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  | 羽曳野市

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2011年04月30日

『愛しきソナ』 【七藝で映画を観る】

前々から行きたいと想っていた十三の第七芸術劇場(通称:七藝)に行ってきました。
『愛しきソナ』 【七藝で映画を観る】


ここでは大劇場にはかからない渋い作品が上映されます。

http://www.nanagei.com/movie/data/485.html


今日観たのは、『愛しきソナ』

平壌に住む姪を大阪に住む叔母が描いた作品です。

最終的にソナは平壌の金日成なんとか大学に入学するので、この一族は平壌でも恵まれた家庭なのでしょうが、電気は一日二時間しか通らず、ガスもプロパンで非常に高価。母親とは死に別れ、その後もまた3人目の母を迎えることになる。

そんな中でもソナはまったく曲がることなく育ち、周囲も愛情一杯に育てる。継母も本当の娘のように惜しみなく愛情を注ぎ続ける。

決して豊かではないのに、日本から叔母が来るとなると、同じアパートの住人からケータリングを頼み、めいっぱいのもてなしをし、継母はギターを弾いて故郷や父母を想う歌を皆の前で歌う。


人間の豊かさとは何なのか、人間は何のために豊かさを追い求めようとするのか・・・私はつくづく考えさせられました。

日本なら最底辺といわれるような生活です。でも、みんなが愛し合い、子は親を思い、親は子に惜しみなく愛情を注ぐ。

豊かになった日本は、親をないがしろにし、子供達はゲームに没頭して、人を人とも思わぬ傍若無人ぶり。長幼の序などどこへやら。平等主義がはびこる日本は本当に醜いと私は思います。

もちろん、この映画は北朝鮮問題を描きながらも、あの国の人権弾圧に蓋をし、ある意味で美化している部分があることは否定しません。

しかし、すくなくとも人間の情という面においては日本人よりもはるかに美しいと私には思えました。

豊かになったために、人として一番大切な物を失ってしまったのだとしたら、とんでもない代償を払ったことになるのではないでしょうか。

お金のために、人を裏切り、国を売り、またその人を礼賛する風潮のあるこの日本は本当に良い國だと言えるのでしょうか。

30年以上も親が死んだことを知らずにいた、これが飽食日本の実態なのです。

作者が描きたかった事とは違うのかも知れませんが、私はこの映画を観て、本当に日本は病んでいる、戦後懸命に経済的豊かさを追い求めてきた私たちは一体何をしてきたんだろうかと想い、心が重くなりました。

戦後、日本人は『個人』という物を重んじる教育を受けてきました。親も先生も同じ。国や公より一番大切なのは個人であり個性であるとされてきたのです。その結果、日本人が持つ最大の美徳が失われてしまったのでのではないでしょうか。

たとえば『親孝行』という言葉を最近はほとんど聞くことが無くなりました。特に男性の口から聞いた覚えがない。女性は自分の親は面倒みるけど、夫の親は面倒見無い。継子は自分の子と差を付ける。なぜ?『私は夫と結婚したのであって、家の嫁ではないから』

このソナの継母の前でそれを言ってみるが良い。そしてそれを諭しきれない男も、家や家族というものがどういうものか考え直してみるが良い。

金の為に、お世話になった上司や主人を裏切り、客を欺く。家庭が崩壊しているから、職場の秩序も崩壊するのです。

金正日を礼賛する歌を高らかに歌うソナの姿を見ると、かわいそうにも思えますが、反面、自由というものが人間を脆弱にするのではないかとも思えます。金正日が間違った暴君であるとしても、彼らには守らなければならない物があるから強いのではないかと思えてきます。

朝鮮半島の人たちが愛に溢れた民族だと単純に言えない事は私も知っています。しかし、彼らの生活を観ると、なにか日本人が忘れてきてしまった、あるいは失ってしまった物を見せつけられるような気がするのは私だけではないと想います。

非常に衝撃を受けた映画でした。

『愛しきソナ』 【七藝で映画を観る】
Posted by 渡辺幻門 at 21:42│Comments(0)
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