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  | 羽曳野市

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2011年10月13日

福沢晩年の憂い



☆☆☆全国通信三田会2010年秋期幹事会記念講演要旨☆☆☆
福沢諭吉の文明論
―特に地方への眼差し―
慶應義塾福沢研究センター  都倉 武之 先生

福沢晩年の憂い

 その観点から考えますと、福沢は大満足で生涯を終えていったわけではないようです。むしろその逆で、自分の言葉に従って実業界に進んだ多くの門下生たち、あるいはその人たちを中心に、いよいよ盛んになってきた日本の実業界の人士のあり方に、強い不満を持ちながら生涯を終えていったようです。名を上げた実業家には、日々酒池肉林の宴会を繰り広げ、自分たちだけが良ければ良いという商売に走ってしまった人たちもいました。福沢は智と徳のうち、これまでの日本は儒教ばかり勉強していて十分徳(モラル)を備えているから、むしろ智を備えなければと『文明論之概略』では智を強調していますが、彼らの実践に徳が大きく欠けてしまったことに大変失望したようです。最晩年の福沢は、信頼する門下生を全国に派遣して、「独立自尊」という語を柱とするモラル向上の運動を開始しまして、最晩年には慶應義塾を解散してその売却資金をその運動にあてようと主張したこともあったという記録があります。晩年の福沢はそれほどに実業界あるいは日本の智徳の状態に危機感を抱いて亡くなったようです。『福翁自伝』の最後には、人生愉快でたまらなかったというように書いているんですが、実は自分の思想を受け継いだという門下生たちが自分の考え方を十分に理解しておらず、社会において違うことをしているのではないかという違和感を強く持っていたということが、様々な資料から明らかになってきています。

 「衆心発達」を目指し、広く人々が高め合っていく状態が「文明」であり、慶應義塾出身者はその先導者でなければならないと考えた福沢でしたが、果たして福沢のいう「文明」は今日の日本にあるのでしょうか。また慶應義塾出身者はその担い手になり得ていると言えるでしょうか。時代状況が随分変わっているとはいえ、現状に卑屈にならず、自ら考え行動する精神的独立を保ち、なおかつ経済的にも独立した、真の独立した個人になっているだろうか、そういうことを今一度考えることは、慶應義塾出身者にとって無意味ではないと思います。独立した個人の全国各地での主体的な活動、社会活動によって、日本全体を高めていく、そういった成熟した民間の姿をいま我々は実践しているだろうか、そういうことを創立者を知ることによって身近に考える機会を持てるということ、それを慶應義塾出身者はもっと活かしても良いのではないかと思います。「独立」した「民」が育つところに「文明」があり、そこに人々の幸福もあると福沢は考えました。福沢という人は「独立」や「文明」というものを、どこか遠くの話ではなく、身近な自分の問題として時に思い返して考えるという、今日なお新しい問題を提起し続けてくれています。
Posted by 渡辺幻門 at 22:09│Comments(0)
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