子さんに電話して聞いたのです(^_^;)危なかった・・・
上原港からフェリー会社が出しているバスで『紅露(くーる)工房』へ。石垣昭子さんの工房です。
写真でお顔は拝見したことはあったのですが、思った以上に、優しく上品な人でした。そして、やっぱり作家としての確固たる信念を持たれていました。着物・帯よりも、服地やインテリアなどの素材として作品を造られるのが中心ですが、一番驚いたのは、染料から繊維まで全部西表島でそれも自分の手で造るのだそうです。なんと、琉球藍も自生していてそれから染料を造るのだというのです。もちろん、絹糸も芭蕉もです。これは驚異的です。それも、昭子さんと1〜2人のお弟子さんだけでやるのです。それで価格はというと、ビックリ!です。こんな人も本当に世の中には存在するんだ!とさすがの私も脱帽しました。
八重山地方を中心に古くから伝わるスディナという衣裳の普及に力を注がれているという事で、琉装を普及しようと考えている私と意気投合し、色々とお話しや情報を頂きました。
なんと、私が通っている大阪芸大の井関先生とも懇意だということで、すっかり打ち解けてくださり、有意義な会話になりました。
問屋との取引は基本的になさらないそうですが、そういう流れで、特別に注文を受けてくださいました。これも、芸大に入った恩恵ですかね。
石垣昭子さんは環境問題にも強い関心を持たれているらしく、とても頭の良い方のように感じました。ご縁を頂いて光栄だと思います。
新垣幸子さんもそうでしたが、私の名前が知らず知らずのうちに作家さんの間で話題に上っているらしく、その辺りも新しい関係を築くのに助けられています。
お弟子さんに港まで送ってもらったのですが、石垣昭子さんも、ご紹介いただいた多和田先生も、このお弟子さんも女子美出身なんだそうです。その他沖縄には多くの女子美出身の作家さんがいらして、この大学、そして、柳悦孝氏の沖縄染織への大きな貢献を思わずにはいらせません。
帰りは比較的スムーズな航海で、5時過ぎに石垣港着。
昔良く行っていた『ゆうな』で夕食。
8:20の飛行機に乗って石垣島へ向かいました。
台風が近づいているので、気候は悪く碧い海も見れませんでしたが安定した飛行でした。
9:20石垣空港着。
まずはホテルにチェックインを済ませ、荷物を預けて、八重山上布の新垣幸子さんを訪問。
新垣幸子さんは、手くくりの八重山上布を復活させた人です。とてもセンスが良く、物作りや作家としてのあり方に於いてもしっかりした考え方をもたれている方です。私の最も尊敬する作家さんの一人です。新垣さんと話すと八重山の歴史や文化について語ってくださるのでとても楽しみなのです。今問題になっている流通の事についても大変心配されていて、2時間ほどもたっぷり話させて頂きました。話に夢中になってついつい仕入れを忘れてしまいがちになるのですが、機にかかっている帯を一本と別に一本注文させてもらいました。
さて、ランチはいつもの『パポイヤ』です。
石垣牛のステーキが目当てです。
母はエビとのセットを頼みました。
ここのステーキはそのまま何も着けなくても美味しいですが、私は塩をつけて食べるのが好きです。那覇だったら、倍の値段取られるかもしれません。
1時半の西表島フェリーを目指して石垣港へ。
石垣昭子さん訪問です。電話が繋がらなくて肝を冷やしましたが、西表島に着いてから連絡が取れたんです。フェリーには40分ほど乗っていましたが、海が荒れていて、舟が海面上を飛び跳ねるという感じでした。
西表島は上原港と大原港の二つの港があって、航路も二つあります。どっちに行けばいいのか分からなくて、新垣幸子さんに電話して聞いたのです(^_^;)危なかった・・・
上原港からフェリー会社が出しているバスで『紅露(くーる)工房』へ。石垣昭子さんの工房です。
写真でお顔は拝見したことはあったのですが、思った以上に、優しく上品な人でした。そして、やっぱり作家としての確固たる信念を持たれていました。着物・帯よりも、服地やインテリアなどの素材として作品を造られるのが中心ですが、一番驚いたのは、染料から繊維まで全部西表島でそれも自分の手で造るのだそうです。なんと、琉球藍も自生していてそれから染料を造るのだというのです。もちろん、絹糸も芭蕉もです。これは驚異的です。それも、昭子さんと1〜2人のお弟子さんだけでやるのです。それで価格はというと、ビックリ!です。こんな人も本当に世の中には存在するんだ!とさすがの私も脱帽しました。
八重山地方を中心に古くから伝わるスディナという衣裳の普及に力を注がれているという事で、琉装を普及しようと考えている私と意気投合し、色々とお話しや情報を頂きました。
なんと、私が通っている大阪芸大の井関先生とも懇意だということで、すっかり打ち解けてくださり、有意義な会話になりました。
問屋との取引は基本的になさらないそうですが、そういう流れで、特別に注文を受けてくださいました。これも、芸大に入った恩恵ですかね。
石垣昭子さんは環境問題にも強い関心を持たれているらしく、とても頭の良い方のように感じました。ご縁を頂いて光栄だと思います。
新垣幸子さんもそうでしたが、私の名前が知らず知らずのうちに作家さんの間で話題に上っているらしく、その辺りも新しい関係を築くのに助けられています。
お弟子さんに港まで送ってもらったのですが、石垣昭子さんも、ご紹介いただいた多和田先生も、このお弟子さんも女子美出身なんだそうです。その他沖縄には多くの女子美出身の作家さんがいらして、この大学、そして、柳悦孝氏の沖縄染織への大きな貢献を思わずにはいらせません。
帰りは比較的スムーズな航海で、5時過ぎに石垣港着。
昔良く行っていた『ゆうな』で夕食。
Posted by 渡辺幻門 at
21:38
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