2010年10月22日
10月沖縄訪問まとめ【染織編】
今回は、久しぶりに八重山諸島を回りました。
石垣島、西表島、与那国島です。
そこで見たモノは染織工芸の光と影です。
片方の作家さんは、自分のあるいは、伝統の世界を貫こうという信念で動き、もう片方は金になるなら何でもつくる、という世界です。
後者の様になるのは、本土復帰30周年前後に全盛期を迎えた産地、あるいは作家です。
与那国島では、人口1500人のうち、織物をしている人が30人居ると言うことです。
全人口の2%です。
30人が毎月一反の与那国織を織るとしたら、12ヶ月で360反。
少し前まではもっと多かったでしょう。
数字だけを見れば、盛んな仕事で良いことだと思います。
しかし、問題はその中味です。
私が見たところ、読谷、与那国は同じアイテムを造ろうとしている。
読谷は与那国のパクリを造り、与那国は首里のパクリをしようとしている。
双方とも伝統ある技法、特色ある色柄があります。
であるのに、売れ筋の名の下に、本来自分たちの産地の物ではない物を造っている。
これは伝統工芸に対する大いなる冒涜です。
進化でも何でもない。
これは、伝統と歴史のある産地をただの工場としてしまう大愚です。
それを指図している問屋は『それは産地が望んでいることだ』というかもしれませんが、それは詭弁です。
そのために、傷つき、損なう産地が必ず出てくるからです。
伝統工芸の世界に於いて、競争の原理はありえません。あるのは共生のみです。
いかに共生し、お互いの立場を守りつつ存続していくか。
これは単一の産地のみならず、全産地が全体を認識しながら思わねばならない事であると私は思います。
そのためには、『市場領域』を定めねばなりません。
自分たちの産地が日本の染織においてどんな位置づけにあるのか、また何処に根を生やして仕事を継続していくのか、それを策定しなければなりません。
それはいわば、『軸』です。
軸がぶれたらすべてが崩れます。
与那国織は与那国織の、読谷には読谷の、首里には首里の持ち分というのがあるはずです。どれが優位であるとか、どれを残すべきだというのはありません。すべからく均等に残すべきです。
そのため必要な事は独自性を貫くという事だと思います。
与那国が首里のマネをして、首里以上の物が出来るわけはないし、首里が読谷のマネをしてもあの力強い味わいはでません。すべての産地に言える事です。
いまは、選択と集中をして、自らの一番の得意分野で勝負すべきです。
もずやが京友禅をやっても、一場面では器用に立ち回って専門問屋の間を縫うことは出来たとしても、真っ向勝負では勝ち目がないのと同じ事です。もずやは琉球染織に最大限の力を投入してこそ、この市場に於いて存在価値があるのです。
何度も口を酸っぱくして言いますが、私達は長い伝統工芸の一場面を担っているに過ぎないのです。私達の前には多くの先人の苦労と蓄積があり、その宝物を後に続く人に渡さねばならないのです。いまを生きている私達だけで食い散らかしては絶対にならないのです。
そして、別次元の問題として気になるのは、有力問屋がなりふり構わぬ販路開拓を行っていること。そして、デフレの今日、帯ではなくて、高価な着尺が中心に動いていることです。後者は特に不自然です。市場の動きと逆行しています。まともに売り上げを取るためなら、普通の感覚では売りやすい帯の仕入れを中心に行うはずです。なぜなら、着物は仕立てと裏で10万近く掛かるからです。それが帯の何倍もする着尺が動き、帯の動きが止まっている。これは絶対におかしいのです。なぜ、こういう事が起こるかと考えて見ると、それは、品物の出て行く先、そして取引方法に問題があるからだろうと思います。婉曲的に言えば、お客さまのタンスに入り着用して頂く事を終着点としていないのではないか?という事です。
これが当たっているとしたら、本当に危険です。このバブルがはじけたら、琉球染織は終わりです。高価な着尺の価格は地に落ち、買いやすい価格帯のよい作品は市場価値を失い、問屋は手を着けなくなります。そうなったらほんとうに終わりです。産地ものとしては二度と立ち上がれません。
そうならないために産地で行うべき事は、自分たちの産地の歴史や風土など、物作りの基本となることをきちんと学び直す事です。そして、他産地の事もよく知ること。その中で、自分たちが何を造るべきかを考える事です。今売れていると言うことは将来は売れなくなると言うことです。今、売れることよりも、ずっと仕事を続けていくために何をすべきかを考えるべきなのです。
はっきり断言しておきます。
これからの時代、不勉強な人、センスの無い人、志の低い人は伝統工芸の世界で生きていくことは出来ないし、伝統工芸の永続性の為にはむしろ邪魔だと行っても過言ではありません。
過去に拘泥することが伝統染織唯一の道ではありません。しかし歴史と伝統という土台の上に組み立てるのでなければ、まさに砂上の楼閣です。
産商が一体となって、正しく王道を歩く事のみが伝統工芸に残された道なのだと私は断言します。
石垣島、西表島、与那国島です。
そこで見たモノは染織工芸の光と影です。
片方の作家さんは、自分のあるいは、伝統の世界を貫こうという信念で動き、もう片方は金になるなら何でもつくる、という世界です。
後者の様になるのは、本土復帰30周年前後に全盛期を迎えた産地、あるいは作家です。
与那国島では、人口1500人のうち、織物をしている人が30人居ると言うことです。
全人口の2%です。
30人が毎月一反の与那国織を織るとしたら、12ヶ月で360反。
少し前まではもっと多かったでしょう。
数字だけを見れば、盛んな仕事で良いことだと思います。
しかし、問題はその中味です。
私が見たところ、読谷、与那国は同じアイテムを造ろうとしている。
読谷は与那国のパクリを造り、与那国は首里のパクリをしようとしている。
双方とも伝統ある技法、特色ある色柄があります。
であるのに、売れ筋の名の下に、本来自分たちの産地の物ではない物を造っている。
これは伝統工芸に対する大いなる冒涜です。
進化でも何でもない。
これは、伝統と歴史のある産地をただの工場としてしまう大愚です。
それを指図している問屋は『それは産地が望んでいることだ』というかもしれませんが、それは詭弁です。
そのために、傷つき、損なう産地が必ず出てくるからです。
伝統工芸の世界に於いて、競争の原理はありえません。あるのは共生のみです。
いかに共生し、お互いの立場を守りつつ存続していくか。
これは単一の産地のみならず、全産地が全体を認識しながら思わねばならない事であると私は思います。
そのためには、『市場領域』を定めねばなりません。
自分たちの産地が日本の染織においてどんな位置づけにあるのか、また何処に根を生やして仕事を継続していくのか、それを策定しなければなりません。
それはいわば、『軸』です。
軸がぶれたらすべてが崩れます。
与那国織は与那国織の、読谷には読谷の、首里には首里の持ち分というのがあるはずです。どれが優位であるとか、どれを残すべきだというのはありません。すべからく均等に残すべきです。
そのため必要な事は独自性を貫くという事だと思います。
与那国が首里のマネをして、首里以上の物が出来るわけはないし、首里が読谷のマネをしてもあの力強い味わいはでません。すべての産地に言える事です。
いまは、選択と集中をして、自らの一番の得意分野で勝負すべきです。
もずやが京友禅をやっても、一場面では器用に立ち回って専門問屋の間を縫うことは出来たとしても、真っ向勝負では勝ち目がないのと同じ事です。もずやは琉球染織に最大限の力を投入してこそ、この市場に於いて存在価値があるのです。
何度も口を酸っぱくして言いますが、私達は長い伝統工芸の一場面を担っているに過ぎないのです。私達の前には多くの先人の苦労と蓄積があり、その宝物を後に続く人に渡さねばならないのです。いまを生きている私達だけで食い散らかしては絶対にならないのです。
そして、別次元の問題として気になるのは、有力問屋がなりふり構わぬ販路開拓を行っていること。そして、デフレの今日、帯ではなくて、高価な着尺が中心に動いていることです。後者は特に不自然です。市場の動きと逆行しています。まともに売り上げを取るためなら、普通の感覚では売りやすい帯の仕入れを中心に行うはずです。なぜなら、着物は仕立てと裏で10万近く掛かるからです。それが帯の何倍もする着尺が動き、帯の動きが止まっている。これは絶対におかしいのです。なぜ、こういう事が起こるかと考えて見ると、それは、品物の出て行く先、そして取引方法に問題があるからだろうと思います。婉曲的に言えば、お客さまのタンスに入り着用して頂く事を終着点としていないのではないか?という事です。
これが当たっているとしたら、本当に危険です。このバブルがはじけたら、琉球染織は終わりです。高価な着尺の価格は地に落ち、買いやすい価格帯のよい作品は市場価値を失い、問屋は手を着けなくなります。そうなったらほんとうに終わりです。産地ものとしては二度と立ち上がれません。
そうならないために産地で行うべき事は、自分たちの産地の歴史や風土など、物作りの基本となることをきちんと学び直す事です。そして、他産地の事もよく知ること。その中で、自分たちが何を造るべきかを考える事です。今売れていると言うことは将来は売れなくなると言うことです。今、売れることよりも、ずっと仕事を続けていくために何をすべきかを考えるべきなのです。
はっきり断言しておきます。
これからの時代、不勉強な人、センスの無い人、志の低い人は伝統工芸の世界で生きていくことは出来ないし、伝統工芸の永続性の為にはむしろ邪魔だと行っても過言ではありません。
過去に拘泥することが伝統染織唯一の道ではありません。しかし歴史と伝統という土台の上に組み立てるのでなければ、まさに砂上の楼閣です。
産商が一体となって、正しく王道を歩く事のみが伝統工芸に残された道なのだと私は断言します。
Posted by 渡辺幻門 at 23:25│Comments(0)
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