オオサカジン

  | 羽曳野市

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Posted by オオサカジン運営事務局 at

2013年11月05日

私の鐘紡時代 その一

先週とこの連休を利用して、近場の生産現場を回ってきました。

先週は徳島の『阿波正藍しじら織』

今週は『郡上紬』と『伊勢木綿』

を見てきました。

今は、絹、麻、芭蕉をやっていて、綿はミンサーくらいしか関わりがないのですが、関西圏といえば綿の産地でしたし、大阪といえば綿業で栄えたところで、かつては『太物屋』という綿織物の問屋がたくさんありました。その発展系が『繊維の街・船場』なんですね。

時代と共に、綿から毛織、化繊、合繊といろんな繊維が出てきましたが、大阪の船場が日本の繊維業の中心であることは今でも変わりがありません。

大昔は、応仁の乱の後、堺が日本最大の機業地であったことは知られていますし、西陣織も京都から来た職人が堺で学んで持ち帰ったモノだと言われています。

私は父が羅紗屋(毛織物業)だった事もあって、ずっと繊維商にあこがれていて、大学4年の就職活動も商社の繊維部門か紡績に狙いを絞っていました。

劣等生だったんですが、なんとか鐘紡に拾ってもらったという訳です。

鐘紡はマトリックス組織という組織形態を採っていて、事業部別か職種別に自由に選べました。職種というのは人事コースか経理コース。この人達は人事を選べば一生人事・労務畑ですし、経理を選んでも一生経理です。

一方、事業部別というのは、当時鐘紡は繊維素材、ファッション、化粧品、薬品、不動産、産業資材と多角経営をしていましたので、自分の希望で配属の事業部を決められたんです。
そのかわり、一生その事業部です。

私は当然、繊維素材を選びました。

繊維素材というのは、糸と布の事です。

服はファッション事業部の管轄でした。

繊維素材事業部も、羊毛、綿、絹、化繊と別れていて、私は羊毛事業部に配属されました。

毛織をやりたかったので非常に幸運だったと想います。

入社して3ヶ月間は研修期間なんですが、大阪で少し研修を受けた後、大垣工場で現場研修となりました。

大垣工場は羊毛の一貫工場で当時日本の最先端・最大の羊毛工場のひとつと言われていました。

とりあえずはここで1ヶ月の研修です。

これがまた二交代。

二交代というのは朝5時から13時半までの早番と13時半から10時までの遅番の交代番で勤務するんです。

大阪で育って東京で華やかな学生生活をしてきた者が大垣に赴任させられただけでも寂しくて仕方ないのに、二交代。交代番の前後にまたレクチャーとかがあるんです。

『君たち、勉強させてもらって給料もらってんだから文句言うな』と言われば長い拘束時間にも文句は言えませんでした。

当然ですよね。バリバリ仕事をしている高卒の職工さんより高い給料をもらっていたんですから。

他の事業部の人達も一緒に大垣で研修したんですが、1ヶ月ほどしたら自分の事業部の研修に入って、羊毛事業部の3人だけは大垣に残ってさらに2ヶ月の研修。

紡毛紡績、織布、染色、加工、設計、連繋管理、工務管理、総務、経理、倉庫と各部を回りました。

事務系は二人だけだったんですが、赴任先は大垣か愛知県の津島(ニットの染色・加工)、三重県の鈴鹿(梳毛紡績)のうちのどこかということになっていました。

当時の担当重役の方針で5年間は工場に居ろ!という方針だったんです。

研修した中で、工務管理が一番きつかったので、同期の同僚と『工務管理だけはいややな』と話していたんですが、同僚は鈴鹿(紡績)、私は大垣の工務管理に配属されました。

目の前が真っ暗になりましたね。

工務管理というのは、大垣工場内のコントロールセンターみたいなところで、大垣工場の織布課や外注の機屋から入って来た生機(きばた)を納期通りに加工して出荷する進行係です。

加工課にも進行係がいるのですが、その加工課の進行係に指示をするだけでは足らないので、自分で現場に入って、反物の進行をすることも多いのです。

工程の中で行方不明になる反物も出てきます。それを探し出して工程に再度乗せるのも重要な仕事でした。

これが後になって大きな経験となりました。

モノが解らないと反物の山の中から目的の反物を探し出す事が出来ないからです。

いまでも覚えています。研修中に探せといわれた反物。

反番は720153。

これを1ヶ月来る日も来る日も探させられたんです。

ちいさなサンプルを渡されて、それで新人にさがせ、と言うんです。

足は棒になるし、反物は見つからないしで、本当に参ってしまいました。

だから『工務管理だけはいややな〜』と想っていたんです。

でも、配属は工務管理でした。

はじめは、見本の進行からスタートでした。

アパレルに出す、見本、だいたい3メートルくらいなんですが、これの進行をやるんです。

当時加工課にも専門のおばさんがいて、そのおばさんに色々教えてもらいました。

見本は婦人先染、婦人後染、紳士先染、紳士後染、輸出とすべてのジャンルをやるので、全部の工程と品物が覚えられたんです。

すべての工程が解ると言う事は、すべての機械を持って居る女子従業員と接するということなんです。

毛織物の加工工場といのは、たくさんの工程別の機械が並んでいて、その間をトロと言われる台車に乗せられて反物が移動していきます。

洗い、縮絨、煮絨、乾燥、ヒートセット、ノリ、ガス焼き。これが下場。

蒸絨、プレス、ハリ(起毛)、ケイセン(起毛のカット)。これが上場。

上場と下場の間に中間補修、上場が終わってから見直し検査、見直し補修、最終検査がはいってようやく出荷となります。

なんですが、女の子に上手に言わないと、機械に掛けてもらえません。

もちろん、係長に言えばやるように言ってくれますが、職制はあまりいつもいつも使えない。

となると、台持ちの女の子との人間関係がとても大切になるんです。

このあたりの人間関係の事も勉強になりました。

相手は理屈が通じないですから。

やってくれないときは、女の子と一緒にミシンをかけたり、仕事を手伝って上げたりして機嫌を取るわけです。

信じられないでしょうけど、反物を繋ぐミシン、私もかけられるんですよ。

検査は4:45でみんな帰ってしまうので、本検査以外は私もやっていました。

3ヶ月したら正式に仕事が与えられました。

輸出生産係です。

当時、プラザ合意の後で円高になっていたのでもう輸出は儲からなくなっていましたが、これも担当重役の方針で継続されていたんです。

輸出だと後染め、先染め、紳士、婦人、全部やることになります。

一番のキーポイントはロット完了と納期厳守でした。

輸出は100反の約定なら100反全部揃えないと船積みできないんです。

それも、納期に1日でも遅れたらダメなんです。

ということは100反が99反でも、10月31日納期が11月1日になっても、全部キャンセルされてしまうと言う事です。

いちおう、工場としても輸出最優先主義を採っていましたが、それでも非常に厳しかったですね。

だいぶ長くなって来たので、複数回に分けますね。

輸出生産係になってからの話はまた今度。

今日はこのくらいにしときます。


  
Posted by 渡辺幻門 at 22:04Comments(0)