2011年06月12日
詐欺師よばわり
私達、呉服業者は、詐欺師呼ばわりをされるようになってしまいました。
詐欺師と言われなくても、『深くつきあえば着物を無理矢理買わされる恐ろしい存在』と思われています。
もちろん、私はそんな事はしませんし、そんな事をしないと食べていけないなら、さっさとこの業界から足を洗います。
しかし、呉服屋といえば、『ぼったくり』『押しつけ販売』の代名詞になってしまったのはどうしてなのでしょうか。
昔は、呉服店は上品なよい商売と思われていましたし、商売人の中でも別格の扱いをされていました。
『坊さんと呉服屋は玄関から』という位、冠婚葬祭に密接に関わる地域の要役だったのです。
それが、どうしてこのていたらくになったのでしょう。
大きな理由は二つだと思います。
一つは、生産が過剰になったこと。もう一つは粗利益が大きいこと。
昭和40年代が今までの歴史の中で一番たくさんの着物が売れた時期だと言われています。
それはちょうど、団塊の世代が成人し、結婚・出産をしはじめた時代です。
私達の父母の世代は、5人、6人の兄弟は当たり前で、その分の着物が売れたのです。
もちろん、娘の嫁入りには着物を買って道具として持たせる。
後押ししたのは高度経済成長です。
娘3人いれば身上が潰れると言われたのもこの時期です。
それに呼応して、昭和50年代から和装製品の大増産が始まりました。
段階の世代を末端として、その子供達にも嫁入り道具として着物が買われたし、バブル経済の到来もあり、
拡大した生産もなんとかマーケットの中で吸収できたのです。
それが、変わったのがバブル崩壊、現実には神戸の震災後くらいからだと思います。
神戸の震災以降、嫁入り需要がパタリと止まります。
子供を産む数も減り、ジミ婚、核家族化も拍車がかかりました。
しかし、和装製品の供給体制は以前のままです。
当然の事ながら、過剰供給、過少需要となるわけです。
そうなると当然、価格は下がる。
現実に、生産段階では価格が下がっていました。
しかし、ここが和装市場の特殊性です。
消費者には値段が見抜けない。
どんどん進む着物離れによって消費者は物の価値もわからなくなっていく。
そこに登場したのが、催事販売です。
豪華な催事で気分を高揚させ、今まで通りかそれより高い価格で購入を誘う手法が採られるようになります。
呉服販売というのはもともと小売店の粗利が大きい商売です。
しかし、そこにさらに拍車をかけたのが催事販売を得意とするいわゆるNC(National Chain)です。
粗利が大きいうまみのある商売であり、消費者は物も価格もわからず、商品は豊富にある。
ましてや、生産者や問屋は、売りたくてしょうがない。しかし、商品は委託ですべてまかなえる。
こんな『爪の長い』商売を悪い人達が見逃すはずがありません。
着物も知らない、着物に愛情もない、そんな人たちが多数、この業界に雪崩をうって入って来ました。
あるいは、既存の呉服店も欲に眼がくらんで、まっとうな商売からドロップアウトしていったのです。
流通の力関係は
生産者<<問屋<<<<<小売店となってしまいます。
消費者の方々は、私達プロ同士の商売の様子を見たことがないでしょうが、それはまぁ、すごい光景を眼にすることがあります。
そんな状態で平成に入ってからNC全盛期となります。
これが、また大量の規格品を生む事になります。
NCは催事販売だけでなく店頭やカタログでも販売します。
そうなると同じ商品が店舗の数だけ必要となるわけです。
その売れ残りがぐるぐると市場を回ることになります。
NCは自ら起こした過量販売によって消費者から糾弾され、売約決定の最大兵器であった信販という手段を奪われます。
これで、一気に販売量は減少することになったのです。
NCのしわ寄せを受けた街の呉服屋は、それまでのおっとりした商売を続けていられなくなり、同じような催事販売や、接待攻勢、
などの手法を取り入れます。
そしてそれが、さらに生産者に値下げ圧力を掛けることになり、粗造が拡大していく。
粗造されるのに、販売価格は下がらない。こんな事がいつまでも続くわけがありません。
公共事業など政府支出の縮小、リーマンショックによって、一気にその膿がでることになります。
それが既存の流通からはみ出た、ネット販売やリサイクル着物です。
リサイクルというのは本当の着用済みのものや、タンスの中の仕立てあがった未着用品もありますが、その多くは、流通の不良在庫をしたてあげて売っているのです。
ここまで来ると、小売店の頼みはマンパワーです。
個人の人間関係をフルに活用して、商品を売り込む。
見ず知らずの人から買うほどの信用力自体をこの業界は失ってしまっているのです。
私がどんなに沖縄染織に精通し、それに熱い愛情を持っていようとも、消費者はそれさえも、『売るための方便』と取る。
口うるさいオッサンよりも、知り合いのオバチャンや年寄りの女性店員の言葉を信じるのです。
しかし、いまの状況は、私達の業界が自ら招いた事です。
私達、いまこの業界で飯を食うものは、その事を真摯に反省し、後始末をしなければなりません。
そうでなければ、この業界は『正直者がバカを見る』最悪のものになってしまいますし、努力のしがいがありません。
現に、私自身、若い人が着物で生計を立てていく術を教えることができないし、努力の方向も指し示すことができません。
希望に燃えた若い人達がどんどん生産にも流通にも入ってくる、そんな姿を取り戻すためには、
私達、業界人の信用回復と正当な評価を受ける環境作りをしなくてはならないのです。
いまの状態では、優秀な人は決してこの業界に入って来ません。
最早手遅れ、という言葉も多く聞かれますが、私は最後までこの国の文化力というものを信じたい。
せめて、まともに仕事をする人が、仕事を続けていける、そんな事のお手伝いをしたい、そんな思いでいます。
詐欺師と言われなくても、『深くつきあえば着物を無理矢理買わされる恐ろしい存在』と思われています。
もちろん、私はそんな事はしませんし、そんな事をしないと食べていけないなら、さっさとこの業界から足を洗います。
しかし、呉服屋といえば、『ぼったくり』『押しつけ販売』の代名詞になってしまったのはどうしてなのでしょうか。
昔は、呉服店は上品なよい商売と思われていましたし、商売人の中でも別格の扱いをされていました。
『坊さんと呉服屋は玄関から』という位、冠婚葬祭に密接に関わる地域の要役だったのです。
それが、どうしてこのていたらくになったのでしょう。
大きな理由は二つだと思います。
一つは、生産が過剰になったこと。もう一つは粗利益が大きいこと。
昭和40年代が今までの歴史の中で一番たくさんの着物が売れた時期だと言われています。
それはちょうど、団塊の世代が成人し、結婚・出産をしはじめた時代です。
私達の父母の世代は、5人、6人の兄弟は当たり前で、その分の着物が売れたのです。
もちろん、娘の嫁入りには着物を買って道具として持たせる。
後押ししたのは高度経済成長です。
娘3人いれば身上が潰れると言われたのもこの時期です。
それに呼応して、昭和50年代から和装製品の大増産が始まりました。
段階の世代を末端として、その子供達にも嫁入り道具として着物が買われたし、バブル経済の到来もあり、
拡大した生産もなんとかマーケットの中で吸収できたのです。
それが、変わったのがバブル崩壊、現実には神戸の震災後くらいからだと思います。
神戸の震災以降、嫁入り需要がパタリと止まります。
子供を産む数も減り、ジミ婚、核家族化も拍車がかかりました。
しかし、和装製品の供給体制は以前のままです。
当然の事ながら、過剰供給、過少需要となるわけです。
そうなると当然、価格は下がる。
現実に、生産段階では価格が下がっていました。
しかし、ここが和装市場の特殊性です。
消費者には値段が見抜けない。
どんどん進む着物離れによって消費者は物の価値もわからなくなっていく。
そこに登場したのが、催事販売です。
豪華な催事で気分を高揚させ、今まで通りかそれより高い価格で購入を誘う手法が採られるようになります。
呉服販売というのはもともと小売店の粗利が大きい商売です。
しかし、そこにさらに拍車をかけたのが催事販売を得意とするいわゆるNC(National Chain)です。
粗利が大きいうまみのある商売であり、消費者は物も価格もわからず、商品は豊富にある。
ましてや、生産者や問屋は、売りたくてしょうがない。しかし、商品は委託ですべてまかなえる。
こんな『爪の長い』商売を悪い人達が見逃すはずがありません。
着物も知らない、着物に愛情もない、そんな人たちが多数、この業界に雪崩をうって入って来ました。
あるいは、既存の呉服店も欲に眼がくらんで、まっとうな商売からドロップアウトしていったのです。
流通の力関係は
生産者<<問屋<<<<<小売店となってしまいます。
消費者の方々は、私達プロ同士の商売の様子を見たことがないでしょうが、それはまぁ、すごい光景を眼にすることがあります。
そんな状態で平成に入ってからNC全盛期となります。
これが、また大量の規格品を生む事になります。
NCは催事販売だけでなく店頭やカタログでも販売します。
そうなると同じ商品が店舗の数だけ必要となるわけです。
その売れ残りがぐるぐると市場を回ることになります。
NCは自ら起こした過量販売によって消費者から糾弾され、売約決定の最大兵器であった信販という手段を奪われます。
これで、一気に販売量は減少することになったのです。
NCのしわ寄せを受けた街の呉服屋は、それまでのおっとりした商売を続けていられなくなり、同じような催事販売や、接待攻勢、
などの手法を取り入れます。
そしてそれが、さらに生産者に値下げ圧力を掛けることになり、粗造が拡大していく。
粗造されるのに、販売価格は下がらない。こんな事がいつまでも続くわけがありません。
公共事業など政府支出の縮小、リーマンショックによって、一気にその膿がでることになります。
それが既存の流通からはみ出た、ネット販売やリサイクル着物です。
リサイクルというのは本当の着用済みのものや、タンスの中の仕立てあがった未着用品もありますが、その多くは、流通の不良在庫をしたてあげて売っているのです。
ここまで来ると、小売店の頼みはマンパワーです。
個人の人間関係をフルに活用して、商品を売り込む。
見ず知らずの人から買うほどの信用力自体をこの業界は失ってしまっているのです。
私がどんなに沖縄染織に精通し、それに熱い愛情を持っていようとも、消費者はそれさえも、『売るための方便』と取る。
口うるさいオッサンよりも、知り合いのオバチャンや年寄りの女性店員の言葉を信じるのです。
しかし、いまの状況は、私達の業界が自ら招いた事です。
私達、いまこの業界で飯を食うものは、その事を真摯に反省し、後始末をしなければなりません。
そうでなければ、この業界は『正直者がバカを見る』最悪のものになってしまいますし、努力のしがいがありません。
現に、私自身、若い人が着物で生計を立てていく術を教えることができないし、努力の方向も指し示すことができません。
希望に燃えた若い人達がどんどん生産にも流通にも入ってくる、そんな姿を取り戻すためには、
私達、業界人の信用回復と正当な評価を受ける環境作りをしなくてはならないのです。
いまの状態では、優秀な人は決してこの業界に入って来ません。
最早手遅れ、という言葉も多く聞かれますが、私は最後までこの国の文化力というものを信じたい。
せめて、まともに仕事をする人が、仕事を続けていける、そんな事のお手伝いをしたい、そんな思いでいます。
Posted by 渡辺幻門 at 22:05│Comments(3)
この記事へのコメント
おっしゃる通りなのですが、いまだに業界は自浄作用が働きません。
文中少し事実誤認があります。
昭和50年以降大増産というのは西陣の袋帯で、染物は50年を境に生産は右下がりです。
かつてそれまでキモノの専門問屋が総合化して帯を揃えるところが増えたため、メーカーとしては京都市内の中間流通に山ほど在庫を置いてしまう結果となり、これがずっと後々まで足を引っ張る原因となっています。染物は、フォーマル偏重となり、洒落モノをあまり売らなくなったので、小紋などの生産がどんどん減ってしまい、またそのこともキモノを普段に着る人を育てなかった結果となって、今の苦境があります。結局消費者のことを考えない偏った商いがいつまでも続き、業界自らが首を絞めているのです。
Posted by 高橋泰三 at 2011年06月14日 15:47
やるせない話ですが、どんな商環境であれ、キモノを着て喜んでくれる人がいる限り、私は真正面から向き合いユーザーの相談相手になれる様なメーカになります。僕も頑張ります。京都から応援致します。
Posted by 藤村和弘 at 2011年06月15日 09:47
着物が女性に付き物の時代ではなくなったのと、某大型チェーン店での強引な商法が倒産と同じくして問題視されワイドショーで大々的に取り上げられ、呉服商とはそのようなものという見方をされるにいたったのではないでしょうか?個々の呉服店で様々なのでしょうが、現代呉服店を日常的に利用される方は少なく、大方の人はどこもかも同じ呉服店としか見れません。また、ある女流作家が書いていたのですが、銀座の老舗で頼みもしないものを勝手に作られて、押し付けられたも同然の買い物をしたとか、呉服屋さんとしては親切、あるいは常識かもしれませんが、少し一般では考えられないことがまかり通っているのではないかと、慣れないだけに考えてしまいます。
個々の店によって違うのは当然ですが、どこかの店でそのような事例があると、高価な品物、不慣れなどもあり、それがすべての呉服店の評価につながるのかもしれません。
Posted by お針箱 at 2011年06月15日 22:44
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