オオサカジン

  | 羽曳野市

新規登録ログインヘルプ


スポンサーリンク

上記の広告は、60日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  
Posted by オオサカジン運営事務局 at

2012年11月30日

琉球新報で紹介されました>古屋英子作品展



昨日、取材に来ていましたが、今朝の琉球新報で紹介されました。

沖縄の友人が画像を送ってくれました。

古屋さんには『これは、帰りに那覇空港に着いたらお出迎えがえらいことになるかもよ』と言って大笑いしてました。

今日は沖縄タイムスが取材に来ていましたので、明日にはまた新聞に載るかもしれません。

いずれにしても、多くの方にこの作品展を知ってもらうのはうれしいことです。

そして、一人でも多くの作り手に新しい作品発表の形を意識してもらって、明日への勇気を持ってもらえたら、と思っています。
  
Posted by 渡辺幻門 at 18:17Comments(0)

2012年11月30日

『古屋英子作品展』始まりました!!

昨日、『古屋英子作品展』が初日を迎えました。

開店前から、大きなお花が届くわ、沖縄の新聞社が取材に来るわ、怒濤のようにお客様が来られるわ、バタバタのうちにスタート。

4時位まで切れ目なく大勢のお客様においでいただきました。



東京近郊はもとより、沖縄からのお客様も多数いらっしゃって、古屋さんもノリノリ。

私はお昼にも行けないくらいの盛況でした。

でも、まだまだ初日、私は疲れてヘタるわけにはいかないので、夜はコンビニでとワンカップとお弁当を買って、おとなしく過ごしました。

古屋さんも張り切ってますので、ぜひ遊びにいらっしゃってくださいね!!


  
Posted by 渡辺幻門 at 06:11Comments(0)

2012年11月28日

漬け物の美味しい店

昔、あった話です。

ある地方で、古くてオンボロな店なんですが、なぜか気になるところがあって、入ってみたことがあるんです。

一緒に入った女性と、『なんか失敗したかもね』と話していたら、はじめにお茶と漬け物を出してくれました。

何気なく漬け物を食べてみて、二人で顔を見合わせました。

その漬け物、びっくりするくらい美味しいのです。

『これはもしかしたら、メインもいけるかも』と思い直して料理を待っていると、やっぱり、頼んだ料理も抜群に美味しかったのです。

私は日本中をあちこち行きますし、その場合はほとんど外食です。

経験上、漬け物の美味しい店はご飯その他の料理もおいしいし、長く商売を続けています。

なんでそうなるのかな?

と考えてみると、当然のことなんですね。

私はお茶と漬け物とご飯があれば他には何もいらない、お酒のアテも漬け物が一番という位の漬け物好きですが、漬け物というのは、漬ける人の味のセンスが出るんですね。

野沢菜なんかもそうですが、各家庭で少しずつ味が違うんです。それがほとんど『ちょっとしたひと工夫』で変わってくるんですね。

素材なんて大して変わらない。スーパーや市場で買ってきた、時期の野菜です。

手間ひまと工夫。

これが大事なんだと思いますね。

それができると言うことは、他のものも美味しいに決まっています。

そして何でもない素材を手間ひまと工夫で美味しくするのですから、よけいなお金がかかっていません。つまり儲かるということです。

美味しければお客は来るだろうし、それでいて儲かるのですから、長く続くのは当然です。

いくら美味しいと思っても、材料費がかかりすぎていたり、家賃が高かったり、回転率が悪いと店はすぐに立ち行かなくなります。

美味しい漬け物とご飯は毎日食べても飽きません。

ブームにもならない代わり、飽きられることもない。

私はブームというのが嫌いなんですよ。

今年の沖縄40周年は、わざと沖縄から離れていました。

あまのじゃくみたいですが、ブームというのは反面混乱でもある訳で、ブームの後には必ず衰退・荒廃が待っています。

そんな中で、よい仕事ができるわけないのです。

一発勝負、一攫千金を狙うならいいのかもしれませんが、私の場合は長く続けていかねばならないのですから。

別に彩りがよい訳でもない、ただのお茶うけとして出された漬け物が、その店の力を教え、食欲を引き出してくれるのです。

本当の料理人のちからというのは、よい素材を仕入れることでもなければ、きれいに盛りつけすることでもない。

なんの変哲もない素材を、手間ひまと工夫で安く美味しく食べさせることではないかと私は思うのです。

基本をおろそかにして、やれどこどこの牛肉だとか、やれキャビアだフォアグラだと言って、高い代金をとる商売は良さそうに見えますが、本当はあまり儲からないし、商売としても面白くないだろうと思うんですよ。




  
Posted by 渡辺幻門 at 19:21Comments(0)

2012年11月28日

いよいよ明日から『古谷英子作品展』

東京に入ってきました。

いよいよ明日からです。

東京駅に近づくと、うっすら虹はかかっているし、小雨は降っているし、席を立ったときに頭はうつし、なんか良い予感です。

1年半かけて作った古谷さん渾身の作品をぜひご覧くださいませ。

明日から12月4日(火)まで。

会場は銀座きものギャラリー泰三さんです。

  
Posted by 渡辺幻門 at 15:58Comments(0)

2012年11月20日

世襲について考える

師走を前にして衆議院が解散され、来月の中頃には選挙という事になりましたね。

その中で、民主党が世襲議員の公認をしないことにしました。

自民党に世襲議員が多い事に対して、対抗軸を示したのでしょうが、世襲ってそんなに悪いことでしょうか?

私も世襲経営者ですし、私の友人にも多数の世襲社長がいます。

茶道の世界も、能楽の世界も世襲だらけです。

世襲というと『なんの努力もせず、能力も無いのに、血のつながりだけで易々とその地位を得る』と想われている事が批判の原因なんでしょうね。

しかし、少なくとも、文化の世界は世襲制がなくては成り立ってこなかったでしょうし、これからも世襲が中心となって支えていくのだろうと想います。

世襲が何故批判されるようになったのかというと、四民平等になり職業選択の自由が保障され、国民がそれを強く意識したからでしょう。

江戸時代までは、親の仕事を継ぐのがあたりまえで、それ以外の選択肢はありませんでした。

武士は武士、農民は農民、職人は職人、商人は商人、芸人は芸人になるしかなかったんです。

身分を下に落として茨の道を歩むことはありました。

武士でありながら商人になることはあったようですし、堺商人の中にも多くそういう例が見られます。

堺商人は士分が与えられ苗字帯刀が許されて居ましたが、それでも商人は商人でした。

明治になって、身分制が解かれ、職業選択の自由が保証されると、こんどは逆に、親の仕事を継ぐことを安易な選択であるという風潮が出てきました。

私も就職するときに、先輩から『親の跡を継ぐことに何の疑問ももたないなんておかしい』とさんざん言われました。

誤解されていると想うことは、『世襲はおいしい』ということです。

世襲というのは、親の財産を地位ごと相続する、とっても美味しい制度だと想われているように想います。

社会主義者や共産主義社は、『相続税を100%にしろ』なんて言う人もいますから、そんな人にとってはたまらなく不平等に感じるのでしょう。

でも、はっきり言って、すくなくとも今の世襲は美味しくなんてありません。

親の仕事を継いで美味しい想いをしている人なんてごくわずかです。

逆に、『継いだら、知らない借金がいっぱいあった』とか『銀行からの要請でむりやり今までの会社を辞めて会社を継がされた』なんて話もしょっちゅう聞きます。

利権がらみの商売を継いだら美味しいのかも知れませんが、それもその利権があるうちで、利権がなくなったとしたら、商売替えは困難を極めます。

ちょっとマシなアタマを持って居る人なら、安定した大企業に勤めたり、お役所に勤めたりする方がよっぽどいいのです。

それでも、何故世襲がなくならないかというと、大きいのは『父親の仕事に対する想い』なんだろうと想います。

私達、世襲した者は、生まれた時から父親の仕事をしている姿を見て育ちます。

祖父はサラリーマンでしたけど、商売の世界にいました。曾祖父も商人です。父は祖父の姿を見てきたし、私は父の姿を見て育った。

商売人の家庭というのは、朝から晩まで商売の話です。

思考体系が商売を中心に回っていますから、細胞の一つから血の一滴まで商売人になります。

それも、その商家のカラーとうものが、骨の髄までしみこみます。

詳しくは知りませんが、芸能の世界も同じような事があるのじゃないでしょうか。

世襲の反対が、サラリーマン社長になるんでしょうが、そもそもスタートが違うんです。

能楽師は3,4歳から訓練を受けると言いますが、商売人も同じです。

物を売らされると言うことはありませが、商売人としての物の考え方を普段の生活の中で学んでいきます。

世襲とそうでない人の考え方の相違は、まさにそこから始まっていると私は思います。

世襲の場合は、長期で考える。

自分が親から受け継ぎ、そして子供に手渡す。

○○商店なら、○○商店がずっと続くように考える。

そうでない人は、自分一代限り、つまり自分の任期中の事だけを考えていれば良いのです。それが普通です。

私は、残念な事に後継者がいませんが、少なくとも自分が商売を引退するまではきちんとした仕事をしていきたいと想いますし、できれば、有能な後継者に引き継ぎたいという思いは強く持って居ます。

たぶん、実現するかしないかは別にして、すべての世襲経営者はそう想っていると想います。

和装業界で縮小が始まっているのは、それこそ世襲できなくなったからなんです。

後継者いても、継がせない、継がせられない位の事になっているんですね。

それでも、『やろう!』と想ってくれる若手はほとんどが世襲です。

世襲で何が一番いいかというと、広く考えて、専門的技術の継承と長期的プランニングでしょうね。

職人、芸人だけでなく、商人というのもある意味専門家なんです。

サラリーマンの人というのはゼネラリストが多いですよね。

商社でも物を売ったこともない人が社長になったりする。

メーカーでは物をつくったこともない、作り方も知らない人が社長になる。

つまりは『コア・コンピタンス』についてよく分かっていない人も社長になり得るということです。

任期も長くて10年くらいでしょうから、どうしても戦略が刹那的になって、カンフル剤をうちつづけるという事になりがちです。

企業とうのは『ゴーイング・コンサーンをめざす』わけですから経営戦略は長期的であるべきです。

世襲経営者の場合は会社の名誉・繁栄=自分・一族の名誉・繁栄ですから、どうしても長期で考えざるを得ません。

逆に言えば、会社がダメなら自分もダメになって路頭に迷う羽目にもなります。

このことは、商人だけでなく、職人、芸人、農民にも言える事だろうと想います。

ところが、政治家の場合、『何をやっているのかわからない』というのが問題なのではないでしょうか。

『やたら世襲するのはよっぽど美味しいからに違いない。だってヤツらは国会で居眠りばかりしてるもの。』

政治家の世襲が美味しいのかは知らないのですが、当選すれば美味しいかも知れませんが、落選すればこれほどのドツボはありませんよね。

何代も代議士や大臣をやっているような政治一家なんかは、もう政治家なんか辞めて悠々自適していたほうがいいのかも知れません。

世襲政治家で一番問題だと想うのは、代々継いでいることのメリットが国益として反映されていない事だと想うんですね。

当選するわけですから、選挙区の人にとってはメリットがあるのでしょう。

でも、国会議員なのに、地元の人にしか利益還元をしないと想われている政治家があまりに多いような気がします。

だから、ちょっと天下国家を仰々しく語る政治家が出てくると途端に脚光を浴びたりするんでしょうね。

私は世襲政治家は悪いとは全く想いませんが、『あんた、何勉強しとったんや?』と想うような人は当選させたくないですよね。

伝統文化の世界においては世襲は生命線といってもいいのじゃないかと想います。

世襲してくれなければ、ほとんどすべてが崩壊します。

世襲の人しか出来ない仕事というのがあるんです。

それは何かというと、『場合によっては損得抜きで正しい道を行く』ことです。



  
Posted by 渡辺幻門 at 21:12Comments(0)

2012年11月15日

『良い』と想っていないと売れない

使い古された言葉です。

『売ろうと想ったら、その商品に惚れ込むことだ』

その通りです。

自分が好きでないと、惚れ込んでいないと商品は売れません。

自分が良いと想っていてこそ、お客様は私達の言葉に耳を傾け、熱意にうたれるのだろうと想います。

しかし、これが忠実に実行されているでしょうか?

時流を追い、ネームバリューを追い、噂を追い、自分の好きな物を忘れては居ないでしょうか?

私は作り手の方に『自分の良いと思う物、自分の好きな物をつくりなさい』とアドバイスしています。

それは一貫していると想います。

なぜ、そう想うかというと、『自分が好きだと思う物は、世の中のきっと誰かも好きだから』です。

造っている人が好きとも想えない作品を誰も好きだとは想うことは無いのです。

もし、私が気に入らなくても、きっとどこかの問屋のバイヤーの目にとまるだろうし、どこかの消費者の方が気に入ってくださるはずです。

作者が好きで造ったか、嫌々造ったか、ノリノリで造ったか、惰性で造ったか、そんなのは作品を見れば一目瞭然です。

たぶん、私のような仕事をしていなくても、消費者の皆さんは感じていると想います。

私達商人の立場でも同じですね。

自分の気に入った商品を勧める、好きな商品を仕入れる。

これが第一の基本です。

お客様はこれが好きだろう、これがお似合いになるだろうというのは、現実にはその次ぎに来る事です。

『おかしいな、逆じゃない?』と想われるかも知れませんが、そこが違うのです。

自分が好きでない物は、お客様も好きでないのです。

もちろん、自分が良いと想ってお勧めした物が拒絶されることはあります。

それで、せっかくの商談がパーになってしまうこともあります。

でも、それで学ぶのです。

おかしい。自分が良いと思った物がお客様に受け入れられなかった。

お似合いになると想ったのに、お客様ご本人は『私には似合わない』とおっしゃる。

そこで、深く深く考えるんです。

何故?何故?

ほとんどの場合、自分が勝手な決めつけをしている事が多いのに気づくはずです。

そして、最終的にはお客様が、その『勝手な決めつけ』を解いてくださいます。

自分の枠外にある『良い物』に目を向けるチャンスをくださるんです。

『あれ?これって案外良いのかも』

そこで、大事なのは、『何が良いのか』を徹底的に分析して、きちんと自分なりの結論を出すことです。

そこには、『お客様方が本当に求めていらっしゃるもの』のヒントが隠されているからです。

徹底的に勉強すれば、必ず、その商品の良さが理解できるようになり、好きになります。

そんな事を、ずっと永遠に続けていくのです。

ですから、好きな物、自分が良いと思う物を、『自分でしっかり把握する』事が物作りにも商いにも非常に大事な事なんです。

『そんなん、だれでもそのくらいは解っているでしょう』と想われるでしょうが、現実はそうではないのです。

『何が良いか解らない』商人がたくさんいるんです。

そういう人は、作り手でも商人でも、決して良い仕事は出来ませんし、末永い仕事はできません。

何故かというと、それは『自分の仕事』ではないからです。

私の仕入は全部、私の好き嫌いで判断します。

作品が好き、というのはもちろんですが、作り手が好きというのもあります。

私と商談をしていただいたお客様は必ず『この作家さんはこういう人なんですよ』という話を聞かれるだろうと想います。

うちの商品の中に、作り手の顔の見えないものは一つもありません。

商品の向こう側に、作り手の笑顔や熱い想いを語る顔が浮かんでくる。

だからこそ、私もその商品が好きになるし、お客様も気に入ってくださるんです。

若い作り手の方には、『自分は一体どんなものが造りたいのか』『どんな作品が好きなのか』を1日も早く把握してほしいのです。

若い人の作品には、凝っている、変わっているけども、熱を感じない、何か上滑りな物を感じる事が多いのです。

勘違いしやすいのは、『想い』と『好き』は違います。

私はこれが好きなんだと思っている事と、本当に心も体も好きなんだと言うことは違うんです。

私はそれを知るのに40年かかりました。

いっぱしの作り手、商人の道は、ほんとうはそこからがスタートなんです。

時流を追うなとは言いませんが、時流を追えば、同じ傾向の物が大量に市場に出てくることになります。

そうすれば、あなたの作品も、その中のただの一つ。

時流も終われば、ゴミ同然です。

本当に自分の好きな物を造れば、仕事は楽しいし、時を待つことができるはずです。

それが出来れば、『地に足の付いた』『シッカリ根を下ろした』仕事ができるはず。

『どうしたら、自分の好きな物が解るの?』

それにはね、『勉強を続ける』ことしかないんですよ。

自分の専門分野はもちろん、それ以外の、芸術、歴史、文化、宗教、哲学・・・

そこから、いつのまにかフッと出てくる・・・かもしれません。

私だって、もしかしたら解ってないかも知れない。

だから、勉強勉強です。


  
Posted by 渡辺幻門 at 07:21Comments(0)迷作選

2012年11月11日

流通の整理・整頓

今日は体調が良いので、もう1本書きますね。

私は、新しく商業作家になったり、独立したりする作家さんを紹介されることが、割と多いのですが、その時に必ず言うのは、

『うちの他にもう一軒問屋と取引してください』

という事です。

なんでそんなこというの?といえば、うち一社では面倒見切れない場合が多いからです。

弊社は前売り問屋で問屋取引はありませんし、お得意先も限られています。

状況によって、仕入や発注の匙加減も変わります。

だからといって、あっちこっちに節操なく作品を出されたのでは、私のノウハウが他所に流れ放題になって、親身になったアドバイスができません。

それでだいたい2社、という感じで言う事にしています。

その2社も、どこでもいいと言うことではありません。

うちはデパートさんが主要取引先ですから、それ以外の所に流れる問屋と取引してもらう様にお願いします。

専門店やNCと言ったところですね。

なぜそうお願いするかといえば、同じ先に同じ作家さんや工房の物が出ると、必ず値段のたたき合いになるからです。

Aさんという作家さんの作品をB社というデパートに流れる可能性の高い問屋に出したとします。

B社がうちと同じ得意先にAさんの作品を出すとすると、かならずうちの下をくぐってきます。

そうなると、うちはB社と値段を合わせるか、さらに下をくぐる事になります。

それがどんどんやり合いになると、結局はAさんの作品が扱えなくなります。

それはB社とて同じ事で、Aさんは両方の得意先を失う事になります。

『自分の手から離れたらどこに出るかまでは管理できない』という人がいらっしゃいますが、はじめに流通経路を聞いて、条件付きで取引すればいいのです。

首里織やびんがたなら、一人で造れる量といえば、ひと月に着尺1反、帯2本くらいです。

そんなにガツガツ販路を広げなくても良いはずです。

これから特に市場が急速に縮小していくと想われるので、作家も淘汰が始まります。

問屋は取引する作家の数を絞ってくるはずです。

そんな時、最後まで残るのはよく売れる商品と『他に出ない作品』です。

あっちからもこっちからも、またネットにもポンカラポンカラでるようでは、真っ先に切られます。

一度そうなったら、もう元には戻りません。

そんな理由で今、五里霧中、右往左往している産地があることは、みなさんもご存じでしょう?

でも、そうなったら、もう二度と、通常の流通ルートには乗らないと想った方が良いのです。

30万円で仕入れた商品が、ネットや他社の展示会で大量に仕入れ値と同じ30万で出たら、どういう反応をするか?

自社も投げ売りをして、もう二度と扱わない、それが普通です。

でも、近場で投げ売りをされていなければ、大事にもっておいて、じっくり売ろうという気持ちになるはずです。

ですから、そのためには、前々から書いているように自分で流通をコントロールすると言う事が必要なのです。

ある染織作家さんが、日本の中心部にあるギャラリーで展示会をした。

その時に付いていた価格が非常に安かった。

その作家さんの作品は主にデパート筋で扱われていたそうですが、そのギャラリーにもデパート関係者が来ていた。

価格を見て、そのデパートさんはその作家の作品の取り扱いを止めたそうです。

当然そうなるのです。

デパートさんでも『デパートは高い』と言われたくないのです。

それは専門店でも同じだと想います。

一時の欲の為に、身を滅ぼすこともあるのだと言う事を、強く肝に銘じておかなければなりません。

きちんと、自分の作品の流れるルートと出所を知っておくこと。

それが、長く仕事を続けるための秘訣のひとつです。





  
Posted by 渡辺幻門 at 19:21Comments(0)着物

2012年11月11日

もずやと学ぶ「芸術と経済のジレンマ」』第15回

第14章 民間団体による支援

ここでは、企業、労働組合、大学、財団に分けて書いてあります。

<企業>

大規模な企業贈与は株主の怒りを買うかも知れないという恐れにたいして、著者は否定しています。

米国の多くの州ではいまもこうした贈与を行う企業活動を公認しているそうです。

なぜなら、『貧しい活動しかしていない社会では企業は効果的に活動し得ない』から、という事です。

それで、慈善的寄付は企業活動が市民権を得ている地域に関連しているのである、そう書いてあります。

その通りだと想いますね。効率性ばかり追って貧相は社会になれば、企業は自らの首を絞めることになります。

豊かさを求める社会であってこそ、企業活動は円滑になり利潤も大きくなるのだと想います。

わが国では競争ばかりを言う風潮がありますが、みんなが全体として豊かになる社会というのも現実には存在するはずだと私は思います。

それは心の豊かさであり、精神の豊かさが実現した社会でしょう。

そのために芸術の果たす役割というのは大きいと想います。


<労働組合>

これはやっぱりアカンみたいです。

芸術が『上流社会の物』と想われているきらいさえあり、理解がないのが実態だと書かれています。


<大学>

大学からの寄付は盛んではないようですが、長い目で見れば舞台芸術が抱える多くの財政問題の解決は大学を通じて行わなければならない、と書いてあります。

そして、

『かつてドイツの侯爵が演じていた芸術活動への後援の役割はいまや私達の世代では教育機関が引き継いでいるのである。大学が後ろ盾となった舞台芸術団体が将来の典型となりうるかも知れない。』

多くの大学が助成金をもらっているわが国の現状では難しいかも知れませんね。

でも、芸大や美大、芸術関係の講座をもうけている大学は、卒業生の受け皿に対してなんらかの配慮をするのが本当じゃないのか?と私は思うんですね。

教えはするけど、卒業してからそれを実践する場にかんしては、知ったこっちゃない。それでは無責任ではないでしょうか?

プロの芸術家のレベルが上がれば芸大も学生が増えるだろうし、学生が増えれば芸術家の裾野も広がります。

芸術系だけでなく、すべての大学において芸術関係の教育をもっと強化するべきだとも想います。

舞台芸術だけでなく、わが国の教育システムとして芸術を生み出す基盤が弱いように想うのですが、いかがでしょう?


<財団>

これが本命ですね。

フォード財団を中心に多くの財団が芸術関係の助成をしているようです。

しかしながら、舞台芸術に関しては<企業>の場合と同じような難点があるようです。

『軌道に乗るまでの間』助成されるものであり、最終的には自力でやっていけるような資金の提供を前提としているのです。

しかし、著者はこう書いています。

『長期間にわたって経営的に採算がとれるのを当然のことと期待したりはできないのである。逆に経営的に安定した段階に到達し、成熟企業の域に達した団体であれば、所得不足が急速にそして確実に大きくなっていくといえる。したがって、芸術の支援は長期間にわたる肩入れが必要なのであって、その場しのぎの一時的な刺激を提供するという試みは必要ない』

それが真実だとすれば、助成金をもらうときにこんな事はいえませんよね。

『一時的なお金やのうて、ずっと助成して欲しいんですわ』

理解が無い人なら『あほか、そんなもんやめてまえ』というかもしれません。

普通の人は、『伝統芸能(文化)かて、自立の方法があるはずや。ほれ、○○は自立してちゃんとやってるやないか』というでしょう。

この本を読んで居なければ、私もそう想ったかも知れません。

でもね、舞台芸術にはどうしても恒常的な助成が必要だ、という認識がなくても、『地元の伝統文化に対し敬意を表し、愛する、大切にする』という気持ちがあれば、今回の文楽の助成金問題は起こらなかったんじゃないかと想うんですよ。

そして、まさに根本はそういうことなんです。

文楽がおもろいとか、おもろないとか、歌舞伎は繁盛してるやんかとか、そういう事じゃなくて、例の市長さんにしても、私達一般市民にしても、『郷土とその文化を愛しているか』そういう問題やと想うんです。

特に、大坂は多くの文化財を戦災で失いました。

残っているのは、形の無い無形文化財だけです。

それは、文楽とかもそうですが、私達の心の中にある精神文化もそうです。食文化もそうですね。

今回、文楽の助成金削減を市長が言い出したとき、『そや、そんなもんぶちぎってまえ』と想った人もいるでしょう。

でも、それが通天閣や大阪城を自力で再建した大阪人の想うことでしょうか?

『弱っとるもんは、どんどん切り捨てたらええねん』

それが義理と人情の大坂にふさわしい所業でしょうか?

『困ってる時はお互いさん』

『もちつもたれつ』

それが大阪人の心意気ちゃいまっしゃろか?

いま世の中に蔓延しつつある『新自由主義』とうのが私には我慢なりまへんのや。

弱肉強食、弱者切り捨て。

ちゃうでしょう?

戦うときは正々堂々ととことん戦うけど、勝負が終わったら、負けたもんにも優しくするのが日本人でしょう?

何がバウチャーや。

伝統芸能ひとつ守れんと、何が『大阪都』や、と私は思います。



今年初めから書いてきた『芸術と経済のジレンマ』もあと3回で終了です。

ブログが閉鎖になったりして、大変でしたが、なんとか完遂のめどがつきました。

来年からは、『アーツ&クラフツと民藝』をテーマにして新たなブログを書いていきたいと想います。

引き続き宜しくお願いいたします。





  
Posted by 渡辺幻門 at 16:33Comments(0)芸術と経済のジレンマ

2012年11月10日

これでいいのだ!

案内状も発注して、今月末から始まる『古屋英子作品展』も準備が整ってきました。

表題の『これでいいのだ!』は、もちろん天才バカボンのバカボンのパパがいつも最後に言う『これでいいのだ!』です。

学生時代、ゼミの仲間と集まって夜通しレポートを書いていたなんて言うことがしょっちゅうあったのですが、そのとき、レポートが書き上がると『これでいいのだ!』と言って、不十分な内容かも知れないレポートを納得しようとしていた事を思い出したんです。

なんで思い出したかというと、染織作家の個展ということに関してです。

染織作家の個展というと表向きは解りませんが、3通りあります。

1.問屋が在庫を持って居てそれを中心にする場合。

2.問屋がギャラリーや呉服専門店との仲を取り持って、作家の手持ち在庫や新たに制作した作品でする場合。

3.全く問屋を介さずに、作家がギャラリーや小売店に直接持ち込む場合。

今回の古屋さんの個展の場合は、1+2です。

何でこんな事を言い出すかと言えば、問屋がどこまで介在しているかという事です。

なぜそれが大事かというと、『これでいいのだ!』があるからです。

私達は作品が入って来たとき、流したり、たぐったり、すかしたりして、厳しい検品をするんです。

それと、作家さんの作品の長所・短所もよく知っている。

正直、有名でも品質に問題のある作家さんはいらっしゃいます。

問屋はそれを知り尽くしているし、その上で厳密に検品する。

そうするとキチンとした作品しか並ぶことはありません。

古屋さんの場合も、一度弊社に全品送って頂いて、私がきちんと検品して、銀座きものギャラリー泰三さんに納品します。

でも、パターン3の場合、『これでいいのだ!』が通ってしまうのです。

それで大事故になった例を私はいくつも知っています。

『あぁ、私が間に入っていればそんな事にならなかったのに』

と想いましたが、そんな事はなかなか言えません。

問屋が介在していても、そこがきちんと検品して、その作家さんの性質を知っていなければ事故が起きる可能性が高くなるのです。

どんな事故かといえば、織段、織ムラ、織キズ、短尺、染めムラ、染料汚れ等々です。

作家さんに悪意がなく、気づいて居ない場合が殆どですが、売約が付いてからではそれこそ大事になってしまいます。

お客様にとっても大迷惑ですが、作家さんご自身にとっても、場合によってはギャラリー・小売店から小売代金そのものを請求されるような場合もあるのです。

もちろん、個展は台無しになり、噂が広まって市場から閉め出される可能性さえあります。

お客様の前にはキレイで完璧な作品しかお目に掛けませんが、それは人間のつくるもの、不慮の瑕疵の為に密かに眠るものもあるのです。

古屋さんは私の厳しい注文と検品に長らく耐えてきた、とても辛抱強く、まじめな作家さんです。

そんな方の作品でも慎重に目を懲らして、きちんと検品する。

それは、お客様、ギャラリーさん、そして作家さんに対して責任があるからです。

中を飛ばして安く売ろうと、生産者が直接ギャラリーに持ち込む事もあると聞きますが、私としては非常にリスクの高い行為だと想います。

大作家でもとんでもないミスをするのがこの手仕事の世界なんです。


今回は、私は脇役。

古屋さんの個展を成功させられるようにシッカリ黒子を演じたいと想っています。




  
Posted by 渡辺幻門 at 23:10Comments(0)

2012年11月10日

『商道 風姿花伝』第43話

【一、能に十体を得べき事。】

世阿弥は『すべての演目に通じていれば、それぞれが同じ役者の芸とはわからないくらいに演じる事が出来、生涯花が失せることはない』

と書いています。

そんなん、むずかしすぎるなぁ・・・と想いながら読み進めると、

『しかし、そんな人は見たことも聞いた事もない』

と書いてありました。

そこで、父親の観阿弥の事について書いています。

観阿弥は若い頃には老人の芸、年老いてからは若者の芸を得意としたそうです。

世阿弥は、それをして『その意外性こそが花を生む』

そして、

『若い頃の未熟な芸を忘れてはいけない』

と書いています。

つまり、若い頃にやった未熟な芸であっても、それを忘れずにやり続けることが芸の多様性を生むと言う事なのでしょう。

私がこの業界に入った頃は、呉服市場は娘さん用の嫁入り支度で賑わっていました。

母親が娘のために少しずつキモノをこしらえていく、そして結婚が決まったら、仕上げにさらに娘用と自分のをつくる。

これが娘を持つ母親の楽しみでありましたし、私達呉服商にとって最大の商機だったんです。

振袖、喪服、色無地、小紋、付下げ、訪問着、紬類、帯・・・等々、そこそこの裕福な家庭であれば娘さんの為にキモノをこしらえたのです。

それがパタッと止まったのは、神戸の震災くらいからでしょうか。

それまでは、嫁入り前の年頃の娘さんのいらっしゃるご家庭を手当たり次第に訪問していけば、必ずといっていいほど、どこかで売れたんです。

結婚が決まったとなれば、それこそ、一揃え、二揃え。

娘さんご本人に見せなくても、お母様が見立てて買っておかれたんです。

あくまで『お支度を調える』という親の役目の遂行だったんですね。

その時代は、大した商品知識も必要なかったし、オーソドックスなはやりすたれの無いものをお勧めしていれば、問題なかった。

20歳台の私でもバンバン売れたんです。

でも、バブルが弾けて、大地震が来て、様相は一変しました。

娘用が売れなくなったんです。

仕込んだ商品も、ピンクやオレンジ等という色はことごとく売れ残りました。

嫁入り需要というのが市場から完全に抜け落ちたんですね。

嫁入り需要=タンス需要で、実需とは離れたところにあった。

これは、キモノだけではなくて、他の嫁入り支度も極端に落ちたはずです。

貴金属類や洋服、家具なんかも大きく落ち込んでいるんだと推測します。

『着ない物は買わない』

そうなったんです。

どうあがいても、嫁入り需要は復活しそうにない。

ジミ婚になり、マンション暮らしになり、ライフスタイルそのものが変化してきました。

世代が変わって、私達の親の世代と違い、親御さんの兄弟の数も少なくなった。

ということは甥姪も減って、結婚式自体も少なくなる。そうすると、黒留袖を始めとする婚礼用衣裳も買うから借りるとなる。

貸衣装が恥ずかしいという意識も薄れてきたんですね。

先代が一線から退いて、私が副社長になったのを契機に、一時はフォーマル中心になっていた商品構成から、再度、沖縄染織を中心とするカジュアル路線に舵を切ったんです。

沖縄染織を中心とするカジュアルと、茶道・舞踊などお稽古事をされている、実際にお召しになる方の為のキモノを中心に展開するようにしました。

呉服商としては珍しい、留袖や振袖を扱わない業者になったんです。

180度とは言わないですが120度くらいの転換をしたんですね。

創業当時の沖縄染織から少し距離を置いていた時期、別のある作家の作品を主力にしていました。

私が若い頃に習った商品知識、ロールプレイングは、その作家の商品を売るための物でした。

そこで習得したのは、TPOと納得して買って頂くための理論です。

その後、留袖や訪問着などの一般呉服も扱いましたが、その時に学んだ事が土台になっていますし、同種の商品が来れば、誰にも負けないくらいの説明ができると想います。

ひとつの商品を売ろうと想えば、それを知っているだけでは不十分なんですね。

何故かと言えば、お客様は他のキモノも比較の対象にしながら、その商品を見ておられるからです。

ですから、今目の前にある物が他の物に対してどう比較優位性があるのかを納得してもらわなければ最終的な決定には至らないのです。

それを語るには、日頃お客様方が他のキモノに対してどういう不満を持っていらっしゃるか、どういう所を選択のポイントとされているのかを正確に把握していなければなりません。

また、それが改善された商品を造ることも肝心なのです。

いくら作り手だからと言っても、自分の作品だけに精通していても、市場という『選択の現場』に入ってしまえば無力です。

『キレイでしょう!』『手が混んでいるんですよ』

熱意で買ってくださるのは初めだけです。

あらら・・・話がずれてしまいました(^_^;)

ですから、(^_^;)、『専門』と言っても、ある程度すべての商品内容と販売方法について知っておかなければ、自分の得意とする物も長くは売れないのです。

得に顕著に見られるのは、年配になると特定の商品しか売れなくなる傾向です。

これは、何故そうなるかと言えば、若い頃の商談の進め方が『慣れ』に頼っていたからです。

つまり『売りこなす』事ができないまま、タダ単なるルーティンワークとして販売行動をしているとこうなります。

もちろん、そういう人は商品を造り出すことなど出来ません。

考えられた販売があって、よい商品が生まれる。良い商品を売りこなすために考え抜かれた販売が生まれる。

そういう事なんです。

売れる商品は時代によって、人心によって変わりますが、どんな時でも、真剣に商品とお客様の利便性を考えていけば、すべてが実になって、長く商売がつづけられるのではないかと想います。


  
Posted by 渡辺幻門 at 21:40Comments(0)商道 風姿花伝

2012年11月10日

2012年11月07日

かつて2級品扱いされていた・・・

『かつて二級品扱いされていた・・・』

昔の沖縄染織の話です。

もう古い話なので、認識のある方は少なくなっているかもしれません。

私がこの業界に入ったときも、沖縄の染織はすでに一流品、高級品として認識されていました。

でも、昔、復帰直後から十数年間はそうではなかったんです。

うちでは先代がやり始めた時期、復帰直前・直後、沖縄に対する認識はどうだったか?

ずいぶん前にも書いたと想いますが、そのコンセプトは『裸足の沖縄』だったんだそうです。

沖縄に出入りしている問屋の殆どは

『沖縄はまだ裸足で暮らしているほど貧しいから、手作りの物が安い』

それが売り文句でした。

うちにも古い生地が残っていますが、強く擦るとスリップするものや、湯通しすると色が飛んでしまう物、短尺の物などがあり、扱うのにたいそう苦労したそうです。

『裸足の沖縄』と他の問屋がキャッチフレーズをブチ上げる中、『琉球王朝の輝かしい文化・伝統』を掲げたのは当社だけだったのです。

今は一級品の名にふさわしい品質とデザインが備わりました。

今を生きる私達が忘れてはならないのは、その時代から、今の一級品と言われる様になるまでにした先人の努力です。

うちにも復帰直後の台帳が残っていますが、価格面そしてもちろん、それに伴う品質面で格段の向上が遂げられたのは明白です。

祖国復帰40周年も終わりが近づき、景気減速も叫ばれる中、ここまでに引き上げてくれた先人の事を忘れてはならない、私はそう思います。

もし今、市場の停滞に応じて、品質を落としたり、乱売に応じたりすれば、いままで積み重ねてきた先人の努力は水の泡どころか、すべてを失ってしまう可能性もあります。

具体的な産地はあげませんが、すべてに於いて、沖縄染織は『二級品』という烙印を押されていた時代が事実あったのです。

一流品としてのブランドをせっかく勝ち得たのに、私達がそれを無にして良い物でしょうか?

沖縄物が市場に出だした頃、結城・大島は全盛期で、数十倍の価格で数倍の売れ行きだったんです。

復帰直後の大沖縄ブームで、飛ぶように売れた時期でも結城・大島のには品質・売上共に足元にも及ばなかったんです。

伝統工芸というものは、歴史をふまえた線で捉えなければなりません。

私がいまこの仕事をしているのも先代の努力の積み重ねがあってこそです。

みなさんも、そうでしょう?

できるなら、復帰前から頑張ってこられた方々の話を聞かれると良いと想います。

沖縄を代表するある作家さんは、あるギャラリーで赤ん坊を背負って機織りの実演をされていたこともあるのです。

いまの皆さんの立場は、そういう地道な血の出るような努力の上に立っているのですよ。

もう二度と『二級品』と呼ばせない為に、みんなで知恵を絞って頑張ろうではないですか!
  
Posted by 渡辺幻門 at 21:11Comments(0)

2012年11月06日

『点前を知らずして茶を語るな』

私が茶道を習い始めてやっとこさ1年半が経ちました。

はじめの頃に宗匠にこう言って頂きました。

『もずや君、いつもキモノ着てて偉いなぁ』

私はもちろん、『イィエ、キモノは売るほどおまっさかい』と応じましたが、そのときに頂いた言葉が

『点前を知らずして茶を語るな』

という言葉です。

つまりは、点前をしたことも無いのに茶道がどうこうと言う無かれ、ということやと想います。

当然の事の様ですが、とても重い言葉だと感じ、心に残っています。

今はどうでしょう?

政治をしたことも無い、なんの行政経験もない人が、いきなり知事になったり、国会議員になったりする。

政治の話をするつもりはありませんが、これっておかしくないですか?

経営をしたことも無い人が、あれこれもっともらしく経営の話をする。

私はガラが悪いので『じゃかっしゃい』と想いますが、そうでもない方も多い様です。

皿のひとつも焼いたことの無い人が、陶芸についてしたり顔で語る。

伝統芸能でも、ほとんど見たこともない人が、無理解なことを言う。

知らんでも口が達者やったら、何言うてもええんでしょうか?

責任が無いから言えるだけとちゃいまっしゃろか?

今の経済学者は、日本経済をドツボにおとしめといて、自分らは責任とらへん。

『あんたにも責任あるんちゃうんか?』というたら、

『ちゃう。ワシの考え方は経済学的に言うても、間違いない。やり方が足らんのや』

という。

アッポチャン。その経済学とやらがそもそも間違えてまんのや。

つまりは、無責任やから言える事っていっぱいあるわけですわ。

政治や商売の話だけでなくて、全部そう。

『いっぺんやってみなはれ』

私も茶道や能楽をやってみて、解った事もいっぱいおますし、やり始めたから言えん様になったこともあります。

それは、『言えわない』やのうて『言えん』のです。

そら、もちろん、現実にやってないから言える事もありますわ。

私がもし染織をマジでやってたとしたら、作家さんにはキツイこと言えまへんやろ。

せやけども、私らは私らで結果に対して責任があるわけですわ。

それは現実として、ビシッと眼前に示されてまいます。

当たり障りのない、抽象的なフレーズとやらを言うてたら、そら楽なんですわ。

でも、そんなん、マーケティング勉強してる学生でも言うてますわ。

『点前を知らずして茶を語るな』

茶というのは、茶道の作法だけでなくて、お茶そのものの事も含まれているんやと想います。

点前を知ってこそ、美味しいお茶が点てられる。

何が言いたいかというたら、現実のプレイヤーはもっと自信とプライドを持つべきやと言う事なんです。

なんたら言う市長に群がる国会議員の醜悪なこと。

そんな例はこの世の中、なんぼでもありますわな。

工芸運動家でも、造るわけでも、売るわけでもない人は結局は空理空論を振り回すだけ。

最後は、自家撞着に陥って、ハイサイナラです。

『やってるから言われへん』そいういう事は山のようにあります。

でも、もうそろそろ、勇気を持って言うべき時とちゃいまっしゃろか?

『点前を知らずして茶を語るな』て。

  
Posted by 渡辺幻門 at 22:58Comments(0)

2012年11月06日

2012年11月05日

2012年11月02日

ポーク&タマゴのはなし

沖縄料理といえばチャンプルやソーキそばを思い出す人が多いと想いますが、私が昔からなじんでいるもんと言えば『ポーク&タマゴ』です。

ポークというのはポーク・ランチョンミート。

ホーメルとかチューリップが有名です。

それを油で焼いた物と熱さ1㎝くらいのタマゴ焼きのセットが『ポーク&タマゴ』です。

我が家では父がよく沖縄に行っていた関係で、小さいときから日曜日のお昼ご飯といえば『ポーク&タマゴ』でした。

私はこれにケチャップをつけて食べるのが好みです。

とてもカロリーが高いし塩分も多いので体には余り良くないのでしょうが、当時はあまり考えずにガツガツ食べていました。

今でも、沖縄に行くと朝からポーク&タマゴの日もあります。

ところが、コレ、カリカリに焼くと美味しくないんです。

ジュルジュルなぐらい、サッと表面を軽く焼くくらいが美味い。

私は、沖縄の食堂でよく野菜にかかっているサウザンアイランドもどきのドレッシングが好きじゃないのですが、ポーク&タマゴの時だけは相性がいいな、とか想ったりします。

沖縄ではびっくりするような食文化があって、ある朝、山盛りのバターを店の人からもらって、ご飯に混ぜて食べている若者がいました。

それで、馴染みのタクシーの運転手さんに聞いてみたのですが、割とあることなんだそうです。

なんでも、米国統治の食糧難の時代に、アメリカ人にもらったバターをご飯に着けて食べたのが始まりで、一定の年代の人はよくやるんだとか。

沖縄というとチャイナとの文化交流をよく言いますが、沖縄には本土と比較にならないくらい中華料理屋が少ないんです。

私が知っている限り、松山界隈に2件、あとはとまりんとグランドキャッスルくらいしか知りません。

グランドキャッスルの中華は美味しいです。

聞いた話では出来てもすぐに潰れてしまうんだそうです。

その代わり、台湾料理が結構あるんです。

もう無くなってしまいましたがパンダ餃子では北京ダックが安く食べられましたし、水餃子はとても美味しかったですね。

ポーク&タマゴから脱線しましたが、沖縄の食文化というのはいろんな物が本土とは違う混ざりかたをしてとても面白いですね。

ちなみに、私が沖縄料理で一番すきなのは『ゆし豆腐』です。

  
Posted by 渡辺幻門 at 23:05Comments(0)

2012年11月02日

動画ブログはじめました。

https://www.youtube.com/watch?v=ZBhs9CehdAk&list=HL1351829146&feature=mh_lolz


↑ここにあります。

顔がドーンと出てしまうので、動画をご覧になりたい方はこちらをどうぞ。

とりあえず第1回のテーマは『日本の伝統織物』

序論の部分を使って、読みながら解説とコメントをしています。

『日本の伝統織物』は動画ブログのテーマとしてふさわしいかどうか、という感じもあるので、ちょっとやってまた、テーマを変えようかと思っています。

民芸論や工芸論、そして沖縄染織よもやま話なんかをすると面白いのかな、なんて考えてもいます。

動画で配信しようと思った動機は、ブログの読者にどうも私に対して非常に硬い、怖いオッサンだと思われているような感じがしたからです。

文章では口調も語り口も伝わらないし、感情や情感の表現がやはり私の表現力では伝わりません。

反面、文章にすると推敲しながら書けるので論理的表現、事実を追いかける内容には向いていると思います。

そのあたりを使い分けながら、多角的に情報発信をしていきたいと思っています。

動画配信は、Youtubeで密かにやるかもしれませので、よろしくお願いいたします。

慣れてうまく出来るようになったら、バンバン配信するかもしれません。

『お前の汚いツラなんか見とうないわい』と思われる方はスルーしてください(^^;)

事務所で、自室で、出張先のホテルで、フェリーの中で、車の中でといろんな所で動画の良さを利用しながら楽しんでやっていきたいと思います。

基本的には、動画ブログも直接の商売の為ではなくて、民藝運動、手仕事運動の一環としてやっていきます。

見苦しいところ、お聞き苦しいところ等、多数ございましょうが、『ほな、見たるわ』と思って頂ける方は我慢して見てください。

だんだんと上手になっていくと思いますし、それと共に楽しい話題も増えてくるだろうと思います。
  
Posted by 渡辺幻門 at 13:21Comments(0)

2012年11月02日

ちょっとだけ紹介>古屋英子作『花織ティサージ』





月末から銀座きものギャラリー泰三さんで個展をされる古屋英子さんの『花織ティサージ』です。

ティサージとは手巾と書く、一種の飾り布です。昔の女性は兄弟や恋人が旅立つとき等にこれを織って贈ったそうです。これを『うむい(想い)のティサージ』と言います。

とても趣深いですね。私はこの心が琉球染織の原点だと思っています。東京・駒場の日本民芸館にもたくさん所蔵されていますので是非ご覧になってください。沖縄の女性の想いが伝わってくることと思います。

琉球舞踊ではよくティサージを贈るシーンが出てくるのですが、悲しい事に本物が使われてない場合もあるそうです。それで現在新しく織られるティサージを見る事はほとんどありません。ここに使われている技法は、ティバナ(手花)という縫い取り織とティユイ(手結)という緯糸をずらして描き出す絣技法ですが、非常に力強く仕上がっています。この作品から展示会にかける古屋さんの意気込みと喜びが伝わってきますね。
  
Posted by 渡辺幻門 at 11:09Comments(0)沖縄

2012年11月01日

『古屋英子作品展』写真とどきました!



今月29日(木)から銀座きものギャラリー泰三さんで開催させていただく『古屋英子作品展』の画像が送られてきました。その中の一枚をご紹介します。

古屋さんは祝嶺恭子先生が首里高校で教鞭を執られていた時の五期生です。その後、永く祝嶺先生の元で染織品復元のお手伝いをされてきました。技術は太鼓判の一級品です。

この作品は首里織の中でも『手縞』といわれるもので、格子の中に手結の絣が入り、ムディ(杢糸)を使うのが特徴です。このようなおおらかな作品は個展でないと見られません。その他たくさんの作品画像が送られてきました。

その上に、いま古屋さんは、ムルドッチリ(諸取切)の作品を制作中で個展までに間に合わそうと懸命です。ムルドッチリというのは簡単に言えば総絣ですが、一人の作家が一生のうちに1度作るかどうかという大作です。ムルドッチリを知らずして沖縄染織を語るな、という位の幻の名品です。私も先日沖縄で機にかかっているのを見ましたが、すごい作品になりそうです。

当日は古屋さんも毎日会場に詰められますので、是非遊びにいらっしゃってくださいね。本当のプロの作家さんとじっくりお話できる滅多にない機会です。もちろん、私も毎日でます。12月4日(火)までです。
  
Posted by 渡辺幻門 at 17:30Comments(0)