オオサカジン

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Posted by オオサカジン運営事務局 at

2010年10月19日

沖縄四日目(石垣・西表)

ホテルを7:00に出て、那覇空港へ。
8:20の飛行機に乗って石垣島へ向かいました。
台風が近づいているので、気候は悪く碧い海も見れませんでしたが安定した飛行でした。


9:20石垣空港着。
まずはホテルにチェックインを済ませ、荷物を預けて、八重山上布の新垣幸子さんを訪問。

新垣幸子さんは、手くくりの八重山上布を復活させた人です。とてもセンスが良く、物作りや作家としてのあり方に於いてもしっかりした考え方をもたれている方です。私の最も尊敬する作家さんの一人です。新垣さんと話すと八重山の歴史や文化について語ってくださるのでとても楽しみなのです。今問題になっている流通の事についても大変心配されていて、2時間ほどもたっぷり話させて頂きました。話に夢中になってついつい仕入れを忘れてしまいがちになるのですが、機にかかっている帯を一本と別に一本注文させてもらいました。

さて、ランチはいつもの『パポイヤ』です。
石垣牛のステーキが目当てです。


母はエビとのセットを頼みました。

ここのステーキはそのまま何も着けなくても美味しいですが、私は塩をつけて食べるのが好きです。那覇だったら、倍の値段取られるかもしれません。

1時半の西表島フェリーを目指して石垣港へ。


石垣昭子さん訪問です。電話が繋がらなくて肝を冷やしましたが、西表島に着いてから連絡が取れたんです。フェリーには40分ほど乗っていましたが、海が荒れていて、舟が海面上を飛び跳ねるという感じでした。

西表島は上原港と大原港の二つの港があって、航路も二つあります。どっちに行けばいいのか分からなくて、新垣幸子さんに電話して聞いたのです(^_^;)危なかった・・・

上原港からフェリー会社が出しているバスで『紅露(くーる)工房』へ。石垣昭子さんの工房です。


写真でお顔は拝見したことはあったのですが、思った以上に、優しく上品な人でした。そして、やっぱり作家としての確固たる信念を持たれていました。着物・帯よりも、服地やインテリアなどの素材として作品を造られるのが中心ですが、一番驚いたのは、染料から繊維まで全部西表島でそれも自分の手で造るのだそうです。なんと、琉球藍も自生していてそれから染料を造るのだというのです。もちろん、絹糸も芭蕉もです。これは驚異的です。それも、昭子さんと1〜2人のお弟子さんだけでやるのです。それで価格はというと、ビックリ!です。こんな人も本当に世の中には存在するんだ!とさすがの私も脱帽しました。

八重山地方を中心に古くから伝わるスディナという衣裳の普及に力を注がれているという事で、琉装を普及しようと考えている私と意気投合し、色々とお話しや情報を頂きました。

なんと、私が通っている大阪芸大の井関先生とも懇意だということで、すっかり打ち解けてくださり、有意義な会話になりました。

問屋との取引は基本的になさらないそうですが、そういう流れで、特別に注文を受けてくださいました。これも、芸大に入った恩恵ですかね。

石垣昭子さんは環境問題にも強い関心を持たれているらしく、とても頭の良い方のように感じました。ご縁を頂いて光栄だと思います。

新垣幸子さんもそうでしたが、私の名前が知らず知らずのうちに作家さんの間で話題に上っているらしく、その辺りも新しい関係を築くのに助けられています。

お弟子さんに港まで送ってもらったのですが、石垣昭子さんも、ご紹介いただいた多和田先生も、このお弟子さんも女子美出身なんだそうです。その他沖縄には多くの女子美出身の作家さんがいらして、この大学、そして、柳悦孝氏の沖縄染織への大きな貢献を思わずにはいらせません。

帰りは比較的スムーズな航海で、5時過ぎに石垣港着。

昔良く行っていた『ゆうな』で夕食。


  
Posted by 渡辺幻門 at 21:38Comments(0)

2010年10月19日

沖縄三日目

今日は朝8時に出発して、喜如嘉へ。

母とアイジャーさん同行です。

約二時間の道のり。

途中で道の駅おおぎみでいっぷく。


十時ちょっとすぎに喜如嘉の芭蕉布工房に到着。

平良美恵子さんと歓談。

えへへ

良い品物が入りました。

仕入れ作業が完了してから、限定アップします。

これで、我が社は名実共に芭蕉布のトップディーラーになったと確信しました。

13時過ぎまでいろんな話をしたあと、おなかも空いたので前田食堂へ。

恒例の牛肉そばです。


うま〜

眼が覚めました。

そして、うるま市の首里織工房へ。

いいのがありました。

首里織トップディーラーの座は一段と確固たる物へ。

アイジャーさんを途中で降ろして、ホテルに帰還。

6時半から夕食。

松山の『篁(たかむら)』へ行きました。

ここは和食を食べさせてくれます。


明日は、石垣方面に行きますが、台風が心配です。
  
Posted by 渡辺幻門 at 21:36Comments(0)

2010年10月19日

沖縄三日目

今日は朝8時に出発して、喜如嘉へ。

母とアイジャーさん同行です。

約二時間の道のり。

途中で道の駅おおぎみでいっぷく。


十時ちょっとすぎに喜如嘉の芭蕉布工房に到着。

平良美恵子さんと歓談。

えへへ

良い品物が入りました。

仕入れ作業が完了してから、限定アップします。

これで、我が社は名実共に芭蕉布のトップディーラーになったと確信しました。

13時過ぎまでいろんな話をしたあと、おなかも空いたので前田食堂へ。

恒例の牛肉そばです。


うま〜

眼が覚めました。

そして、うるま市の首里織工房へ。

いいのがありました。

首里織トップディーラーの座は一段と確固たる物へ。

アイジャーさんを途中で降ろして、ホテルに帰還。

6時半から夕食。

松山の『篁(たかむら)』へ行きました。

ここは和食を食べさせてくれます。


明日は、石垣方面に行きますが、台風が心配です。
  
Posted by 渡辺幻門 at 21:36Comments(0)

2010年10月19日

沖縄三日目

今日は朝8時に出発して、喜如嘉へ。

母とアイジャーさん同行です。

約二時間の道のり。

途中で道の駅おおぎみでいっぷく。


十時ちょっとすぎに喜如嘉の芭蕉布工房に到着。

平良美恵子さんと歓談。

えへへ

良い品物が入りました。

仕入れ作業が完了してから、限定アップします。

これで、我が社は名実共に芭蕉布のトップディーラーになったと確信しました。

13時過ぎまでいろんな話をしたあと、おなかも空いたので前田食堂へ。

恒例の牛肉そばです。


うま〜

眼が覚めました。

そして、うるま市の首里織工房へ。

いいのがありました。

首里織トップディーラーの座は一段と確固たる物へ。

アイジャーさんを途中で降ろして、ホテルに帰還。

6時半から夕食。

松山の『篁(たかむら)』へ行きました。

ここは和食を食べさせてくれます。


明日は、石垣方面に行きますが、台風が心配です。
  
Posted by 渡辺幻門 at 21:36Comments(0)

2010年10月19日

沖縄二日目

今日は、朝7時半に母と待ち合わせて、アパホテル近くの『みかど食堂』へ。

とりあえずの朝食です。

注文はゆしどうふ定食です。


脂っこい食事が続くはずなので、できるだけあっさりした物をチョイスするように心がけています。

食後、レンタカーを借りて、北部を目指しました。

名護あたりまで行って、こうり島やらをドライブ。天気がいまいちでした。

ついでに、辺野古へ。


米軍の移転候補地ですね。

このあたりに、小沢一郎だけでなく前原誠司も土地を買っているという噂です。

石川の食堂で昼食。

私は鶏のてりやき定食


母はハンバーグ定食


そんなに、食えまへんて。

半分は残しました。

でも、沖縄の人は年配の人でもペロッて食べちゃうんですよね。

お腹いっぱいになって、キャンプキンザーへ。

基地が解放されて、バザーが開催されているとか。



全然期待はずれ。

きたない中古の服や小物がしょんぼり売られているだけでした。

ま、米軍基地の中にはいったという事で、話のネタくらいにはなりますか。

時間があったので、引っ返して北谷のアメリカンビレッジへ。





4年くらい前に沖縄の友達と遊びに行ってから、ずいぶん久しぶりです。

まぁ、若い人やら外人さんやらで賑やかです。

面白いグッズや服も売っていて、楽しいですね。

三時半くらいに那覇へ向かって、りうぼうの地下で晩ご飯を買いました。

母は朝のゆしどうふ定食に着いていた卵焼きが脂っこくて、かなりのダメージを受けていたらしく、おにぎりと味噌汁だけで済ませるという事でした。

まだ二日目なのに・・・

私は、昨日買った泡盛と、ミミガー、鉄火巻き。

よく走った一日でした。

あしたも北部へ走ります。
  
Posted by 渡辺幻門 at 21:34Comments(0)

2010年10月19日

沖縄二日目

今日は、朝7時半に母と待ち合わせて、アパホテル近くの『みかど食堂』へ。

とりあえずの朝食です。

注文はゆしどうふ定食です。


脂っこい食事が続くはずなので、できるだけあっさりした物をチョイスするように心がけています。

食後、レンタカーを借りて、北部を目指しました。

名護あたりまで行って、こうり島やらをドライブ。天気がいまいちでした。

ついでに、辺野古へ。


米軍の移転候補地ですね。

このあたりに、小沢一郎だけでなく前原誠司も土地を買っているという噂です。

石川の食堂で昼食。

私は鶏のてりやき定食


母はハンバーグ定食


そんなに、食えまへんて。

半分は残しました。

でも、沖縄の人は年配の人でもペロッて食べちゃうんですよね。

お腹いっぱいになって、キャンプキンザーへ。

基地が解放されて、バザーが開催されているとか。



全然期待はずれ。

きたない中古の服や小物がしょんぼり売られているだけでした。

ま、米軍基地の中にはいったという事で、話のネタくらいにはなりますか。

時間があったので、引っ返して北谷のアメリカンビレッジへ。





4年くらい前に沖縄の友達と遊びに行ってから、ずいぶん久しぶりです。

まぁ、若い人やら外人さんやらで賑やかです。

面白いグッズや服も売っていて、楽しいですね。

三時半くらいに那覇へ向かって、りうぼうの地下で晩ご飯を買いました。

母は朝のゆしどうふ定食に着いていた卵焼きが脂っこくて、かなりのダメージを受けていたらしく、おにぎりと味噌汁だけで済ませるという事でした。

まだ二日目なのに・・・

私は、昨日買った泡盛と、ミミガー、鉄火巻き。

よく走った一日でした。

あしたも北部へ走ります。
  
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2010年10月19日

沖縄二日目

今日は、朝7時半に母と待ち合わせて、アパホテル近くの『みかど食堂』へ。

とりあえずの朝食です。

注文はゆしどうふ定食です。


脂っこい食事が続くはずなので、できるだけあっさりした物をチョイスするように心がけています。

食後、レンタカーを借りて、北部を目指しました。

名護あたりまで行って、こうり島やらをドライブ。天気がいまいちでした。

ついでに、辺野古へ。


米軍の移転候補地ですね。

このあたりに、小沢一郎だけでなく前原誠司も土地を買っているという噂です。

石川の食堂で昼食。

私は鶏のてりやき定食


母はハンバーグ定食


そんなに、食えまへんて。

半分は残しました。

でも、沖縄の人は年配の人でもペロッて食べちゃうんですよね。

お腹いっぱいになって、キャンプキンザーへ。

基地が解放されて、バザーが開催されているとか。



全然期待はずれ。

きたない中古の服や小物がしょんぼり売られているだけでした。

ま、米軍基地の中にはいったという事で、話のネタくらいにはなりますか。

時間があったので、引っ返して北谷のアメリカンビレッジへ。





4年くらい前に沖縄の友達と遊びに行ってから、ずいぶん久しぶりです。

まぁ、若い人やら外人さんやらで賑やかです。

面白いグッズや服も売っていて、楽しいですね。

三時半くらいに那覇へ向かって、りうぼうの地下で晩ご飯を買いました。

母は朝のゆしどうふ定食に着いていた卵焼きが脂っこくて、かなりのダメージを受けていたらしく、おにぎりと味噌汁だけで済ませるという事でした。

まだ二日目なのに・・・

私は、昨日買った泡盛と、ミミガー、鉄火巻き。

よく走った一日でした。

あしたも北部へ走ります。
  
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2010年10月19日

沖縄一日目

15:05関空発の飛行機に乗りました。

那覇に着いたのは17:15。

順調な飛行でした。

前回は7月に来たので3ヶ月ぶりの沖縄です。

那覇に着くなり、空港の琉風でそばを食べ、ホテルに荷物だけおいて、国立劇場おきなわへ。

浦添市にある立派な劇場です。


今回の出し物は「孝行の巻」・「執心鐘入」の二本立て。


http://www.nt-okinawa.or.jp/index.php?option=com_theater&act=look&task=genrsearch&ID=451/
二回目の組踊鑑賞ですが、すっかりはまりました。

母もはじめは居眠りしていましたが、まずまず楽しんでくれた様でした。

9時半ころホテルに入って、私は泡盛と氷を買いにでました。

部屋で飲んで、寝ました〜

  
Posted by 渡辺幻門 at 21:33Comments(0)

2010年10月19日

沖縄一日目

15:05関空発の飛行機に乗りました。

那覇に着いたのは17:15。

順調な飛行でした。

前回は7月に来たので3ヶ月ぶりの沖縄です。

那覇に着くなり、空港の琉風でそばを食べ、ホテルに荷物だけおいて、国立劇場おきなわへ。

浦添市にある立派な劇場です。


今回の出し物は「孝行の巻」・「執心鐘入」の二本立て。


http://www.nt-okinawa.or.jp/index.php?option=com_theater&act=look&task=genrsearch&ID=451/
二回目の組踊鑑賞ですが、すっかりはまりました。

母もはじめは居眠りしていましたが、まずまず楽しんでくれた様でした。

9時半ころホテルに入って、私は泡盛と氷を買いにでました。

部屋で飲んで、寝ました〜

  
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2010年10月19日

沖縄一日目

15:05関空発の飛行機に乗りました。

那覇に着いたのは17:15。

順調な飛行でした。

前回は7月に来たので3ヶ月ぶりの沖縄です。

那覇に着くなり、空港の琉風でそばを食べ、ホテルに荷物だけおいて、国立劇場おきなわへ。

浦添市にある立派な劇場です。


今回の出し物は「孝行の巻」・「執心鐘入」の二本立て。


http://www.nt-okinawa.or.jp/index.php?option=com_theater&act=look&task=genrsearch&ID=451/
二回目の組踊鑑賞ですが、すっかりはまりました。

母もはじめは居眠りしていましたが、まずまず楽しんでくれた様でした。

9時半ころホテルに入って、私は泡盛と氷を買いにでました。

部屋で飲んで、寝ました〜

  
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2010年10月12日

とりあえず、実技課題終了

織2の組織織の課題と、シルクスクリーンの課題を作り終えて、一応、在宅の実習課題は終了です。評価はどうかわかりませんが(^_^;)あとは、レポートと卒業制作だけです。レポートは、11月に片付ける計画なので、まずは一息。

芸大に入学して1年半ですが、なんとか順調に来ました。

一番の収穫は、物を造るという行為に対してアレルギーが無くなった事ですね。
上手下手は別にして、とりあえず、取り組む時のハードルが低くなりました。
前は『そんなん、できるかいな』とか『そんなん、俺のしごとちゃう』とか、逃げのセリフがまず出ていたと思いますが、今は、『とりあえず、やってみるか』と思えるようになりました。40台後半になって、これは大きな進歩だと自分でも思います。

商人にとって、とりあえずどんな形にせよ、自分で物が造れる事ほど、心強いものはないのです。いまは、いろんな機械や設備もあります。下手でも、形にさえできれば、なんとかなるのです。そのためには、まず、『私にも造れる!』という確信が大切です。それを持つことが出来たのが芸大にはいった大きな収穫でした。

絵が下手でも、絵はパクって、ソフトでオリジナルに仕上げればいいのだし、配色はいろんな手本があります。染められなくても、いまはインクジェットもあるから、図案さえ作れれば、小紋くらいは簡単にできる。織だって、今はコンピューターです。手作りは無理でも、作る気さえあれば形にする方法はいくらでもある時代なのです。

これからの染織市場は、手作りの作家物と商人の企画による工業製品の二つに絞られてくると思います。作家さんというのは、自己の表現が中心です。そうでなければ良い物は作れない。でも市場性の高い物はまた別です。高感度低価格の物は作家さんには作れません。それを実現するのは商人です。いまは、その物作りを職人にゆだねる事はできなくなりました。当社オリジナルを任せられる職人が居ないのです。その部分はどんどん機械生産に置き換わって行かざるを得ないと思います。

それは即ち、芸術→アール・ヌーボー→アール・デコと移り変わった工芸市場そのものです。和装業界も必ずそうなります。

その棲み分けをどうしてうまく実現していくか、それが大事です。

ガレ・ドーム、ラリック、バカラとガラス工芸の変遷を見ていくと、その答えは出るかも知れません。

ガレも初期の作品と工房作品とは明らかに違っています。

和装に置き換えるなら、本当の手作りの作品はガレの初期作品であり、工房物はその後の問屋中心の時代、そしてこれからは、工業デザインが中心となるバカラが用の美の主役となるのだろうと思います。しかし、ガレはガレ、ラリックはラリックの魅力やガラス工芸における立場を明確に保っている。ガレ、ラリック、バカラを同列に評価する事は出来ませんし、そういう評価は的はずれでしょう。

私達の染織の仕事もそうであるべきだろうと思います。

工業製品は工業製品として、芸術品は芸術品として、その価値を高め合い、、お互いの生存領域を保っていく。

その領域を侵そうとすると、ウソやムリが生まれてくるのです。

いままで、染織の領域でバカラに当たる物がなぜ出てこなかったのか。

それは商人の勉強と見識の不足です。

あくまでも、ホンモノの偽物や安物を出すために、機械生産を用いてきた。

しかし、それは明らかに間違っています。

芸術はプロダクトアウト、アール・デコはマーケットインで行けばいいのです。

それを交錯してきたところが、いまの生産者や消費者の迷いに繋がっているのです。

マーケットインのアールデコを実現するために、私は芸大に入りました。

芸大で学んだことで、作家と機械生産、双方に意見できる下地が出来ました。

それぞれが何を目指すべきか。

いわゆるマーケティングで言うところの戦略ドメインの選定です。

工芸とマーケティング、双方を学ぶことは工芸を志す者にとって必須の事であるし、特に携わる商人にとっては、そうであろうと思います。

芸大の勉強を終えたら、今度は、もっと深い文化をさらに学び、そして、再度マーケティングを学ぶ事で、作り手に新たな示唆を与えられるようにしたいと思っています。  
Posted by 渡辺幻門 at 23:22Comments(0)

2010年10月12日

とりあえず、実技課題終了

織2の組織織の課題と、シルクスクリーンの課題を作り終えて、一応、在宅の実習課題は終了です。評価はどうかわかりませんが(^_^;)あとは、レポートと卒業制作だけです。レポートは、11月に片付ける計画なので、まずは一息。

芸大に入学して1年半ですが、なんとか順調に来ました。

一番の収穫は、物を造るという行為に対してアレルギーが無くなった事ですね。
上手下手は別にして、とりあえず、取り組む時のハードルが低くなりました。
前は『そんなん、できるかいな』とか『そんなん、俺のしごとちゃう』とか、逃げのセリフがまず出ていたと思いますが、今は、『とりあえず、やってみるか』と思えるようになりました。40台後半になって、これは大きな進歩だと自分でも思います。

商人にとって、とりあえずどんな形にせよ、自分で物が造れる事ほど、心強いものはないのです。いまは、いろんな機械や設備もあります。下手でも、形にさえできれば、なんとかなるのです。そのためには、まず、『私にも造れる!』という確信が大切です。それを持つことが出来たのが芸大にはいった大きな収穫でした。

絵が下手でも、絵はパクって、ソフトでオリジナルに仕上げればいいのだし、配色はいろんな手本があります。染められなくても、いまはインクジェットもあるから、図案さえ作れれば、小紋くらいは簡単にできる。織だって、今はコンピューターです。手作りは無理でも、作る気さえあれば形にする方法はいくらでもある時代なのです。

これからの染織市場は、手作りの作家物と商人の企画による工業製品の二つに絞られてくると思います。作家さんというのは、自己の表現が中心です。そうでなければ良い物は作れない。でも市場性の高い物はまた別です。高感度低価格の物は作家さんには作れません。それを実現するのは商人です。いまは、その物作りを職人にゆだねる事はできなくなりました。当社オリジナルを任せられる職人が居ないのです。その部分はどんどん機械生産に置き換わって行かざるを得ないと思います。

それは即ち、芸術→アール・ヌーボー→アール・デコと移り変わった工芸市場そのものです。和装業界も必ずそうなります。

その棲み分けをどうしてうまく実現していくか、それが大事です。

ガレ・ドーム、ラリック、バカラとガラス工芸の変遷を見ていくと、その答えは出るかも知れません。

ガレも初期の作品と工房作品とは明らかに違っています。

和装に置き換えるなら、本当の手作りの作品はガレの初期作品であり、工房物はその後の問屋中心の時代、そしてこれからは、工業デザインが中心となるバカラが用の美の主役となるのだろうと思います。しかし、ガレはガレ、ラリックはラリックの魅力やガラス工芸における立場を明確に保っている。ガレ、ラリック、バカラを同列に評価する事は出来ませんし、そういう評価は的はずれでしょう。

私達の染織の仕事もそうであるべきだろうと思います。

工業製品は工業製品として、芸術品は芸術品として、その価値を高め合い、、お互いの生存領域を保っていく。

その領域を侵そうとすると、ウソやムリが生まれてくるのです。

いままで、染織の領域でバカラに当たる物がなぜ出てこなかったのか。

それは商人の勉強と見識の不足です。

あくまでも、ホンモノの偽物や安物を出すために、機械生産を用いてきた。

しかし、それは明らかに間違っています。

芸術はプロダクトアウト、アール・デコはマーケットインで行けばいいのです。

それを交錯してきたところが、いまの生産者や消費者の迷いに繋がっているのです。

マーケットインのアールデコを実現するために、私は芸大に入りました。

芸大で学んだことで、作家と機械生産、双方に意見できる下地が出来ました。

それぞれが何を目指すべきか。

いわゆるマーケティングで言うところの戦略ドメインの選定です。

工芸とマーケティング、双方を学ぶことは工芸を志す者にとって必須の事であるし、特に携わる商人にとっては、そうであろうと思います。

芸大の勉強を終えたら、今度は、もっと深い文化をさらに学び、そして、再度マーケティングを学ぶ事で、作り手に新たな示唆を与えられるようにしたいと思っています。  
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2010年10月12日

とりあえず、実技課題終了

織2の組織織の課題と、シルクスクリーンの課題を作り終えて、一応、在宅の実習課題は終了です。評価はどうかわかりませんが(^_^;)あとは、レポートと卒業制作だけです。レポートは、11月に片付ける計画なので、まずは一息。

芸大に入学して1年半ですが、なんとか順調に来ました。

一番の収穫は、物を造るという行為に対してアレルギーが無くなった事ですね。
上手下手は別にして、とりあえず、取り組む時のハードルが低くなりました。
前は『そんなん、できるかいな』とか『そんなん、俺のしごとちゃう』とか、逃げのセリフがまず出ていたと思いますが、今は、『とりあえず、やってみるか』と思えるようになりました。40台後半になって、これは大きな進歩だと自分でも思います。

商人にとって、とりあえずどんな形にせよ、自分で物が造れる事ほど、心強いものはないのです。いまは、いろんな機械や設備もあります。下手でも、形にさえできれば、なんとかなるのです。そのためには、まず、『私にも造れる!』という確信が大切です。それを持つことが出来たのが芸大にはいった大きな収穫でした。

絵が下手でも、絵はパクって、ソフトでオリジナルに仕上げればいいのだし、配色はいろんな手本があります。染められなくても、いまはインクジェットもあるから、図案さえ作れれば、小紋くらいは簡単にできる。織だって、今はコンピューターです。手作りは無理でも、作る気さえあれば形にする方法はいくらでもある時代なのです。

これからの染織市場は、手作りの作家物と商人の企画による工業製品の二つに絞られてくると思います。作家さんというのは、自己の表現が中心です。そうでなければ良い物は作れない。でも市場性の高い物はまた別です。高感度低価格の物は作家さんには作れません。それを実現するのは商人です。いまは、その物作りを職人にゆだねる事はできなくなりました。当社オリジナルを任せられる職人が居ないのです。その部分はどんどん機械生産に置き換わって行かざるを得ないと思います。

それは即ち、芸術→アール・ヌーボー→アール・デコと移り変わった工芸市場そのものです。和装業界も必ずそうなります。

その棲み分けをどうしてうまく実現していくか、それが大事です。

ガレ・ドーム、ラリック、バカラとガラス工芸の変遷を見ていくと、その答えは出るかも知れません。

ガレも初期の作品と工房作品とは明らかに違っています。

和装に置き換えるなら、本当の手作りの作品はガレの初期作品であり、工房物はその後の問屋中心の時代、そしてこれからは、工業デザインが中心となるバカラが用の美の主役となるのだろうと思います。しかし、ガレはガレ、ラリックはラリックの魅力やガラス工芸における立場を明確に保っている。ガレ、ラリック、バカラを同列に評価する事は出来ませんし、そういう評価は的はずれでしょう。

私達の染織の仕事もそうであるべきだろうと思います。

工業製品は工業製品として、芸術品は芸術品として、その価値を高め合い、、お互いの生存領域を保っていく。

その領域を侵そうとすると、ウソやムリが生まれてくるのです。

いままで、染織の領域でバカラに当たる物がなぜ出てこなかったのか。

それは商人の勉強と見識の不足です。

あくまでも、ホンモノの偽物や安物を出すために、機械生産を用いてきた。

しかし、それは明らかに間違っています。

芸術はプロダクトアウト、アール・デコはマーケットインで行けばいいのです。

それを交錯してきたところが、いまの生産者や消費者の迷いに繋がっているのです。

マーケットインのアールデコを実現するために、私は芸大に入りました。

芸大で学んだことで、作家と機械生産、双方に意見できる下地が出来ました。

それぞれが何を目指すべきか。

いわゆるマーケティングで言うところの戦略ドメインの選定です。

工芸とマーケティング、双方を学ぶことは工芸を志す者にとって必須の事であるし、特に携わる商人にとっては、そうであろうと思います。

芸大の勉強を終えたら、今度は、もっと深い文化をさらに学び、そして、再度マーケティングを学ぶ事で、作り手に新たな示唆を与えられるようにしたいと思っています。  
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2010年10月08日

民藝の楽しみ方

ひさしぶりに、ちょっと民藝の話を。

民藝というのは、民衆的工芸の事です。

民藝運動を起こしたのは柳宗悦という人ですが、民藝運動が起こって民藝ができたのではありません。

柳がやった運動は、普段使いの生活の中にある物にも美は存在するという事を衆知し、その理論的構築を試みたということです。

民藝の理論の是非は見解の分かれるところですが、民藝運動の趣旨、つまり、普段使いの雑器の中に美を見出し、それを多くの人に意識させたということは大きな意味合いのあることであると思います。

民藝の中に私が扱う染織品も含まれますが、沖縄をはじめとして、各地の織物・染め物を見て、使用するときにどういう態度・気持ちで向かい合えばいいのか。それは、物の出来不出来はもちろん、美醜も大きな着目点です。

しかし、それ以上に大きな事は、民藝はその土地の風土と歴史が生み出した物であると言うことです。

染織品の場合、水は大きな要素です。そして、土。綿花や麻などの繊維、染めるための染料は土から生まれます。同じように気候。それは植物の生育や蚕の養殖、そして糸を引くための安定した湿度なども必要です。地政学上の位置。これは交易においてどのような位置にあったかです。北回り船が回ってきたかどうかで、流通する物が変わってきます。そして、政治。米沢藩が織物を振興した事は有名です。

そんな様々な事柄が民藝には大きく関わっているのです。すなわち、民藝を知る事はその産地の風土と歴史を知ることにもなるのです。また、それを知らなければ、その品物を理解したとは言えない、と言ってもいいでしょう。

民藝というのは、廉価で大量に作られる為に、無償の自然の恵みを最大限に活かしています。化学染料が発達したのはついこの間のことで、それまでは天然染料であったし、それは地元でとれる物を使用した。繊維もそうです。採れる物から生活に合うように工夫して作ったのです。

日本は南北に長い。そして太平洋側と日本海側では大きく気候が違う。ですから、地域ごとに特色ある民藝が生まれたのです。

東北には東北の、関東には関東の、中国地方には中国地方の特色あるすばらしい民藝があります。

そのすべてが、この国土の中で、自然と歴史の中で育まれてきたのです。

そして、私達の美醜に対する意識も同じように自然と歴史の中で培われてきた。

日の光、土壌、山や海、そんな日々なにげなく私達の回りを取り囲んでいる物から美意識という物は築き上げられて行くのです。

逆に言えば、日本中が均一化すると価値ある民藝を生み出す事はできないという事です。

そして、民藝に於いては、優劣はない。技量に於いて優劣はあっても、民藝としての価値に於いてはすべて同じように大切な文化財なのです。

染織品や陶磁器など、手工芸品を見る場合、どうしても自分の価値観や審美眼を通して判断してしまいます。

しかし、本当の価値は、その品物の奥にあるのです。

物を見て、その産地は何処なのかを知る。そして、その地域の気候や歴史に思いをはせる。なぜ、こんな素晴らしい物ができあがったのか。なぜ、この色はこんなに美しいのか。なぜ、このなんでもない布が心に深くひっかってくるのか。

それは、それを作った個人の力だと思わない、まずそこから始まります。

個人の力が風土や歴史に勝ることはありません。

その個人の力とて、風土や歴史が作るのです。

好みかどうか、高いか安いか、思う前に、まず、それをじっくり考えてみる事をお勧めします。

鋭い直観は、下地に膨大な知識が必要です。

民藝は天才がつくるものではありません。

それだけに、その価値の深いところを理解するためには、それを産んだ土地の事を知らねばならないのです。


『なぜ、この品物はここに生まれたのか?』

そう考えることが、用の美の本当の意味を理解する事になるのだと私は思います。
  
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2010年10月08日

民藝の楽しみ方

ひさしぶりに、ちょっと民藝の話を。

民藝というのは、民衆的工芸の事です。

民藝運動を起こしたのは柳宗悦という人ですが、民藝運動が起こって民藝ができたのではありません。

柳がやった運動は、普段使いの生活の中にある物にも美は存在するという事を衆知し、その理論的構築を試みたということです。

民藝の理論の是非は見解の分かれるところですが、民藝運動の趣旨、つまり、普段使いの雑器の中に美を見出し、それを多くの人に意識させたということは大きな意味合いのあることであると思います。

民藝の中に私が扱う染織品も含まれますが、沖縄をはじめとして、各地の織物・染め物を見て、使用するときにどういう態度・気持ちで向かい合えばいいのか。それは、物の出来不出来はもちろん、美醜も大きな着目点です。

しかし、それ以上に大きな事は、民藝はその土地の風土と歴史が生み出した物であると言うことです。

染織品の場合、水は大きな要素です。そして、土。綿花や麻などの繊維、染めるための染料は土から生まれます。同じように気候。それは植物の生育や蚕の養殖、そして糸を引くための安定した湿度なども必要です。地政学上の位置。これは交易においてどのような位置にあったかです。北回り船が回ってきたかどうかで、流通する物が変わってきます。そして、政治。米沢藩が織物を振興した事は有名です。

そんな様々な事柄が民藝には大きく関わっているのです。すなわち、民藝を知る事はその産地の風土と歴史を知ることにもなるのです。また、それを知らなければ、その品物を理解したとは言えない、と言ってもいいでしょう。

民藝というのは、廉価で大量に作られる為に、無償の自然の恵みを最大限に活かしています。化学染料が発達したのはついこの間のことで、それまでは天然染料であったし、それは地元でとれる物を使用した。繊維もそうです。採れる物から生活に合うように工夫して作ったのです。

日本は南北に長い。そして太平洋側と日本海側では大きく気候が違う。ですから、地域ごとに特色ある民藝が生まれたのです。

東北には東北の、関東には関東の、中国地方には中国地方の特色あるすばらしい民藝があります。

そのすべてが、この国土の中で、自然と歴史の中で育まれてきたのです。

そして、私達の美醜に対する意識も同じように自然と歴史の中で培われてきた。

日の光、土壌、山や海、そんな日々なにげなく私達の回りを取り囲んでいる物から美意識という物は築き上げられて行くのです。

逆に言えば、日本中が均一化すると価値ある民藝を生み出す事はできないという事です。

そして、民藝に於いては、優劣はない。技量に於いて優劣はあっても、民藝としての価値に於いてはすべて同じように大切な文化財なのです。

染織品や陶磁器など、手工芸品を見る場合、どうしても自分の価値観や審美眼を通して判断してしまいます。

しかし、本当の価値は、その品物の奥にあるのです。

物を見て、その産地は何処なのかを知る。そして、その地域の気候や歴史に思いをはせる。なぜ、こんな素晴らしい物ができあがったのか。なぜ、この色はこんなに美しいのか。なぜ、このなんでもない布が心に深くひっかってくるのか。

それは、それを作った個人の力だと思わない、まずそこから始まります。

個人の力が風土や歴史に勝ることはありません。

その個人の力とて、風土や歴史が作るのです。

好みかどうか、高いか安いか、思う前に、まず、それをじっくり考えてみる事をお勧めします。

鋭い直観は、下地に膨大な知識が必要です。

民藝は天才がつくるものではありません。

それだけに、その価値の深いところを理解するためには、それを産んだ土地の事を知らねばならないのです。


『なぜ、この品物はここに生まれたのか?』

そう考えることが、用の美の本当の意味を理解する事になるのだと私は思います。
  
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2010年10月08日

民藝の楽しみ方

ひさしぶりに、ちょっと民藝の話を。

民藝というのは、民衆的工芸の事です。

民藝運動を起こしたのは柳宗悦という人ですが、民藝運動が起こって民藝ができたのではありません。

柳がやった運動は、普段使いの生活の中にある物にも美は存在するという事を衆知し、その理論的構築を試みたということです。

民藝の理論の是非は見解の分かれるところですが、民藝運動の趣旨、つまり、普段使いの雑器の中に美を見出し、それを多くの人に意識させたということは大きな意味合いのあることであると思います。

民藝の中に私が扱う染織品も含まれますが、沖縄をはじめとして、各地の織物・染め物を見て、使用するときにどういう態度・気持ちで向かい合えばいいのか。それは、物の出来不出来はもちろん、美醜も大きな着目点です。

しかし、それ以上に大きな事は、民藝はその土地の風土と歴史が生み出した物であると言うことです。

染織品の場合、水は大きな要素です。そして、土。綿花や麻などの繊維、染めるための染料は土から生まれます。同じように気候。それは植物の生育や蚕の養殖、そして糸を引くための安定した湿度なども必要です。地政学上の位置。これは交易においてどのような位置にあったかです。北回り船が回ってきたかどうかで、流通する物が変わってきます。そして、政治。米沢藩が織物を振興した事は有名です。

そんな様々な事柄が民藝には大きく関わっているのです。すなわち、民藝を知る事はその産地の風土と歴史を知ることにもなるのです。また、それを知らなければ、その品物を理解したとは言えない、と言ってもいいでしょう。

民藝というのは、廉価で大量に作られる為に、無償の自然の恵みを最大限に活かしています。化学染料が発達したのはついこの間のことで、それまでは天然染料であったし、それは地元でとれる物を使用した。繊維もそうです。採れる物から生活に合うように工夫して作ったのです。

日本は南北に長い。そして太平洋側と日本海側では大きく気候が違う。ですから、地域ごとに特色ある民藝が生まれたのです。

東北には東北の、関東には関東の、中国地方には中国地方の特色あるすばらしい民藝があります。

そのすべてが、この国土の中で、自然と歴史の中で育まれてきたのです。

そして、私達の美醜に対する意識も同じように自然と歴史の中で培われてきた。

日の光、土壌、山や海、そんな日々なにげなく私達の回りを取り囲んでいる物から美意識という物は築き上げられて行くのです。

逆に言えば、日本中が均一化すると価値ある民藝を生み出す事はできないという事です。

そして、民藝に於いては、優劣はない。技量に於いて優劣はあっても、民藝としての価値に於いてはすべて同じように大切な文化財なのです。

染織品や陶磁器など、手工芸品を見る場合、どうしても自分の価値観や審美眼を通して判断してしまいます。

しかし、本当の価値は、その品物の奥にあるのです。

物を見て、その産地は何処なのかを知る。そして、その地域の気候や歴史に思いをはせる。なぜ、こんな素晴らしい物ができあがったのか。なぜ、この色はこんなに美しいのか。なぜ、このなんでもない布が心に深くひっかってくるのか。

それは、それを作った個人の力だと思わない、まずそこから始まります。

個人の力が風土や歴史に勝ることはありません。

その個人の力とて、風土や歴史が作るのです。

好みかどうか、高いか安いか、思う前に、まず、それをじっくり考えてみる事をお勧めします。

鋭い直観は、下地に膨大な知識が必要です。

民藝は天才がつくるものではありません。

それだけに、その価値の深いところを理解するためには、それを産んだ土地の事を知らねばならないのです。


『なぜ、この品物はここに生まれたのか?』

そう考えることが、用の美の本当の意味を理解する事になるのだと私は思います。
  
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2010年10月08日

久米島紬資料館 アップしました

http://mozuya.com/wan_dai_wu_zong_yan/zi_liao_guan/peji/jiu_mi_dao_chou_zi_liao.html



古い写真があったのでスキャンしてアップしました。

久米島紬の制作風景です。

昭和40年代から50年代でしょうか。

写真もまだ白黒です。

久米島も昔は本当に紬糸から作っていたんですね。

機織しているのは、玉城カマドさんでしょうか。

昔は久米島紬といえば、泥とグズミ(グレー)がほとんどでした。

泥は黒い地色に映える色絣の味わいが深く、グズミはほんのり赤みがかった地色とまるでネルのようなぬめりのある風合いが魅力でした。

とくに、グズミの良い物は、仕入れした途端、一週間以内に完売したものです。

その位、良い物がありました。

いまよりずっと高かったんですが、値段は関係なかった。

私達専門の者が見てもうっとりするくらいの品格がありました。

いま、そんな話をしても、みんな上の空。

良い物を作ろう、先人に学ぼうとする前に、どうしたら売れるか、売れる物は何か。そればっかり考えているように思えます。

目指すべき方向性を示しているのに、やろうとしない。

テーマを与えて、それをきちんと作れば取ると言っているのに、簡単に作れる、手になじんだものしか作ろうとしない。

これじゃ、ダメになるのは当たり前です。

流通在庫はどんどん積み上がっています。

久米島はもう、タイムリミットを迎えつつあります。

櫂を漕ごうとしないなら、舟から降りてもらうしかありませんからね。
  
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2010年10月08日

久米島紬資料館 アップしました

http://mozuya.com/wan_dai_wu_zong_yan/zi_liao_guan/peji/jiu_mi_dao_chou_zi_liao.html



古い写真があったのでスキャンしてアップしました。

久米島紬の制作風景です。

昭和40年代から50年代でしょうか。

写真もまだ白黒です。

久米島も昔は本当に紬糸から作っていたんですね。

機織しているのは、玉城カマドさんでしょうか。

昔は久米島紬といえば、泥とグズミ(グレー)がほとんどでした。

泥は黒い地色に映える色絣の味わいが深く、グズミはほんのり赤みがかった地色とまるでネルのようなぬめりのある風合いが魅力でした。

とくに、グズミの良い物は、仕入れした途端、一週間以内に完売したものです。

その位、良い物がありました。

いまよりずっと高かったんですが、値段は関係なかった。

私達専門の者が見てもうっとりするくらいの品格がありました。

いま、そんな話をしても、みんな上の空。

良い物を作ろう、先人に学ぼうとする前に、どうしたら売れるか、売れる物は何か。そればっかり考えているように思えます。

目指すべき方向性を示しているのに、やろうとしない。

テーマを与えて、それをきちんと作れば取ると言っているのに、簡単に作れる、手になじんだものしか作ろうとしない。

これじゃ、ダメになるのは当たり前です。

流通在庫はどんどん積み上がっています。

久米島はもう、タイムリミットを迎えつつあります。

櫂を漕ごうとしないなら、舟から降りてもらうしかありませんからね。
  
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2010年10月08日

久米島紬資料館 アップしました

http://mozuya.com/wan_dai_wu_zong_yan/zi_liao_guan/peji/jiu_mi_dao_chou_zi_liao.html



古い写真があったのでスキャンしてアップしました。

久米島紬の制作風景です。

昭和40年代から50年代でしょうか。

写真もまだ白黒です。

久米島も昔は本当に紬糸から作っていたんですね。

機織しているのは、玉城カマドさんでしょうか。

昔は久米島紬といえば、泥とグズミ(グレー)がほとんどでした。

泥は黒い地色に映える色絣の味わいが深く、グズミはほんのり赤みがかった地色とまるでネルのようなぬめりのある風合いが魅力でした。

とくに、グズミの良い物は、仕入れした途端、一週間以内に完売したものです。

その位、良い物がありました。

いまよりずっと高かったんですが、値段は関係なかった。

私達専門の者が見てもうっとりするくらいの品格がありました。

いま、そんな話をしても、みんな上の空。

良い物を作ろう、先人に学ぼうとする前に、どうしたら売れるか、売れる物は何か。そればっかり考えているように思えます。

目指すべき方向性を示しているのに、やろうとしない。

テーマを与えて、それをきちんと作れば取ると言っているのに、簡単に作れる、手になじんだものしか作ろうとしない。

これじゃ、ダメになるのは当たり前です。

流通在庫はどんどん積み上がっています。

久米島はもう、タイムリミットを迎えつつあります。

櫂を漕ごうとしないなら、舟から降りてもらうしかありませんからね。
  
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2010年10月05日

『一扇外交』

私が加入している日本会議という保守系団体の機関誌『日本の息吹』の中で藤島博文という日本画家のインタビューが載せられています。

とても良い話がたくさん書かれているのですが、その中で藤島氏は『一扇外交』というのを提言されています。

(以下引用)

 いま、私の夢のひとつは、世界の宝というべき日本画をもって、世界中をどさ回りすることです。明治期、パリ万博で、当時後進国と思われていた日本が、すばらしい芸術作品で世界をあっと言わせたように、日本画や伝統芸術を通して、再び日本の価値を世界に広めていきたい。
 そのための一案として、『一扇外交』という物を考案しています。それは成田などの国際空港に、各国の国花や国鳥を日本画で描いた扇子をおみやげ品として置くことゑ、世界中の人々に日本文化に触れてもらう機会をつくることです。扇は老舗につくってもらう。いま、地方の伝統工芸の里は苦境にあります。これを早く救済しないと日本の伝統文化が危ない。そのためには、海外に活路を開きたいものです。それは扇等の受注アップにも貢献できると考えています。 
 世界における日本の品格を高からしめ、世界中に潤いをもたらしたい。そんな夢を日本画を通してかなえて行きたいとねがっております。


日本の伝統文化に携わる者は、同じ思いだと思います。そして、その素晴らしさが、世界に普遍性を持つことを知っています。ただ、どうしたら実現できるかが分からないだけです。そして、それを実現していくのは、商人の責任でもあると私は思います。

保守系団体というと、政治色ばかりが強調されますが、実は、日本の伝統文化に関わる活動をしているところがほとんどです。この日本会議もそうですが、チャンネル桜の正式名称は日本文化チャンネル桜で、さまざまな和文化の紹介も行っています。ただ、直情的に、国家主義や天皇崇拝を掲げているのではなく、その土台には日本の国土や文化に対する深い愛があるのです。そして、その涵養に努めているのです。

こんな提案を一つ一つ実現にうつしていく事ができれば、わが国は世界一の文化国として称賛されるでしょうし、とても素敵な国に生まれ変わることだろうと思います。

長期的には、『文化エリート』の育成が必要でしょうね。いまの文化系・芸術系大学はその役割を果たしていません。歴史・思想、哲学、宗教、芸術を全大学で必修にして、それを土台にして、経済学や法学・政治学を学べば、日本の世界的地位は飛躍的に向上すると私は思います。  
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