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  | 羽曳野市

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2012年02月16日

現代のきものライフ

昨日書いた、ブログに対してツィッターの読者の方からご意見を頂きましたので、補足的なお話しをさせて頂きたいと想います。

まず、私達、呉服商の仕事とは何か?

お客様の、体型、お顔立ち、お顔色、などに合うように、そしてご用途に合うように、着物やその周辺のものをお勧めすることです。

ところが、今は、日常の生活が西洋化しています。

服装もほとんどの人が洋服です。

では、洋服がいけないか、まったく文化的な要素がないかといえば、そんなことはありません。

非常に、機能的、用途的に優れた所もあるわけです。

例えば、シャネルスーツという服はココ・シャネルがつくり出した『ビジネス・フォーマル兼用服』です。

彼女が生きていた時代、女性の社会進出が進んで、いままでコルセットをしてドレスを着ていた人が働くようになった。

しかし、そのまま夜会にも行きたい。そんな女性たちのニーズに合わせて造られた物です。

男性が着るダークスーツというのも、ネクタイさえ変えれば、仕事の合間にフォーマルの席に参加可能です。

わかりやすい例でいえば、仕事の途中で急な訃報を聞いたとき、そのまま弔いにも行けるのです。

だから、デパートの外商マンはダークスーツを着ているのです。

私は、着物に携わる者であっても、服飾全体に対して俯瞰的な視点を忘れてはいけないと想います。

現代において、様々な便益を享受できる世の中では、洋服は洋服の、着物は着物の良い所を活かしてチョイスしていくというのが、現実的、かつ理性的な考え方ではないかと想うのです。

私がなぜ着物を着るかといえば、

ひとつには、自分の扱っている品物の品質をチェックするため。

ふたつには、着物を着ると楽であるため。

みっつには、着物を着ていくと喜んでもらえるため。

よっつには、お稽古をする上で、着物を着た方が効果的であるため。

いつつには、アピールのため。

等々あります。

では、洋服は嫌いかというと、そんなことはないし、洋服を着るときも、きちんと筋の通った物を着ています。

一番の理由は、活動的であるからですが、それだけではありません。

得意先やお世話になっている方に挨拶するときは、『正装』しなければならないからです。

私は、キャンペーンの初日は必ずダークスーツです。

なぜか?

得意先の責任者に挨拶するからです。

そしてそのまま外販に出ます。

外販では、小さな軽自動車に荷物をたくさん積み込み、場合によってはエレベーターのないマンションの階段を荷物を抱えて登らねばなりません。長崎などでは、延々と山の上にある家までにもつを抱えていきます。

正装と活動。双方をカバーするのにダークスーツが一番よいのです。

デパートの社員の女性は、ほとんど着物を着ていません。

でも、ほんとうにお客様の事をよく考えて、着物に詳しい方もたくさんおられます。

ですから、実感として、『着物を着ていない呉服屋なんて』というのは、納得できないのです。

前述の通り、私達呉服商の仕事は、お客様に合った着物をお勧めすることです。

それは、現代の生活にあった内容の物であるべきだと私は考えます。

お買い物も、掃除も洗濯も、なにをするときも着物を着ていらっしゃるというのは、本当にありがたいことだと想います。

しかしながら、それは今となっては一般的ではありません。

一番変化しているのは着物に対する感覚です。

沖縄で言えば、昔は、王族から庶民まで幅広く芭蕉布は着用されていました。

でも、谷茶目のように芭蕉布を着て、漁をするなんてことが今できるでしょうか。

日常着としての着物という色彩が極端に薄れていて、着物=非日常と捉えるのが一般的だと想います。

もし、日常と捉えたとして、その日常着を着て、お客様をおもてなしする店に出るのが正解でしょうか?

洋服で言えば、高級ブランドの洋服を勧める店員がGパンにTシャツでいいでしょうか。

やっぱり、それなりのきちんとしたスーツやそれに値する物を着用すべきでしょう。

TPOや用途、そして礼節から離れて、『キモノ』というものがあたかも隔離された世界の物であるかのように想って欲しくないのです。

店頭に立つ、あるいは展示会で接客するなら、キモノか洋服かより、まずは『お客様に対するのに失礼でない装い』というものを考えるべきでしょう。

そこのところを一番わかっていないと行けないのが呉服屋のはずなんです。

いくらいつもキモノを着ていても、洋服のTPOはちんぷんかんぷんでは、論外なのです。

服飾には経の分類と緯の分類があります。

わたしはキモノのTPOを説明するときによく洋装の緯の分類を例示します。

つまり、経は大きく分けて洋か和か、緯はTPOです。

呉服屋を大きく服飾文化のお手伝い役とすれば、洋も和も精通していなければならないのです。

それであってこそ、キモノに関しても的確なアドバイスが出来るのだ、と私は思うのです。

『キモノを特別扱いしないでほしい』というのはそういうことなのです。

キモノの生活から乖離してしまった現代において、どうキモノというものを位置づけて、よりよいきものライフを送って頂くか、それを考えるのが、今の呉服屋の勤めであろうと想います。

普段からキモノの生活をされている方にはそれにあった品物とアドバイスを、ちょいちょい着る人、滅多に着ない人、それぞれにあったサービスをするのが、本当のプロじゃないでしょうか。

そのためには、キモノと洋服のバランス、役割分担にも冷静に眼をむけ、考えを整理しておかねばならないだろうと私は思います。
(追記)

誤解をされている方もいらっしゃるようですが、私は問屋の中ではかなり頻繁に着る方だと想います。

とくに展示会では、毎回といっていいくらい着物で出ます。

その私だから、言える事もあるのです。

着物を着ない者が言い訳に言っているのではないのです。

私は江戸時代の様に日本人のほとんどが日常生活において着物を着るなどいうことにはならないだろうと想います。

しかし、洋服が普通になっている今だからこそ、着物の良さを知ってもらいたい、そう思うのです。

大月みやこの歌に『口紅が濃すぎたかしら、着物にすれば良かったかしら』というのがありますが、

いかにも、日本人の心を表していると想います。

豊かな時代、様々な選択肢がある。その中で『今日は着物にしよう。着物は小紋にしよう、じゃ帯は・・・』と楽しんでもらえればと想うのです。

同業者の中にも今回の記述には『着物の非日常性を自ら認めるようなものだ』というご批判もありましたが、

着物の中に含まれる大きな要素として『非日常』というもの、つまり『いつもとは違う気分』があるのではないでしょうか。

落ち着いた気持ちであったり、逆に高揚した気分であったり、それは和服だけでなくて身につけるもの全てが持って居る効用です。

お茶にはお茶の、コーヒーにはコーヒーの効用がそれぞれあるように、着物には着物ならではの効用があるはずです。

着物でなくては得られないことも多々あります。

しかし、その事と、労働着として着物を着る事とは違うと私は思います。

私が工場に勤めていたときは、職服と呼ばれる作業着を着ていました。

そしてそれが、工場従業員の正装でした。

ネクタイをしていると機械に巻き込まれて危険だからというのもあると想います。

服飾というのは合理生と歴史の両方から構築されていくものだと私は思うのです。

呉服を売るなら、着物を着ていたほうがいいに決まっています。

でも、他の事が忘れられて、その事ばかりが言われすぎだと想います。



Posted by 渡辺幻門 at 22:44│Comments(0)
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