2011年03月30日
第63回沖展 染織部門を見て
ひさしぶりに沖展を見ました。
沖展の作品は他の公募展とまた違った味わいがあって楽しみです。
ちょっと私の感想を。
<織部門>
思った通り変わり映えのしない内容でした。
技法的には凝った物もありましたが、なんか面白みに欠けているように思いました。
作品というより、私が普段接している商品がずらりとならんだ、という感じがして、ちょっとガッカリでしたね。
せっかくの沖展なんですから、会員や準会員の方々は、後輩になにか示唆を与える内容があってもよいと思うし、
ぶっ飛んだような色彩の物があってもいいと思います。
なんか、みんなこじんまりまとまっていて、楽しく無かったです。
出色は沖展賞受賞の宮城奈々さんの作品でした。
専門的には『あれは首里織じゃないよ』という声もあるようですが、沖展は首里織展じゃないし、宮城奈々さんも首里織と
思って造ってはいないと思います。
これからは、伝統と創造をいかに組み合わせるかがポイントで、伝統を守るためにも現代の感覚にマッチした物を追求しなければ
ならないと私は思います。そのバランスをどこにとるのか。これは沖縄の人で議論をしてもらわねばなりません。
また、いつまでも着尺・帯ではなくて、タピストリーやショール、服地などもっとあってもいいと思います。
沖展というのは単に作品の展示会ではなく、作家が県民に対してメッセージを発する場であるべきだと思います。
技術を誇るも良し、色彩感覚を表現するもよし、また元気づけたり、驚かせたりというコンセプトがあっていいんじゃないでしょうか。
私は大阪芸大で学んでいるので、影響を受けているのかもしれませんが、今後の制作の方向や将来性を指し示すような意図を感じられる作品が
見たかった、そう感じました。
<染部門>
うーん。イヤな感じでした。
紅型界の有力者の意図が明らかに感じられて、紅型の発展に非常に暗いものを感じました。
作品としてはどれも全体的によくまとまっていますが、面白く無い。
一番に思うのは、色づくりが甘い。
織の場合は、経緯の糸の世界という制限がありますが、染めはそれがない。
自由なだけに、表現への拘泥に陥りがちです。
染めで一番大事なのは何か。
私は色だと思います。
色さえ良ければ、余計な柄など要らないのです。
今回見た作品は、どれも無難ではあるけれども、圧倒される色の良さを感じる作品が無かった。
また、画面一杯に柄が押し込められているために、一つ一つの造形の良さがまったく伝わってこなかった。
悪く言えば、『つめこんで、ごまかして、無難にまとめた』と言えない事もありません。
でも、そんなことは私達商売人が考える手段であって、作家が一番に考えることではありません。
着尺を造るには、それなりの工房のスペースが必要ですし、持てる者が圧倒的に有利です。
そんななかでも、渾身の『うちくい』があっても良いと思います。
会員の作品は落ち着いた完成度があっていいと思いますが、若手はもっとやんちゃな、躍動感を感じる作品であってほしいと
私は思います。なにより、すごい!と思える作品が無かったのは非常に残念でした。
私の持論として、沖展の染部門は創作と古典の両方をまんべんなく評価すべきだと思います。
とくに、若手には古典を染めさせてそれを評価するようにすれば、創作も今以上に光を得ることになるのではないでしょうか。
古典をやれば、線の出し方、型彫り、色作りの習熟度がもっと上がるでしょうし、創作のデザインにもあらたな
発想が加わることでしょう。
小手先の目新しさに終わることなく、あくまで『染めもの』としての完成度をもっと上げることを目標にすべきだと思うのです。
書道でも初めはお手本を稽古するでしょう。
気の遠くなるような反復練習の上に、確固たる技術が身につくはずですし、その上での創作でなければ作品とはいえないのではないでしょうか。
紅型をはじめて数年年で大きな賞が取れるというのは、なにかおかしいのです。
主宰者や審査員はそれを謙虚に反省すべきだと私は思います。
沖展の作品は他の公募展とまた違った味わいがあって楽しみです。
ちょっと私の感想を。
<織部門>
思った通り変わり映えのしない内容でした。
技法的には凝った物もありましたが、なんか面白みに欠けているように思いました。
作品というより、私が普段接している商品がずらりとならんだ、という感じがして、ちょっとガッカリでしたね。
せっかくの沖展なんですから、会員や準会員の方々は、後輩になにか示唆を与える内容があってもよいと思うし、
ぶっ飛んだような色彩の物があってもいいと思います。
なんか、みんなこじんまりまとまっていて、楽しく無かったです。
出色は沖展賞受賞の宮城奈々さんの作品でした。
専門的には『あれは首里織じゃないよ』という声もあるようですが、沖展は首里織展じゃないし、宮城奈々さんも首里織と
思って造ってはいないと思います。
これからは、伝統と創造をいかに組み合わせるかがポイントで、伝統を守るためにも現代の感覚にマッチした物を追求しなければ
ならないと私は思います。そのバランスをどこにとるのか。これは沖縄の人で議論をしてもらわねばなりません。
また、いつまでも着尺・帯ではなくて、タピストリーやショール、服地などもっとあってもいいと思います。
沖展というのは単に作品の展示会ではなく、作家が県民に対してメッセージを発する場であるべきだと思います。
技術を誇るも良し、色彩感覚を表現するもよし、また元気づけたり、驚かせたりというコンセプトがあっていいんじゃないでしょうか。
私は大阪芸大で学んでいるので、影響を受けているのかもしれませんが、今後の制作の方向や将来性を指し示すような意図を感じられる作品が
見たかった、そう感じました。
<染部門>
うーん。イヤな感じでした。
紅型界の有力者の意図が明らかに感じられて、紅型の発展に非常に暗いものを感じました。
作品としてはどれも全体的によくまとまっていますが、面白く無い。
一番に思うのは、色づくりが甘い。
織の場合は、経緯の糸の世界という制限がありますが、染めはそれがない。
自由なだけに、表現への拘泥に陥りがちです。
染めで一番大事なのは何か。
私は色だと思います。
色さえ良ければ、余計な柄など要らないのです。
今回見た作品は、どれも無難ではあるけれども、圧倒される色の良さを感じる作品が無かった。
また、画面一杯に柄が押し込められているために、一つ一つの造形の良さがまったく伝わってこなかった。
悪く言えば、『つめこんで、ごまかして、無難にまとめた』と言えない事もありません。
でも、そんなことは私達商売人が考える手段であって、作家が一番に考えることではありません。
着尺を造るには、それなりの工房のスペースが必要ですし、持てる者が圧倒的に有利です。
そんななかでも、渾身の『うちくい』があっても良いと思います。
会員の作品は落ち着いた完成度があっていいと思いますが、若手はもっとやんちゃな、躍動感を感じる作品であってほしいと
私は思います。なにより、すごい!と思える作品が無かったのは非常に残念でした。
私の持論として、沖展の染部門は創作と古典の両方をまんべんなく評価すべきだと思います。
とくに、若手には古典を染めさせてそれを評価するようにすれば、創作も今以上に光を得ることになるのではないでしょうか。
古典をやれば、線の出し方、型彫り、色作りの習熟度がもっと上がるでしょうし、創作のデザインにもあらたな
発想が加わることでしょう。
小手先の目新しさに終わることなく、あくまで『染めもの』としての完成度をもっと上げることを目標にすべきだと思うのです。
書道でも初めはお手本を稽古するでしょう。
気の遠くなるような反復練習の上に、確固たる技術が身につくはずですし、その上での創作でなければ作品とはいえないのではないでしょうか。
紅型をはじめて数年年で大きな賞が取れるというのは、なにかおかしいのです。
主宰者や審査員はそれを謙虚に反省すべきだと私は思います。
Posted by 渡辺幻門 at 20:42│Comments(2)
この記事へのコメント
古典は素晴らしいですよね。
大学で、特別に鎌倉芳太郎収集の型紙と布を見たのですが 、『これだ!!』って感じでした。
特に印象に残っているのは 『小紋』です。 紅型の小紋は、そこで初めて見ました。ああいう柄で、かりゆしウェアを作れば凄く人気が出ると思います。
古典的な柄の作品と現代的な柄の作品をバランスよく制作する事が現代において必要だと感じました。
Posted by まえだ ミクシィより at 2011年03月30日 21:06
まえださん
まえださんの様に若い人はどんどん新しいことにチャレンジしてください。でも、基本は温故知新。基礎をしっかり勉強すれば伸びしろも大きいですよ。頑張ってください!
Posted by mozuya at 2011年03月30日 21:22
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