2011年06月03日
気韻生動
『気韻生動』という言葉があります。
私はこの言葉を田中英道先生の著書で知りました。
意味はこういう事です。
http://erohaa.blog66.fc2.com/blog-entry-969.html
気韻生動(きいんせいどう)
【意味】
芸術作品などに、気高い風格や気品が活き活きと満ちていること。
【類義語】
【文学作品における例文】
あの頃は良かった。あまたの草木のひとつひとつが間違いなく気韻生動の源であり、ひとつひとつが底の浅い唯物論など決して寄せつけぬ力強さを秘めていた。
●丸山健二『争いの樹の下で〈上〉』
私は、日本の伝統工芸品を見るときに、一番心すべきはこの『気韻生動』ではないかと思います。
田中英道先生は、主に飛鳥時代、奈良時代の仏像にその美を見出しておられます。
また、この『気韻生動』の宿る代表的な作品がその時代の仏像であると、私も思います。
日本に仏教が輸入されたとき、仏=ブツだけでは伝わりにくいと思った為政者は、そこに形=ケを加えた。
それで出来たのがブツケ=ホトケだと言われています。
日本の仏教は、釈迦の教えを知る事よりも先に、ホトケ=仏像を拝む事から始まったわけです。
その仏像が美しく、日本人の心に深く入り込むものでなければ、これほど仏教が広まることはなかったのではないでしょうか。
現代の日本人に於いても、古い仏像を見ると、心が安らぐ感じを持つのは、いかにそれが強い発信力をもっているかの証明ではないでしょうか。
その強い発信力の源泉がこの『気韻生動』なのだと私は思っています。
気韻生動とは、『気高い風格や気品が活き活きと満ちていること』
工芸作品が、仏像と同じ日本人の心の奥底にある価値観で造られている、またそれを目指しているとすれば、
私達が工芸作品を見るときには仏像を見るような気持ちで見れば良いと言うことです。
工人の手に神が宿るとか言う柳宗悦の話ではなく、気韻生動という美的価値において共通しているから、それに神性、霊性を感じるのだと思います。
最近は大変な仏像ブームだそうで、興福寺の阿修羅も東京まで行かれて、大盛況だったそうですね。
古い仏像を見ると、どうしてもその古さに気が取られてしまい、また先入観もあって、どうしても見ただけで『ハハーッ』とひれ伏してしまいます。
でも、仏像を見るときには、ほんとうは、その前に立ちつくし、仏像から出てくる『気』を体全体と心で受け止める、そんな気持ちで観る事が必要です。ですから、静かな環境で、心を静めて、2〜30分は仏像と対話する、それが望ましい姿だと思います。
私の場合は30分も車を走らせれば、日本の代表的な仏像に会うことが出来ますし、その他様々な歴史的建造物、工芸作品、芸術品と接することができます。
美術館で人だかりの中、見るのとでは大違いで、東京方面の方々には無理なことかも知れません。
しかし、その地域地域にある古い仏像で良いのです。その歴史を知ることがまた、理解をし、仏像の気を感じる事の助けにもなるでしょう。
これは芸術論ではありません。
芸術論というのはある意味で唯物主義です。
モノから出る力、神性、霊性というものを感じるのです。
仏像を見るとき、建物を見るとき、そして様々な工芸品を見るとき、この『気韻生動』という言葉を思い出してみてください。
モノの好き嫌いを超越した価値が浮かび上がってくるかも知れません。
私はこの言葉を田中英道先生の著書で知りました。
意味はこういう事です。
http://erohaa.blog66.fc2.com/blog-entry-969.html
気韻生動(きいんせいどう)
【意味】
芸術作品などに、気高い風格や気品が活き活きと満ちていること。
【類義語】
【文学作品における例文】
あの頃は良かった。あまたの草木のひとつひとつが間違いなく気韻生動の源であり、ひとつひとつが底の浅い唯物論など決して寄せつけぬ力強さを秘めていた。
●丸山健二『争いの樹の下で〈上〉』
私は、日本の伝統工芸品を見るときに、一番心すべきはこの『気韻生動』ではないかと思います。
田中英道先生は、主に飛鳥時代、奈良時代の仏像にその美を見出しておられます。
また、この『気韻生動』の宿る代表的な作品がその時代の仏像であると、私も思います。
日本に仏教が輸入されたとき、仏=ブツだけでは伝わりにくいと思った為政者は、そこに形=ケを加えた。
それで出来たのがブツケ=ホトケだと言われています。
日本の仏教は、釈迦の教えを知る事よりも先に、ホトケ=仏像を拝む事から始まったわけです。
その仏像が美しく、日本人の心に深く入り込むものでなければ、これほど仏教が広まることはなかったのではないでしょうか。
現代の日本人に於いても、古い仏像を見ると、心が安らぐ感じを持つのは、いかにそれが強い発信力をもっているかの証明ではないでしょうか。
その強い発信力の源泉がこの『気韻生動』なのだと私は思っています。
気韻生動とは、『気高い風格や気品が活き活きと満ちていること』
工芸作品が、仏像と同じ日本人の心の奥底にある価値観で造られている、またそれを目指しているとすれば、
私達が工芸作品を見るときには仏像を見るような気持ちで見れば良いと言うことです。
工人の手に神が宿るとか言う柳宗悦の話ではなく、気韻生動という美的価値において共通しているから、それに神性、霊性を感じるのだと思います。
最近は大変な仏像ブームだそうで、興福寺の阿修羅も東京まで行かれて、大盛況だったそうですね。
古い仏像を見ると、どうしてもその古さに気が取られてしまい、また先入観もあって、どうしても見ただけで『ハハーッ』とひれ伏してしまいます。
でも、仏像を見るときには、ほんとうは、その前に立ちつくし、仏像から出てくる『気』を体全体と心で受け止める、そんな気持ちで観る事が必要です。ですから、静かな環境で、心を静めて、2〜30分は仏像と対話する、それが望ましい姿だと思います。
私の場合は30分も車を走らせれば、日本の代表的な仏像に会うことが出来ますし、その他様々な歴史的建造物、工芸作品、芸術品と接することができます。
美術館で人だかりの中、見るのとでは大違いで、東京方面の方々には無理なことかも知れません。
しかし、その地域地域にある古い仏像で良いのです。その歴史を知ることがまた、理解をし、仏像の気を感じる事の助けにもなるでしょう。
これは芸術論ではありません。
芸術論というのはある意味で唯物主義です。
モノから出る力、神性、霊性というものを感じるのです。
仏像を見るとき、建物を見るとき、そして様々な工芸品を見るとき、この『気韻生動』という言葉を思い出してみてください。
モノの好き嫌いを超越した価値が浮かび上がってくるかも知れません。
Posted by 渡辺幻門 at 12:35│Comments(0)
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