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  | 羽曳野市

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2012年02月09日

コモディティ化

コモディティ化とは・・・

http://www.atmarkit.co.jp/aig/04biz/commoditize.html
ある商品カテゴリにおいて、競争商品間の差別化特性(機能、品質、ブランド力など)が失われ、主に価格あるいは量を判断基準に売買が行われるようになること。一般に商品価格の下落を招くことが多く、高価な商品が低価格化・普及品化することを“コモディティ化”という場合もある。
 例えば製造業において、ある特別の技術を持つ1社だけが製造できる製品があったとする。やがて製造技術の普及、他社製品の機能向上、あるいは製品の規格化/標準化/モジュール化などによって、多くの会社で製造可能となると、機能や品質の面で差のない製品が市場に多数、投入されることになる。
 こうなると顧客は価格(コスト)あるいは買いやすさ(店頭にあるかなど)以外に選択要因がなくなる。こうした状態のことをコモディティ化という。いい換えれば、「どの会社のものを買っても同じ」という状態のことである。
 一般にコモディティ化が起こりやすいのは、機能や品質が向上してどの製品・サービスでも顧客要求を満たす(オーバーシュート)ようになり、さまざまな面で参入障壁が低く、さらに安定した売上が期待できる市場においてである。
このようなコモディティ化は絶えずいろいろな市場で見られ、ITなど各種ハイテク産業でも、技術の普遍化・汎用化が指摘されている。
 コモディティ化が起こると、競争激化によって価格が下落し、企業収益が悪化する。これに対して企業はさまざまな努力を行うことが求められる。その1つが「ブランド化」である。ネーミングやパッケージングなどのマーケティング活動により差別化を図るもので、かつてコモディティであったコメに「ささにしき」「こしひかり」「秋田小町」などのブランド米が登場した例が挙げられる。
 また、米国ハーバード大学ビジネススクールのクレイトン・M・クリステンセン(Clayton M. Christensen)教授は、「大半の商品ではコモディティ化やモジュール化が起こると、これを契機としてバリューチェーンのどこかで『脱コモディティ化』のプロセスが生じる」と論じている。これは製品そのものの性能競争が終わると、「すぐに手に入る」「故障時の対応がよい」などデリバリやアフターサービスのプロセスで差別化が起こるようになるという指摘である。
 本来、コモディティとは商品取引市場において売買されるような商品を指す。具体的には、小麦やトウモロコシなどの農産物、石油・石炭・金・銀などの鉱物資源、繊維・ゴムなどの原材料などをいう。(以上引用)

何が言いたいのかわかりますか?
沖縄の染織品の多くがコモディティ化しようとしている、あるいはもうしてしまったと言うことです。

これは、どういう事を意味するかといえば、他の染織品との差別化要因がなくなって、価格中心に動くようになる、と言うことです。

現実に、私が訪問販売に出かけても、沖縄の染織品だと言って、商品を見て頂けるお客様が10年前と比べても激減しています。

もちろん、不景気のせいもあるのでしょうが、それだけではないと想います。

現実には、沖縄の染織と言っても、作家によって様々であり、うっとりするような良い作品も、うんざりするような駄作もあります。

しかし、コモディティ化の怖いところは、消費者の頭の中で、一口に『沖縄染織』というイメージで括られてしまうという事です。

着物が好きな方ならば、どこかの呉服屋の展示会で一度くらいは沖縄の作品を見たことがあるでしょう。

買われた方も買われなかった方も、沖縄の染織品のイメージがそこで固まってしまいます。

大島がそうなっていますね。

大島というのは、非常に精巧な技術で織られたすばらしい染織品で、本当に良い物はめちゃくちゃ良いのです。

でも、普及品を見て、『大島なんてあんなもの』と想われた消費者は、もう興味を示さない。

よっぽど安ければ、『じゃ、一枚くらいあってもいいか』と買うかもしれません。

珍品、希少品の土俵から外されてしまっているのです。

大島といえば、私がこの業界に入る前、1980年代は飛ぶ鳥を落とす勢いで、めちゃくちゃに売れていたのです。

それが、なぜそんなことになったかというと、売れすぎたからです。

売れすぎたというのは、大増産と廉価販売です。

大増産するためには、ロットを大きくせねばならないし、デザインを単純化せねばなりません。

手作りである以上、一定レベルの作品はそれなりの手間と労力を掛けねばならないのに、売れるからと言って、『質』より『量』を優先した結果です。

これは必ず、コモディティ化を招きます。

引用文の最後に書かれているように、『トウモロコシ』や『大豆』の様にキロなんぼで売られるような商品になってしまいます。

うちの様な零細企業は、大手のやらない希少品を集め、つくり出して勝負せねばなりません。

マーケティングの競争戦略で言うニッチャーです。

ニッチャーというのは市場の隙間を狙うわけですが、扱う商品がコモディティ化してしまうと、それは隙間市場ではなくなります。

南風原の絣、花織、久米島紬、琉球びんがた、このあたりの品物は、どこにでもある商品になってしまっています。

デパートの店頭などで、たまたま当社の作品をご覧になったお客様が、『へー沖縄にもこんないろんな作品があるですね!』と口々におっしゃるのは、いかに他の沖縄染織展がどこに行っても同じような物しか並べていないかを物語っています。

しかし、問題は、すでに『沖縄の染織展』に足を運ぼうと想うお客様がかなりのスピードで減っているという事実なのです。

これは、不景気のせいだけではありません。

野放図な増産のツケをこれから払わされるのです。

伝統染織において、新しい技法を取り入れる事はその性質から言って非常に難しいですし、正直言って、もう産地全体を救うことは出来ないだろうと想います。

どんなに工夫しても、どんな良い物を造っても、産地の枠にはめられて十把一絡げにされてしまいます。

コモディティ化している商品がどのようにして市場で新たな付加価値を認められたのか?

沖縄名菓のちんすこうを考えて見ましょうか。

ちんすこうは、復帰後、粗悪品が大量に作られて、悪評が広まってしまい、沖縄に行くと言ったら『ちんすこうだけはいらないよ!』と言われるくらいになってしまっています。大量に作られすぎたために、長期在庫となり、そのために油が回ってしまったのが不味くなった原因と言われています。また、簡単に作れるので、メーカーも増えすぎたのです。

私は、『新垣菓子店のちんすこうならお勧めです。だまされたと想って食べてください』と言っています。当社の展示会でも新垣菓子店のちんすこうをお出しするこがあります。

別に新垣菓子店から何ももらっていませんが、食べた方は『あれ、これは美味しいね!』と必ずおっしゃいます。

『歯くそ菓子』と言われて不味い名物の代表選手のようなちんすこうもお店によっては美味しいのだ、と言うことを知らせる事なのです。

ちんすこう=沖縄名菓という図式を崩すのです。

織物でいえば、花織=沖縄伝統染織という枠から出る。

つまり、私の織物、私の染物で勝負するということです。

その中に、伝統技法を加えればいい。

私が作家だとしたら、萬代屋宗晏の作品として訴えれば良いのです。

伝統を守る反面、新しい素材・技法に取り組む事も必要です。

組合の証紙なんて捨ててしまいなさい。

組合の証紙がコモディティ化の証となってしまっているのです。

首里の人が芭蕉や苧麻に取り組むのもよいでしょうし、伝統的な構図を崩しても良い、あらたな絣柄を起こすのも良いでしょう。

業者によっては沖縄で括りたい、あなたの作品を沖縄染織展に加えたいというのもいるでしょう。

それは、それで産地にいる強み。沖縄染織であることを否定する必要はありません。

簡単に言えば、産地で束になるのではなく、個人で勝負するのです。

個展を開くつもりで様々な作品にチャレンジする。

個展をひらけるのは、トップの人だけだと想ったら間違いです。

芸大生でも個展をやっています。

内地では産地でもない場所でぽつんと工房を持って立派にやっている作家さんも数多くいるのです。

私の作品はトウモロコシや大豆でもない。

ウージでもゴーヤでもない。

○○農園のバリバリ甘い完熟マンゴーを作って売ればいいのです。

琉球藍の上山弘子さんをこのブログでも何度もご紹介していると想いますが、彼女の藍は琉球藍だから愛用されているのでは無いと想います。琉球藍のよさを知っているユーザーが上山さんの事を知り、その藍に満足したからまた買うのでしょう。だから、彼女のは琉球藍ではなくて、『上山弘子の藍』なんですね。

コモディティ化したものを追いかけてもしかたないですし、そこに入って制作を続けることは『作家』から『織り子』になる事を意味します。

私も、コモディティは追いません。

消費者の方が欲しいと想っているのは沖縄の染織品では最早なくて、『自分にあう優れた魅力ある作品』なのです。

Posted by 渡辺幻門 at 21:19│Comments(0)
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