オオサカジン

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Posted by オオサカジン運営事務局 at

2010年03月22日

カラー版 日本美術史 読了

カラー版 日本美術史
レビュー

2002
美術出版社
辻 惟雄

書評まで行く知識がありませんので、感想です。

教科書としては良い本だったと想います。

先般の工芸史や工芸論とも重なるので、内容的にも理解しやすかったですね。

全体の美術史を通して見てみると、仏教関係の美術から入って、貴族の需要に併せた物、そして、民衆に合わせた物と対象が変わってきます。これは欧米でも同じ流れです。

しかし、どちらも、自己表現とか言い出して、シュールレアリズム、前衛と言ったところで、急に元気がなくなって頓挫している。

芸術家は食えないのは当たり前で、それが美しい姿だなんていうのはここ100年の事のようです。

それ以前は、需要家に合わせて作品を作っていた。

それがなぜ、こうなってしまったのでしょうか。

ヨーロッパの流れからすると、世紀末デカダンスの影響が美術に現れ、それを先進と思い込んだ当時留学していた画家たちが勘違いしてその考えを取り込んだ。そんなところじゃないかと想います。

伝統工芸の世界でもそうですが、食えない職業の人に良い仕事をしろというのは無理です。自己表現を追求して飲まず食わずで絵を描いているなんて、傍目からみればかっこいいですが、あまりにも内向的で誰も幸せにしません。社会的損失です。芸術が人を感動させるためにあるなら、もっとわかりやすくする努力をせねばならないと私は思います。芸術家が自分でできないなら、それを手助けする人が必要です。昨日書いた美術史家・批評家もそうですが、画商も話題作家の作品を振り回すだけで、そこのところの努力をしているのでしょうか。

そういう哲学や思想に裏打ちされた芸術ならば、他の芸術分野にも波及せねばならないはずです。アーツ&クラフツ運動が元をたどればディアギレフのバレエ・リュスが原点だというように、芸術の発展には大きな潮流が必要です。現代にそれがあるでしょうか。どうも、全体的にあまりに内向的で小粒のような気がします。

伝統工芸の世界でも、もう一度、手作りの良い物を見直そうという運動を起こさねばならないと想います。機械生産の大企業の市場寡占化が進み、手作りの品物はその価値さえ正当に評価されずに、棚の隅っこで誇りを被らされています。もし、染織がその運動の端緒になれるとしたら・・・

着物を愛する人、伝統工芸に携わるひとならば、自分たちも手作りの工芸品を生活の中で使いましょう。そして、できれば、作り手と逢って、自分の考えを伝え、意見を交わしましょう。そうすることで、伝統工芸全体で大きな流れができるかもしれません。

手作りの工芸品が評価されない国で、芸術が花開くなんてことは絶対にないと私は思います。


この本は、あと1回熟読して、もう一回は精読。そしてレポートにかかります。
  
Posted by 渡辺幻門 at 22:54Comments(0)文化

2010年03月22日

カラー版 日本美術史 読了

カラー版 日本美術史
レビュー

2002
美術出版社
辻 惟雄

書評まで行く知識がありませんので、感想です。

教科書としては良い本だったと想います。

先般の工芸史や工芸論とも重なるので、内容的にも理解しやすかったですね。

全体の美術史を通して見てみると、仏教関係の美術から入って、貴族の需要に併せた物、そして、民衆に合わせた物と対象が変わってきます。これは欧米でも同じ流れです。

しかし、どちらも、自己表現とか言い出して、シュールレアリズム、前衛と言ったところで、急に元気がなくなって頓挫している。

芸術家は食えないのは当たり前で、それが美しい姿だなんていうのはここ100年の事のようです。

それ以前は、需要家に合わせて作品を作っていた。

それがなぜ、こうなってしまったのでしょうか。

ヨーロッパの流れからすると、世紀末デカダンスの影響が美術に現れ、それを先進と思い込んだ当時留学していた画家たちが勘違いしてその考えを取り込んだ。そんなところじゃないかと想います。

伝統工芸の世界でもそうですが、食えない職業の人に良い仕事をしろというのは無理です。自己表現を追求して飲まず食わずで絵を描いているなんて、傍目からみればかっこいいですが、あまりにも内向的で誰も幸せにしません。社会的損失です。芸術が人を感動させるためにあるなら、もっとわかりやすくする努力をせねばならないと私は思います。芸術家が自分でできないなら、それを手助けする人が必要です。昨日書いた美術史家・批評家もそうですが、画商も話題作家の作品を振り回すだけで、そこのところの努力をしているのでしょうか。

そういう哲学や思想に裏打ちされた芸術ならば、他の芸術分野にも波及せねばならないはずです。アーツ&クラフツ運動が元をたどればディアギレフのバレエ・リュスが原点だというように、芸術の発展には大きな潮流が必要です。現代にそれがあるでしょうか。どうも、全体的にあまりに内向的で小粒のような気がします。

伝統工芸の世界でも、もう一度、手作りの良い物を見直そうという運動を起こさねばならないと想います。機械生産の大企業の市場寡占化が進み、手作りの品物はその価値さえ正当に評価されずに、棚の隅っこで誇りを被らされています。もし、染織がその運動の端緒になれるとしたら・・・

着物を愛する人、伝統工芸に携わるひとならば、自分たちも手作りの工芸品を生活の中で使いましょう。そして、できれば、作り手と逢って、自分の考えを伝え、意見を交わしましょう。そうすることで、伝統工芸全体で大きな流れができるかもしれません。

手作りの工芸品が評価されない国で、芸術が花開くなんてことは絶対にないと私は思います。


この本は、あと1回熟読して、もう一回は精読。そしてレポートにかかります。
  
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2010年03月22日

カラー版 日本美術史 読了

カラー版 日本美術史
レビュー

2002
美術出版社
辻 惟雄

書評まで行く知識がありませんので、感想です。

教科書としては良い本だったと想います。

先般の工芸史や工芸論とも重なるので、内容的にも理解しやすかったですね。

全体の美術史を通して見てみると、仏教関係の美術から入って、貴族の需要に併せた物、そして、民衆に合わせた物と対象が変わってきます。これは欧米でも同じ流れです。

しかし、どちらも、自己表現とか言い出して、シュールレアリズム、前衛と言ったところで、急に元気がなくなって頓挫している。

芸術家は食えないのは当たり前で、それが美しい姿だなんていうのはここ100年の事のようです。

それ以前は、需要家に合わせて作品を作っていた。

それがなぜ、こうなってしまったのでしょうか。

ヨーロッパの流れからすると、世紀末デカダンスの影響が美術に現れ、それを先進と思い込んだ当時留学していた画家たちが勘違いしてその考えを取り込んだ。そんなところじゃないかと想います。

伝統工芸の世界でもそうですが、食えない職業の人に良い仕事をしろというのは無理です。自己表現を追求して飲まず食わずで絵を描いているなんて、傍目からみればかっこいいですが、あまりにも内向的で誰も幸せにしません。社会的損失です。芸術が人を感動させるためにあるなら、もっとわかりやすくする努力をせねばならないと私は思います。芸術家が自分でできないなら、それを手助けする人が必要です。昨日書いた美術史家・批評家もそうですが、画商も話題作家の作品を振り回すだけで、そこのところの努力をしているのでしょうか。

そういう哲学や思想に裏打ちされた芸術ならば、他の芸術分野にも波及せねばならないはずです。アーツ&クラフツ運動が元をたどればディアギレフのバレエ・リュスが原点だというように、芸術の発展には大きな潮流が必要です。現代にそれがあるでしょうか。どうも、全体的にあまりに内向的で小粒のような気がします。

伝統工芸の世界でも、もう一度、手作りの良い物を見直そうという運動を起こさねばならないと想います。機械生産の大企業の市場寡占化が進み、手作りの品物はその価値さえ正当に評価されずに、棚の隅っこで誇りを被らされています。もし、染織がその運動の端緒になれるとしたら・・・

着物を愛する人、伝統工芸に携わるひとならば、自分たちも手作りの工芸品を生活の中で使いましょう。そして、できれば、作り手と逢って、自分の考えを伝え、意見を交わしましょう。そうすることで、伝統工芸全体で大きな流れができるかもしれません。

手作りの工芸品が評価されない国で、芸術が花開くなんてことは絶対にないと私は思います。


この本は、あと1回熟読して、もう一回は精読。そしてレポートにかかります。
  
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2010年03月20日

工芸論レポート完成

工芸論の4つの課題のうち、やっと第三課題が終了し、これで完了しました。
残っていたのは、『日本の陶芸の歴史を2000字でまとめなさい』というものでした。教科書には歴史のことなどちょっぴりしか書いていないので、自分で焼き物の歴史の本を買って勉強したんです。この本ですけどね。

日本やきもの史
荒川 正明, 金子 賢治, 伊藤 嘉章, 矢部 良明
美術出版社
1998年10月


この本、すごく著者が熱っぽくて、歴史のエキスがなかなか抽出できないんです。2回通読しましたが、それでも2000字にまとめるのはきつかったです。
一回目の通読からレポートを書くまで3ヶ月もかかってしまいました。途中でさぼっていたのですが・・・


陶芸の歴史をまとめてみて、よく分かるのは実用の工芸品というのは常に、その需要家の動向によって左右されるということです。貴族から庶民に変われば、粗造大量生産になるし、茶道が隆盛すれば、茶陶へ流れる。輸出品となれば、外国人の好みの物を作ることになる。

茶の病と柳宗悦は茶陶を酷評し、明治期に輸出用に作られた作品は美術史的には評価は低いと言います。そして、現代は前衛的な作品も含めた創作陶器が主流となっています。

作り手は自分の創作意欲に応じて作りたい物を作れる時代になったのですが、果たしてそれが全面的に良いことなのでしょうか。逆に言えば、茶道で使われることや外国人の鑑賞用・食器用として、そのためにデザインを彼らの好みに合わせることは芸術性や創造性を歪めおとしめる物でしょうか。

絵画にしても、19世紀までは画家は貴族や富裕層の肖像画を書くのがメインでした。それが貴族階級が崩壊して、肖像画の需要がなくなり、様々な絵を様々な表現で描くようになった。では、肖像画にその画家の個性が表れていないか、独創性が無いかと言われたらどうでしょうか。見る人が見れば、あきらかに作者は分かるはずで、大切な事は何を描くかではなく、どう描くかでしょう。その創作部分が少なく狭くても、作者はどこかに自己表現を爆発させるはずだと私は思うのです。目が違い、手が違い、思想が違えば、そこから生まれてくる物は決して同じでないはずです。それが創作なのではないでしょうか。創作というのは、ゆがんだ個性の表現のことではありません。歌をフェイクして歌えば個性的だと想っているのは所詮安物歌手です。一流の歌手は真っ直ぐに歌って個性が光る物です。個性は模倣の中から生まれるという事が、この真実を証明しています。

茶陶や輸出用の陶器の評価が低いのは、いじけた気持ちで作っているからで、それは、その作者のレベルがそもそも低いのであって、創作動機のせいではないと私は思います。やらされた仕事が良い結果を生まないのであれば、職人の仕事は成り立たないはずです。でも、それは多くの場合逆です。

また、見る側も目が曇っているのです。始めに偏見がある。やらされた仕事、目的のために作った物を、純粋ととらえたくない気持ちがある。純粋な表現て一体なんですか?人の気持ちを豊かに出来ない工芸に何の価値がありますか?

我が国の工芸の最大の病は『芸術家きどり』にあると想います。
たいした思想も教養もないのに、自己表現だとほざいて駄作を世間にさらす。
それで、世間に認められなければ、それが芸術だと自己満足するしかない。
そして、その鬱憤を、後輩の芸術評価にも反映させる。
『君は、何を表現したいのか?』と。

衆が認めない芸術がなんぼのもんですか?
訴えたいものが伝わらなければそんなものはタダの資源の無駄遣いです。
それなら、まだ、人の生活を豊かにする、欲しい物をつくる。
その中に、自己表現することを考える事の方が、ずっと社会的意義があるのではないでしょうか。

作りたい物を作るのはそれはそれで芸術家として美しい姿でしょう。
でも、認められないのを人のせいにするなといいたい。
作りたい物を作っても、認められる人はいるし、認められないのは、作品が悪いからです。駄作を言葉で補おうとするなど、チャッチイとしかいいようがない卑屈な姿勢です。

実用か創作か。どっちを行くのか腹を決めることが、最終的には自己表現の完結に繋がると私は思います。
  
Posted by 渡辺幻門 at 22:38Comments(0)

2010年03月20日

工芸論レポート完成

工芸論の4つの課題のうち、やっと第三課題が終了し、これで完了しました。
残っていたのは、『日本の陶芸の歴史を2000字でまとめなさい』というものでした。教科書には歴史のことなどちょっぴりしか書いていないので、自分で焼き物の歴史の本を買って勉強したんです。この本ですけどね。

日本やきもの史
荒川 正明, 金子 賢治, 伊藤 嘉章, 矢部 良明
美術出版社
1998年10月


この本、すごく著者が熱っぽくて、歴史のエキスがなかなか抽出できないんです。2回通読しましたが、それでも2000字にまとめるのはきつかったです。
一回目の通読からレポートを書くまで3ヶ月もかかってしまいました。途中でさぼっていたのですが・・・


陶芸の歴史をまとめてみて、よく分かるのは実用の工芸品というのは常に、その需要家の動向によって左右されるということです。貴族から庶民に変われば、粗造大量生産になるし、茶道が隆盛すれば、茶陶へ流れる。輸出品となれば、外国人の好みの物を作ることになる。

茶の病と柳宗悦は茶陶を酷評し、明治期に輸出用に作られた作品は美術史的には評価は低いと言います。そして、現代は前衛的な作品も含めた創作陶器が主流となっています。

作り手は自分の創作意欲に応じて作りたい物を作れる時代になったのですが、果たしてそれが全面的に良いことなのでしょうか。逆に言えば、茶道で使われることや外国人の鑑賞用・食器用として、そのためにデザインを彼らの好みに合わせることは芸術性や創造性を歪めおとしめる物でしょうか。

絵画にしても、19世紀までは画家は貴族や富裕層の肖像画を書くのがメインでした。それが貴族階級が崩壊して、肖像画の需要がなくなり、様々な絵を様々な表現で描くようになった。では、肖像画にその画家の個性が表れていないか、独創性が無いかと言われたらどうでしょうか。見る人が見れば、あきらかに作者は分かるはずで、大切な事は何を描くかではなく、どう描くかでしょう。その創作部分が少なく狭くても、作者はどこかに自己表現を爆発させるはずだと私は思うのです。目が違い、手が違い、思想が違えば、そこから生まれてくる物は決して同じでないはずです。それが創作なのではないでしょうか。創作というのは、ゆがんだ個性の表現のことではありません。歌をフェイクして歌えば個性的だと想っているのは所詮安物歌手です。一流の歌手は真っ直ぐに歌って個性が光る物です。個性は模倣の中から生まれるという事が、この真実を証明しています。

茶陶や輸出用の陶器の評価が低いのは、いじけた気持ちで作っているからで、それは、その作者のレベルがそもそも低いのであって、創作動機のせいではないと私は思います。やらされた仕事が良い結果を生まないのであれば、職人の仕事は成り立たないはずです。でも、それは多くの場合逆です。

また、見る側も目が曇っているのです。始めに偏見がある。やらされた仕事、目的のために作った物を、純粋ととらえたくない気持ちがある。純粋な表現て一体なんですか?人の気持ちを豊かに出来ない工芸に何の価値がありますか?

我が国の工芸の最大の病は『芸術家きどり』にあると想います。
たいした思想も教養もないのに、自己表現だとほざいて駄作を世間にさらす。
それで、世間に認められなければ、それが芸術だと自己満足するしかない。
そして、その鬱憤を、後輩の芸術評価にも反映させる。
『君は、何を表現したいのか?』と。

衆が認めない芸術がなんぼのもんですか?
訴えたいものが伝わらなければそんなものはタダの資源の無駄遣いです。
それなら、まだ、人の生活を豊かにする、欲しい物をつくる。
その中に、自己表現することを考える事の方が、ずっと社会的意義があるのではないでしょうか。

作りたい物を作るのはそれはそれで芸術家として美しい姿でしょう。
でも、認められないのを人のせいにするなといいたい。
作りたい物を作っても、認められる人はいるし、認められないのは、作品が悪いからです。駄作を言葉で補おうとするなど、チャッチイとしかいいようがない卑屈な姿勢です。

実用か創作か。どっちを行くのか腹を決めることが、最終的には自己表現の完結に繋がると私は思います。
  
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2010年03月20日

工芸論レポート完成

工芸論の4つの課題のうち、やっと第三課題が終了し、これで完了しました。
残っていたのは、『日本の陶芸の歴史を2000字でまとめなさい』というものでした。教科書には歴史のことなどちょっぴりしか書いていないので、自分で焼き物の歴史の本を買って勉強したんです。この本ですけどね。

日本やきもの史
荒川 正明, 金子 賢治, 伊藤 嘉章, 矢部 良明
美術出版社
1998年10月


この本、すごく著者が熱っぽくて、歴史のエキスがなかなか抽出できないんです。2回通読しましたが、それでも2000字にまとめるのはきつかったです。
一回目の通読からレポートを書くまで3ヶ月もかかってしまいました。途中でさぼっていたのですが・・・


陶芸の歴史をまとめてみて、よく分かるのは実用の工芸品というのは常に、その需要家の動向によって左右されるということです。貴族から庶民に変われば、粗造大量生産になるし、茶道が隆盛すれば、茶陶へ流れる。輸出品となれば、外国人の好みの物を作ることになる。

茶の病と柳宗悦は茶陶を酷評し、明治期に輸出用に作られた作品は美術史的には評価は低いと言います。そして、現代は前衛的な作品も含めた創作陶器が主流となっています。

作り手は自分の創作意欲に応じて作りたい物を作れる時代になったのですが、果たしてそれが全面的に良いことなのでしょうか。逆に言えば、茶道で使われることや外国人の鑑賞用・食器用として、そのためにデザインを彼らの好みに合わせることは芸術性や創造性を歪めおとしめる物でしょうか。

絵画にしても、19世紀までは画家は貴族や富裕層の肖像画を書くのがメインでした。それが貴族階級が崩壊して、肖像画の需要がなくなり、様々な絵を様々な表現で描くようになった。では、肖像画にその画家の個性が表れていないか、独創性が無いかと言われたらどうでしょうか。見る人が見れば、あきらかに作者は分かるはずで、大切な事は何を描くかではなく、どう描くかでしょう。その創作部分が少なく狭くても、作者はどこかに自己表現を爆発させるはずだと私は思うのです。目が違い、手が違い、思想が違えば、そこから生まれてくる物は決して同じでないはずです。それが創作なのではないでしょうか。創作というのは、ゆがんだ個性の表現のことではありません。歌をフェイクして歌えば個性的だと想っているのは所詮安物歌手です。一流の歌手は真っ直ぐに歌って個性が光る物です。個性は模倣の中から生まれるという事が、この真実を証明しています。

茶陶や輸出用の陶器の評価が低いのは、いじけた気持ちで作っているからで、それは、その作者のレベルがそもそも低いのであって、創作動機のせいではないと私は思います。やらされた仕事が良い結果を生まないのであれば、職人の仕事は成り立たないはずです。でも、それは多くの場合逆です。

また、見る側も目が曇っているのです。始めに偏見がある。やらされた仕事、目的のために作った物を、純粋ととらえたくない気持ちがある。純粋な表現て一体なんですか?人の気持ちを豊かに出来ない工芸に何の価値がありますか?

我が国の工芸の最大の病は『芸術家きどり』にあると想います。
たいした思想も教養もないのに、自己表現だとほざいて駄作を世間にさらす。
それで、世間に認められなければ、それが芸術だと自己満足するしかない。
そして、その鬱憤を、後輩の芸術評価にも反映させる。
『君は、何を表現したいのか?』と。

衆が認めない芸術がなんぼのもんですか?
訴えたいものが伝わらなければそんなものはタダの資源の無駄遣いです。
それなら、まだ、人の生活を豊かにする、欲しい物をつくる。
その中に、自己表現することを考える事の方が、ずっと社会的意義があるのではないでしょうか。

作りたい物を作るのはそれはそれで芸術家として美しい姿でしょう。
でも、認められないのを人のせいにするなといいたい。
作りたい物を作っても、認められる人はいるし、認められないのは、作品が悪いからです。駄作を言葉で補おうとするなど、チャッチイとしかいいようがない卑屈な姿勢です。

実用か創作か。どっちを行くのか腹を決めることが、最終的には自己表現の完結に繋がると私は思います。
  
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2010年03月20日

日本資本主義の精神 【書評】

日本資本主義の精神
2006
ビジネス社
山本 七平

スカスカの本で、一気に読み上げました。

日本社会の持つ特殊性を分析し、そのなかで石門心学がどのように発展していったか、そしてそれを現代にどう活かすかの示唆を行っている本でしょうか。

心学を世に広めた石田梅岩は商人の心得の基礎を作ったといわれる思想家と言われていますが、私はすこし懐疑的です。

たしかに、当時蔑まれていた商人の立場を養護し、商行為は武士や農民の仕事となんら変わりのない尊いものだと主張したのは価値のあることでしょう。しかし、大阪に限って言えば、そんなことは、みんなわかりきっていたでしょうし、全国的に見て大阪ほど商人が威張っているところはないでしょう。それは、石田梅岩のおかげではなく、大阪商人の隆盛の結果だと想います。学者さんは思想があって行為があると考えたがりますが、私は違うと思います。行為があって、その中から思想がうまれてくるんじゃないでしょうか。仕事が人格をつくるというのはその代表的な例です。仕事が思想をつくり、その思想がまた仕事をつくる。思想があっても仕事をしないひとはたくさんいます。しかし、仕事を一生懸命にやっているひとは、かならずそれなりの思想をもっているものです。

心学が大阪商人に影響を与えたと聞いていたので、何冊か読んでみましたが、私の得た結論はこれでした。石田梅岩は理屈屋だったといいますから、大阪の古い商家で言い習わされていることをあれこれ考えて分析して書いたのでしょう。

ただ、大阪商人の商売にたいする考え方、人生にたいする対峙の仕方は心学を知ることによって触れることができると想います。大阪商人が崇高な姿勢を失ってしまった今、かつてどんなことを考え、天下の台所として君臨したのかを知るには、こういう本を読むしかないでしょう。

かつて、商家の生活には商売訓、人生訓があふれていました。
だれに教わるでもなく子供の時から自然に耳に入り、体にしみこんでいったものです。商家が会社形式になり、職場と住居が別々になってから、こういう伝統は失われ、大切な商人哲学は忘れられていきました。それでいま、再度心学を見直そうという動きは、歓迎すべき事でしょう。

私もまた、心学を勉強して、心を落ち着け姿勢を正していきたいと想います。
  
Posted by 渡辺幻門 at 21:43Comments(0)

2010年03月20日

日本資本主義の精神 【書評】

日本資本主義の精神
2006
ビジネス社
山本 七平

スカスカの本で、一気に読み上げました。

日本社会の持つ特殊性を分析し、そのなかで石門心学がどのように発展していったか、そしてそれを現代にどう活かすかの示唆を行っている本でしょうか。

心学を世に広めた石田梅岩は商人の心得の基礎を作ったといわれる思想家と言われていますが、私はすこし懐疑的です。

たしかに、当時蔑まれていた商人の立場を養護し、商行為は武士や農民の仕事となんら変わりのない尊いものだと主張したのは価値のあることでしょう。しかし、大阪に限って言えば、そんなことは、みんなわかりきっていたでしょうし、全国的に見て大阪ほど商人が威張っているところはないでしょう。それは、石田梅岩のおかげではなく、大阪商人の隆盛の結果だと想います。学者さんは思想があって行為があると考えたがりますが、私は違うと思います。行為があって、その中から思想がうまれてくるんじゃないでしょうか。仕事が人格をつくるというのはその代表的な例です。仕事が思想をつくり、その思想がまた仕事をつくる。思想があっても仕事をしないひとはたくさんいます。しかし、仕事を一生懸命にやっているひとは、かならずそれなりの思想をもっているものです。

心学が大阪商人に影響を与えたと聞いていたので、何冊か読んでみましたが、私の得た結論はこれでした。石田梅岩は理屈屋だったといいますから、大阪の古い商家で言い習わされていることをあれこれ考えて分析して書いたのでしょう。

ただ、大阪商人の商売にたいする考え方、人生にたいする対峙の仕方は心学を知ることによって触れることができると想います。大阪商人が崇高な姿勢を失ってしまった今、かつてどんなことを考え、天下の台所として君臨したのかを知るには、こういう本を読むしかないでしょう。

かつて、商家の生活には商売訓、人生訓があふれていました。
だれに教わるでもなく子供の時から自然に耳に入り、体にしみこんでいったものです。商家が会社形式になり、職場と住居が別々になってから、こういう伝統は失われ、大切な商人哲学は忘れられていきました。それでいま、再度心学を見直そうという動きは、歓迎すべき事でしょう。

私もまた、心学を勉強して、心を落ち着け姿勢を正していきたいと想います。
  
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2010年03月20日

日本資本主義の精神 【書評】

日本資本主義の精神
2006
ビジネス社
山本 七平

スカスカの本で、一気に読み上げました。

日本社会の持つ特殊性を分析し、そのなかで石門心学がどのように発展していったか、そしてそれを現代にどう活かすかの示唆を行っている本でしょうか。

心学を世に広めた石田梅岩は商人の心得の基礎を作ったといわれる思想家と言われていますが、私はすこし懐疑的です。

たしかに、当時蔑まれていた商人の立場を養護し、商行為は武士や農民の仕事となんら変わりのない尊いものだと主張したのは価値のあることでしょう。しかし、大阪に限って言えば、そんなことは、みんなわかりきっていたでしょうし、全国的に見て大阪ほど商人が威張っているところはないでしょう。それは、石田梅岩のおかげではなく、大阪商人の隆盛の結果だと想います。学者さんは思想があって行為があると考えたがりますが、私は違うと思います。行為があって、その中から思想がうまれてくるんじゃないでしょうか。仕事が人格をつくるというのはその代表的な例です。仕事が思想をつくり、その思想がまた仕事をつくる。思想があっても仕事をしないひとはたくさんいます。しかし、仕事を一生懸命にやっているひとは、かならずそれなりの思想をもっているものです。

心学が大阪商人に影響を与えたと聞いていたので、何冊か読んでみましたが、私の得た結論はこれでした。石田梅岩は理屈屋だったといいますから、大阪の古い商家で言い習わされていることをあれこれ考えて分析して書いたのでしょう。

ただ、大阪商人の商売にたいする考え方、人生にたいする対峙の仕方は心学を知ることによって触れることができると想います。大阪商人が崇高な姿勢を失ってしまった今、かつてどんなことを考え、天下の台所として君臨したのかを知るには、こういう本を読むしかないでしょう。

かつて、商家の生活には商売訓、人生訓があふれていました。
だれに教わるでもなく子供の時から自然に耳に入り、体にしみこんでいったものです。商家が会社形式になり、職場と住居が別々になってから、こういう伝統は失われ、大切な商人哲学は忘れられていきました。それでいま、再度心学を見直そうという動きは、歓迎すべき事でしょう。

私もまた、心学を勉強して、心を落ち着け姿勢を正していきたいと想います。
  
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2010年03月18日

沖縄だれにも書かれたくなかった戦後史

?沖縄だれにも書かれたくなかった戦後史
レビュー

沖縄だれにも書かれたくなかった戦後史
佐野 真一
集英社インターナショナル
2008年9月
今日は酒も飲まずに読み進め、なんとかいま読了しました。

前半は沖縄ヤクザの話。
よく調べられていました。
この部分での著者の取材力には感服しました。

亡父は20歳の時、当時所属医していた会社の駐在員として沖縄に駐在していました。国際通りの時計屋の二階だったと聞いています。そこを足場に那覇の洋服屋、洋裁店や南風原の機屋を回っていたのです。いまから50年以上前の話です。幼少の時からよく沖縄の話を聞いていましたので、この本の復帰前の話は父が沖縄で活躍していた当時を思い巡らせて感慨深いものがありました。よく暴漢に絡まれたとも聞いていましたが、当時はかなり荒れていたんですね。密貿易や戦果アギヤーの話も非常に興味深かったです。なぜ、当時今とは比較にならなかいくらい貧しかった沖縄に輸出して商売が成り立っていたのかもよく分かりました。そういう一般には知らされていない部分を調べて書いているという点ではこの本は読む価値がありました。亡父や古い番頭の言葉と重ね合わせると良く理解できました。

この本の一番いけないところは、沖縄を知らない人が一読しただけでは復帰前、復帰直後の沖縄はヤクザと悪徳政治家と犯罪者が牛耳っていたような印象を持たせるところです。動乱のじきにはそういう勢力が力を持つこともあるでしょうが、基本的にはやはり多くの真面目な人たちが沖縄の土台を支えてきたことも書くべきだと想います。おもしろおかしく沖縄の恥部を書き立てる様なまねをすること自体、沖縄を愛していると言えない恥ずべき行為だと私は思います。

政治・経済に関する部分では、知識が非常に浅薄です。所詮は三流雑誌がヤクザもの延長で書いた記事の域を出ていません。沖縄の経済問題は10回やそこら沖縄に来て分かるものでもないし、そう簡単に結論が出せるものでもない。

沖縄が経済的に自立するには、左翼の教育支配を排し、本当の実のある教育に切り替える事がまず第一にするべき事だと私は思います。経済の基盤を支えるのはやはり人です。今の沖縄に一番欠けているのは教育です。復帰後の左翼教育によって、若い人たちは労働意欲を失い、愚民化教育の犠牲者になってしまっている。だから、政治家やマスコミに踊らされてその話の内容も分析・検討できない。沖縄の人が働かないのではなくて、働かないように教育されてしまっているのです。第三次産業がメインにならねばならないのに、その基盤となる教育がなされていないから、いつまでたってもサービスが向上しない。立派なホテルが建っても、中にいるのはダラダラした礼儀も知らないホテルマンばかり。これでは良い客は沖縄には来ません。

沖縄をどうするかは沖縄の人が考えて実行するしかないのです。そのためには考える人材を養成せねばなりません。私にもし力と金があれば、沖縄に私塾をつくり、学校をつくり、背筋の伸びた紳士を育成しますね。人材があれば、基地が無くなっても、公共事業が減っても、生き延びていけるはずです。
  
Posted by 渡辺幻門 at 00:07Comments(0)

2010年03月18日

沖縄だれにも書かれたくなかった戦後史

?沖縄だれにも書かれたくなかった戦後史
レビュー

沖縄だれにも書かれたくなかった戦後史
佐野 真一
集英社インターナショナル
2008年9月
今日は酒も飲まずに読み進め、なんとかいま読了しました。

前半は沖縄ヤクザの話。
よく調べられていました。
この部分での著者の取材力には感服しました。

亡父は20歳の時、当時所属医していた会社の駐在員として沖縄に駐在していました。国際通りの時計屋の二階だったと聞いています。そこを足場に那覇の洋服屋、洋裁店や南風原の機屋を回っていたのです。いまから50年以上前の話です。幼少の時からよく沖縄の話を聞いていましたので、この本の復帰前の話は父が沖縄で活躍していた当時を思い巡らせて感慨深いものがありました。よく暴漢に絡まれたとも聞いていましたが、当時はかなり荒れていたんですね。密貿易や戦果アギヤーの話も非常に興味深かったです。なぜ、当時今とは比較にならなかいくらい貧しかった沖縄に輸出して商売が成り立っていたのかもよく分かりました。そういう一般には知らされていない部分を調べて書いているという点ではこの本は読む価値がありました。亡父や古い番頭の言葉と重ね合わせると良く理解できました。

この本の一番いけないところは、沖縄を知らない人が一読しただけでは復帰前、復帰直後の沖縄はヤクザと悪徳政治家と犯罪者が牛耳っていたような印象を持たせるところです。動乱のじきにはそういう勢力が力を持つこともあるでしょうが、基本的にはやはり多くの真面目な人たちが沖縄の土台を支えてきたことも書くべきだと想います。おもしろおかしく沖縄の恥部を書き立てる様なまねをすること自体、沖縄を愛していると言えない恥ずべき行為だと私は思います。

政治・経済に関する部分では、知識が非常に浅薄です。所詮は三流雑誌がヤクザもの延長で書いた記事の域を出ていません。沖縄の経済問題は10回やそこら沖縄に来て分かるものでもないし、そう簡単に結論が出せるものでもない。

沖縄が経済的に自立するには、左翼の教育支配を排し、本当の実のある教育に切り替える事がまず第一にするべき事だと私は思います。経済の基盤を支えるのはやはり人です。今の沖縄に一番欠けているのは教育です。復帰後の左翼教育によって、若い人たちは労働意欲を失い、愚民化教育の犠牲者になってしまっている。だから、政治家やマスコミに踊らされてその話の内容も分析・検討できない。沖縄の人が働かないのではなくて、働かないように教育されてしまっているのです。第三次産業がメインにならねばならないのに、その基盤となる教育がなされていないから、いつまでたってもサービスが向上しない。立派なホテルが建っても、中にいるのはダラダラした礼儀も知らないホテルマンばかり。これでは良い客は沖縄には来ません。

沖縄をどうするかは沖縄の人が考えて実行するしかないのです。そのためには考える人材を養成せねばなりません。私にもし力と金があれば、沖縄に私塾をつくり、学校をつくり、背筋の伸びた紳士を育成しますね。人材があれば、基地が無くなっても、公共事業が減っても、生き延びていけるはずです。
  
Posted by 渡辺幻門 at 00:07Comments(0)

2010年03月18日

沖縄だれにも書かれたくなかった戦後史

?沖縄だれにも書かれたくなかった戦後史
レビュー

沖縄だれにも書かれたくなかった戦後史
佐野 真一
集英社インターナショナル
2008年9月
今日は酒も飲まずに読み進め、なんとかいま読了しました。

前半は沖縄ヤクザの話。
よく調べられていました。
この部分での著者の取材力には感服しました。

亡父は20歳の時、当時所属医していた会社の駐在員として沖縄に駐在していました。国際通りの時計屋の二階だったと聞いています。そこを足場に那覇の洋服屋、洋裁店や南風原の機屋を回っていたのです。いまから50年以上前の話です。幼少の時からよく沖縄の話を聞いていましたので、この本の復帰前の話は父が沖縄で活躍していた当時を思い巡らせて感慨深いものがありました。よく暴漢に絡まれたとも聞いていましたが、当時はかなり荒れていたんですね。密貿易や戦果アギヤーの話も非常に興味深かったです。なぜ、当時今とは比較にならなかいくらい貧しかった沖縄に輸出して商売が成り立っていたのかもよく分かりました。そういう一般には知らされていない部分を調べて書いているという点ではこの本は読む価値がありました。亡父や古い番頭の言葉と重ね合わせると良く理解できました。

この本の一番いけないところは、沖縄を知らない人が一読しただけでは復帰前、復帰直後の沖縄はヤクザと悪徳政治家と犯罪者が牛耳っていたような印象を持たせるところです。動乱のじきにはそういう勢力が力を持つこともあるでしょうが、基本的にはやはり多くの真面目な人たちが沖縄の土台を支えてきたことも書くべきだと想います。おもしろおかしく沖縄の恥部を書き立てる様なまねをすること自体、沖縄を愛していると言えない恥ずべき行為だと私は思います。

政治・経済に関する部分では、知識が非常に浅薄です。所詮は三流雑誌がヤクザもの延長で書いた記事の域を出ていません。沖縄の経済問題は10回やそこら沖縄に来て分かるものでもないし、そう簡単に結論が出せるものでもない。

沖縄が経済的に自立するには、左翼の教育支配を排し、本当の実のある教育に切り替える事がまず第一にするべき事だと私は思います。経済の基盤を支えるのはやはり人です。今の沖縄に一番欠けているのは教育です。復帰後の左翼教育によって、若い人たちは労働意欲を失い、愚民化教育の犠牲者になってしまっている。だから、政治家やマスコミに踊らされてその話の内容も分析・検討できない。沖縄の人が働かないのではなくて、働かないように教育されてしまっているのです。第三次産業がメインにならねばならないのに、その基盤となる教育がなされていないから、いつまでたってもサービスが向上しない。立派なホテルが建っても、中にいるのはダラダラした礼儀も知らないホテルマンばかり。これでは良い客は沖縄には来ません。

沖縄をどうするかは沖縄の人が考えて実行するしかないのです。そのためには考える人材を養成せねばなりません。私にもし力と金があれば、沖縄に私塾をつくり、学校をつくり、背筋の伸びた紳士を育成しますね。人材があれば、基地が無くなっても、公共事業が減っても、生き延びていけるはずです。
  
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2010年03月12日

つなげ!匠の精神

昨日、京都に行ってきました。
どこに行っても『できない』『やめてしもた』という話ばかりです。糸屋、染屋、箔屋、それにまつわる下職の人たちがどんどん廃業してしまっているのです。10年前は普通にできたものが今は出来ないのです。

京都の染、織はそれぞれが卓越した技術を持った分業体制で成り立っています。
一貫生産ではとうてい出来ない精密で高度な技術の集大成なのです。

新しい文様を起こそうと想っても、図案師がいない。変わった生地を使おうとしても、生地屋が生産をしぼっていたり、紋図が壊れていたりしてできない。預けていた型も廃業とともに、行方不明になる。新規発注がないから、生地屋、機屋はどんどんやめていく。生地が無くなったら、どんな良い染めの技術を持っていても形にならないのです。織りは織機を動かす人がいないと糸のまんまです。その糸だって、ほとんど外国製です。

近い将来、京都ブランドで売られる着物のほとんどがインクジェットの着物と外国で織られた簡単な帯だけになるでしょうね。これは目を背けることの出来ない現実です。

そう考えると、わが沖縄染織の将来は安泰です。第一に個人の範囲で全工程が完了する。織は糸も紡ぐ事は可能だし、糸染、製織、洗濯まで一人で出来ます。染め物も紅型の場合は、図案から型彫り、色差し、地染め、蒸し水洗まで全部一つの工房内で完了出来ます。そして、大きいのは首里高校、沖縄県立芸大が県の教育として、伝統染織そのものを指導し、後継者を育成している事です。また、県も工芸指導所や各組合で後継者育成、技術指導をしています。そして、一貫した工程をこなせる染織作家の数が他産地と比べてべらぼうに多い事。これは技術の研鑽と情報の交換を産みます。今後すくなくとも50年はだれかが染め織りをやっているでしょう。桑も年中とれるし、苧麻も年に4回収穫できる。原材料の供給も問題ない。年中温かく、糸や布の乾きもはやいから、効率が良い。植物染料も豊富で年中とれる。また、染め織りに携わる人のほとんどが女性であるというのが非常に大きい。生活ではなく、愉しんでやっている人が多いのです。仕事半分、趣味半分だから、手を抜かない。若い内に習って、結婚して子供が出来たら休み、子供が大きくなったらまた始める。そうやってどんどん仕事が繋がっていく。

もちろん、京都のように精巧なものはできないでしょうが、それでも無くなるよりは全然ましです。

京都の染織技術を失うことは、世界的な損失です。しかし、それも世の流れかもしれません。このままでは、ほんとうにその技術が途絶えてしまいます。職人技はもう消滅するのです。いくら私たちが惜しんでも食べていけないのでは、どうしようもないのです。

それより危惧されるのは『匠の精神』です。これは伝統工芸から培われてきた物ですが、この精神が日本の工業技術の基礎になっているのは衆知のとおりです。染織を初めとする伝統工芸が衰退するということは、その精神も失われていくという事にならないでしょうか。東大阪の鉄工所の技術も元はといえば、丹南の金物が原点です。堺打刃物もそこから生まれたのです。あまり知られていませんが、今でも丹南地区には多くの金属加工工場があります。日本の輸出を支えた繊維業も、各地で行われていた機織りの基礎がなければあり得なかったことです。その根っこを私たちは失おうとしている。

世の中の流れと不況で、京都の物作りはもう風前の灯火です。しかし、枝葉は枯れても、根っこだけは残さねばならない。その根っ子とは『匠の精神』と『基礎技術』です。いままで、職人技とされてきた技術を、出来る限り分析して数値化し、あとに続けられないものでしょうか。あるいは、他産業への技術移転をはかることはできないものでしょうか。

日本はものづくりの国です。その国の足元が壊疽を起こしています。
なんとか、踏ん張って欲しい、手を合わせて神様にお願いしたい心境です。
  
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2010年03月12日

つなげ!匠の精神

昨日、京都に行ってきました。
どこに行っても『できない』『やめてしもた』という話ばかりです。糸屋、染屋、箔屋、それにまつわる下職の人たちがどんどん廃業してしまっているのです。10年前は普通にできたものが今は出来ないのです。

京都の染、織はそれぞれが卓越した技術を持った分業体制で成り立っています。
一貫生産ではとうてい出来ない精密で高度な技術の集大成なのです。

新しい文様を起こそうと想っても、図案師がいない。変わった生地を使おうとしても、生地屋が生産をしぼっていたり、紋図が壊れていたりしてできない。預けていた型も廃業とともに、行方不明になる。新規発注がないから、生地屋、機屋はどんどんやめていく。生地が無くなったら、どんな良い染めの技術を持っていても形にならないのです。織りは織機を動かす人がいないと糸のまんまです。その糸だって、ほとんど外国製です。

近い将来、京都ブランドで売られる着物のほとんどがインクジェットの着物と外国で織られた簡単な帯だけになるでしょうね。これは目を背けることの出来ない現実です。

そう考えると、わが沖縄染織の将来は安泰です。第一に個人の範囲で全工程が完了する。織は糸も紡ぐ事は可能だし、糸染、製織、洗濯まで一人で出来ます。染め物も紅型の場合は、図案から型彫り、色差し、地染め、蒸し水洗まで全部一つの工房内で完了出来ます。そして、大きいのは首里高校、沖縄県立芸大が県の教育として、伝統染織そのものを指導し、後継者を育成している事です。また、県も工芸指導所や各組合で後継者育成、技術指導をしています。そして、一貫した工程をこなせる染織作家の数が他産地と比べてべらぼうに多い事。これは技術の研鑽と情報の交換を産みます。今後すくなくとも50年はだれかが染め織りをやっているでしょう。桑も年中とれるし、苧麻も年に4回収穫できる。原材料の供給も問題ない。年中温かく、糸や布の乾きもはやいから、効率が良い。植物染料も豊富で年中とれる。また、染め織りに携わる人のほとんどが女性であるというのが非常に大きい。生活ではなく、愉しんでやっている人が多いのです。仕事半分、趣味半分だから、手を抜かない。若い内に習って、結婚して子供が出来たら休み、子供が大きくなったらまた始める。そうやってどんどん仕事が繋がっていく。

もちろん、京都のように精巧なものはできないでしょうが、それでも無くなるよりは全然ましです。

京都の染織技術を失うことは、世界的な損失です。しかし、それも世の流れかもしれません。このままでは、ほんとうにその技術が途絶えてしまいます。職人技はもう消滅するのです。いくら私たちが惜しんでも食べていけないのでは、どうしようもないのです。

それより危惧されるのは『匠の精神』です。これは伝統工芸から培われてきた物ですが、この精神が日本の工業技術の基礎になっているのは衆知のとおりです。染織を初めとする伝統工芸が衰退するということは、その精神も失われていくという事にならないでしょうか。東大阪の鉄工所の技術も元はといえば、丹南の金物が原点です。堺打刃物もそこから生まれたのです。あまり知られていませんが、今でも丹南地区には多くの金属加工工場があります。日本の輸出を支えた繊維業も、各地で行われていた機織りの基礎がなければあり得なかったことです。その根っこを私たちは失おうとしている。

世の中の流れと不況で、京都の物作りはもう風前の灯火です。しかし、枝葉は枯れても、根っこだけは残さねばならない。その根っ子とは『匠の精神』と『基礎技術』です。いままで、職人技とされてきた技術を、出来る限り分析して数値化し、あとに続けられないものでしょうか。あるいは、他産業への技術移転をはかることはできないものでしょうか。

日本はものづくりの国です。その国の足元が壊疽を起こしています。
なんとか、踏ん張って欲しい、手を合わせて神様にお願いしたい心境です。
  
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2010年03月12日

つなげ!匠の精神

昨日、京都に行ってきました。
どこに行っても『できない』『やめてしもた』という話ばかりです。糸屋、染屋、箔屋、それにまつわる下職の人たちがどんどん廃業してしまっているのです。10年前は普通にできたものが今は出来ないのです。

京都の染、織はそれぞれが卓越した技術を持った分業体制で成り立っています。
一貫生産ではとうてい出来ない精密で高度な技術の集大成なのです。

新しい文様を起こそうと想っても、図案師がいない。変わった生地を使おうとしても、生地屋が生産をしぼっていたり、紋図が壊れていたりしてできない。預けていた型も廃業とともに、行方不明になる。新規発注がないから、生地屋、機屋はどんどんやめていく。生地が無くなったら、どんな良い染めの技術を持っていても形にならないのです。織りは織機を動かす人がいないと糸のまんまです。その糸だって、ほとんど外国製です。

近い将来、京都ブランドで売られる着物のほとんどがインクジェットの着物と外国で織られた簡単な帯だけになるでしょうね。これは目を背けることの出来ない現実です。

そう考えると、わが沖縄染織の将来は安泰です。第一に個人の範囲で全工程が完了する。織は糸も紡ぐ事は可能だし、糸染、製織、洗濯まで一人で出来ます。染め物も紅型の場合は、図案から型彫り、色差し、地染め、蒸し水洗まで全部一つの工房内で完了出来ます。そして、大きいのは首里高校、沖縄県立芸大が県の教育として、伝統染織そのものを指導し、後継者を育成している事です。また、県も工芸指導所や各組合で後継者育成、技術指導をしています。そして、一貫した工程をこなせる染織作家の数が他産地と比べてべらぼうに多い事。これは技術の研鑽と情報の交換を産みます。今後すくなくとも50年はだれかが染め織りをやっているでしょう。桑も年中とれるし、苧麻も年に4回収穫できる。原材料の供給も問題ない。年中温かく、糸や布の乾きもはやいから、効率が良い。植物染料も豊富で年中とれる。また、染め織りに携わる人のほとんどが女性であるというのが非常に大きい。生活ではなく、愉しんでやっている人が多いのです。仕事半分、趣味半分だから、手を抜かない。若い内に習って、結婚して子供が出来たら休み、子供が大きくなったらまた始める。そうやってどんどん仕事が繋がっていく。

もちろん、京都のように精巧なものはできないでしょうが、それでも無くなるよりは全然ましです。

京都の染織技術を失うことは、世界的な損失です。しかし、それも世の流れかもしれません。このままでは、ほんとうにその技術が途絶えてしまいます。職人技はもう消滅するのです。いくら私たちが惜しんでも食べていけないのでは、どうしようもないのです。

それより危惧されるのは『匠の精神』です。これは伝統工芸から培われてきた物ですが、この精神が日本の工業技術の基礎になっているのは衆知のとおりです。染織を初めとする伝統工芸が衰退するということは、その精神も失われていくという事にならないでしょうか。東大阪の鉄工所の技術も元はといえば、丹南の金物が原点です。堺打刃物もそこから生まれたのです。あまり知られていませんが、今でも丹南地区には多くの金属加工工場があります。日本の輸出を支えた繊維業も、各地で行われていた機織りの基礎がなければあり得なかったことです。その根っこを私たちは失おうとしている。

世の中の流れと不況で、京都の物作りはもう風前の灯火です。しかし、枝葉は枯れても、根っこだけは残さねばならない。その根っ子とは『匠の精神』と『基礎技術』です。いままで、職人技とされてきた技術を、出来る限り分析して数値化し、あとに続けられないものでしょうか。あるいは、他産業への技術移転をはかることはできないものでしょうか。

日本はものづくりの国です。その国の足元が壊疽を起こしています。
なんとか、踏ん張って欲しい、手を合わせて神様にお願いしたい心境です。
  
Posted by 渡辺幻門 at 13:25Comments(1)

2010年03月09日

芸術学の社会科学的アプローチ

先日、織の課題がなんとか合格して、大阪芸大の3年生になりました。
パイル織の課題は実技初のA評価を頂きました。これも堺段通のルーツのせいでしょうか。

論文は殆どAを頂いているのですが、客観的に読んでみるとやっぱり社会科学的な分析・論点になっていることに気づきます。私は特に、マーケティング専攻ですので、心理学や経済学などクロスディシプリナリーな分析が持ち味です。

そもそも、芸術というものが人の心を基本とするからには、それを分析する芸術学は心理学や社会学を取り入れるべきです。しかし、いまの芸術学、美学は哲学を中心として構成されている。これは机上の空論に陥る可能性が非常に高いように想われます。

芸術が、民衆のものであり、民衆の心に訴えかける事を目的とするならば、これは本来、社会科学の分野としてとらえられるべきではないでしょうか。芸術は世の中に受け入れられる事でその価値を生みます。民衆に受け入れられない純粋芸術というものがこの世の中に果たしてあるのでしょうか。もしあるとすればそれは数学や論理学で実証されるでしょうが、人間の心はそんなに単純であるとは想えません。経済学が実体経済から乖離したのも、数理経済学や金融工学というバケモノが世界の経済を支配したからではないでしょうか。

芸術や美術に、その方向性を示すべき美学・芸術学は社会科学や人文科学を基礎とすべきであると私は思います。

その観点から、私は社会科学を学んだ物として、その観点から美学・芸術学を論じてみたいと想っています。

いまのままでは、名望家の民芸運動家に利用されるだけにおわった民芸論と同じになってしまいます。芸術学・美学は芸術や美術に関わる人たちが幸福になるために貢献できる実学であるべきだと私は思います。

芸大でもアートプランニングやアートマネージメントという題目の講義がありますが、双方とも、文学部出身の芸術学博士号取得者が指導しているのようです。これではいくら話をしても、芸術家は食べていけるようにはなりません。どこを目標に自分の表現と市場性を実現していくか。この部分で目指す物を差示すことができなければ、そんな学問は必要ないとさえ私は思います。

民藝論を学び、芸大で学ぶことで、私は芸術学・美学の根本的欠陥に気づきました。それらを現実の社会で実りあるものにするためには、社会科学的アプローチが是非とも必要だと想います。

その端緒として、私は芸術学・美学を学び、実学としてのそれらの新たな位置づけの嚆矢を放ちたいと想います。
  
Posted by 渡辺幻門 at 23:26Comments(0)経済・思想

2010年03月09日

芸術学の社会科学的アプローチ

先日、織の課題がなんとか合格して、大阪芸大の3年生になりました。
パイル織の課題は実技初のA評価を頂きました。これも堺段通のルーツのせいでしょうか。

論文は殆どAを頂いているのですが、客観的に読んでみるとやっぱり社会科学的な分析・論点になっていることに気づきます。私は特に、マーケティング専攻ですので、心理学や経済学などクロスディシプリナリーな分析が持ち味です。

そもそも、芸術というものが人の心を基本とするからには、それを分析する芸術学は心理学や社会学を取り入れるべきです。しかし、いまの芸術学、美学は哲学を中心として構成されている。これは机上の空論に陥る可能性が非常に高いように想われます。

芸術が、民衆のものであり、民衆の心に訴えかける事を目的とするならば、これは本来、社会科学の分野としてとらえられるべきではないでしょうか。芸術は世の中に受け入れられる事でその価値を生みます。民衆に受け入れられない純粋芸術というものがこの世の中に果たしてあるのでしょうか。もしあるとすればそれは数学や論理学で実証されるでしょうが、人間の心はそんなに単純であるとは想えません。経済学が実体経済から乖離したのも、数理経済学や金融工学というバケモノが世界の経済を支配したからではないでしょうか。

芸術や美術に、その方向性を示すべき美学・芸術学は社会科学や人文科学を基礎とすべきであると私は思います。

その観点から、私は社会科学を学んだ物として、その観点から美学・芸術学を論じてみたいと想っています。

いまのままでは、名望家の民芸運動家に利用されるだけにおわった民芸論と同じになってしまいます。芸術学・美学は芸術や美術に関わる人たちが幸福になるために貢献できる実学であるべきだと私は思います。

芸大でもアートプランニングやアートマネージメントという題目の講義がありますが、双方とも、文学部出身の芸術学博士号取得者が指導しているのようです。これではいくら話をしても、芸術家は食べていけるようにはなりません。どこを目標に自分の表現と市場性を実現していくか。この部分で目指す物を差示すことができなければ、そんな学問は必要ないとさえ私は思います。

民藝論を学び、芸大で学ぶことで、私は芸術学・美学の根本的欠陥に気づきました。それらを現実の社会で実りあるものにするためには、社会科学的アプローチが是非とも必要だと想います。

その端緒として、私は芸術学・美学を学び、実学としてのそれらの新たな位置づけの嚆矢を放ちたいと想います。
  
Posted by 渡辺幻門 at 23:26Comments(0)経済・思想

2010年03月09日

芸術学の社会科学的アプローチ

先日、織の課題がなんとか合格して、大阪芸大の3年生になりました。
パイル織の課題は実技初のA評価を頂きました。これも堺段通のルーツのせいでしょうか。

論文は殆どAを頂いているのですが、客観的に読んでみるとやっぱり社会科学的な分析・論点になっていることに気づきます。私は特に、マーケティング専攻ですので、心理学や経済学などクロスディシプリナリーな分析が持ち味です。

そもそも、芸術というものが人の心を基本とするからには、それを分析する芸術学は心理学や社会学を取り入れるべきです。しかし、いまの芸術学、美学は哲学を中心として構成されている。これは机上の空論に陥る可能性が非常に高いように想われます。

芸術が、民衆のものであり、民衆の心に訴えかける事を目的とするならば、これは本来、社会科学の分野としてとらえられるべきではないでしょうか。芸術は世の中に受け入れられる事でその価値を生みます。民衆に受け入れられない純粋芸術というものがこの世の中に果たしてあるのでしょうか。もしあるとすればそれは数学や論理学で実証されるでしょうが、人間の心はそんなに単純であるとは想えません。経済学が実体経済から乖離したのも、数理経済学や金融工学というバケモノが世界の経済を支配したからではないでしょうか。

芸術や美術に、その方向性を示すべき美学・芸術学は社会科学や人文科学を基礎とすべきであると私は思います。

その観点から、私は社会科学を学んだ物として、その観点から美学・芸術学を論じてみたいと想っています。

いまのままでは、名望家の民芸運動家に利用されるだけにおわった民芸論と同じになってしまいます。芸術学・美学は芸術や美術に関わる人たちが幸福になるために貢献できる実学であるべきだと私は思います。

芸大でもアートプランニングやアートマネージメントという題目の講義がありますが、双方とも、文学部出身の芸術学博士号取得者が指導しているのようです。これではいくら話をしても、芸術家は食べていけるようにはなりません。どこを目標に自分の表現と市場性を実現していくか。この部分で目指す物を差示すことができなければ、そんな学問は必要ないとさえ私は思います。

民藝論を学び、芸大で学ぶことで、私は芸術学・美学の根本的欠陥に気づきました。それらを現実の社会で実りあるものにするためには、社会科学的アプローチが是非とも必要だと想います。

その端緒として、私は芸術学・美学を学び、実学としてのそれらの新たな位置づけの嚆矢を放ちたいと想います。
  
Posted by 渡辺幻門 at 23:26Comments(0)経済・思想

2010年03月09日

私の着物ライフ

着物業界にいて、着物の仕事をし、着物の話をする私ですが、じゃ、自分自身が生活の中でどんな形で着物に関わっているかと言えば、それは一番には普段着・仕事着でしょうね。

会社では、那覇の織り手さんに発注した無地の紬を愛用しています。薄い赤紫色です。
16ヨミの100%草木染です。幅が41センチで指定しているので体の大きな私でも着用できるのです。その生地を季節を選ばず単衣で着ています。袷にすると動きにくいからです。袖は筒袖です。筒袖というのはフリがないから、作業がしやすいのです。襦袢は着ません。シャツとステテコの上に直に着物を着ます。それに兵児帯です。

呉服屋のくせに邪道だな、と言われそうですが、私は主兼番頭兼丁稚なので、結構バリバリ動かねばなりません。旦那さんのようにじっと座っては居られないので、軽装でなければなりません。本当は、ハッピと前掛けをしたいところですが、それはちょっとね。

こうやって、商っている商品を着てみるとその長所・短所がよく分かります。あまり安い物は、膝が出たり、おしりが引けたりします。そして、絹の良さを体全体で感じることが出来ます。

絹は機能的ではないような誤解を受けていますが、ほんとうは軽くて丈夫な素材なんです。そして温かい。冬に単衣でも室内なら十分過ごせます。

ちょっとした用事で出るときは、寒ければ綿入れや作務衣を上から羽織り、裸足に雪駄履きで出かけます。私、靴が嫌いなんですよ。これだけで、かなりの宣伝効果です。ラフにサラッと着ていると、みんなそんなに奇異の目では見ない物です。

羽曳野という田舎の事ですので、こういう風体がお似合いなのです。二上山の見える丘の上で、紋付きの着物はおかしいでしょう。

もちろん、外出するときは、きちんとしていきますよ。もう一枚の無地紬かロートン織を良く着ますね。単衣は上山弘子さんに染めてもらった琉球藍染の無地。夏はまだいいものをそろえて居ませんが、2枚持っています。最近、京都で紋お召しを二反買いました。着物と羽織にするつもりです。その他、大島などありますが、余り着ませんね。アンサンブルというのがあまり好みでないのです。ちゃんと襦袢も足袋もつけます。

着物、とくに紬の場合は、楽に着るというのが良いと思います。普段に着るのが基本ですから、しゃっちょこばっていたらおかしいのです。私は、着物を着たまま昼寝もするし、カレーうどんも食べます。だって、着ていたら楽なんですもの。おしゃれとか文化とかありますが、基本的には、絹という素材の良さ、染織の仕事の確かさを愉しみ、着物という形状がいかに日本の気候に合い、生地を無駄にしない合理性に富んでいるかを実感するというのが、楽しい着物ライフじゃないでしょうか。

着物を着ているという非日常性を愉しむのはもちろん素敵なことですが、これだけ絹が安く手に入るようになったのですから、もっと気軽に普段から着られたらいいのに、ともったいなく想います。女性は着付けとかも大変なのでしょうが、帯は半幅帯でもいいですし、自宅に居るときならヒモでもいいのです。私もたまに芸大の実習で腰機で織った細帯を結んでいます。

夏の着物はとくにいいですね。全身を風が吹き抜ける。自然と一体になっている感じがします。麻はとくにいい。安物の小地谷ちぢみでも、すごく涼しいです。友人が手引きの苧麻にインド藍の染め、地機の織で着尺を織ってくれると言うので愉しみにしているんです。

とにかく、着物というのは良い物をシンプルに着るのが一番そのよさを味わえます。いまはよい紬は非常に高価になりましたが、ほんとうは、お母さんや奥さんが家族のために一生懸命良い物を織るというのが紬織りの基本なんだと想います。染織が他の手工芸とちがうのはまさしくその点で、染織とは『愛の工芸』なのです。

粋に過ぎず、奇をてらわず、自分の母親が織ってくれたと想って大切に愛着をもって着てもらえれば、作った人も本望だと想います。

本当に新鮮な魚を食べたら、まずい魚は食べられないのとおんなじで、よい素材できちんとした仕事の上で作られた着物を着れば、その反対の着物は自然と着られなくなるのです。

もっともっと、自然体で着物を愉しんでもらいたいと想いますね。

もちろん、人前に出るときはきちんとしなければなりませんし、TPOはすべての服飾の基本ですよ!
  
Posted by 渡辺幻門 at 15:24Comments(0)着物

2010年03月09日

私の着物ライフ

着物業界にいて、着物の仕事をし、着物の話をする私ですが、じゃ、自分自身が生活の中でどんな形で着物に関わっているかと言えば、それは一番には普段着・仕事着でしょうね。

会社では、那覇の織り手さんに発注した無地の紬を愛用しています。薄い赤紫色です。
16ヨミの100%草木染です。幅が41センチで指定しているので体の大きな私でも着用できるのです。その生地を季節を選ばず単衣で着ています。袷にすると動きにくいからです。袖は筒袖です。筒袖というのはフリがないから、作業がしやすいのです。襦袢は着ません。シャツとステテコの上に直に着物を着ます。それに兵児帯です。

呉服屋のくせに邪道だな、と言われそうですが、私は主兼番頭兼丁稚なので、結構バリバリ動かねばなりません。旦那さんのようにじっと座っては居られないので、軽装でなければなりません。本当は、ハッピと前掛けをしたいところですが、それはちょっとね。

こうやって、商っている商品を着てみるとその長所・短所がよく分かります。あまり安い物は、膝が出たり、おしりが引けたりします。そして、絹の良さを体全体で感じることが出来ます。

絹は機能的ではないような誤解を受けていますが、ほんとうは軽くて丈夫な素材なんです。そして温かい。冬に単衣でも室内なら十分過ごせます。

ちょっとした用事で出るときは、寒ければ綿入れや作務衣を上から羽織り、裸足に雪駄履きで出かけます。私、靴が嫌いなんですよ。これだけで、かなりの宣伝効果です。ラフにサラッと着ていると、みんなそんなに奇異の目では見ない物です。

羽曳野という田舎の事ですので、こういう風体がお似合いなのです。二上山の見える丘の上で、紋付きの着物はおかしいでしょう。

もちろん、外出するときは、きちんとしていきますよ。もう一枚の無地紬かロートン織を良く着ますね。単衣は上山弘子さんに染めてもらった琉球藍染の無地。夏はまだいいものをそろえて居ませんが、2枚持っています。最近、京都で紋お召しを二反買いました。着物と羽織にするつもりです。その他、大島などありますが、余り着ませんね。アンサンブルというのがあまり好みでないのです。ちゃんと襦袢も足袋もつけます。

着物、とくに紬の場合は、楽に着るというのが良いと思います。普段に着るのが基本ですから、しゃっちょこばっていたらおかしいのです。私は、着物を着たまま昼寝もするし、カレーうどんも食べます。だって、着ていたら楽なんですもの。おしゃれとか文化とかありますが、基本的には、絹という素材の良さ、染織の仕事の確かさを愉しみ、着物という形状がいかに日本の気候に合い、生地を無駄にしない合理性に富んでいるかを実感するというのが、楽しい着物ライフじゃないでしょうか。

着物を着ているという非日常性を愉しむのはもちろん素敵なことですが、これだけ絹が安く手に入るようになったのですから、もっと気軽に普段から着られたらいいのに、ともったいなく想います。女性は着付けとかも大変なのでしょうが、帯は半幅帯でもいいですし、自宅に居るときならヒモでもいいのです。私もたまに芸大の実習で腰機で織った細帯を結んでいます。

夏の着物はとくにいいですね。全身を風が吹き抜ける。自然と一体になっている感じがします。麻はとくにいい。安物の小地谷ちぢみでも、すごく涼しいです。友人が手引きの苧麻にインド藍の染め、地機の織で着尺を織ってくれると言うので愉しみにしているんです。

とにかく、着物というのは良い物をシンプルに着るのが一番そのよさを味わえます。いまはよい紬は非常に高価になりましたが、ほんとうは、お母さんや奥さんが家族のために一生懸命良い物を織るというのが紬織りの基本なんだと想います。染織が他の手工芸とちがうのはまさしくその点で、染織とは『愛の工芸』なのです。

粋に過ぎず、奇をてらわず、自分の母親が織ってくれたと想って大切に愛着をもって着てもらえれば、作った人も本望だと想います。

本当に新鮮な魚を食べたら、まずい魚は食べられないのとおんなじで、よい素材できちんとした仕事の上で作られた着物を着れば、その反対の着物は自然と着られなくなるのです。

もっともっと、自然体で着物を愉しんでもらいたいと想いますね。

もちろん、人前に出るときはきちんとしなければなりませんし、TPOはすべての服飾の基本ですよ!
  
Posted by 渡辺幻門 at 15:24Comments(0)着物