2013年11月29日
沖縄4日目
今日で今回の沖縄廻りも最終日。
もう、仕入れは済みましたが、午前中に一軒だけお久しぶりの作家さんに会ってきました。
ご無沙汰している間にいろいろあったようで、ちょっと長めにお話ししました。
お話が終わってから、糸満まで走って、『まぐろ基地』

これで880円。
鉄火丼も天ぷらもボリュームたっぷりで食べ応えがありました。
味もまずまず。
お腹いっぱいになったので、糸満の海を見ながら、しばらくボーッと。

今回のお話しした内容や、仕入れた商品を反省してみました。
もうすこしどこか廻ろうかと想ったのですが、欲張らず。
レンタカーを返して2時過ぎにホテルに帰りました。
今回は特に、現実が浮き彫りになってきたような気がしましたね。
というか、予想通りになっています。
問屋も作り手も、仁義なき戦い、なりふり構わず、という感じになってきました。
でも、それは間違っています。
こんな時こそ、衿を正して、天に恥じない行動をすべきだと私は思います。
自分の力以上の事であれば、必ず破裂します。
それを知らないで、調子に乗って、大きな振る舞いをすれば、かならず揺り戻しとして、しぼむんです。
必ずそうなります。
それは私たち商人とて同じ事です。
良いときはおごらず高ぶらず、そして悪いときも腐らずたゆまず。
私たちは手仕事に生きる人間です。
人間にそんな超人的なことができる訳がないのです。
自分は才能がある、と想うのはただの勘違い。
ただ、その時の時流にのっているに過ぎない場合がほとんどです。
ですから、そんなモノに流されない、絶対的なモノを目指さないといけないのです。
また、その絶対的なモノとは何か、を考える長い長い旅でもあるのです。
沖縄もずや会の若いメンバーを連れて廻っているのも、そういう作家さんたちの心がけと生活を見て何かを感じて欲しいからです。
そういう気持ちがあれば、どんなに苦しいときも仕事が続けられるはずです。
儲からないならやらない、そう思うのであれば、さっさとおやめなさい。
生活の糧が得られないのであれば、趣味でやってもいいじゃないですか。
そのくらい、この染織の仕事が好きだと思える人だけが、残ってくれたらいい。
私はそう思います。
手仕事の正念場はまだまだこれからです。
もう、仕入れは済みましたが、午前中に一軒だけお久しぶりの作家さんに会ってきました。
ご無沙汰している間にいろいろあったようで、ちょっと長めにお話ししました。
お話が終わってから、糸満まで走って、『まぐろ基地』

これで880円。
鉄火丼も天ぷらもボリュームたっぷりで食べ応えがありました。
味もまずまず。
お腹いっぱいになったので、糸満の海を見ながら、しばらくボーッと。

今回のお話しした内容や、仕入れた商品を反省してみました。
もうすこしどこか廻ろうかと想ったのですが、欲張らず。
レンタカーを返して2時過ぎにホテルに帰りました。
今回は特に、現実が浮き彫りになってきたような気がしましたね。
というか、予想通りになっています。
問屋も作り手も、仁義なき戦い、なりふり構わず、という感じになってきました。
でも、それは間違っています。
こんな時こそ、衿を正して、天に恥じない行動をすべきだと私は思います。
自分の力以上の事であれば、必ず破裂します。
それを知らないで、調子に乗って、大きな振る舞いをすれば、かならず揺り戻しとして、しぼむんです。
必ずそうなります。
それは私たち商人とて同じ事です。
良いときはおごらず高ぶらず、そして悪いときも腐らずたゆまず。
私たちは手仕事に生きる人間です。
人間にそんな超人的なことができる訳がないのです。
自分は才能がある、と想うのはただの勘違い。
ただ、その時の時流にのっているに過ぎない場合がほとんどです。
ですから、そんなモノに流されない、絶対的なモノを目指さないといけないのです。
また、その絶対的なモノとは何か、を考える長い長い旅でもあるのです。
沖縄もずや会の若いメンバーを連れて廻っているのも、そういう作家さんたちの心がけと生活を見て何かを感じて欲しいからです。
そういう気持ちがあれば、どんなに苦しいときも仕事が続けられるはずです。
儲からないならやらない、そう思うのであれば、さっさとおやめなさい。
生活の糧が得られないのであれば、趣味でやってもいいじゃないですか。
そのくらい、この染織の仕事が好きだと思える人だけが、残ってくれたらいい。
私はそう思います。
手仕事の正念場はまだまだこれからです。
Posted by 渡辺幻門 at
18:12
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2013年11月28日
沖縄3日目
今日は10時に出発。今日は女性2人を同伴。
中部のあるところに行ってきました。
昼前についたのですが、事前に頼んでおいた商品が全く集まっていませんでした。
温厚な私もさすがに激高!
数点はあるということでしたが、全く見ずに去りました。
全くふざけてますね。商売をなめているとしか言いようがありません。
気を取り直して、お昼ご飯。
大宜味村まで走って、いつもの前田食堂でいつもの牛肉そば。

ぴりっと胡椒が効いていて美味しいんです。
お腹いっぱいになったところで、名護の上山さんちへ。
到着すると先客が来ていて、しばらく他所で休憩。
しゃくしまーる?という何度か行ったことのあるカフェでお茶。
木の実のケーキとコーヒー。

ケーキには特製のはちみつをかけていただきます。
3時前にカフェを出て、再度上山さん。
商売の話はなしで、人生論。
上山さんは今日もすばらしいお話をしてくださいました。
私がもっとも尊敬する工人の1人です。
1時間ちょっとお話しして、今度は車をとばして宜野座へ。
お友達の鈴木さんの芭蕉布工房を訪ねました。
作品も初めて見せていただいたのですが、とてもきちんとキレイに丁寧につくられていて感心。
5時半には暗くなってきたので、同伴の1人をうるま市まで送り、もう1人を乗せて糸満へ。
一緒に焼肉を食べて、用事に付き合って、家まで送り、9時ころホテルに帰ってきました。
仕事としては直接の成果のなかった一日でしたが、とても充実していましたし、勉強になりました。
中部のあるところに行ってきました。
昼前についたのですが、事前に頼んでおいた商品が全く集まっていませんでした。
温厚な私もさすがに激高!
数点はあるということでしたが、全く見ずに去りました。
全くふざけてますね。商売をなめているとしか言いようがありません。
気を取り直して、お昼ご飯。
大宜味村まで走って、いつもの前田食堂でいつもの牛肉そば。

ぴりっと胡椒が効いていて美味しいんです。
お腹いっぱいになったところで、名護の上山さんちへ。
到着すると先客が来ていて、しばらく他所で休憩。
しゃくしまーる?という何度か行ったことのあるカフェでお茶。
木の実のケーキとコーヒー。

ケーキには特製のはちみつをかけていただきます。
3時前にカフェを出て、再度上山さん。
商売の話はなしで、人生論。
上山さんは今日もすばらしいお話をしてくださいました。
私がもっとも尊敬する工人の1人です。
1時間ちょっとお話しして、今度は車をとばして宜野座へ。
お友達の鈴木さんの芭蕉布工房を訪ねました。
作品も初めて見せていただいたのですが、とてもきちんとキレイに丁寧につくられていて感心。
5時半には暗くなってきたので、同伴の1人をうるま市まで送り、もう1人を乗せて糸満へ。
一緒に焼肉を食べて、用事に付き合って、家まで送り、9時ころホテルに帰ってきました。
仕事としては直接の成果のなかった一日でしたが、とても充実していましたし、勉強になりました。
Posted by 渡辺幻門 at
21:55
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2013年11月28日
沖縄2日目
朝8時に出発しました。
中部の作家さんのところに行ってから玉泉洞を目指したんですが、南部であることが判明。
なんか、かんちがい〜
とって返して南へ。
しかたが無いので、あとは南部を廻りました。
天気に恵まれて、気分よかったです。
お昼は玉泉洞で『ハブカレー』

ハブのエキスが入っているそうです。
甘いカレーでした。
夜は沖縄もずや会

今回は参加できませんでしたが、新しいメンバーも増えてうれしい限りです。
どこの作り手でどんな話をしたかを書かないのは・・・
他所の業者がちょっかいだすからです。
私は自分のノウハウを作家さんに教えますよね。
それを生かした作品を造る。
それも作家さんの実力なんですが、私のノウハウが生きている作品を他所に持って行かれると、ノウハウごとその業者に提供するのと同じ事です。
でも、他には出すなというほどたくさん仕入れられる訳でもないし、造ったら全部うちがとる!といえば、どんどん造られて困るのは目に見えています。
作家さんが無節操に商品を出してしまうことが、問屋と作り手の関係を希薄にしている原因のひとつだと想います。
沖縄の人はとくにその事に無頓着です。
長いスパンで見て、作り手と一緒に良いモノを造っていこうという問屋ほど、馬鹿を見ることになる。
まぁ、それで作家さんの為になるなら、良いと言えば良いのですが、要はケッタクソの問題です。
良識のある業者なら私も全く文句言わないのですが、ちょっかい出してくるのはたいていそうじゃない。
使い捨てにされて困るのは作家さんです。
最後は『だから〜いったじゃないの〜』としか言いようがない。
でも、ボロボロにされた後では私も救いようが無いときがあるんです。
『ほんきにほんきにするなんて〜まったくアンタはうぶなのね』
という感じです。そして
『帰るもんかよ〜あの男〜』 ♪松山恵子 だからいったじゃないの♪より
でもね・・・言っても聞かないんですよ。たいていは。
そんな時は、距離を置きます。
結末が見えているんだもの。
そうならないように・・・作り手情報、商品情報は書かない、載せないんです。
若い人でこれから問屋や呉服屋さんとつきあいを始めようと想う方は、できれば、沖縄と長く付き合っていて、沖縄を愛している、沖縄染織の魅力をよくわかっている業者をえらんだ方が良いですね。
たいていは、沖縄ブームに載ってとか、ちょっとかすめ取ってやろう、というのが多いです。
でも良識ある、染織を愛している問屋もありますから。
問題は、人間性、最後はやっぱり『愛』なんですよ。
今回も長いつきあいの作り手さんに久しぶりに会ったら、びっくりするくらい作品が良くなっていた人がいました。
それは、上手に私のアドバイスを取り入れて、作品に生かした結果だと言っておられました。
私にとって、これほどうれしいことはありません。
でも、これもいろんな作家さんから教えていただいた知恵を元に蓄積したノウハウです。
私が独占しようなんてケチな事は想いません。
しかしながら、せっかく得た宝物を、ドブに捨てるようなもったいないことはして欲しくない、そう思うのです。
中部の作家さんのところに行ってから玉泉洞を目指したんですが、南部であることが判明。
なんか、かんちがい〜
とって返して南へ。
しかたが無いので、あとは南部を廻りました。
天気に恵まれて、気分よかったです。
お昼は玉泉洞で『ハブカレー』

ハブのエキスが入っているそうです。
甘いカレーでした。
夜は沖縄もずや会

今回は参加できませんでしたが、新しいメンバーも増えてうれしい限りです。
どこの作り手でどんな話をしたかを書かないのは・・・
他所の業者がちょっかいだすからです。
私は自分のノウハウを作家さんに教えますよね。
それを生かした作品を造る。
それも作家さんの実力なんですが、私のノウハウが生きている作品を他所に持って行かれると、ノウハウごとその業者に提供するのと同じ事です。
でも、他には出すなというほどたくさん仕入れられる訳でもないし、造ったら全部うちがとる!といえば、どんどん造られて困るのは目に見えています。
作家さんが無節操に商品を出してしまうことが、問屋と作り手の関係を希薄にしている原因のひとつだと想います。
沖縄の人はとくにその事に無頓着です。
長いスパンで見て、作り手と一緒に良いモノを造っていこうという問屋ほど、馬鹿を見ることになる。
まぁ、それで作家さんの為になるなら、良いと言えば良いのですが、要はケッタクソの問題です。
良識のある業者なら私も全く文句言わないのですが、ちょっかい出してくるのはたいていそうじゃない。
使い捨てにされて困るのは作家さんです。
最後は『だから〜いったじゃないの〜』としか言いようがない。
でも、ボロボロにされた後では私も救いようが無いときがあるんです。
『ほんきにほんきにするなんて〜まったくアンタはうぶなのね』
という感じです。そして
『帰るもんかよ〜あの男〜』 ♪松山恵子 だからいったじゃないの♪より
でもね・・・言っても聞かないんですよ。たいていは。
そんな時は、距離を置きます。
結末が見えているんだもの。
そうならないように・・・作り手情報、商品情報は書かない、載せないんです。
若い人でこれから問屋や呉服屋さんとつきあいを始めようと想う方は、できれば、沖縄と長く付き合っていて、沖縄を愛している、沖縄染織の魅力をよくわかっている業者をえらんだ方が良いですね。
たいていは、沖縄ブームに載ってとか、ちょっとかすめ取ってやろう、というのが多いです。
でも良識ある、染織を愛している問屋もありますから。
問題は、人間性、最後はやっぱり『愛』なんですよ。
今回も長いつきあいの作り手さんに久しぶりに会ったら、びっくりするくらい作品が良くなっていた人がいました。
それは、上手に私のアドバイスを取り入れて、作品に生かした結果だと言っておられました。
私にとって、これほどうれしいことはありません。
でも、これもいろんな作家さんから教えていただいた知恵を元に蓄積したノウハウです。
私が独占しようなんてケチな事は想いません。
しかしながら、せっかく得た宝物を、ドブに捨てるようなもったいないことはして欲しくない、そう思うのです。
Posted by 渡辺幻門 at
08:14
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2013年11月26日
沖縄1日目
12時過ぎに那覇空港に着陸しました。
到着すると、暑い!
スタンドカラーの藍染めシャツと薄手のウインドブレーカーを着ていたのですが、ウインドブレーカーは脱ぎ捨てました。
タクシーでホテルまで行き、荷物を預けて、とりあえずはご飯。
58沿いの名護そばで、平打ちソーキそば。
お昼がすんだら、レンタカーを借りて行動開始です。
3軒廻りましたが、思った通りの感触・・・でしょうか。
ま、ちょっと、全部は書けませんけどね。
想うところもありました。
明日は、中部を廻ります。
沖縄に来るとどうしても、食べ過ぎるので、節制を心がけます。
何で食べ過ぎるの?って・・
ご飯の盛りが多いのです!
いわゆる、てんこ盛りというので来るので、残すのを嫌がると、お腹がキンキンになるんです。
ご飯を残す!これが肝心です。
明日は8時に出発します。
到着すると、暑い!
スタンドカラーの藍染めシャツと薄手のウインドブレーカーを着ていたのですが、ウインドブレーカーは脱ぎ捨てました。
タクシーでホテルまで行き、荷物を預けて、とりあえずはご飯。
58沿いの名護そばで、平打ちソーキそば。
お昼がすんだら、レンタカーを借りて行動開始です。
3軒廻りましたが、思った通りの感触・・・でしょうか。
ま、ちょっと、全部は書けませんけどね。
想うところもありました。
明日は、中部を廻ります。
沖縄に来るとどうしても、食べ過ぎるので、節制を心がけます。
何で食べ過ぎるの?って・・
ご飯の盛りが多いのです!
いわゆる、てんこ盛りというので来るので、残すのを嫌がると、お腹がキンキンになるんです。
ご飯を残す!これが肝心です。
明日は8時に出発します。
Posted by 渡辺幻門 at
21:39
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2013年11月25日
明日から沖縄です。
久しぶりですが明日から沖縄に行ってきます。
30日(土)午後の便で帰ります。
正味3日ちょっとの訪問活動ですが、精力的にまわりたいと思っています。
北部には行く時間がたぶん無いと思うので、今回は中南部中心です。
電話でアポイントを取った感じでは、やっぱりというかちょっと停滞気味の様なので、じっくり話をしてきます。
前の方もどんどん売り先が細ってきているし、消費税増税による需要減も予想されるので、今回の仕入れはひと工夫必要でしょうか。
祖国復帰を果たしてから、染織界を引っ張ってきた人達がそろそろ引退し始めて、第二世代・第三世代になってきましたが、ここいらで、いままでの歴史を振り返って反省する事も必要かと思います。
今日、訪問の資料あつめがてら、昔の見本を見ていて思ったことは、確かに作風は洗練されて、生産は安定してきているのでしょうが、染織としての実力は落ちているな、という事です。
昔のは荒っぽいけど、工夫してあって、とても面白い。無地にしてもいろんな色にチャレンジして、エネルギーを感じます。
いまは、すぐに金にならない仕事をしたがらないせいか、マス見本を造る事さえ拒否されます。
作り手の参考になるようにと、資料や見本を渡しても、それを土台にした作品を造ってきた試しがない。また、同じような作品を造って同じように私を失望させるのです。
ここに来て、やる気がある産地、やる気のある作り手とそうでないのがハッキリと色分けされてきている様な感じがします。
私の言うことを聞け!というつもりは全くありませんが、良い作り手ほど、芯がしっかりしていてその上で素直で柔軟です。
聞いたことを形にする能力がある、という方が当たっているのかも知れません。
昔の作品の片々を見ていると、『今の人は本当にやる気があるんだろうか?』とさえ思ってしまいます。
もちろん、復帰直後に活躍された作り手の人達も、お金を稼ぐ手段として仕事をしていたのは同じでしょう。
でも、それは自分の技量の向上や創意工夫を前提としていたはずです。
いまは、それが感じにくい、と言わざるを得ません。
行く前からこんな事を書いて、ケンカを売っているみたいですが、これからの沖縄染織の事を考えると、心配にならずにはおられないのです。
もちろん、それは作り手だけの責任ではないでしょう。
私達問屋も、産地に方向性を示してきた自治体も罪は深いと思います。
作品の優劣に対して何の正当な評価をせず、ただ数だけを造らせてきました。
それで、工夫しろ、情熱を持て、という方がむりなのかも知れません。
何の個性も感じられない、作り手の情熱が伝わってこない、のっぺらぼうな作品ばかりになってしまったのは、同じように感性も情熱もない繋ぎ手の責任でもあります。
物作りは楽しい。その楽しい仕事をして、お金がもらえたら最高!
もちろんそうですし、そうでなければなりません。
でも、ここまで市場が成熟してきたら、もう一歩踏み出さなければいけません。
大阪弁でいうなら、
『ちょっと一発、いわしたんねん!』
という気持ちが必要だと思います。
つまりは、
ビックリさせてやる!感動させてやる!という挑戦的な気持ちです。
売る作品を造ろうとするから、手も目も頭もびびるんです。
そうじゃなくて、自分の感性イッパイイッパイのところまで追い込んで作品にしてみる。
そのためには、前述の『聞いたことを形にする力』が必要なんでしょう。
私は、沖縄の作り手は基本的にインプットが非常に貧弱だと思います。
物作りに必要となる美を吸収する機会がすくなく、またそれに対して消極的すぎます。
もっともっといろんな作品をみて、交通費がなければ、図書館で図録を見ても良い。
県内の作家さんを訪ねて作品を見せてもらっても良い。それは染織だけでなく、絵でも陶器でも良いんです。
また、文学を読んだり、美しい音楽を聴いて、感性を研ぎ澄ますことも必要でしょう。
インプットをしないで、良いアウトプットがでる訳がないのです。
そんな天才は1万人に一人です。
内地の作家さんは美術館に出かけたり、いろんな染織展をみたりして勉強されていますよ。
それ以下の事をしていて、遠く離れた沖縄で、勝てる道理がないのです。
今はもはや、沖縄染織は珍品ではなくなりました。
上手に造るだけでは、ダメな時代になったんです。
そこで必要とされる物は何か?
遠く離れた沖縄の産地で、どうやって数多い内地の作り手に対峙していくのか?
沖縄は作り手が多い分、一人一人の生存競争は厳しいものになると思います。
今回は、情熱と才能に溢れた若い作り手を出会えれば良いな、と思っています。
30日(土)午後の便で帰ります。
正味3日ちょっとの訪問活動ですが、精力的にまわりたいと思っています。
北部には行く時間がたぶん無いと思うので、今回は中南部中心です。
電話でアポイントを取った感じでは、やっぱりというかちょっと停滞気味の様なので、じっくり話をしてきます。
前の方もどんどん売り先が細ってきているし、消費税増税による需要減も予想されるので、今回の仕入れはひと工夫必要でしょうか。
祖国復帰を果たしてから、染織界を引っ張ってきた人達がそろそろ引退し始めて、第二世代・第三世代になってきましたが、ここいらで、いままでの歴史を振り返って反省する事も必要かと思います。
今日、訪問の資料あつめがてら、昔の見本を見ていて思ったことは、確かに作風は洗練されて、生産は安定してきているのでしょうが、染織としての実力は落ちているな、という事です。
昔のは荒っぽいけど、工夫してあって、とても面白い。無地にしてもいろんな色にチャレンジして、エネルギーを感じます。
いまは、すぐに金にならない仕事をしたがらないせいか、マス見本を造る事さえ拒否されます。
作り手の参考になるようにと、資料や見本を渡しても、それを土台にした作品を造ってきた試しがない。また、同じような作品を造って同じように私を失望させるのです。
ここに来て、やる気がある産地、やる気のある作り手とそうでないのがハッキリと色分けされてきている様な感じがします。
私の言うことを聞け!というつもりは全くありませんが、良い作り手ほど、芯がしっかりしていてその上で素直で柔軟です。
聞いたことを形にする能力がある、という方が当たっているのかも知れません。
昔の作品の片々を見ていると、『今の人は本当にやる気があるんだろうか?』とさえ思ってしまいます。
もちろん、復帰直後に活躍された作り手の人達も、お金を稼ぐ手段として仕事をしていたのは同じでしょう。
でも、それは自分の技量の向上や創意工夫を前提としていたはずです。
いまは、それが感じにくい、と言わざるを得ません。
行く前からこんな事を書いて、ケンカを売っているみたいですが、これからの沖縄染織の事を考えると、心配にならずにはおられないのです。
もちろん、それは作り手だけの責任ではないでしょう。
私達問屋も、産地に方向性を示してきた自治体も罪は深いと思います。
作品の優劣に対して何の正当な評価をせず、ただ数だけを造らせてきました。
それで、工夫しろ、情熱を持て、という方がむりなのかも知れません。
何の個性も感じられない、作り手の情熱が伝わってこない、のっぺらぼうな作品ばかりになってしまったのは、同じように感性も情熱もない繋ぎ手の責任でもあります。
物作りは楽しい。その楽しい仕事をして、お金がもらえたら最高!
もちろんそうですし、そうでなければなりません。
でも、ここまで市場が成熟してきたら、もう一歩踏み出さなければいけません。
大阪弁でいうなら、
『ちょっと一発、いわしたんねん!』
という気持ちが必要だと思います。
つまりは、
ビックリさせてやる!感動させてやる!という挑戦的な気持ちです。
売る作品を造ろうとするから、手も目も頭もびびるんです。
そうじゃなくて、自分の感性イッパイイッパイのところまで追い込んで作品にしてみる。
そのためには、前述の『聞いたことを形にする力』が必要なんでしょう。
私は、沖縄の作り手は基本的にインプットが非常に貧弱だと思います。
物作りに必要となる美を吸収する機会がすくなく、またそれに対して消極的すぎます。
もっともっといろんな作品をみて、交通費がなければ、図書館で図録を見ても良い。
県内の作家さんを訪ねて作品を見せてもらっても良い。それは染織だけでなく、絵でも陶器でも良いんです。
また、文学を読んだり、美しい音楽を聴いて、感性を研ぎ澄ますことも必要でしょう。
インプットをしないで、良いアウトプットがでる訳がないのです。
そんな天才は1万人に一人です。
内地の作家さんは美術館に出かけたり、いろんな染織展をみたりして勉強されていますよ。
それ以下の事をしていて、遠く離れた沖縄で、勝てる道理がないのです。
今はもはや、沖縄染織は珍品ではなくなりました。
上手に造るだけでは、ダメな時代になったんです。
そこで必要とされる物は何か?
遠く離れた沖縄の産地で、どうやって数多い内地の作り手に対峙していくのか?
沖縄は作り手が多い分、一人一人の生存競争は厳しいものになると思います。
今回は、情熱と才能に溢れた若い作り手を出会えれば良いな、と思っています。
Posted by 渡辺幻門 at
20:56
│Comments(0)
2013年11月13日
作り手 あんな人こんな人 第3話
一昨日から、下関に来ました。
こちらも寒いです。
さて、今日はちょっと私の失敗というか笑い話の方をご紹介しましょう。
もう10年くらい前の話でしょうか。
まだあちこちの作家さんを訪問して、口説き倒していた時代の話です。
インターネットで沖縄の新聞を見て、そこで紹介されていた記事と作品の写真に興味を持って、訪ねてみる事にしたんです。
連絡先はうまいこと、ある本に載ってました。
当時はまだ個人情報とかゆるかったんですかね。
紹介無しでも興味を持てば私はガンガン突っ込んでいきます。
電話をすると快くアポイント。
沖縄ではアポをとったら即、行かなければいけません。
前日とかその前のアポイントは無いのと同じです。
行くまえにアポイントを取る、取ったらすぐに行く、というのが沖縄でナイチャーが商売するときの大原則です。
『沖縄の人は時間を守らない』とか『約束を守らない』とかよく言いますが、そんな事解っていて、待ちぼうけを食わされたり、アポを反故にされたりするのは、それは沖縄の人が悪いのはなくて、アポを取ったナイチャーが悪いのです。
解っていて対策を取らないのは怠慢です。
絶対にその日時に会いたい、時間をムダにしたくないと想えば、行く直前に電話するんです。
それはさておき、そんな感じでアポとってすぐに向かいました。
まぁ、それはそれは話が弾みました。
他の業者の悪口を含めて、びっしり3時間近く話し込んで、意気投合。
さて、とクロージングに入ったら、スルリ・・・
注文は受けないというんです。
は?
あれだけ意気投合して楽しく話をしたのに、取引しない???
私は頭がおかしくなりそうでした。
まだ、沖縄の人の事を解っていなかったんですねぇ。
つまり、来ても良いし、来客とは楽しく話をするけれども、それは仕事を一緒にすることとは別なんですね。
私達なら、初めからやる気が無ければ、訪問を断りますよね。
でも、沖縄の人は断らない人が多いみたいです。
このパターンで何度もハシゴを外されました。
やる気が無くても『どじょ〜』と言うんです。
他の人に意見を聞いてみると、『そんな事言わないでやってくださいよって、言って欲しかったんじゃない?』という意見もありました。
なるほど、そうかな、とも想いますが、私はそういうのしないんです。
主義とかじゃなく、しない。
1,2回は言うかも知れないけど、その時はしつこく食い下がらないで、また半年か一年後くらいにまたお茶のみに行くんです。
その時、また話したいな、と想うかどうか、それがポイントですね。
作り手と問屋もウマが合うというか、そりが合うというか、そういうの大事なんですよ。
親子二代に渡って、何度接触してもうまくいかない作家さんもいるんです。
私は、人間的に尊敬できないとか、嫌いな人とは取引しないんです。
ビジネスなんだから、そんな事いってちゃだめよ!という意見もあるでしょうけど、ただ商品をやりとりするだけならともかく、一緒にものづくりという大仕事をするのに、気持ちが沿わなければ良い仕事ができるわけがないからです。
遠くまで出かけていって、長時間話をした結果、どんでん返しをくらって、成果なし、というのは他にもありましたね。
沖縄の人は饒舌な人でもちゃんと論理立てて話をするのが苦手な人が多い様で、マイナスの回答を得ると、全然理由が分からないし、むかつきます。
とくに貴重な時間を無駄にした!という後悔はキツイです。
でも、これは自分が未熟だったからなんだ、と今になって想います。
港に船が出入りするように、入る船もあれば出て行く船もある。また港内に入らないで、そとで停泊している船もあるわけです。
すべては縁、そう割り切ることにしていますが、沖縄での限られた時間の中で、確実な成果をあげなければならないので、そこはコツが必要です。
私は、雑誌に出ている作家を追っかけたり、売れていると言う作家を狙い撃ちにしたりすることはしません。
基本的には紹介と、作品展ですね。
作品展を見て、良い作品だなぁ、と想ったら、名前を覚えておいて、あちこちで聞いてみる。
また、先生方に、有望な若手は居ませんか?と聞いてみる。
作品を一目見たら、モノになるかどうかは解ります。
あと、本気で落としたい!と想ったら、奥の手を使うんです。
奥の手は秘密です(^_^)
なんでもそうですけど、痛い目にあわないと身につかないもんですね。
こちらも寒いです。
さて、今日はちょっと私の失敗というか笑い話の方をご紹介しましょう。
もう10年くらい前の話でしょうか。
まだあちこちの作家さんを訪問して、口説き倒していた時代の話です。
インターネットで沖縄の新聞を見て、そこで紹介されていた記事と作品の写真に興味を持って、訪ねてみる事にしたんです。
連絡先はうまいこと、ある本に載ってました。
当時はまだ個人情報とかゆるかったんですかね。
紹介無しでも興味を持てば私はガンガン突っ込んでいきます。
電話をすると快くアポイント。
沖縄ではアポをとったら即、行かなければいけません。
前日とかその前のアポイントは無いのと同じです。
行くまえにアポイントを取る、取ったらすぐに行く、というのが沖縄でナイチャーが商売するときの大原則です。
『沖縄の人は時間を守らない』とか『約束を守らない』とかよく言いますが、そんな事解っていて、待ちぼうけを食わされたり、アポを反故にされたりするのは、それは沖縄の人が悪いのはなくて、アポを取ったナイチャーが悪いのです。
解っていて対策を取らないのは怠慢です。
絶対にその日時に会いたい、時間をムダにしたくないと想えば、行く直前に電話するんです。
それはさておき、そんな感じでアポとってすぐに向かいました。
まぁ、それはそれは話が弾みました。
他の業者の悪口を含めて、びっしり3時間近く話し込んで、意気投合。
さて、とクロージングに入ったら、スルリ・・・
注文は受けないというんです。
は?
あれだけ意気投合して楽しく話をしたのに、取引しない???
私は頭がおかしくなりそうでした。
まだ、沖縄の人の事を解っていなかったんですねぇ。
つまり、来ても良いし、来客とは楽しく話をするけれども、それは仕事を一緒にすることとは別なんですね。
私達なら、初めからやる気が無ければ、訪問を断りますよね。
でも、沖縄の人は断らない人が多いみたいです。
このパターンで何度もハシゴを外されました。
やる気が無くても『どじょ〜』と言うんです。
他の人に意見を聞いてみると、『そんな事言わないでやってくださいよって、言って欲しかったんじゃない?』という意見もありました。
なるほど、そうかな、とも想いますが、私はそういうのしないんです。
主義とかじゃなく、しない。
1,2回は言うかも知れないけど、その時はしつこく食い下がらないで、また半年か一年後くらいにまたお茶のみに行くんです。
その時、また話したいな、と想うかどうか、それがポイントですね。
作り手と問屋もウマが合うというか、そりが合うというか、そういうの大事なんですよ。
親子二代に渡って、何度接触してもうまくいかない作家さんもいるんです。
私は、人間的に尊敬できないとか、嫌いな人とは取引しないんです。
ビジネスなんだから、そんな事いってちゃだめよ!という意見もあるでしょうけど、ただ商品をやりとりするだけならともかく、一緒にものづくりという大仕事をするのに、気持ちが沿わなければ良い仕事ができるわけがないからです。
遠くまで出かけていって、長時間話をした結果、どんでん返しをくらって、成果なし、というのは他にもありましたね。
沖縄の人は饒舌な人でもちゃんと論理立てて話をするのが苦手な人が多い様で、マイナスの回答を得ると、全然理由が分からないし、むかつきます。
とくに貴重な時間を無駄にした!という後悔はキツイです。
でも、これは自分が未熟だったからなんだ、と今になって想います。
港に船が出入りするように、入る船もあれば出て行く船もある。また港内に入らないで、そとで停泊している船もあるわけです。
すべては縁、そう割り切ることにしていますが、沖縄での限られた時間の中で、確実な成果をあげなければならないので、そこはコツが必要です。
私は、雑誌に出ている作家を追っかけたり、売れていると言う作家を狙い撃ちにしたりすることはしません。
基本的には紹介と、作品展ですね。
作品展を見て、良い作品だなぁ、と想ったら、名前を覚えておいて、あちこちで聞いてみる。
また、先生方に、有望な若手は居ませんか?と聞いてみる。
作品を一目見たら、モノになるかどうかは解ります。
あと、本気で落としたい!と想ったら、奥の手を使うんです。
奥の手は秘密です(^_^)
なんでもそうですけど、痛い目にあわないと身につかないもんですね。
Posted by 渡辺幻門 at
21:37
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2013年11月05日
私の鐘紡時代 その一
先週とこの連休を利用して、近場の生産現場を回ってきました。
先週は徳島の『阿波正藍しじら織』
今週は『郡上紬』と『伊勢木綿』
を見てきました。
今は、絹、麻、芭蕉をやっていて、綿はミンサーくらいしか関わりがないのですが、関西圏といえば綿の産地でしたし、大阪といえば綿業で栄えたところで、かつては『太物屋』という綿織物の問屋がたくさんありました。その発展系が『繊維の街・船場』なんですね。
時代と共に、綿から毛織、化繊、合繊といろんな繊維が出てきましたが、大阪の船場が日本の繊維業の中心であることは今でも変わりがありません。
大昔は、応仁の乱の後、堺が日本最大の機業地であったことは知られていますし、西陣織も京都から来た職人が堺で学んで持ち帰ったモノだと言われています。
私は父が羅紗屋(毛織物業)だった事もあって、ずっと繊維商にあこがれていて、大学4年の就職活動も商社の繊維部門か紡績に狙いを絞っていました。
劣等生だったんですが、なんとか鐘紡に拾ってもらったという訳です。
鐘紡はマトリックス組織という組織形態を採っていて、事業部別か職種別に自由に選べました。職種というのは人事コースか経理コース。この人達は人事を選べば一生人事・労務畑ですし、経理を選んでも一生経理です。
一方、事業部別というのは、当時鐘紡は繊維素材、ファッション、化粧品、薬品、不動産、産業資材と多角経営をしていましたので、自分の希望で配属の事業部を決められたんです。
そのかわり、一生その事業部です。
私は当然、繊維素材を選びました。
繊維素材というのは、糸と布の事です。
服はファッション事業部の管轄でした。
繊維素材事業部も、羊毛、綿、絹、化繊と別れていて、私は羊毛事業部に配属されました。
毛織をやりたかったので非常に幸運だったと想います。
入社して3ヶ月間は研修期間なんですが、大阪で少し研修を受けた後、大垣工場で現場研修となりました。
大垣工場は羊毛の一貫工場で当時日本の最先端・最大の羊毛工場のひとつと言われていました。
とりあえずはここで1ヶ月の研修です。
これがまた二交代。
二交代というのは朝5時から13時半までの早番と13時半から10時までの遅番の交代番で勤務するんです。
大阪で育って東京で華やかな学生生活をしてきた者が大垣に赴任させられただけでも寂しくて仕方ないのに、二交代。交代番の前後にまたレクチャーとかがあるんです。
『君たち、勉強させてもらって給料もらってんだから文句言うな』と言われば長い拘束時間にも文句は言えませんでした。
当然ですよね。バリバリ仕事をしている高卒の職工さんより高い給料をもらっていたんですから。
他の事業部の人達も一緒に大垣で研修したんですが、1ヶ月ほどしたら自分の事業部の研修に入って、羊毛事業部の3人だけは大垣に残ってさらに2ヶ月の研修。
紡毛紡績、織布、染色、加工、設計、連繋管理、工務管理、総務、経理、倉庫と各部を回りました。
事務系は二人だけだったんですが、赴任先は大垣か愛知県の津島(ニットの染色・加工)、三重県の鈴鹿(梳毛紡績)のうちのどこかということになっていました。
当時の担当重役の方針で5年間は工場に居ろ!という方針だったんです。
研修した中で、工務管理が一番きつかったので、同期の同僚と『工務管理だけはいややな』と話していたんですが、同僚は鈴鹿(紡績)、私は大垣の工務管理に配属されました。
目の前が真っ暗になりましたね。
工務管理というのは、大垣工場内のコントロールセンターみたいなところで、大垣工場の織布課や外注の機屋から入って来た生機(きばた)を納期通りに加工して出荷する進行係です。
加工課にも進行係がいるのですが、その加工課の進行係に指示をするだけでは足らないので、自分で現場に入って、反物の進行をすることも多いのです。
工程の中で行方不明になる反物も出てきます。それを探し出して工程に再度乗せるのも重要な仕事でした。
これが後になって大きな経験となりました。
モノが解らないと反物の山の中から目的の反物を探し出す事が出来ないからです。
いまでも覚えています。研修中に探せといわれた反物。
反番は720153。
これを1ヶ月来る日も来る日も探させられたんです。
ちいさなサンプルを渡されて、それで新人にさがせ、と言うんです。
足は棒になるし、反物は見つからないしで、本当に参ってしまいました。
だから『工務管理だけはいややな〜』と想っていたんです。
でも、配属は工務管理でした。
はじめは、見本の進行からスタートでした。
アパレルに出す、見本、だいたい3メートルくらいなんですが、これの進行をやるんです。
当時加工課にも専門のおばさんがいて、そのおばさんに色々教えてもらいました。
見本は婦人先染、婦人後染、紳士先染、紳士後染、輸出とすべてのジャンルをやるので、全部の工程と品物が覚えられたんです。
すべての工程が解ると言う事は、すべての機械を持って居る女子従業員と接するということなんです。
毛織物の加工工場といのは、たくさんの工程別の機械が並んでいて、その間をトロと言われる台車に乗せられて反物が移動していきます。
洗い、縮絨、煮絨、乾燥、ヒートセット、ノリ、ガス焼き。これが下場。
蒸絨、プレス、ハリ(起毛)、ケイセン(起毛のカット)。これが上場。
上場と下場の間に中間補修、上場が終わってから見直し検査、見直し補修、最終検査がはいってようやく出荷となります。
なんですが、女の子に上手に言わないと、機械に掛けてもらえません。
もちろん、係長に言えばやるように言ってくれますが、職制はあまりいつもいつも使えない。
となると、台持ちの女の子との人間関係がとても大切になるんです。
このあたりの人間関係の事も勉強になりました。
相手は理屈が通じないですから。
やってくれないときは、女の子と一緒にミシンをかけたり、仕事を手伝って上げたりして機嫌を取るわけです。
信じられないでしょうけど、反物を繋ぐミシン、私もかけられるんですよ。
検査は4:45でみんな帰ってしまうので、本検査以外は私もやっていました。
3ヶ月したら正式に仕事が与えられました。
輸出生産係です。
当時、プラザ合意の後で円高になっていたのでもう輸出は儲からなくなっていましたが、これも担当重役の方針で継続されていたんです。
輸出だと後染め、先染め、紳士、婦人、全部やることになります。
一番のキーポイントはロット完了と納期厳守でした。
輸出は100反の約定なら100反全部揃えないと船積みできないんです。
それも、納期に1日でも遅れたらダメなんです。
ということは100反が99反でも、10月31日納期が11月1日になっても、全部キャンセルされてしまうと言う事です。
いちおう、工場としても輸出最優先主義を採っていましたが、それでも非常に厳しかったですね。
だいぶ長くなって来たので、複数回に分けますね。
輸出生産係になってからの話はまた今度。
今日はこのくらいにしときます。
先週は徳島の『阿波正藍しじら織』
今週は『郡上紬』と『伊勢木綿』
を見てきました。
今は、絹、麻、芭蕉をやっていて、綿はミンサーくらいしか関わりがないのですが、関西圏といえば綿の産地でしたし、大阪といえば綿業で栄えたところで、かつては『太物屋』という綿織物の問屋がたくさんありました。その発展系が『繊維の街・船場』なんですね。
時代と共に、綿から毛織、化繊、合繊といろんな繊維が出てきましたが、大阪の船場が日本の繊維業の中心であることは今でも変わりがありません。
大昔は、応仁の乱の後、堺が日本最大の機業地であったことは知られていますし、西陣織も京都から来た職人が堺で学んで持ち帰ったモノだと言われています。
私は父が羅紗屋(毛織物業)だった事もあって、ずっと繊維商にあこがれていて、大学4年の就職活動も商社の繊維部門か紡績に狙いを絞っていました。
劣等生だったんですが、なんとか鐘紡に拾ってもらったという訳です。
鐘紡はマトリックス組織という組織形態を採っていて、事業部別か職種別に自由に選べました。職種というのは人事コースか経理コース。この人達は人事を選べば一生人事・労務畑ですし、経理を選んでも一生経理です。
一方、事業部別というのは、当時鐘紡は繊維素材、ファッション、化粧品、薬品、不動産、産業資材と多角経営をしていましたので、自分の希望で配属の事業部を決められたんです。
そのかわり、一生その事業部です。
私は当然、繊維素材を選びました。
繊維素材というのは、糸と布の事です。
服はファッション事業部の管轄でした。
繊維素材事業部も、羊毛、綿、絹、化繊と別れていて、私は羊毛事業部に配属されました。
毛織をやりたかったので非常に幸運だったと想います。
入社して3ヶ月間は研修期間なんですが、大阪で少し研修を受けた後、大垣工場で現場研修となりました。
大垣工場は羊毛の一貫工場で当時日本の最先端・最大の羊毛工場のひとつと言われていました。
とりあえずはここで1ヶ月の研修です。
これがまた二交代。
二交代というのは朝5時から13時半までの早番と13時半から10時までの遅番の交代番で勤務するんです。
大阪で育って東京で華やかな学生生活をしてきた者が大垣に赴任させられただけでも寂しくて仕方ないのに、二交代。交代番の前後にまたレクチャーとかがあるんです。
『君たち、勉強させてもらって給料もらってんだから文句言うな』と言われば長い拘束時間にも文句は言えませんでした。
当然ですよね。バリバリ仕事をしている高卒の職工さんより高い給料をもらっていたんですから。
他の事業部の人達も一緒に大垣で研修したんですが、1ヶ月ほどしたら自分の事業部の研修に入って、羊毛事業部の3人だけは大垣に残ってさらに2ヶ月の研修。
紡毛紡績、織布、染色、加工、設計、連繋管理、工務管理、総務、経理、倉庫と各部を回りました。
事務系は二人だけだったんですが、赴任先は大垣か愛知県の津島(ニットの染色・加工)、三重県の鈴鹿(梳毛紡績)のうちのどこかということになっていました。
当時の担当重役の方針で5年間は工場に居ろ!という方針だったんです。
研修した中で、工務管理が一番きつかったので、同期の同僚と『工務管理だけはいややな』と話していたんですが、同僚は鈴鹿(紡績)、私は大垣の工務管理に配属されました。
目の前が真っ暗になりましたね。
工務管理というのは、大垣工場内のコントロールセンターみたいなところで、大垣工場の織布課や外注の機屋から入って来た生機(きばた)を納期通りに加工して出荷する進行係です。
加工課にも進行係がいるのですが、その加工課の進行係に指示をするだけでは足らないので、自分で現場に入って、反物の進行をすることも多いのです。
工程の中で行方不明になる反物も出てきます。それを探し出して工程に再度乗せるのも重要な仕事でした。
これが後になって大きな経験となりました。
モノが解らないと反物の山の中から目的の反物を探し出す事が出来ないからです。
いまでも覚えています。研修中に探せといわれた反物。
反番は720153。
これを1ヶ月来る日も来る日も探させられたんです。
ちいさなサンプルを渡されて、それで新人にさがせ、と言うんです。
足は棒になるし、反物は見つからないしで、本当に参ってしまいました。
だから『工務管理だけはいややな〜』と想っていたんです。
でも、配属は工務管理でした。
はじめは、見本の進行からスタートでした。
アパレルに出す、見本、だいたい3メートルくらいなんですが、これの進行をやるんです。
当時加工課にも専門のおばさんがいて、そのおばさんに色々教えてもらいました。
見本は婦人先染、婦人後染、紳士先染、紳士後染、輸出とすべてのジャンルをやるので、全部の工程と品物が覚えられたんです。
すべての工程が解ると言う事は、すべての機械を持って居る女子従業員と接するということなんです。
毛織物の加工工場といのは、たくさんの工程別の機械が並んでいて、その間をトロと言われる台車に乗せられて反物が移動していきます。
洗い、縮絨、煮絨、乾燥、ヒートセット、ノリ、ガス焼き。これが下場。
蒸絨、プレス、ハリ(起毛)、ケイセン(起毛のカット)。これが上場。
上場と下場の間に中間補修、上場が終わってから見直し検査、見直し補修、最終検査がはいってようやく出荷となります。
なんですが、女の子に上手に言わないと、機械に掛けてもらえません。
もちろん、係長に言えばやるように言ってくれますが、職制はあまりいつもいつも使えない。
となると、台持ちの女の子との人間関係がとても大切になるんです。
このあたりの人間関係の事も勉強になりました。
相手は理屈が通じないですから。
やってくれないときは、女の子と一緒にミシンをかけたり、仕事を手伝って上げたりして機嫌を取るわけです。
信じられないでしょうけど、反物を繋ぐミシン、私もかけられるんですよ。
検査は4:45でみんな帰ってしまうので、本検査以外は私もやっていました。
3ヶ月したら正式に仕事が与えられました。
輸出生産係です。
当時、プラザ合意の後で円高になっていたのでもう輸出は儲からなくなっていましたが、これも担当重役の方針で継続されていたんです。
輸出だと後染め、先染め、紳士、婦人、全部やることになります。
一番のキーポイントはロット完了と納期厳守でした。
輸出は100反の約定なら100反全部揃えないと船積みできないんです。
それも、納期に1日でも遅れたらダメなんです。
ということは100反が99反でも、10月31日納期が11月1日になっても、全部キャンセルされてしまうと言う事です。
いちおう、工場としても輸出最優先主義を採っていましたが、それでも非常に厳しかったですね。
だいぶ長くなって来たので、複数回に分けますね。
輸出生産係になってからの話はまた今度。
今日はこのくらいにしときます。
Posted by 渡辺幻門 at
22:04
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