2011年10月27日
アカデミックハラスメント
私は最近になってこの言葉を知りました。
アカデミックハラスメントとは・・・
(略称・アカハラ)は、大学などの学内で、教授や教職員がその権力を濫用して学生や配下の教員に対して行う、数々の嫌がらせ行為。上下関係を利用した嫌がらせであるためパワーハラスメントの1類型ととらえることができる。また、大学の学内で生じやすい点を捉えれば、キャンパスハラスメントにも分類できる。
私は、高校までもそれなりに、大学の時はまさに花盛りという位、学生生活を謳歌していましたので、こんなことがあるなどとは夢にも思いませんでした。
でも現実には頻発しているようです。
こんなNPOまであるんです。
アカデミックハラスメントをなくすネットワーク
http://www.naah.jp/
最近、大学を出た人達や先生方から、教師から嫌がらせを受けたとか、大学内でいろんな問題があったなんて話は聞いていましたが、
そんなのはごく少数の異常人格者がやっている事だろう、位にしか思っていませんでした。というか思えなかったのです。
少なくとも、慶應にはそんな先生はいませんでしたから。
ところが、私も似たような目にあったのです。
どこのどの大学とは言うのを控えますが、知っている人は知っているでしょう。
その中のある特定の教員に強烈な嫌がらせと弾圧を受けたんです。
知人とそんな話をしていたら、『そら、アカハラっちゅうやっちゃ。ほっといたら他の学生さんもえらい目に遭うで!』というのです。
私は基本的に性善説をとっているので、そんな風には思えなかったし、もう思い出すのも気分が悪いので、記憶から消し去る事に
していましたが、勉強する学生さんに良い環境を与えられないとなると、これは問題です。
私の仕事は、染織家を育てて、次代につなぐことですから、その障害になる行為をする人は私の敵です。
私は、多くの先生方、友人(もちろん親)のおかげで、素晴らしい学生生活を送ることが出来ました。
だから、私は母校の慶應義塾が大好きです。
素晴らしい先生と仲間に支えられた輝く4年間があったから、社会に出てものびのびと物も言えるし、思う存分の活動ができるんだと思います。
それが、教師に理不尽な理由で怒鳴りつけられ、罵倒され、やることなすこと全否定される様なら、その学生は大学が嫌いになるでしょうし、
坊主にくけりゃ袈裟まで憎いで、友達とも縁遠くなると思います。そして社会人になってからも何か心細い想いをするはずです。
アカハラ教員は何故そんなことができるかというと、単位・進級・卒業・就職という伝家の宝刀を持っているからです。
アカハラをされている友人を見て見ぬふりをしている構図は、まさにいじめっ子を生むそれと同じです。
大学の教師は研究者だからその個性が尊重されるべきだぁ?
馬鹿を言っちゃいけません。
だったら、研究だけしてなさいよ!!
大学教員のもっとも大きな仕事は、社会に出て行く若い人達に実践は無理としても、戦いに臨むための夢と勇気を持たせる所じゃないでしょうか。
私はもう、ひねたオッサンですから、少々のことでは夢も勇気も失いませんが、それでも、奥歯が削れるぐらい、爪が手のひらに食い込むくらい頭に来ました。
そんなのは教育でもなんでもないのです。
私が作家さんに対してボロカスに言って、作家さんが良い物をつくると思いますか?
そうだと思っている人がいたら、それはドアホです。
恫喝し罵倒し、欠点をあげつらっても決して良い結果は生まないし、その作家が伸びることはない。
もちろん、致命的な事は指摘してあげて、解決方法を一緒に考えます。
それも、その作家を救いたいと思う大きな長所があるからです。
人を育てる時には、長所を伸ばしてあげる、磨きを掛けてあげる事が大切なのです。
作り手は自分の長所に案外気づいていない場合が多い。それを気づかせてあげるのです。
そして、欠点を補う方法を教えてあげて、安心と自信を持って、仕事に取り組めるようにしてあげる。
大学教師の仕事もおなじだと思うのです。
実は、この教師のアカハラが理由であると明確に大学側に伝えて退学した人が今年だけで二人いるそうです。
それ以前にも何度も問題はおこっているとう話です。問題というのは授業欠席や転出・退学ということです。
大学側は認識しているそうですが、今のところ動こうとはしていないと聞いています。
大学というのは一体何のために、誰のためにあるのでしょう。
就職の厳しい今の時代なら、なおさら、学生さんを大切に教育して、力を付けさせてあげる事が必要であるし、
そのための環境を整えなければならないのではないでしょうか。
自分のもっている権限を振りかざして、学生が困って泣いていても、ヘラヘラ笑い、自分の地位にのぼせ上がっている教員がいたとしたら、
私は、絶対に許せない。
それをのさばらせている大学当局も、最高学府の看板を返上すべきです。
大学は猿山や牢屋じゃない。
猿山なら、ボス猿のマウンティングもあるし、牢屋なら牢名主に屈辱的な事もされることもあるでしょう。
しかし、大学というところは知識と良識の源泉なのです。
大学当局も教員もみんなそれを理解、自覚しているのでしょうか。
同僚の大学教員も、被害を受けている学生さんの友人も、見て見ぬふりをしていてはいけないのです。
『天は人の上に人をつくらず』
『義を見てせざるは勇なきなり』
アカデミックハラスメントとは・・・
(略称・アカハラ)は、大学などの学内で、教授や教職員がその権力を濫用して学生や配下の教員に対して行う、数々の嫌がらせ行為。上下関係を利用した嫌がらせであるためパワーハラスメントの1類型ととらえることができる。また、大学の学内で生じやすい点を捉えれば、キャンパスハラスメントにも分類できる。
私は、高校までもそれなりに、大学の時はまさに花盛りという位、学生生活を謳歌していましたので、こんなことがあるなどとは夢にも思いませんでした。
でも現実には頻発しているようです。
こんなNPOまであるんです。
アカデミックハラスメントをなくすネットワーク
http://www.naah.jp/
最近、大学を出た人達や先生方から、教師から嫌がらせを受けたとか、大学内でいろんな問題があったなんて話は聞いていましたが、
そんなのはごく少数の異常人格者がやっている事だろう、位にしか思っていませんでした。というか思えなかったのです。
少なくとも、慶應にはそんな先生はいませんでしたから。
ところが、私も似たような目にあったのです。
どこのどの大学とは言うのを控えますが、知っている人は知っているでしょう。
その中のある特定の教員に強烈な嫌がらせと弾圧を受けたんです。
知人とそんな話をしていたら、『そら、アカハラっちゅうやっちゃ。ほっといたら他の学生さんもえらい目に遭うで!』というのです。
私は基本的に性善説をとっているので、そんな風には思えなかったし、もう思い出すのも気分が悪いので、記憶から消し去る事に
していましたが、勉強する学生さんに良い環境を与えられないとなると、これは問題です。
私の仕事は、染織家を育てて、次代につなぐことですから、その障害になる行為をする人は私の敵です。
私は、多くの先生方、友人(もちろん親)のおかげで、素晴らしい学生生活を送ることが出来ました。
だから、私は母校の慶應義塾が大好きです。
素晴らしい先生と仲間に支えられた輝く4年間があったから、社会に出てものびのびと物も言えるし、思う存分の活動ができるんだと思います。
それが、教師に理不尽な理由で怒鳴りつけられ、罵倒され、やることなすこと全否定される様なら、その学生は大学が嫌いになるでしょうし、
坊主にくけりゃ袈裟まで憎いで、友達とも縁遠くなると思います。そして社会人になってからも何か心細い想いをするはずです。
アカハラ教員は何故そんなことができるかというと、単位・進級・卒業・就職という伝家の宝刀を持っているからです。
アカハラをされている友人を見て見ぬふりをしている構図は、まさにいじめっ子を生むそれと同じです。
大学の教師は研究者だからその個性が尊重されるべきだぁ?
馬鹿を言っちゃいけません。
だったら、研究だけしてなさいよ!!
大学教員のもっとも大きな仕事は、社会に出て行く若い人達に実践は無理としても、戦いに臨むための夢と勇気を持たせる所じゃないでしょうか。
私はもう、ひねたオッサンですから、少々のことでは夢も勇気も失いませんが、それでも、奥歯が削れるぐらい、爪が手のひらに食い込むくらい頭に来ました。
そんなのは教育でもなんでもないのです。
私が作家さんに対してボロカスに言って、作家さんが良い物をつくると思いますか?
そうだと思っている人がいたら、それはドアホです。
恫喝し罵倒し、欠点をあげつらっても決して良い結果は生まないし、その作家が伸びることはない。
もちろん、致命的な事は指摘してあげて、解決方法を一緒に考えます。
それも、その作家を救いたいと思う大きな長所があるからです。
人を育てる時には、長所を伸ばしてあげる、磨きを掛けてあげる事が大切なのです。
作り手は自分の長所に案外気づいていない場合が多い。それを気づかせてあげるのです。
そして、欠点を補う方法を教えてあげて、安心と自信を持って、仕事に取り組めるようにしてあげる。
大学教師の仕事もおなじだと思うのです。
実は、この教師のアカハラが理由であると明確に大学側に伝えて退学した人が今年だけで二人いるそうです。
それ以前にも何度も問題はおこっているとう話です。問題というのは授業欠席や転出・退学ということです。
大学側は認識しているそうですが、今のところ動こうとはしていないと聞いています。
大学というのは一体何のために、誰のためにあるのでしょう。
就職の厳しい今の時代なら、なおさら、学生さんを大切に教育して、力を付けさせてあげる事が必要であるし、
そのための環境を整えなければならないのではないでしょうか。
自分のもっている権限を振りかざして、学生が困って泣いていても、ヘラヘラ笑い、自分の地位にのぼせ上がっている教員がいたとしたら、
私は、絶対に許せない。
それをのさばらせている大学当局も、最高学府の看板を返上すべきです。
大学は猿山や牢屋じゃない。
猿山なら、ボス猿のマウンティングもあるし、牢屋なら牢名主に屈辱的な事もされることもあるでしょう。
しかし、大学というところは知識と良識の源泉なのです。
大学当局も教員もみんなそれを理解、自覚しているのでしょうか。
同僚の大学教員も、被害を受けている学生さんの友人も、見て見ぬふりをしていてはいけないのです。
『天は人の上に人をつくらず』
『義を見てせざるは勇なきなり』
Posted by 渡辺幻門 at 21:54│Comments(0)
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