オオサカジン

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Posted by オオサカジン運営事務局 at

2013年04月11日

沖縄4日目とまとめ

今日は、朝十時に、とある場所で若手と懇談。

もずや会のメンバーも一緒です。

和装のしきたり、決まりごとなどの話で1時間あまり。

こういう話はなかなか沖縄では聴けないかもしれませんね。

造る事ばかりに意識がとられてしまうのは、一番は自分が着ないのが理由です。

それと、布を作っているのではなくて、キモノを作っているのだという意識がないとそうなります。

キモノというのは民族衣装ですから、文化が乗っかっています。

文化とは何か?理由があったり無かったりの、言われや歴史です。

あくまでも和装用の素材を作っているのですから、和装の事をしらないと行けないのは当然ですが、

内地の人でも多くの人が知らないキモノのしきたりを、沖縄の人が知っている訳がありません。

本当は、そこから話して、キチンとした基礎をつくらないと、良いキモノは作れないはずです。

良いキモノというのは、布として美しい、強いなどというだけでなく、着るに良いキモノか、という事です。

着るに良いとは、着るべき場所が想定されて作られているか、という事も重要な要素です。

てな話をして、お昼ご飯はもずや会の暴走ガール二人と『チャーリータコス』

食べている途中で気づいて、青砂工芸館に紅型展を見に行きました。

作家さんと少し話をして、私は空港へ。

5時頃に帰宅しました。

途中、飛行機がビシッとかいって、ミサイルがかすったか、と想いましたが、雷の影響だというアナウンスでした。


4日ほど沖縄に居て感じた事は、このままじゃ、プロといえる染織家はどんどん数を減らしていくだろうという事です。

壁掛けや小物をちまちま作る人はたくさん出来ても、キモノや帯などの大作をつくる作家は、いまのままでは出てこなくなるでしょう。

なぜなら、それを作るところまで行く環境が整っていないし、教育がされていないからです。

指導所や個人工房で3年くらい修行したら、すぐに独立してしまう人がとても多いのだとか。

そんなことで、きちんとした技術が身につくはずがありません。

3年で独立した人にコンスタントに仕事がくるほど、この世界は甘くない。

どうしても、自分で小物をつくって、小銭を稼ぐという事になります。

小物をどれだけたくさん作っても、キモノが作れるようになる事とは次元が違います。

だって、私でも、テーブルセンターくらいは織れますよ。

紅型だって、染められます。

小物ならできるんです。

小物ばっかり作っている人が染織家とは言えない事は、私が染織家でないと同じ位、当然の事です。

ですから、キモノや帯をきちんと染める訓練ができるところで、すくなくとも10年は頑張らなければ染織家としての基礎はできないと私は思います。

私も芸大で少し学んだので解るのですが、伝統工芸に自己表現を望みすぎるのは間違った方向に行く大きな原因になると想います。

陶芸に関しても、前に日本民芸協団の機関誌に陶工が3年ほどで独立して行き、産地に駄作ばかりが並ぶため、『産地に行ったからと言って、くだらないモノは買わないでください。それが作り手の為にもなります』と書いてあったのと同じ事です。

くだらないモノの積み重ねはいつまでたってもくだらないのです。

良い物を何回も反復することで、良い物を造れるようになる。

今回、ある作家さんが大きなヒントをくれました。

その作家さんは、ある研究生に古典の模写を100回以上やらせているそうです。

これをやれば、ばっちり基礎ができるはずです。

べつの作家さんも同じ事をおっしゃってました。

よい作品を何回も何回も模写して、身体に覚え込ませるんです。

習字だって、茶道だって、仕舞だって、同じ事です。

師匠の見本どおりになぞって反復するんです。

それが、見にしみこんで初めて、自分のモノを表現できるようになる。

そんなもの、5年や10年では出来ないはずです。

自分の才能をうぬぼれちゃいけない。

伝統工芸に携わる者は、当然、伝統に大して謙虚であり、敬意を払わなければなりません。

そこのところの認識が、今の若手は非常に甘い気がします。

私達商人だって、同じセールストークを1000回、10000回とやって初めて、一人前の商人になるんです。

商人の世界では、自立できるまで今の時代なら20年はかかるでしょう。

それが成熟した市場に生きる商人です。

できたてほやほやの業界とは訳が違うのです。

沖縄もずや会のメンバーもとても勉強になったと想いますし、私も得るモノの多い4日間でした。

先生方、ありがとうございました。

次回は7月に訪沖の予定です。

また、元気でお会いしましょう!!
  
Posted by 渡辺幻門 at 19:39Comments(0)沖縄

2013年04月10日

沖縄3日目

今日は朝9時に出発。

沖縄もずや会の女性2人と一緒にまりました。

紅型作家さんばかり3人です。

若い2人に参考になるようにと思って訪問先をセレクトしたのですが、三人三様でとても有意義だったと思います。

沖縄での作りての育成事情もよくわかり、私にも為になりました。

織物の方も同じですが、育成するシステムはあっても、作家として一本立ちするところまでの仕組みが出来ていないのです。

まぁ、そこまでしていられるかという感じはあるのですが、せっかく税金を投入して育成した作り手が最終的には何も生まないで埋れてしまうのはもったいない話だと思います。

訪問先した3人の作家さんは、とても丁寧に親切に対応してくださり、ありがたく思いました。

若い人が育って、頑張ってくれないと、沖縄染織の未来も安泰とは言えません。

もう10年もすれば完全に世代交代の時期になるわけですから、今がとても大事です。

若手の人も内にこもっているのではなく、どんどん作品を発表したり、意見交換をしたりして、自分をアピールしてほしいですね。

芸術家きどりで自己表現を追求していても、この世界では認めてくれる人は多くないと思います。

帰還してから、3人でまた夕食をとり、おはなしをしました。

私が沖縄に居ない間も、みんなで協力して、勉強と精進を続けてほしいと思います。
  
Posted by 渡辺幻門 at 21:41Comments(0)沖縄

2013年04月10日

沖縄2日目

レンタカーを借りて、朝8時に那覇を出発。

中部の作家さんを訪問。

少し仕入れをして、あとは業界話。

まぁ、ボチボチ作っていればそんなに心配することはありません。

問題は、個人ベースではなく、集団で一方方向に向かった時に現れるのです。

1時間ほどお邪魔して、知花花織の組合に行ってきました。

わりといい感じかも。

色々提言もさせていただ来ました。

問題は他産地との兼ね合いですね。

生産者に必要な情報が上がっていない様で、ちょっと危険に思いました。

問屋は問屋としての仕事をしていませんね。

ここも1時間ほどお邪魔して、南へ。

何故かご飯を食べるところが見つけられず、コンビニ弁当でお昼ご飯。

さっさとかきこんで、とある組合へ。

ガッツリ目に仕入れして、これで今回の仕入れして業務は一応終了。

親しい作家さんのところがへ向かいました。

あれこれものづくりの話をして、3時間ちかくいましたかね。

時計をみたら5時で急いで那覇へ。

6時から沖縄もずや会です。

今回は新しい仲間も増えて、6人集まりました。

大盛り上がりで、12時まで。

いささか飲みすぎました。

  
Posted by 渡辺幻門 at 08:12Comments(0)沖縄

2013年04月08日

沖縄1日目

午後1時過ぎに那覇空港に到着。

着くなり、空港内の食堂で ソーキそば。

沖縄では定番の食事です。

数ある沖縄料理の中でやっぱりこれが一番好きですね。

食事を終えたらすぐに店を出て、モノレールに乗って今回1軒目の訪問。

いつも良い作品を作ってくれる作家さんです。

いつもの確認事項を反復して、あとは若い作り手の話をしました。

自分で作家として独立してしたい若手はそれなりにいるのだそうですが、問題は環境が整わない事なのだそうです。

ギー、トントンという機音が苦情になってしまうのです。

あと、作業道具や設備も必要なので、それなりの広さも必要です。

2LDKは最低でも必要だと思います。

これを那覇市内で20代の若手が負担するというのはかなり厳しいだろうと思います。

那覇市内は案外家賃が高いのです。

染物なら6畳一間でもできます。

工芸指導所や組合では技術指導はしてくれますが、独立支援まではしてくれません。

技術はあるし、やる気もあるのだが・・・織物は資本がないとできないのかもしれません。

これは、基本的ですが、たいへん大きな問題です。

また、多くの若手が従事者は女性ですので、当然、結婚・出産・子育ての時期がやってきます。

そうなると10年間ほどのブランクを覚悟しないといけない。

企業が支援して工房を作るにしても、ここも大きな障害になります。

首里織の場合、作家の個性や技量に負うところが大きいので、その人がいなくなると工房を作った意味がなくなるのです。

そこが他の産地の織物とおおきく違うところです。

どうしたら、若手の有望株を大きな木に育てることができるのか。

作らないで上達することはできません。

でも、作業場がない。

やる気があればどこでだってできる!なんて甘いものじゃないです。実際は。

この私も、家に織機を置く事を家族から大反対された人間の一人です。

問題点が解った以上、これから考えていかなければならないと思います。

明日は中部を回ります。



  
Posted by 渡辺幻門 at 22:51Comments(0)沖縄

2013年04月02日

第65回沖展

いま、開催真っ盛りであります。

例年、織物、染色両部門について、私の思うところを書かせていただいておりますが、今年は未だ、ネット上での公開がありません。

しびれをきらして、友人にファックスで送ってもらったような次第です。

受賞者に関しては、染色部門で城間栄市さんが受賞され、準会員に推挙されたそうです。

おめでとうございますという祝辞と共に、琉球びんがたを牽引するリーダーとして活躍される様にとのエールを送りたいと想います。

いろんな意味で注目もされ、批判を受けることもあるでしょう。

しかし、それにひるむ事無く、真っ向から受け止めて、琉球びんがたの屋台骨を担う心をわすれないで欲しいと想います。

それが、ほかのびんがた作家と城間の名を継いだ者との違いだと想います。

その覚悟を是非もっていただきたいと思いますし、私も微力ながらお支えしたいと想います。

1日違いで会場で作品を拝見できないのはとても残念です。


総評に関しては、今年は染色は城間栄順さん、織物は祝嶺恭子さんという両巨頭が書かれましたね。

さすが、お二人とも、愛情のこもった、これからの指針を指し示すすばらしい内容であったと想います。

私が総評にこだわるのは、それを読んだ作り手が、これからどういう方向に行くべきなのか、どういう物作りを目指すべきなのかを知る手がかりとなると想うからです。

ですから、総評をお書きになる方は、自分の思いや理想を現実を踏まえて、精一杯の愛情と願いを込めて書くべきだと私は思うのです。

私は商人ですから、言葉が命です。

言葉、つまり口先でご飯を食べています。

出品者が精一杯の作品を作って出すのと同じように、総評を書かれる方も、それに応えて、文面から熱い、そして温かい想いが感じられるような内容であって欲しいと想っています。

毎年、えげつない酷評をしたりもしておりますが、今年は文句ありません。

お二方とも、すばらしい総評をしてくださったと想い、私は私の立場で感謝しております。

私は、作家さんを目の前にして、作品の評価を日常的にしているわけです。

べた褒めすることもあるし、厳しく叱責することもあります。

仕入れだけなら、黙って買う、買わないを言えば良いだけの話ですが、何故、要らぬ事を言うのか。

それは、私の願いを伝えるためです。

時には、大作家と言われる方にも、歯に衣着せずモノを言います。

ケンカもします。

何故、そこまでするのかといえば、その向こうに、若い将来を担う作り手とお客様の顔が浮かぶからです。

伝統工芸というのは、先人から受け継いだものであると共に、後進にも受け渡していかなければいけないものです。

もし今を生きる人でその財産を食いつぶしてしまおうとする人がいたら、私は身を挺して阻みます。

それは工人であっても商人であっても同じです。

総評の中で、城間さんも祝嶺さんも、ご自分の若かりし頃を語り、これからの若い作り手に目を向け、言葉をかけてくださったのがとてもうれしいのです。

灰色の顔をして作り手の生き血を吸って生きているゾンビがいる世の中で、せめて沖縄だけは、みんな笑顔で楽しくおおらかに仕事が続けられるような環境を保って欲しい。

そのためには、リーダーと言われる人の強い覚悟と決意が必要だと想います。

受賞者のみなさん、おめでとうございました。

これを糧に、良い作品作りに邁進されることを心より願っています。

そして、総評を書いてくださった、城間さん、祝嶺さん、ありがとうございました。

お二人をはじめとする、沖縄染織界のリーダーの方々には、若い作り手に指針を示してあげて欲しいと想います。

私たち商人も含めて、みんなで、温かい気持ちで、沖縄染織が永遠に繁栄するように見守り支えていきたいと想います。



  
Posted by 渡辺幻門 at 07:33Comments(0)沖縄

2012年11月02日

ちょっとだけ紹介>古屋英子作『花織ティサージ』





月末から銀座きものギャラリー泰三さんで個展をされる古屋英子さんの『花織ティサージ』です。

ティサージとは手巾と書く、一種の飾り布です。昔の女性は兄弟や恋人が旅立つとき等にこれを織って贈ったそうです。これを『うむい(想い)のティサージ』と言います。

とても趣深いですね。私はこの心が琉球染織の原点だと思っています。東京・駒場の日本民芸館にもたくさん所蔵されていますので是非ご覧になってください。沖縄の女性の想いが伝わってくることと思います。

琉球舞踊ではよくティサージを贈るシーンが出てくるのですが、悲しい事に本物が使われてない場合もあるそうです。それで現在新しく織られるティサージを見る事はほとんどありません。ここに使われている技法は、ティバナ(手花)という縫い取り織とティユイ(手結)という緯糸をずらして描き出す絣技法ですが、非常に力強く仕上がっています。この作品から展示会にかける古屋さんの意気込みと喜びが伝わってきますね。
  
Posted by 渡辺幻門 at 11:09Comments(0)沖縄

2010年05月22日

『辻の華ーくるわのおんなたち』

辻の華―くるわのおんなたち
レビュー

辻の華―くるわのおんなたち
4.66点 ( 3人中)
1984
中央公論社
上原 栄子
もっと読む




辻というのは、沖縄の遊郭があったところです。

この本は、そこにいた実際の遊女が書いた本です。

全部で3編ありますが、いまはまだ戦前編です。

この本を読んで居ると、辻の遊女の暮らしぶりや、心意気、彼女達をとりまく沖縄の空気がひしひしと伝わってきて、感慨深いものがあります。

遊郭というところは、文化の発信の場もあります。

遊郭のありかたを見れば、その土地の文化程度もはかり知れる部分もあります。

江戸の吉原、京都の島原、大阪の新町、長崎の丸山・・・

この本を読めば、そこに琉球の辻を加えるべきだと誰もが思うでしょう。

いまは、ただの風俗街になってしまった辻ですが、点在する古い料亭を思い浮かべると、その名残が感じられないでもありません。

そして、何故か沖縄の人達の中に、自らの文化を愛する気持ちがあまり感じられないことを寂しく感じてしまいます。

沖縄だけじゃなく、すべての盛り場がとんでもなくつまらなく世知辛いものになってしまいました。これは遊びにくる男のレベルの低下もあるのでしょうが、水商売の世界に生きる女性の心意気を感じる場面が全くといっていいほどなくなってしまいました。情緒もへったくれもない。大人の遊ぶところがなくなってしまった、そんな感じがします。

昔は、新地に行けばいろんな人生の話をしてくれるママさんとかがいたし、励ましたり、時には叱ってくれたりするベテランのホステスさんもいたもんです。そんな人間同士の付き合いが全く無くなってしまったような感じがします。もう、新地に飲みに行きたいとも思わなくなりましたね。

盛り場の衰退は文化の衰退と同時に起こります。それは人心の荒廃からくるからです。当時の沖縄は、物質的には貧しかったはずです。でも、本を読む限りは心は豊かだったように思えます。少なくとも心の張りがあった。

沖縄も含めた我が国は、物質面の豊かさと引き替えに心の豊かさを失ってしまったのではないでしょうか。

沖縄の文化に興味がある方は是非、ご一読されることをお勧めします。  
Posted by 渡辺幻門 at 08:55Comments(0)沖縄

2010年05月22日

『辻の華ーくるわのおんなたち』

辻の華―くるわのおんなたち
レビュー

辻の華―くるわのおんなたち
4.66点 ( 3人中)
1984
中央公論社
上原 栄子
もっと読む




辻というのは、沖縄の遊郭があったところです。

この本は、そこにいた実際の遊女が書いた本です。

全部で3編ありますが、いまはまだ戦前編です。

この本を読んで居ると、辻の遊女の暮らしぶりや、心意気、彼女達をとりまく沖縄の空気がひしひしと伝わってきて、感慨深いものがあります。

遊郭というところは、文化の発信の場もあります。

遊郭のありかたを見れば、その土地の文化程度もはかり知れる部分もあります。

江戸の吉原、京都の島原、大阪の新町、長崎の丸山・・・

この本を読めば、そこに琉球の辻を加えるべきだと誰もが思うでしょう。

いまは、ただの風俗街になってしまった辻ですが、点在する古い料亭を思い浮かべると、その名残が感じられないでもありません。

そして、何故か沖縄の人達の中に、自らの文化を愛する気持ちがあまり感じられないことを寂しく感じてしまいます。

沖縄だけじゃなく、すべての盛り場がとんでもなくつまらなく世知辛いものになってしまいました。これは遊びにくる男のレベルの低下もあるのでしょうが、水商売の世界に生きる女性の心意気を感じる場面が全くといっていいほどなくなってしまいました。情緒もへったくれもない。大人の遊ぶところがなくなってしまった、そんな感じがします。

昔は、新地に行けばいろんな人生の話をしてくれるママさんとかがいたし、励ましたり、時には叱ってくれたりするベテランのホステスさんもいたもんです。そんな人間同士の付き合いが全く無くなってしまったような感じがします。もう、新地に飲みに行きたいとも思わなくなりましたね。

盛り場の衰退は文化の衰退と同時に起こります。それは人心の荒廃からくるからです。当時の沖縄は、物質的には貧しかったはずです。でも、本を読む限りは心は豊かだったように思えます。少なくとも心の張りがあった。

沖縄も含めた我が国は、物質面の豊かさと引き替えに心の豊かさを失ってしまったのではないでしょうか。

沖縄の文化に興味がある方は是非、ご一読されることをお勧めします。  
Posted by 渡辺幻門 at 08:55Comments(0)沖縄

2010年05月22日

『辻の華ーくるわのおんなたち』

辻の華―くるわのおんなたち
レビュー

辻の華―くるわのおんなたち
4.66点 ( 3人中)
1984
中央公論社
上原 栄子
もっと読む




辻というのは、沖縄の遊郭があったところです。

この本は、そこにいた実際の遊女が書いた本です。

全部で3編ありますが、いまはまだ戦前編です。

この本を読んで居ると、辻の遊女の暮らしぶりや、心意気、彼女達をとりまく沖縄の空気がひしひしと伝わってきて、感慨深いものがあります。

遊郭というところは、文化の発信の場もあります。

遊郭のありかたを見れば、その土地の文化程度もはかり知れる部分もあります。

江戸の吉原、京都の島原、大阪の新町、長崎の丸山・・・

この本を読めば、そこに琉球の辻を加えるべきだと誰もが思うでしょう。

いまは、ただの風俗街になってしまった辻ですが、点在する古い料亭を思い浮かべると、その名残が感じられないでもありません。

そして、何故か沖縄の人達の中に、自らの文化を愛する気持ちがあまり感じられないことを寂しく感じてしまいます。

沖縄だけじゃなく、すべての盛り場がとんでもなくつまらなく世知辛いものになってしまいました。これは遊びにくる男のレベルの低下もあるのでしょうが、水商売の世界に生きる女性の心意気を感じる場面が全くといっていいほどなくなってしまいました。情緒もへったくれもない。大人の遊ぶところがなくなってしまった、そんな感じがします。

昔は、新地に行けばいろんな人生の話をしてくれるママさんとかがいたし、励ましたり、時には叱ってくれたりするベテランのホステスさんもいたもんです。そんな人間同士の付き合いが全く無くなってしまったような感じがします。もう、新地に飲みに行きたいとも思わなくなりましたね。

盛り場の衰退は文化の衰退と同時に起こります。それは人心の荒廃からくるからです。当時の沖縄は、物質的には貧しかったはずです。でも、本を読む限りは心は豊かだったように思えます。少なくとも心の張りがあった。

沖縄も含めた我が国は、物質面の豊かさと引き替えに心の豊かさを失ってしまったのではないでしょうか。

沖縄の文化に興味がある方は是非、ご一読されることをお勧めします。  
Posted by 渡辺幻門 at 08:55Comments(0)沖縄

2010年03月06日

四日目

今朝は6時起き。



昨夜は遅かったのですが、朝早いのを警戒して11時ころからは、水を飲んでいました。なので、二日酔いは無し。しかし、睡眠時間が4時間では、かなりつらかったですね。

7時半にタクシーに乗って久米島港へ。
すぐに乗船できました。
舟の中には雑魚寝スペースがあるので、リュックを枕に毛布を被って、ごろ寝していました。

海は荒れていて、舟は揺れていたのですが、私も他のお客もだれも船酔いしている様子は無く、さすがは海洋民族だなぁ、と感心していました。

舟は順調に進み、12時半に泊港到着。



上陸してすぐにレンタカーを借りて、『こぺんぎん食堂』へ。
ここは石垣島のペンギン食堂の支店?で料理よりも別売しているラー油が有名です。博多の知人に頼まれているのでランチついでに買いに行ったのですが、あいにく売り切れ。おまけに行列しています。





朝ご飯を食べていなかったのでつらかったのですが、使命感にかられて20分ほどならんでいましたが、中に見える客がノロノロ食べているし、料理もどんどん出ている様子が見えなかったので、耐えきれずに離脱。商店街の中の別の食堂で食べたのは
『牛汁定食』



内容は・・・中身汁みたいでした。
これで1000円です。

ここから、親しい紅型作家さんと首里織作家さんを訪問。

いま、結構微妙な時期なので、お話の内容は、別の機会に少しずつご紹介したいと想います。

じっくり話ができて、とってもよい時間を過ごせました。

7時前に帰還。

首里織の作家さんのところで、巻き寿司とシュークリームを頂いていたので、夜は定番、みかど食堂の『ゆしどうふ定食』これ、うまいですよ!ゆしどうふを食べると、おなかも気持ちも落ち着きます。

昨日はたくさん飲んだし、明日も飲むので、今日はアルコールなし。

明日の午後の飛行機で帰ります。

今回はゆっくりじっくり内容の濃い話ができてとても良かったです。

みなさんに大切にしてもらって、私は幸せ者です。
これからもがんばります!
  
Posted by 渡辺幻門 at 08:03Comments(0)沖縄

2010年03月06日

四日目

今朝は6時起き。



昨夜は遅かったのですが、朝早いのを警戒して11時ころからは、水を飲んでいました。なので、二日酔いは無し。しかし、睡眠時間が4時間では、かなりつらかったですね。

7時半にタクシーに乗って久米島港へ。
すぐに乗船できました。
舟の中には雑魚寝スペースがあるので、リュックを枕に毛布を被って、ごろ寝していました。

海は荒れていて、舟は揺れていたのですが、私も他のお客もだれも船酔いしている様子は無く、さすがは海洋民族だなぁ、と感心していました。

舟は順調に進み、12時半に泊港到着。



上陸してすぐにレンタカーを借りて、『こぺんぎん食堂』へ。
ここは石垣島のペンギン食堂の支店?で料理よりも別売しているラー油が有名です。博多の知人に頼まれているのでランチついでに買いに行ったのですが、あいにく売り切れ。おまけに行列しています。





朝ご飯を食べていなかったのでつらかったのですが、使命感にかられて20分ほどならんでいましたが、中に見える客がノロノロ食べているし、料理もどんどん出ている様子が見えなかったので、耐えきれずに離脱。商店街の中の別の食堂で食べたのは
『牛汁定食』



内容は・・・中身汁みたいでした。
これで1000円です。

ここから、親しい紅型作家さんと首里織作家さんを訪問。

いま、結構微妙な時期なので、お話の内容は、別の機会に少しずつご紹介したいと想います。

じっくり話ができて、とってもよい時間を過ごせました。

7時前に帰還。

首里織の作家さんのところで、巻き寿司とシュークリームを頂いていたので、夜は定番、みかど食堂の『ゆしどうふ定食』これ、うまいですよ!ゆしどうふを食べると、おなかも気持ちも落ち着きます。

昨日はたくさん飲んだし、明日も飲むので、今日はアルコールなし。

明日の午後の飛行機で帰ります。

今回はゆっくりじっくり内容の濃い話ができてとても良かったです。

みなさんに大切にしてもらって、私は幸せ者です。
これからもがんばります!
  
Posted by 渡辺幻門 at 08:03Comments(0)沖縄

2010年03月06日

四日目

今朝は6時起き。



昨夜は遅かったのですが、朝早いのを警戒して11時ころからは、水を飲んでいました。なので、二日酔いは無し。しかし、睡眠時間が4時間では、かなりつらかったですね。

7時半にタクシーに乗って久米島港へ。
すぐに乗船できました。
舟の中には雑魚寝スペースがあるので、リュックを枕に毛布を被って、ごろ寝していました。

海は荒れていて、舟は揺れていたのですが、私も他のお客もだれも船酔いしている様子は無く、さすがは海洋民族だなぁ、と感心していました。

舟は順調に進み、12時半に泊港到着。



上陸してすぐにレンタカーを借りて、『こぺんぎん食堂』へ。
ここは石垣島のペンギン食堂の支店?で料理よりも別売しているラー油が有名です。博多の知人に頼まれているのでランチついでに買いに行ったのですが、あいにく売り切れ。おまけに行列しています。





朝ご飯を食べていなかったのでつらかったのですが、使命感にかられて20分ほどならんでいましたが、中に見える客がノロノロ食べているし、料理もどんどん出ている様子が見えなかったので、耐えきれずに離脱。商店街の中の別の食堂で食べたのは
『牛汁定食』



内容は・・・中身汁みたいでした。
これで1000円です。

ここから、親しい紅型作家さんと首里織作家さんを訪問。

いま、結構微妙な時期なので、お話の内容は、別の機会に少しずつご紹介したいと想います。

じっくり話ができて、とってもよい時間を過ごせました。

7時前に帰還。

首里織の作家さんのところで、巻き寿司とシュークリームを頂いていたので、夜は定番、みかど食堂の『ゆしどうふ定食』これ、うまいですよ!ゆしどうふを食べると、おなかも気持ちも落ち着きます。

昨日はたくさん飲んだし、明日も飲むので、今日はアルコールなし。

明日の午後の飛行機で帰ります。

今回はゆっくりじっくり内容の濃い話ができてとても良かったです。

みなさんに大切にしてもらって、私は幸せ者です。
これからもがんばります!
  
Posted by 渡辺幻門 at 08:03Comments(0)沖縄

2010年03月06日

三日目

久米島に行ってきました。
朝、さるちゃんと8時に泊港に集合。8時半に出港しました。



久米島まで4時間の船旅です。
那覇はちょっと天気が悪かったですね。

2時間ほどで渡名喜島に到着。
このあたりはすごく天気が良くて、海もキレイでした。





朝、4時頃に起きてしまったので、舟の中では眠りこけていましたが、渡名喜島を出港したあたりから、眼が覚めてキレイな海とさわやかな日光と風を堪能していました。

さらに2時間で久米島着。





港にはねえねえとそそかさんが迎えに来てくれていました。
2年ぶりの久米島です。
前はちゅらしま切符というのがあって、安く離島を回れたのですが、JALの経営悪化のせいか無くなってしまい、足が遠のいていたのです。行かなくても、品物は入ってきますしね。

久米島に来ると、ほんとうにのんびりします。
空と太陽と海とうーじと牛と・・・
心が現れるとはこのことです。


とりあえずはランチ。
お店は『竜(りゅう)』です。
私とさるちゃんは、『さくなそば』をいただきました。



『さくな』というのは、久米島の海の岩に生える草?だそうです。なんともいえない新鮮な味わいで、血がキレイになるような気がしました。これはくせになります。

あと、少し観光。

宇江城(うえぐすく)城趾に。






沖縄の城(ぐすく)は内地のとはまたちがう趣があります。
ここらかの風景は絶品です。

さるちゃんを降ろして、ねえねえとそそかさんと私は浜辺へ。
久米島紬の将来について語り合いました。

5時頃から、本命のおはなし。
誰と何を話したか・・・内容は非公開にしておきます。
内容の濃い話でしたねぇ。

6時過ぎからおきまりの『海坊主』へ。
ねえねえとそそかさんは、いったん帰宅して、さるちゃんと私で先に始めていました。



この店は地元の漁師さんも来るんだとかで、魚の新鮮さは折り紙付きです。

8時半ころに全員集合。
少し食べて、カラオケへ。

久米島の深田恭子といわれる美女も参加しての大宴会でした。
沖縄民謡あり、演歌あり、ポップスありで、楽しかったですねぇ。

止めるそそかさんを振り切って、1時半くらいにようやくお開きに。ホテルにはいるやいなや、即寝であったことは言うまでもありません。

意義深く、楽しい、充実した久米島いきでした
。  
Posted by 渡辺幻門 at 08:01Comments(0)沖縄

2010年03月06日

三日目

久米島に行ってきました。
朝、さるちゃんと8時に泊港に集合。8時半に出港しました。



久米島まで4時間の船旅です。
那覇はちょっと天気が悪かったですね。

2時間ほどで渡名喜島に到着。
このあたりはすごく天気が良くて、海もキレイでした。





朝、4時頃に起きてしまったので、舟の中では眠りこけていましたが、渡名喜島を出港したあたりから、眼が覚めてキレイな海とさわやかな日光と風を堪能していました。

さらに2時間で久米島着。





港にはねえねえとそそかさんが迎えに来てくれていました。
2年ぶりの久米島です。
前はちゅらしま切符というのがあって、安く離島を回れたのですが、JALの経営悪化のせいか無くなってしまい、足が遠のいていたのです。行かなくても、品物は入ってきますしね。

久米島に来ると、ほんとうにのんびりします。
空と太陽と海とうーじと牛と・・・
心が現れるとはこのことです。


とりあえずはランチ。
お店は『竜(りゅう)』です。
私とさるちゃんは、『さくなそば』をいただきました。



『さくな』というのは、久米島の海の岩に生える草?だそうです。なんともいえない新鮮な味わいで、血がキレイになるような気がしました。これはくせになります。

あと、少し観光。

宇江城(うえぐすく)城趾に。






沖縄の城(ぐすく)は内地のとはまたちがう趣があります。
ここらかの風景は絶品です。

さるちゃんを降ろして、ねえねえとそそかさんと私は浜辺へ。
久米島紬の将来について語り合いました。

5時頃から、本命のおはなし。
誰と何を話したか・・・内容は非公開にしておきます。
内容の濃い話でしたねぇ。

6時過ぎからおきまりの『海坊主』へ。
ねえねえとそそかさんは、いったん帰宅して、さるちゃんと私で先に始めていました。



この店は地元の漁師さんも来るんだとかで、魚の新鮮さは折り紙付きです。

8時半ころに全員集合。
少し食べて、カラオケへ。

久米島の深田恭子といわれる美女も参加しての大宴会でした。
沖縄民謡あり、演歌あり、ポップスありで、楽しかったですねぇ。

止めるそそかさんを振り切って、1時半くらいにようやくお開きに。ホテルにはいるやいなや、即寝であったことは言うまでもありません。

意義深く、楽しい、充実した久米島いきでした
。  
Posted by 渡辺幻門 at 08:01Comments(0)沖縄

2010年03月06日

三日目

久米島に行ってきました。
朝、さるちゃんと8時に泊港に集合。8時半に出港しました。



久米島まで4時間の船旅です。
那覇はちょっと天気が悪かったですね。

2時間ほどで渡名喜島に到着。
このあたりはすごく天気が良くて、海もキレイでした。





朝、4時頃に起きてしまったので、舟の中では眠りこけていましたが、渡名喜島を出港したあたりから、眼が覚めてキレイな海とさわやかな日光と風を堪能していました。

さらに2時間で久米島着。





港にはねえねえとそそかさんが迎えに来てくれていました。
2年ぶりの久米島です。
前はちゅらしま切符というのがあって、安く離島を回れたのですが、JALの経営悪化のせいか無くなってしまい、足が遠のいていたのです。行かなくても、品物は入ってきますしね。

久米島に来ると、ほんとうにのんびりします。
空と太陽と海とうーじと牛と・・・
心が現れるとはこのことです。


とりあえずはランチ。
お店は『竜(りゅう)』です。
私とさるちゃんは、『さくなそば』をいただきました。



『さくな』というのは、久米島の海の岩に生える草?だそうです。なんともいえない新鮮な味わいで、血がキレイになるような気がしました。これはくせになります。

あと、少し観光。

宇江城(うえぐすく)城趾に。






沖縄の城(ぐすく)は内地のとはまたちがう趣があります。
ここらかの風景は絶品です。

さるちゃんを降ろして、ねえねえとそそかさんと私は浜辺へ。
久米島紬の将来について語り合いました。

5時頃から、本命のおはなし。
誰と何を話したか・・・内容は非公開にしておきます。
内容の濃い話でしたねぇ。

6時過ぎからおきまりの『海坊主』へ。
ねえねえとそそかさんは、いったん帰宅して、さるちゃんと私で先に始めていました。



この店は地元の漁師さんも来るんだとかで、魚の新鮮さは折り紙付きです。

8時半ころに全員集合。
少し食べて、カラオケへ。

久米島の深田恭子といわれる美女も参加しての大宴会でした。
沖縄民謡あり、演歌あり、ポップスありで、楽しかったですねぇ。

止めるそそかさんを振り切って、1時半くらいにようやくお開きに。ホテルにはいるやいなや、即寝であったことは言うまでもありません。

意義深く、楽しい、充実した久米島いきでした
。  
Posted by 渡辺幻門 at 08:01Comments(0)沖縄

2010年02月19日

ナイチシマンチュのお客様

沖縄に住んでいる内地の人の事をシマナイチャーといいます。
私は、いわば、セミ・シマナイチャーといったところでしょうかね。

ナイチシマンチュというのは私が勝手に作った言葉で、内地に住んでいるシマンチュのことです。

今日、展示会に来てくださいました。

そのお客様は、たまたまお見えになった一見のお客様でしたが、『沖縄の織物・染め物を紹介してくださってるのですね。ありがとうございます』と言ってくださいました。私にすれば、なんともありがたい心にしみる言葉です。

私は沖縄の人間ではありません。でも、沖縄を愛しています。その気持ちはそんじょそこらの沖縄フリークとは比べものにならないくらい深いと自分では想っています。でも、ナイチャーはナイチャー。沖縄の文化を自分の物として、体の奥底から発信することができない。根底では、その部分で自信が持てないのも事実です。その部分で、京都の物を売っている京都人はうらやましいと想います。でも、ナイチャーにしか見えない、外からの評価も大切だと想って、心を奮い立たせているのです。そんな私の支えは、沖縄の人たちの言葉しかないのです。大阪人の良いところは、全国の物、世界の物を幅広く受け入れそれをまた日本中・世界中に紹介する自由闊達な精神だと想います。沖縄生まれでもなく、沖縄に住んでも居ない。でも、沖縄を愛して、沖縄の文化を世界中に紹介したいと想っているのです。今日のお客様以外にも、沖縄にルーツを持つお客様の多くが私を可愛がってごひいきにしてくださいます。ありがたいことです。現地の人の応援がいかに私を勇気づけることかわかりません。

今日のお客様とお話ししていると、前に長崎の展示会で舞踊をお願いした外間先生のご友人でした。世の中狭い物ですね。

沖縄とは、もう抜き差しならないズブズブの関係になってしまいました。
もっともっと、沖縄に深く入り込んで、みんなの為に働きたいと想います。

  
Posted by 渡辺幻門 at 20:56Comments(0)沖縄

2010年02月19日

ナイチシマンチュのお客様

沖縄に住んでいる内地の人の事をシマナイチャーといいます。
私は、いわば、セミ・シマナイチャーといったところでしょうかね。

ナイチシマンチュというのは私が勝手に作った言葉で、内地に住んでいるシマンチュのことです。

今日、展示会に来てくださいました。

そのお客様は、たまたまお見えになった一見のお客様でしたが、『沖縄の織物・染め物を紹介してくださってるのですね。ありがとうございます』と言ってくださいました。私にすれば、なんともありがたい心にしみる言葉です。

私は沖縄の人間ではありません。でも、沖縄を愛しています。その気持ちはそんじょそこらの沖縄フリークとは比べものにならないくらい深いと自分では想っています。でも、ナイチャーはナイチャー。沖縄の文化を自分の物として、体の奥底から発信することができない。根底では、その部分で自信が持てないのも事実です。その部分で、京都の物を売っている京都人はうらやましいと想います。でも、ナイチャーにしか見えない、外からの評価も大切だと想って、心を奮い立たせているのです。そんな私の支えは、沖縄の人たちの言葉しかないのです。大阪人の良いところは、全国の物、世界の物を幅広く受け入れそれをまた日本中・世界中に紹介する自由闊達な精神だと想います。沖縄生まれでもなく、沖縄に住んでも居ない。でも、沖縄を愛して、沖縄の文化を世界中に紹介したいと想っているのです。今日のお客様以外にも、沖縄にルーツを持つお客様の多くが私を可愛がってごひいきにしてくださいます。ありがたいことです。現地の人の応援がいかに私を勇気づけることかわかりません。

今日のお客様とお話ししていると、前に長崎の展示会で舞踊をお願いした外間先生のご友人でした。世の中狭い物ですね。

沖縄とは、もう抜き差しならないズブズブの関係になってしまいました。
もっともっと、沖縄に深く入り込んで、みんなの為に働きたいと想います。

  
Posted by 渡辺幻門 at 20:56Comments(0)沖縄

2010年02月19日

ナイチシマンチュのお客様

沖縄に住んでいる内地の人の事をシマナイチャーといいます。
私は、いわば、セミ・シマナイチャーといったところでしょうかね。

ナイチシマンチュというのは私が勝手に作った言葉で、内地に住んでいるシマンチュのことです。

今日、展示会に来てくださいました。

そのお客様は、たまたまお見えになった一見のお客様でしたが、『沖縄の織物・染め物を紹介してくださってるのですね。ありがとうございます』と言ってくださいました。私にすれば、なんともありがたい心にしみる言葉です。

私は沖縄の人間ではありません。でも、沖縄を愛しています。その気持ちはそんじょそこらの沖縄フリークとは比べものにならないくらい深いと自分では想っています。でも、ナイチャーはナイチャー。沖縄の文化を自分の物として、体の奥底から発信することができない。根底では、その部分で自信が持てないのも事実です。その部分で、京都の物を売っている京都人はうらやましいと想います。でも、ナイチャーにしか見えない、外からの評価も大切だと想って、心を奮い立たせているのです。そんな私の支えは、沖縄の人たちの言葉しかないのです。大阪人の良いところは、全国の物、世界の物を幅広く受け入れそれをまた日本中・世界中に紹介する自由闊達な精神だと想います。沖縄生まれでもなく、沖縄に住んでも居ない。でも、沖縄を愛して、沖縄の文化を世界中に紹介したいと想っているのです。今日のお客様以外にも、沖縄にルーツを持つお客様の多くが私を可愛がってごひいきにしてくださいます。ありがたいことです。現地の人の応援がいかに私を勇気づけることかわかりません。

今日のお客様とお話ししていると、前に長崎の展示会で舞踊をお願いした外間先生のご友人でした。世の中狭い物ですね。

沖縄とは、もう抜き差しならないズブズブの関係になってしまいました。
もっともっと、沖縄に深く入り込んで、みんなの為に働きたいと想います。

  
Posted by 渡辺幻門 at 20:56Comments(0)沖縄

2010年02月15日

伝統は未来へと果てしなく繋がる

那覇から、宮古から、喜如嘉から、久米島から、いろんな情報がどんどん入ってきます。どれも産地が苦境に陥り、なんとか生き残ろうともがいているようすを知らせるものばかりです。ときには、産地が産地の工人を欺く動きをしている事もあるようです。

いま、いちばん苦境に陥っているのは、長い間いわゆる『古典』というものに悪く言えば拘泥して当たり前に物を作っていれば売れた、そういう産地です。もちろん、伝統的な技法で伝統的な色柄の物を作ることは意義のあることですが、本土復帰後45年を迎えようとしている今、消費者の好みは確実に変化していることは否めない事実です。沖縄物が珍しいという時代はとっくに終わりましたし、沖縄独特の技法も、全国で当たり前に取り入れられるようになり、手結い絣も花織も大学で習うくらい一般的な物となりました。想えば、花織や絣は北上するたびに姿を変え、京都で精密な技術として世界的に有名になったのです。紬織りの原点が沖縄にあることは多くの人が知る事実で、久米島紬そっくりの織物がベトナムで見られる事は南方からその技術が伝わったことを示しています。しかし、反面、花織や絣のそっくりさんが東南アジアで見られるということは、技術・デザインの進化が止まっていると言えなくもありません。その原因の多くは貢納布制度にもあったのだと想います。沖縄の人が御絵図帳を大切にする気持ちは、みずからの歴史や伝統を愛する気持ちとして時にうらやましくも感じる程です。しかし、それが今という時代において受け入れられるかどうかといえば、それは必ずしもそうではないでしょう。品質はとても大事で、それは品物の価値を評価する上で大前提となります。しかし、いまは感性の時代です。消費者は、恭しい説明よりも感覚で良いと捉えた物を選びます。それは間違ったことではありません。五感でとらえて受け入れやすいと感じる物は、それはたいてい良い物なのです。頭でとらえず、体と直観で感じるのは、工芸論においても基本的なスタンスだと想います。品質は理屈でも、感性は非理屈なのです。ですから、いままで伝統的な物を訥々と作り続けてきた産地には、そこから脱却して消費者が何を望んでいるのかを学ぶ事を望みたいのです。産地にいくと必ず『良い物を作れば売れる』という言葉を聞きます。殆どの人は、肯定するでしょう。しかし、それは間違っています。良い物を作っても、愛される物でなければ売れないのです。愛される物を作るためには愛される為の工夫をせねばなりません。愛されたいと想い、自分を磨かねばなりません。そのためには、消費者の感覚を知ること、そして感性を磨くことだと想います。伝統工芸の世界においては、伝統のつくる緻密な技術・品質がまずその基礎となります。その上にあぐらをかいてきたことが、衰退の原因になっているとはいえないでしょうか。感性を中心にした作品づくりは、品質を犠牲にしなくてもできるはずで、消費者が本当に求める物は、品質と感性が両立したものであるはずです。『良い物をつくれば売れる』という言葉に疑問を持ち、今までの伝統は、今後数百年と続く未来へと果てしなく繋がると想って、新しい道を目指すことは必要なことではないでしょうか。
そのための『みおつくし』となるのが、私たち商人の存在でありたいです。
  
Posted by 渡辺幻門 at 23:57Comments(0)沖縄

2010年02月15日

伝統は未来へと果てしなく繋がる

那覇から、宮古から、喜如嘉から、久米島から、いろんな情報がどんどん入ってきます。どれも産地が苦境に陥り、なんとか生き残ろうともがいているようすを知らせるものばかりです。ときには、産地が産地の工人を欺く動きをしている事もあるようです。

いま、いちばん苦境に陥っているのは、長い間いわゆる『古典』というものに悪く言えば拘泥して当たり前に物を作っていれば売れた、そういう産地です。もちろん、伝統的な技法で伝統的な色柄の物を作ることは意義のあることですが、本土復帰後45年を迎えようとしている今、消費者の好みは確実に変化していることは否めない事実です。沖縄物が珍しいという時代はとっくに終わりましたし、沖縄独特の技法も、全国で当たり前に取り入れられるようになり、手結い絣も花織も大学で習うくらい一般的な物となりました。想えば、花織や絣は北上するたびに姿を変え、京都で精密な技術として世界的に有名になったのです。紬織りの原点が沖縄にあることは多くの人が知る事実で、久米島紬そっくりの織物がベトナムで見られる事は南方からその技術が伝わったことを示しています。しかし、反面、花織や絣のそっくりさんが東南アジアで見られるということは、技術・デザインの進化が止まっていると言えなくもありません。その原因の多くは貢納布制度にもあったのだと想います。沖縄の人が御絵図帳を大切にする気持ちは、みずからの歴史や伝統を愛する気持ちとして時にうらやましくも感じる程です。しかし、それが今という時代において受け入れられるかどうかといえば、それは必ずしもそうではないでしょう。品質はとても大事で、それは品物の価値を評価する上で大前提となります。しかし、いまは感性の時代です。消費者は、恭しい説明よりも感覚で良いと捉えた物を選びます。それは間違ったことではありません。五感でとらえて受け入れやすいと感じる物は、それはたいてい良い物なのです。頭でとらえず、体と直観で感じるのは、工芸論においても基本的なスタンスだと想います。品質は理屈でも、感性は非理屈なのです。ですから、いままで伝統的な物を訥々と作り続けてきた産地には、そこから脱却して消費者が何を望んでいるのかを学ぶ事を望みたいのです。産地にいくと必ず『良い物を作れば売れる』という言葉を聞きます。殆どの人は、肯定するでしょう。しかし、それは間違っています。良い物を作っても、愛される物でなければ売れないのです。愛される物を作るためには愛される為の工夫をせねばなりません。愛されたいと想い、自分を磨かねばなりません。そのためには、消費者の感覚を知ること、そして感性を磨くことだと想います。伝統工芸の世界においては、伝統のつくる緻密な技術・品質がまずその基礎となります。その上にあぐらをかいてきたことが、衰退の原因になっているとはいえないでしょうか。感性を中心にした作品づくりは、品質を犠牲にしなくてもできるはずで、消費者が本当に求める物は、品質と感性が両立したものであるはずです。『良い物をつくれば売れる』という言葉に疑問を持ち、今までの伝統は、今後数百年と続く未来へと果てしなく繋がると想って、新しい道を目指すことは必要なことではないでしょうか。
そのための『みおつくし』となるのが、私たち商人の存在でありたいです。
  
Posted by 渡辺幻門 at 23:57Comments(0)沖縄