2011年03月27日
もずやと学ぶ染織マーケティング<第12回目>
3−3 メッセージの選択
今回も水曜日は沖縄に滞在しているので早めにアップしますね。
ここは、最重要ポイントです。
この間私が受けた『アートマネジメント』の核心はここにあります。
ここでは、コカ・コーラのはなしが書かれていますね。
非常にわかりやすいと想います。
○ 優れたプロモーションを行うには、考えられるさまざまなメッセージの中から、製品・サービスの販売を強力に促進するものを選択しなければならない。
そのためには以下の3つが必要だと書かれています。
? ターゲットとなる買い手に対する訴求力がある
? 競争相手が模倣することの困難な優位性が確立される
? マーケティング・ミックスの他の要素との整合性がとれている。
コカ・コーラのはなしを読んでいると、発信しているメッセージが味や効能ではないことに気づくと想います。コーラはおいしいとか、体によいとか、栄養があるとかはありません。
コカ・コーラが発信するのはコカ・コーラの提供する生活シーンや心の状態であることがわかるでしょう。
重要なことは、コラム3−4に書かれています。
メッセージの作成はコンセプト形成→表現制作の順をたどります。
マーケターが担当するのはこの『コンセプトの形成』です。
この染織マーケティングでは、マーケターとは染織家自身を指します。
メッセージの作成は通常はコピーライターや音楽家が行います。
染織の場合は、問屋や小売店かもしれませんね。
コンセプトが間違っていれば、有効なメッセージは絶対に作れないということです。
○ マーケティングの役割はメッセージのコンセプトを定めることで、さまざまな専門家との協同作業の効率性と創造性を高めることである。
=『コンセプト・ブリーフ』を作成すること
コンセプトとその背景の明確かつ簡潔な記述
とても重要ですよ。
今の状況はどうですか。
物を作って、問屋や小売店に渡し、販売にかける。
問屋や小売店は、どんな情報を持って、どんな事を言って売っているのか、作り手は知らないし、知ろうともしない。
沖縄の染織はどういう風に紹介されてきたでしょうか。
40年前の沖縄復帰のとき、沖縄染織に対して問屋が掲げたコンセプトは『裸足の沖縄』だったのです。当時、沖縄ではまだ裸足で生活しているお年寄りがいらした。それを見た問屋が『沖縄はまだ裸足で生活している。貧しい沖縄だから手作りの物が安くできる』と言われていたのです。ですから、当時は、良い物をつくるよりも安い物を作る事が優先されました。八重山上布は経緯ラミーでしたし、南風原の絣もスリップするような代物が多かったのです。そんな中で、『琉球王朝の輝かしい歴史と文化』を掲げたのは唯一弊社だけだったんです。
首里織と琉球びんがた(以下紅型)を見てみましょう。
首里織と紅型は主に氏族によって作られ、着用するのも貴族・王族といった上流階級でした。沖縄は海洋国家として繁栄したとされていますが、それは同時に他国からの侵略に悩まされてきたという事でもあります。南洋の小国であった琉球がいかにその存在を保ってきたのか。それは卓越した文化力であったのです。その文化の象徴が首里織であり紅型なのです。紅型がなぜあれだけ華やかなのか。それは琉球王朝の威厳を表しているからなのです。
それがどう紹介されていると想いますか?オバアやオジイが作っている素朴な織物、染め物と紹介されているのです。
そこには民芸運動の影響も大きく影をおとしていると言わざるを得ません。首里の人はなぜ、首里の織物や紅型は決して民衆的工芸などではない、と反論しなかったのでしょうか。私が民芸運動を執拗に攻撃するのは、民芸の呪縛から沖縄を解放するためなのです。
沖縄染織を紹介するときに、歴史や文化の知識が必須であるのは、その光の部分を知っていないと、正しく有効なメッセージが形成できないからです。
なぜなら、沖縄の歴史や文化は『誰もまねの出来ない独自のものだから』です。
私が、内地の趣味にすり寄ったいじけた作品を嫌うのは、コンセプトが間違っているからです。
もちろん、現代の和装需要に見合った作品を作る努力はしなければなりません。しかし、その根本には『沖縄の歴史と文化に対する誇り』が無ければならないと私は思います。
宮古上布、八重山上布、久米島紬が紹介されるとき、人頭税の話がよくされます。私は、この種のお涙頂戴的な話をすることにずっと疑問を持ってきました。
どんな本を読んでも必ず書いてありますし、ビデオを見ても出てきます。人頭税石も映されてたりしています。
これって、これらの作品をアピールするために有効でしょうか。もちろん人頭税によって苦しめられたのは事実です。でも、だれに抗議をしているのか。それに同情したり贖罪意識をもって作品を購入する人など皆無です。それより、『イヤな話を聞いた』と購買意欲をそがれてしまう場合の方が多いのではないでしょうか。
私は最近『ミンサー全書』という本を読んで、人頭税に対するモヤモヤが吹っ飛びました。なぜ、あれだけ人頭税に苦しめられる事になったのか。誤解を受けるといけませんので、ここでは書きませんが、沖縄の女性のつよさと勤勉さをよく物語っている話だと想いました。
作品についてよい印象を持ってもらう。そのためにコンセプトを作るのです。
苦難の歴史など、聞きたくもない。
沖縄に行くと戦争の話をされるから、行きたくないというお客様もたくさんいらっしゃるのです。
しかし、沖縄というところは、何度も言うように素晴らしい歴史と文化を持っています。そして、風土や県民性も非常に魅力的です。
それら、歴史・文化・風土・県民性から染織は生まれるのです。
伝統工芸のコンセプトはすべからく、ここから生まれるのです。
ですから、沖縄を愛していない人に、沖縄の染織が扱える訳がないのです。
沖縄の染織に携わる人、また、それ以外の地域でその地方の伝統工芸に携わる人は、ご当地の歴史、文化、風土を深く知り、研究すべきです。
宮古上布、八重山上布、久米島紬、芭蕉布・・・
これらを野良着と馬鹿にする人がいます。
とんでもない話です。
首里王府にはデザインルームがあり、その中でデザイナーがデザインを決めて、織らせていたのです。それが各離島にも波及した。そのデザイン本が『御絵図帳』です。
そのデザイナーが決めたデザインで作られた染織品たちは、貢納布として、王族・貴族が着用したり、島津藩への上納品、あるいは輸出品とされていたのです。
この、どこが野良着ですか?
作り手はその事を、問屋などの流通業者にきちんと理解させねばなりませんし、自らの作品に誇りを持たねばなりません。
その『想い』こそがコンセプトの源であり、それが波及して、作品づくり、流通業者の扱い方、消費者の見る目が変わっていくのです。
価値があるのは物である作品ではありません。
作品にこめられた『想い』です。
その『想い』こそがコンセプトであり、
『想い』は形がないから無限に広がるのです。
今回も水曜日は沖縄に滞在しているので早めにアップしますね。
ここは、最重要ポイントです。
この間私が受けた『アートマネジメント』の核心はここにあります。
ここでは、コカ・コーラのはなしが書かれていますね。
非常にわかりやすいと想います。
○ 優れたプロモーションを行うには、考えられるさまざまなメッセージの中から、製品・サービスの販売を強力に促進するものを選択しなければならない。
そのためには以下の3つが必要だと書かれています。
? ターゲットとなる買い手に対する訴求力がある
? 競争相手が模倣することの困難な優位性が確立される
? マーケティング・ミックスの他の要素との整合性がとれている。
コカ・コーラのはなしを読んでいると、発信しているメッセージが味や効能ではないことに気づくと想います。コーラはおいしいとか、体によいとか、栄養があるとかはありません。
コカ・コーラが発信するのはコカ・コーラの提供する生活シーンや心の状態であることがわかるでしょう。
重要なことは、コラム3−4に書かれています。
メッセージの作成はコンセプト形成→表現制作の順をたどります。
マーケターが担当するのはこの『コンセプトの形成』です。
この染織マーケティングでは、マーケターとは染織家自身を指します。
メッセージの作成は通常はコピーライターや音楽家が行います。
染織の場合は、問屋や小売店かもしれませんね。
コンセプトが間違っていれば、有効なメッセージは絶対に作れないということです。
○ マーケティングの役割はメッセージのコンセプトを定めることで、さまざまな専門家との協同作業の効率性と創造性を高めることである。
=『コンセプト・ブリーフ』を作成すること
コンセプトとその背景の明確かつ簡潔な記述
とても重要ですよ。
今の状況はどうですか。
物を作って、問屋や小売店に渡し、販売にかける。
問屋や小売店は、どんな情報を持って、どんな事を言って売っているのか、作り手は知らないし、知ろうともしない。
沖縄の染織はどういう風に紹介されてきたでしょうか。
40年前の沖縄復帰のとき、沖縄染織に対して問屋が掲げたコンセプトは『裸足の沖縄』だったのです。当時、沖縄ではまだ裸足で生活しているお年寄りがいらした。それを見た問屋が『沖縄はまだ裸足で生活している。貧しい沖縄だから手作りの物が安くできる』と言われていたのです。ですから、当時は、良い物をつくるよりも安い物を作る事が優先されました。八重山上布は経緯ラミーでしたし、南風原の絣もスリップするような代物が多かったのです。そんな中で、『琉球王朝の輝かしい歴史と文化』を掲げたのは唯一弊社だけだったんです。
首里織と琉球びんがた(以下紅型)を見てみましょう。
首里織と紅型は主に氏族によって作られ、着用するのも貴族・王族といった上流階級でした。沖縄は海洋国家として繁栄したとされていますが、それは同時に他国からの侵略に悩まされてきたという事でもあります。南洋の小国であった琉球がいかにその存在を保ってきたのか。それは卓越した文化力であったのです。その文化の象徴が首里織であり紅型なのです。紅型がなぜあれだけ華やかなのか。それは琉球王朝の威厳を表しているからなのです。
それがどう紹介されていると想いますか?オバアやオジイが作っている素朴な織物、染め物と紹介されているのです。
そこには民芸運動の影響も大きく影をおとしていると言わざるを得ません。首里の人はなぜ、首里の織物や紅型は決して民衆的工芸などではない、と反論しなかったのでしょうか。私が民芸運動を執拗に攻撃するのは、民芸の呪縛から沖縄を解放するためなのです。
沖縄染織を紹介するときに、歴史や文化の知識が必須であるのは、その光の部分を知っていないと、正しく有効なメッセージが形成できないからです。
なぜなら、沖縄の歴史や文化は『誰もまねの出来ない独自のものだから』です。
私が、内地の趣味にすり寄ったいじけた作品を嫌うのは、コンセプトが間違っているからです。
もちろん、現代の和装需要に見合った作品を作る努力はしなければなりません。しかし、その根本には『沖縄の歴史と文化に対する誇り』が無ければならないと私は思います。
宮古上布、八重山上布、久米島紬が紹介されるとき、人頭税の話がよくされます。私は、この種のお涙頂戴的な話をすることにずっと疑問を持ってきました。
どんな本を読んでも必ず書いてありますし、ビデオを見ても出てきます。人頭税石も映されてたりしています。
これって、これらの作品をアピールするために有効でしょうか。もちろん人頭税によって苦しめられたのは事実です。でも、だれに抗議をしているのか。それに同情したり贖罪意識をもって作品を購入する人など皆無です。それより、『イヤな話を聞いた』と購買意欲をそがれてしまう場合の方が多いのではないでしょうか。
私は最近『ミンサー全書』という本を読んで、人頭税に対するモヤモヤが吹っ飛びました。なぜ、あれだけ人頭税に苦しめられる事になったのか。誤解を受けるといけませんので、ここでは書きませんが、沖縄の女性のつよさと勤勉さをよく物語っている話だと想いました。
作品についてよい印象を持ってもらう。そのためにコンセプトを作るのです。
苦難の歴史など、聞きたくもない。
沖縄に行くと戦争の話をされるから、行きたくないというお客様もたくさんいらっしゃるのです。
しかし、沖縄というところは、何度も言うように素晴らしい歴史と文化を持っています。そして、風土や県民性も非常に魅力的です。
それら、歴史・文化・風土・県民性から染織は生まれるのです。
伝統工芸のコンセプトはすべからく、ここから生まれるのです。
ですから、沖縄を愛していない人に、沖縄の染織が扱える訳がないのです。
沖縄の染織に携わる人、また、それ以外の地域でその地方の伝統工芸に携わる人は、ご当地の歴史、文化、風土を深く知り、研究すべきです。
宮古上布、八重山上布、久米島紬、芭蕉布・・・
これらを野良着と馬鹿にする人がいます。
とんでもない話です。
首里王府にはデザインルームがあり、その中でデザイナーがデザインを決めて、織らせていたのです。それが各離島にも波及した。そのデザイン本が『御絵図帳』です。
そのデザイナーが決めたデザインで作られた染織品たちは、貢納布として、王族・貴族が着用したり、島津藩への上納品、あるいは輸出品とされていたのです。
この、どこが野良着ですか?
作り手はその事を、問屋などの流通業者にきちんと理解させねばなりませんし、自らの作品に誇りを持たねばなりません。
その『想い』こそがコンセプトの源であり、それが波及して、作品づくり、流通業者の扱い方、消費者の見る目が変わっていくのです。
価値があるのは物である作品ではありません。
作品にこめられた『想い』です。
その『想い』こそがコンセプトであり、
『想い』は形がないから無限に広がるのです。
Posted by 渡辺幻門 at 16:41│Comments(0)
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