2012年11月20日
世襲について考える
師走を前にして衆議院が解散され、来月の中頃には選挙という事になりましたね。
その中で、民主党が世襲議員の公認をしないことにしました。
自民党に世襲議員が多い事に対して、対抗軸を示したのでしょうが、世襲ってそんなに悪いことでしょうか?
私も世襲経営者ですし、私の友人にも多数の世襲社長がいます。
茶道の世界も、能楽の世界も世襲だらけです。
世襲というと『なんの努力もせず、能力も無いのに、血のつながりだけで易々とその地位を得る』と想われている事が批判の原因なんでしょうね。
しかし、少なくとも、文化の世界は世襲制がなくては成り立ってこなかったでしょうし、これからも世襲が中心となって支えていくのだろうと想います。
世襲が何故批判されるようになったのかというと、四民平等になり職業選択の自由が保障され、国民がそれを強く意識したからでしょう。
江戸時代までは、親の仕事を継ぐのがあたりまえで、それ以外の選択肢はありませんでした。
武士は武士、農民は農民、職人は職人、商人は商人、芸人は芸人になるしかなかったんです。
身分を下に落として茨の道を歩むことはありました。
武士でありながら商人になることはあったようですし、堺商人の中にも多くそういう例が見られます。
堺商人は士分が与えられ苗字帯刀が許されて居ましたが、それでも商人は商人でした。
明治になって、身分制が解かれ、職業選択の自由が保証されると、こんどは逆に、親の仕事を継ぐことを安易な選択であるという風潮が出てきました。
私も就職するときに、先輩から『親の跡を継ぐことに何の疑問ももたないなんておかしい』とさんざん言われました。
誤解されていると想うことは、『世襲はおいしい』ということです。
世襲というのは、親の財産を地位ごと相続する、とっても美味しい制度だと想われているように想います。
社会主義者や共産主義社は、『相続税を100%にしろ』なんて言う人もいますから、そんな人にとってはたまらなく不平等に感じるのでしょう。
でも、はっきり言って、すくなくとも今の世襲は美味しくなんてありません。
親の仕事を継いで美味しい想いをしている人なんてごくわずかです。
逆に、『継いだら、知らない借金がいっぱいあった』とか『銀行からの要請でむりやり今までの会社を辞めて会社を継がされた』なんて話もしょっちゅう聞きます。
利権がらみの商売を継いだら美味しいのかも知れませんが、それもその利権があるうちで、利権がなくなったとしたら、商売替えは困難を極めます。
ちょっとマシなアタマを持って居る人なら、安定した大企業に勤めたり、お役所に勤めたりする方がよっぽどいいのです。
それでも、何故世襲がなくならないかというと、大きいのは『父親の仕事に対する想い』なんだろうと想います。
私達、世襲した者は、生まれた時から父親の仕事をしている姿を見て育ちます。
祖父はサラリーマンでしたけど、商売の世界にいました。曾祖父も商人です。父は祖父の姿を見てきたし、私は父の姿を見て育った。
商売人の家庭というのは、朝から晩まで商売の話です。
思考体系が商売を中心に回っていますから、細胞の一つから血の一滴まで商売人になります。
それも、その商家のカラーとうものが、骨の髄までしみこみます。
詳しくは知りませんが、芸能の世界も同じような事があるのじゃないでしょうか。
世襲の反対が、サラリーマン社長になるんでしょうが、そもそもスタートが違うんです。
能楽師は3,4歳から訓練を受けると言いますが、商売人も同じです。
物を売らされると言うことはありませが、商売人としての物の考え方を普段の生活の中で学んでいきます。
世襲とそうでない人の考え方の相違は、まさにそこから始まっていると私は思います。
世襲の場合は、長期で考える。
自分が親から受け継ぎ、そして子供に手渡す。
○○商店なら、○○商店がずっと続くように考える。
そうでない人は、自分一代限り、つまり自分の任期中の事だけを考えていれば良いのです。それが普通です。
私は、残念な事に後継者がいませんが、少なくとも自分が商売を引退するまではきちんとした仕事をしていきたいと想いますし、できれば、有能な後継者に引き継ぎたいという思いは強く持って居ます。
たぶん、実現するかしないかは別にして、すべての世襲経営者はそう想っていると想います。
和装業界で縮小が始まっているのは、それこそ世襲できなくなったからなんです。
後継者いても、継がせない、継がせられない位の事になっているんですね。
それでも、『やろう!』と想ってくれる若手はほとんどが世襲です。
世襲で何が一番いいかというと、広く考えて、専門的技術の継承と長期的プランニングでしょうね。
職人、芸人だけでなく、商人というのもある意味専門家なんです。
サラリーマンの人というのはゼネラリストが多いですよね。
商社でも物を売ったこともない人が社長になったりする。
メーカーでは物をつくったこともない、作り方も知らない人が社長になる。
つまりは『コア・コンピタンス』についてよく分かっていない人も社長になり得るということです。
任期も長くて10年くらいでしょうから、どうしても戦略が刹那的になって、カンフル剤をうちつづけるという事になりがちです。
企業とうのは『ゴーイング・コンサーンをめざす』わけですから経営戦略は長期的であるべきです。
世襲経営者の場合は会社の名誉・繁栄=自分・一族の名誉・繁栄ですから、どうしても長期で考えざるを得ません。
逆に言えば、会社がダメなら自分もダメになって路頭に迷う羽目にもなります。
このことは、商人だけでなく、職人、芸人、農民にも言える事だろうと想います。
ところが、政治家の場合、『何をやっているのかわからない』というのが問題なのではないでしょうか。
『やたら世襲するのはよっぽど美味しいからに違いない。だってヤツらは国会で居眠りばかりしてるもの。』
政治家の世襲が美味しいのかは知らないのですが、当選すれば美味しいかも知れませんが、落選すればこれほどのドツボはありませんよね。
何代も代議士や大臣をやっているような政治一家なんかは、もう政治家なんか辞めて悠々自適していたほうがいいのかも知れません。
世襲政治家で一番問題だと想うのは、代々継いでいることのメリットが国益として反映されていない事だと想うんですね。
当選するわけですから、選挙区の人にとってはメリットがあるのでしょう。
でも、国会議員なのに、地元の人にしか利益還元をしないと想われている政治家があまりに多いような気がします。
だから、ちょっと天下国家を仰々しく語る政治家が出てくると途端に脚光を浴びたりするんでしょうね。
私は世襲政治家は悪いとは全く想いませんが、『あんた、何勉強しとったんや?』と想うような人は当選させたくないですよね。
伝統文化の世界においては世襲は生命線といってもいいのじゃないかと想います。
世襲してくれなければ、ほとんどすべてが崩壊します。
世襲の人しか出来ない仕事というのがあるんです。
それは何かというと、『場合によっては損得抜きで正しい道を行く』ことです。
その中で、民主党が世襲議員の公認をしないことにしました。
自民党に世襲議員が多い事に対して、対抗軸を示したのでしょうが、世襲ってそんなに悪いことでしょうか?
私も世襲経営者ですし、私の友人にも多数の世襲社長がいます。
茶道の世界も、能楽の世界も世襲だらけです。
世襲というと『なんの努力もせず、能力も無いのに、血のつながりだけで易々とその地位を得る』と想われている事が批判の原因なんでしょうね。
しかし、少なくとも、文化の世界は世襲制がなくては成り立ってこなかったでしょうし、これからも世襲が中心となって支えていくのだろうと想います。
世襲が何故批判されるようになったのかというと、四民平等になり職業選択の自由が保障され、国民がそれを強く意識したからでしょう。
江戸時代までは、親の仕事を継ぐのがあたりまえで、それ以外の選択肢はありませんでした。
武士は武士、農民は農民、職人は職人、商人は商人、芸人は芸人になるしかなかったんです。
身分を下に落として茨の道を歩むことはありました。
武士でありながら商人になることはあったようですし、堺商人の中にも多くそういう例が見られます。
堺商人は士分が与えられ苗字帯刀が許されて居ましたが、それでも商人は商人でした。
明治になって、身分制が解かれ、職業選択の自由が保証されると、こんどは逆に、親の仕事を継ぐことを安易な選択であるという風潮が出てきました。
私も就職するときに、先輩から『親の跡を継ぐことに何の疑問ももたないなんておかしい』とさんざん言われました。
誤解されていると想うことは、『世襲はおいしい』ということです。
世襲というのは、親の財産を地位ごと相続する、とっても美味しい制度だと想われているように想います。
社会主義者や共産主義社は、『相続税を100%にしろ』なんて言う人もいますから、そんな人にとってはたまらなく不平等に感じるのでしょう。
でも、はっきり言って、すくなくとも今の世襲は美味しくなんてありません。
親の仕事を継いで美味しい想いをしている人なんてごくわずかです。
逆に、『継いだら、知らない借金がいっぱいあった』とか『銀行からの要請でむりやり今までの会社を辞めて会社を継がされた』なんて話もしょっちゅう聞きます。
利権がらみの商売を継いだら美味しいのかも知れませんが、それもその利権があるうちで、利権がなくなったとしたら、商売替えは困難を極めます。
ちょっとマシなアタマを持って居る人なら、安定した大企業に勤めたり、お役所に勤めたりする方がよっぽどいいのです。
それでも、何故世襲がなくならないかというと、大きいのは『父親の仕事に対する想い』なんだろうと想います。
私達、世襲した者は、生まれた時から父親の仕事をしている姿を見て育ちます。
祖父はサラリーマンでしたけど、商売の世界にいました。曾祖父も商人です。父は祖父の姿を見てきたし、私は父の姿を見て育った。
商売人の家庭というのは、朝から晩まで商売の話です。
思考体系が商売を中心に回っていますから、細胞の一つから血の一滴まで商売人になります。
それも、その商家のカラーとうものが、骨の髄までしみこみます。
詳しくは知りませんが、芸能の世界も同じような事があるのじゃないでしょうか。
世襲の反対が、サラリーマン社長になるんでしょうが、そもそもスタートが違うんです。
能楽師は3,4歳から訓練を受けると言いますが、商売人も同じです。
物を売らされると言うことはありませが、商売人としての物の考え方を普段の生活の中で学んでいきます。
世襲とそうでない人の考え方の相違は、まさにそこから始まっていると私は思います。
世襲の場合は、長期で考える。
自分が親から受け継ぎ、そして子供に手渡す。
○○商店なら、○○商店がずっと続くように考える。
そうでない人は、自分一代限り、つまり自分の任期中の事だけを考えていれば良いのです。それが普通です。
私は、残念な事に後継者がいませんが、少なくとも自分が商売を引退するまではきちんとした仕事をしていきたいと想いますし、できれば、有能な後継者に引き継ぎたいという思いは強く持って居ます。
たぶん、実現するかしないかは別にして、すべての世襲経営者はそう想っていると想います。
和装業界で縮小が始まっているのは、それこそ世襲できなくなったからなんです。
後継者いても、継がせない、継がせられない位の事になっているんですね。
それでも、『やろう!』と想ってくれる若手はほとんどが世襲です。
世襲で何が一番いいかというと、広く考えて、専門的技術の継承と長期的プランニングでしょうね。
職人、芸人だけでなく、商人というのもある意味専門家なんです。
サラリーマンの人というのはゼネラリストが多いですよね。
商社でも物を売ったこともない人が社長になったりする。
メーカーでは物をつくったこともない、作り方も知らない人が社長になる。
つまりは『コア・コンピタンス』についてよく分かっていない人も社長になり得るということです。
任期も長くて10年くらいでしょうから、どうしても戦略が刹那的になって、カンフル剤をうちつづけるという事になりがちです。
企業とうのは『ゴーイング・コンサーンをめざす』わけですから経営戦略は長期的であるべきです。
世襲経営者の場合は会社の名誉・繁栄=自分・一族の名誉・繁栄ですから、どうしても長期で考えざるを得ません。
逆に言えば、会社がダメなら自分もダメになって路頭に迷う羽目にもなります。
このことは、商人だけでなく、職人、芸人、農民にも言える事だろうと想います。
ところが、政治家の場合、『何をやっているのかわからない』というのが問題なのではないでしょうか。
『やたら世襲するのはよっぽど美味しいからに違いない。だってヤツらは国会で居眠りばかりしてるもの。』
政治家の世襲が美味しいのかは知らないのですが、当選すれば美味しいかも知れませんが、落選すればこれほどのドツボはありませんよね。
何代も代議士や大臣をやっているような政治一家なんかは、もう政治家なんか辞めて悠々自適していたほうがいいのかも知れません。
世襲政治家で一番問題だと想うのは、代々継いでいることのメリットが国益として反映されていない事だと想うんですね。
当選するわけですから、選挙区の人にとってはメリットがあるのでしょう。
でも、国会議員なのに、地元の人にしか利益還元をしないと想われている政治家があまりに多いような気がします。
だから、ちょっと天下国家を仰々しく語る政治家が出てくると途端に脚光を浴びたりするんでしょうね。
私は世襲政治家は悪いとは全く想いませんが、『あんた、何勉強しとったんや?』と想うような人は当選させたくないですよね。
伝統文化の世界においては世襲は生命線といってもいいのじゃないかと想います。
世襲してくれなければ、ほとんどすべてが崩壊します。
世襲の人しか出来ない仕事というのがあるんです。
それは何かというと、『場合によっては損得抜きで正しい道を行く』ことです。
Posted by 渡辺幻門 at 21:12│Comments(0)