2011年11月04日
もずや、黄金の茶室へ。
今日は夕方から大阪城へ。茶道の佐伯宗匠が黄金の茶室で点前をなさるという事で、養心会メンバーの見学が許されました。私が現地に行くと、『おぉ、私はあんたに一番きてほしかったんや』と宗匠が声を掛けてくださいました。そして、イベントの担当者を呼び、『この人のご先祖はほんまの黄金の茶室に入ったひとりや。』とのご紹介を頂きました。養心会では私が一番下の弟子ですのに、大切にしていただいて、本当に幸せ者だと思います。
宗匠は大変良いお話をしてくださって、
1.黄金の茶室は大変暖かい。天皇陛下をお迎えするのに最大のおもてなしをするために、黄金の茶室は造られた。権勢を誇るためだけではない。
2.北野大茶会は、職業、身分を問わず、広く民衆を集めた茶会であった。それに対して黄金の茶室は、富貴を表現していた。黄金の茶室は、多くの人の目を茶に向けさせるのに必要なものだったのであるが、より広く民衆へ茶を広め、定着させようとした宗易と富貴の茶を志向する秀吉の決裂は、北野大茶会から始まった。
私の印象はというと・・・そんなにビカビカという感じはありませんでした。たしなかにライトに照らされると、光り輝くのですが、この茶室が組み立て式であり、当時は証明がなく、四方の赤い紋紗の障子から入る光だけだった事を考えると、茶室の中は暖かな光溢れる空間になっただろうと思います。
今伝わる千家の茶はわび茶でありますが、秀吉と宗易の間で行われていた茶が果たしてわび茶だったのかどうか。村田珠光、武野 紹鴎からのわび茶の流れはあったものの、武将の間で行われていた茶はまだまだ足利時代から続く婆娑羅茶の流れがあったのではないでしょうか。それに対して、宗易は武将ではなく、広く民衆に広められるわび茶を普及しようとしていたという事ではないかと思います。私の祖先の萬代屋宗安の茶も『宗易とは違う富貴な茶が持ち味』と記されています。
ですから、秀吉が派手好きだとか、足軽あがりで品が無いというのは全く的が外れていると思います。黄金の茶室は当時、武将の間でもてはやされていた茶を象徴するものであると見るべきなのだと思います。
なぜ、宗易が広く民衆へ広めようとしたのか。それは彼が、戦国の世が近々終わることを予測していたからでしょう。これから武将の時代ではなくなると。それと共に、大名物を持つことを競う茶のありかたに疑問を持っていたのではないでしょうか。宗易がやったことは明らかに美意識の革命です。それは彼が天才だった事もあるでしょうが、それ以上に、金ピカ、ゴテゴテにゲップが出ていた。また、戦国の世の世相もあり、心の安寧を求めるようになったのではないでしょうか。その心の安寧を茶を通して、民衆に分け与えようとしたのではないでしょうか。
色々書きたいことが山ほどありますが、一夜ほど漬け込んで、また書きたいと思います。
Posted by 渡辺幻門 at
23:09
│Comments(0)
2011年11月04日
もずや、黄金の茶室へ。
今日は夕方から大阪城へ。茶道の佐伯宗匠が黄金の茶室で点前をなさるという事で、養心会メンバーの見学が許されました。私が現地に行くと、『おぉ、私はあんたに一番きてほしかったんや』と宗匠が声を掛けてくださいました。そして、イベントの担当者を呼び、『この人のご先祖はほんまの黄金の茶室に入ったひとりや。』とのご紹介を頂きました。養心会では私が一番下の弟子ですのに、大切にしていただいて、本当に幸せ者だと思います。
宗匠は大変良いお話をしてくださって、
1.黄金の茶室は大変暖かい。天皇陛下をお迎えするのに最大のおもてなしをするために、黄金の茶室は造られた。権勢を誇るためだけではない。
2.北野大茶会は、職業、身分を問わず、広く民衆を集めた茶会であった。それに対して黄金の茶室は、富貴を表現していた。黄金の茶室は、多くの人の目を茶に向けさせるのに必要なものだったのであるが、より広く民衆へ茶を広め、定着させようとした宗易と富貴の茶を志向する秀吉の決裂は、北野大茶会から始まった。
私の印象はというと・・・そんなにビカビカという感じはありませんでした。たしなかにライトに照らされると、光り輝くのですが、この茶室が組み立て式であり、当時は証明がなく、四方の赤い紋紗の障子から入る光だけだった事を考えると、茶室の中は暖かな光溢れる空間になっただろうと思います。
今伝わる千家の茶はわび茶でありますが、秀吉と宗易の間で行われていた茶が果たしてわび茶だったのかどうか。村田珠光、武野 紹鴎からのわび茶の流れはあったものの、武将の間で行われていた茶はまだまだ足利時代から続く婆娑羅茶の流れがあったのではないでしょうか。それに対して、宗易は武将ではなく、広く民衆に広められるわび茶を普及しようとしていたという事ではないかと思います。私の祖先の萬代屋宗安の茶も『宗易とは違う富貴な茶が持ち味』と記されています。
ですから、秀吉が派手好きだとか、足軽あがりで品が無いというのは全く的が外れていると思います。黄金の茶室は当時、武将の間でもてはやされていた茶を象徴するものであると見るべきなのだと思います。
なぜ、宗易が広く民衆へ広めようとしたのか。それは彼が、戦国の世が近々終わることを予測していたからでしょう。これから武将の時代ではなくなると。それと共に、大名物を持つことを競う茶のありかたに疑問を持っていたのではないでしょうか。宗易がやったことは明らかに美意識の革命です。それは彼が天才だった事もあるでしょうが、それ以上に、金ピカ、ゴテゴテにゲップが出ていた。また、戦国の世の世相もあり、心の安寧を求めるようになったのではないでしょうか。その心の安寧を茶を通して、民衆に分け与えようとしたのではないでしょうか。
色々書きたいことが山ほどありますが、一夜ほど漬け込んで、また書きたいと思います。
Posted by 渡辺幻門 at
23:09
│Comments(0)
2011年11月04日
年明けからは『商道 風姿花伝』
『もずやと学ぶ染織マーケティング』もそろそろ終盤に入って来ました。
たまにお休みもしましたが、大勢の方に読んで頂き感謝いたしております。
マーケティングというと、モノを売りつけるためのノウハウで、何かいかがわしいものと想われていた方もおられたかと
想いますが、決してそうではなく、作り手、売り手、消費者がみなハッピーになるための『発想法』なのだと言うことが
解って頂けたなら幸いです。
私も芸大で学んでおりましたが、アートマネジメントの教員でさえ、マーケティングに対して正しい見解と知識をもっておらず、
このことが、多くの芸術家・工芸家を苦難の道に陥れていると感じました。
マーケティングによって、作風を歪めるという事も必要ないし、消費者は騙されるということもないのです。
最大多数の最大幸福、資源の最適配分を実現するためにマーケティングというものはあるのですね。
ですから、マーケティングは実践的学問でなければならないと想います。
現状を的確に把握し、問題点を抽出し、その問題点を具体的に解決する方法を探り出し、実行への手立てを考える。
このプロセスこそがマーケティングであると私は考えています。
初めの頃に書きましたが、そのプロセスを実行するためには、知識と知恵の引き出しをたくさん持って居た方が
有利です。それがなければ、問題点さえ見えてこないし、問題点が見えなければ解決策も探しようがないのです。
マーケティングという学問はたいてい、大企業を対象にして考えられています。
それを、和装、そして染織へと置き換えて、考えて見ようというのがこの『染織マーケティング』の試みでした。
ここでは沖縄染織を主な題材として書いて参りましたが、どんな業界か、どんな商品かによって、戦略は異なります。
染織作家の方なら、自分の目指すところによってもマーケティング戦略は違うでしょう。
ですから、私の書いた事が絶対とは想わないで、それをたたき台にして、自分の考えをまとめてみられたら良いと想います。
この『もずやと学ぶ染織マーケティング』も、あと十数項目となり、重複する部分も出てきましたので、
年内で全ての章について考え、終了したいと想います。
いま、私が考えているのは、マーケティング戦略から、さらに前にでて、どうやって作品を売るか、
そのノウハウを作家のみなさんに考えて頂く事です。
物売りというと、物作りをされている方には縁遠く、また出来れば避けたい仕事だろうと想います。
しかし、現実問題として、京都のメーカーさんがどんどん販売の現場にかり出され、右往左往しているのですから、
作り手のみなさんにも必ず直面する問題となってくると想います。
私は、20年以上、着物の販売をしてきました。
形態としては問屋ですが、主な仕事は販売応援、つまり、商品を説明してお客様に買って頂く作業をやってきたわけです。
これを年間250日以上、繰り返し、繰り返しやってきました。
このノウハウと、私の商売に対する考え方をみなさんとともに見つめ直してみたいと想っています。
そのテーマが『商道 風姿花伝』です。
風姿花伝というのは能楽を大成した世阿弥が著した本です。
下手な、販売ノウハウを書いた本よりも、ずっと販売に役立つ知恵が盛り込まれていると私は感じています。
テキストは、『風姿花伝・三道』(世阿弥・竹本幹夫訳注 角川ソフィア文庫)を使用します。
この本は、原文と現代語訳、そして解説が一体となって書かれていてとてもわかりやすいです。
これまでと同じように、一節一節、世阿弥の考えを考察し、それを商売に置き換えて、考えていきたいと想います。
このブログを読まれるだけでも解るように書いていきたいと想いますが、深く知り、一緒に考えて見たいと
想われる方は、予め読んでおかれると良いと想います。
商売人が蔑まれていた時代、『必要な物を必要な所に届けるのはホトケの道に通ずる』と書いたのは
禅の研究者の鈴木大拙です。
商売人、経済人のモラルが問われている今、商売を『商道』として捉え直す機会にしたいと想っています。
それとともに、『着物・帯を売る、買ってもらう』ための実践ノウハウ・技術を私と一緒に学んで頂きたいと想います。
マーケティングが作る事、流すことを考える場だとしたら、こんどの商道・風姿花伝は、さらに前に出て『売る』事を
考えていく場です。
アップはいままでと同じ、毎週水曜日です。
たまにお休みもしましたが、大勢の方に読んで頂き感謝いたしております。
マーケティングというと、モノを売りつけるためのノウハウで、何かいかがわしいものと想われていた方もおられたかと
想いますが、決してそうではなく、作り手、売り手、消費者がみなハッピーになるための『発想法』なのだと言うことが
解って頂けたなら幸いです。
私も芸大で学んでおりましたが、アートマネジメントの教員でさえ、マーケティングに対して正しい見解と知識をもっておらず、
このことが、多くの芸術家・工芸家を苦難の道に陥れていると感じました。
マーケティングによって、作風を歪めるという事も必要ないし、消費者は騙されるということもないのです。
最大多数の最大幸福、資源の最適配分を実現するためにマーケティングというものはあるのですね。
ですから、マーケティングは実践的学問でなければならないと想います。
現状を的確に把握し、問題点を抽出し、その問題点を具体的に解決する方法を探り出し、実行への手立てを考える。
このプロセスこそがマーケティングであると私は考えています。
初めの頃に書きましたが、そのプロセスを実行するためには、知識と知恵の引き出しをたくさん持って居た方が
有利です。それがなければ、問題点さえ見えてこないし、問題点が見えなければ解決策も探しようがないのです。
マーケティングという学問はたいてい、大企業を対象にして考えられています。
それを、和装、そして染織へと置き換えて、考えて見ようというのがこの『染織マーケティング』の試みでした。
ここでは沖縄染織を主な題材として書いて参りましたが、どんな業界か、どんな商品かによって、戦略は異なります。
染織作家の方なら、自分の目指すところによってもマーケティング戦略は違うでしょう。
ですから、私の書いた事が絶対とは想わないで、それをたたき台にして、自分の考えをまとめてみられたら良いと想います。
この『もずやと学ぶ染織マーケティング』も、あと十数項目となり、重複する部分も出てきましたので、
年内で全ての章について考え、終了したいと想います。
いま、私が考えているのは、マーケティング戦略から、さらに前にでて、どうやって作品を売るか、
そのノウハウを作家のみなさんに考えて頂く事です。
物売りというと、物作りをされている方には縁遠く、また出来れば避けたい仕事だろうと想います。
しかし、現実問題として、京都のメーカーさんがどんどん販売の現場にかり出され、右往左往しているのですから、
作り手のみなさんにも必ず直面する問題となってくると想います。
私は、20年以上、着物の販売をしてきました。
形態としては問屋ですが、主な仕事は販売応援、つまり、商品を説明してお客様に買って頂く作業をやってきたわけです。
これを年間250日以上、繰り返し、繰り返しやってきました。
このノウハウと、私の商売に対する考え方をみなさんとともに見つめ直してみたいと想っています。
そのテーマが『商道 風姿花伝』です。
風姿花伝というのは能楽を大成した世阿弥が著した本です。
下手な、販売ノウハウを書いた本よりも、ずっと販売に役立つ知恵が盛り込まれていると私は感じています。
テキストは、『風姿花伝・三道』(世阿弥・竹本幹夫訳注 角川ソフィア文庫)を使用します。
この本は、原文と現代語訳、そして解説が一体となって書かれていてとてもわかりやすいです。
これまでと同じように、一節一節、世阿弥の考えを考察し、それを商売に置き換えて、考えていきたいと想います。
このブログを読まれるだけでも解るように書いていきたいと想いますが、深く知り、一緒に考えて見たいと
想われる方は、予め読んでおかれると良いと想います。
商売人が蔑まれていた時代、『必要な物を必要な所に届けるのはホトケの道に通ずる』と書いたのは
禅の研究者の鈴木大拙です。
商売人、経済人のモラルが問われている今、商売を『商道』として捉え直す機会にしたいと想っています。
それとともに、『着物・帯を売る、買ってもらう』ための実践ノウハウ・技術を私と一緒に学んで頂きたいと想います。
マーケティングが作る事、流すことを考える場だとしたら、こんどの商道・風姿花伝は、さらに前に出て『売る』事を
考えていく場です。
アップはいままでと同じ、毎週水曜日です。
Posted by 渡辺幻門 at
12:54
│Comments(1)
2011年11月04日
年明けからは『商道 風姿花伝』
『もずやと学ぶ染織マーケティング』もそろそろ終盤に入って来ました。
たまにお休みもしましたが、大勢の方に読んで頂き感謝いたしております。
マーケティングというと、モノを売りつけるためのノウハウで、何かいかがわしいものと想われていた方もおられたかと
想いますが、決してそうではなく、作り手、売り手、消費者がみなハッピーになるための『発想法』なのだと言うことが
解って頂けたなら幸いです。
私も芸大で学んでおりましたが、アートマネジメントの教員でさえ、マーケティングに対して正しい見解と知識をもっておらず、
このことが、多くの芸術家・工芸家を苦難の道に陥れていると感じました。
マーケティングによって、作風を歪めるという事も必要ないし、消費者は騙されるということもないのです。
最大多数の最大幸福、資源の最適配分を実現するためにマーケティングというものはあるのですね。
ですから、マーケティングは実践的学問でなければならないと想います。
現状を的確に把握し、問題点を抽出し、その問題点を具体的に解決する方法を探り出し、実行への手立てを考える。
このプロセスこそがマーケティングであると私は考えています。
初めの頃に書きましたが、そのプロセスを実行するためには、知識と知恵の引き出しをたくさん持って居た方が
有利です。それがなければ、問題点さえ見えてこないし、問題点が見えなければ解決策も探しようがないのです。
マーケティングという学問はたいてい、大企業を対象にして考えられています。
それを、和装、そして染織へと置き換えて、考えて見ようというのがこの『染織マーケティング』の試みでした。
ここでは沖縄染織を主な題材として書いて参りましたが、どんな業界か、どんな商品かによって、戦略は異なります。
染織作家の方なら、自分の目指すところによってもマーケティング戦略は違うでしょう。
ですから、私の書いた事が絶対とは想わないで、それをたたき台にして、自分の考えをまとめてみられたら良いと想います。
この『もずやと学ぶ染織マーケティング』も、あと十数項目となり、重複する部分も出てきましたので、
年内で全ての章について考え、終了したいと想います。
いま、私が考えているのは、マーケティング戦略から、さらに前にでて、どうやって作品を売るか、
そのノウハウを作家のみなさんに考えて頂く事です。
物売りというと、物作りをされている方には縁遠く、また出来れば避けたい仕事だろうと想います。
しかし、現実問題として、京都のメーカーさんがどんどん販売の現場にかり出され、右往左往しているのですから、
作り手のみなさんにも必ず直面する問題となってくると想います。
私は、20年以上、着物の販売をしてきました。
形態としては問屋ですが、主な仕事は販売応援、つまり、商品を説明してお客様に買って頂く作業をやってきたわけです。
これを年間250日以上、繰り返し、繰り返しやってきました。
このノウハウと、私の商売に対する考え方をみなさんとともに見つめ直してみたいと想っています。
そのテーマが『商道 風姿花伝』です。
風姿花伝というのは能楽を大成した世阿弥が著した本です。
下手な、販売ノウハウを書いた本よりも、ずっと販売に役立つ知恵が盛り込まれていると私は感じています。
テキストは、『風姿花伝・三道』(世阿弥・竹本幹夫訳注 角川ソフィア文庫)を使用します。
この本は、原文と現代語訳、そして解説が一体となって書かれていてとてもわかりやすいです。
これまでと同じように、一節一節、世阿弥の考えを考察し、それを商売に置き換えて、考えていきたいと想います。
このブログを読まれるだけでも解るように書いていきたいと想いますが、深く知り、一緒に考えて見たいと
想われる方は、予め読んでおかれると良いと想います。
商売人が蔑まれていた時代、『必要な物を必要な所に届けるのはホトケの道に通ずる』と書いたのは
禅の研究者の鈴木大拙です。
商売人、経済人のモラルが問われている今、商売を『商道』として捉え直す機会にしたいと想っています。
それとともに、『着物・帯を売る、買ってもらう』ための実践ノウハウ・技術を私と一緒に学んで頂きたいと想います。
マーケティングが作る事、流すことを考える場だとしたら、こんどの商道・風姿花伝は、さらに前に出て『売る』事を
考えていく場です。
アップはいままでと同じ、毎週水曜日です。
たまにお休みもしましたが、大勢の方に読んで頂き感謝いたしております。
マーケティングというと、モノを売りつけるためのノウハウで、何かいかがわしいものと想われていた方もおられたかと
想いますが、決してそうではなく、作り手、売り手、消費者がみなハッピーになるための『発想法』なのだと言うことが
解って頂けたなら幸いです。
私も芸大で学んでおりましたが、アートマネジメントの教員でさえ、マーケティングに対して正しい見解と知識をもっておらず、
このことが、多くの芸術家・工芸家を苦難の道に陥れていると感じました。
マーケティングによって、作風を歪めるという事も必要ないし、消費者は騙されるということもないのです。
最大多数の最大幸福、資源の最適配分を実現するためにマーケティングというものはあるのですね。
ですから、マーケティングは実践的学問でなければならないと想います。
現状を的確に把握し、問題点を抽出し、その問題点を具体的に解決する方法を探り出し、実行への手立てを考える。
このプロセスこそがマーケティングであると私は考えています。
初めの頃に書きましたが、そのプロセスを実行するためには、知識と知恵の引き出しをたくさん持って居た方が
有利です。それがなければ、問題点さえ見えてこないし、問題点が見えなければ解決策も探しようがないのです。
マーケティングという学問はたいてい、大企業を対象にして考えられています。
それを、和装、そして染織へと置き換えて、考えて見ようというのがこの『染織マーケティング』の試みでした。
ここでは沖縄染織を主な題材として書いて参りましたが、どんな業界か、どんな商品かによって、戦略は異なります。
染織作家の方なら、自分の目指すところによってもマーケティング戦略は違うでしょう。
ですから、私の書いた事が絶対とは想わないで、それをたたき台にして、自分の考えをまとめてみられたら良いと想います。
この『もずやと学ぶ染織マーケティング』も、あと十数項目となり、重複する部分も出てきましたので、
年内で全ての章について考え、終了したいと想います。
いま、私が考えているのは、マーケティング戦略から、さらに前にでて、どうやって作品を売るか、
そのノウハウを作家のみなさんに考えて頂く事です。
物売りというと、物作りをされている方には縁遠く、また出来れば避けたい仕事だろうと想います。
しかし、現実問題として、京都のメーカーさんがどんどん販売の現場にかり出され、右往左往しているのですから、
作り手のみなさんにも必ず直面する問題となってくると想います。
私は、20年以上、着物の販売をしてきました。
形態としては問屋ですが、主な仕事は販売応援、つまり、商品を説明してお客様に買って頂く作業をやってきたわけです。
これを年間250日以上、繰り返し、繰り返しやってきました。
このノウハウと、私の商売に対する考え方をみなさんとともに見つめ直してみたいと想っています。
そのテーマが『商道 風姿花伝』です。
風姿花伝というのは能楽を大成した世阿弥が著した本です。
下手な、販売ノウハウを書いた本よりも、ずっと販売に役立つ知恵が盛り込まれていると私は感じています。
テキストは、『風姿花伝・三道』(世阿弥・竹本幹夫訳注 角川ソフィア文庫)を使用します。
この本は、原文と現代語訳、そして解説が一体となって書かれていてとてもわかりやすいです。
これまでと同じように、一節一節、世阿弥の考えを考察し、それを商売に置き換えて、考えていきたいと想います。
このブログを読まれるだけでも解るように書いていきたいと想いますが、深く知り、一緒に考えて見たいと
想われる方は、予め読んでおかれると良いと想います。
商売人が蔑まれていた時代、『必要な物を必要な所に届けるのはホトケの道に通ずる』と書いたのは
禅の研究者の鈴木大拙です。
商売人、経済人のモラルが問われている今、商売を『商道』として捉え直す機会にしたいと想っています。
それとともに、『着物・帯を売る、買ってもらう』ための実践ノウハウ・技術を私と一緒に学んで頂きたいと想います。
マーケティングが作る事、流すことを考える場だとしたら、こんどの商道・風姿花伝は、さらに前に出て『売る』事を
考えていく場です。
アップはいままでと同じ、毎週水曜日です。
Posted by 渡辺幻門 at
12:54
│Comments(1)
2011年11月04日
明日はいよいよ『黄金の茶室』
明日はいよいよ『黄金の茶室』に参ります。佐伯宗匠のお点前を見学させていただくのです。これは養心会メンバーの役得です。黄金の茶室を前にして、何を感じるか・・・私はそれが大変楽しみなのです。もちろん、今あるのは復元されたものですが、そこに秀吉や宗易の霊が居るのだとしたら、もしかしたら、何か話しかけてくれるかも知れない、そんな気がしているのです。一般に言われている黄金の茶室への見解は的を得ているのか、それを確認してみたい。それを感じるための感性を研ぎ澄ますために茶道や謡曲・仕舞を学んでいるのです。お稽古は、それ自体に熟達することも楽しみの一つですが、それに伴って感じる力、受容する力が高まると私は考えています。考える事と行うことは違う。行って頭と体を使うことで人間の対応力は飛躍的に向上するのでしょう。自転車は頭で理論を学んでも乗れるようにはならないのです。『黄金の茶室』から、宗易を初めとする当時の文化人、堺の先人達が何を考え、感じていたのかを、受け止めることができたら、と期待しています。
Posted by 渡辺幻門 at
00:13
│Comments(0)
2011年11月04日
明日はいよいよ『黄金の茶室』
明日はいよいよ『黄金の茶室』に参ります。佐伯宗匠のお点前を見学させていただくのです。これは養心会メンバーの役得です。黄金の茶室を前にして、何を感じるか・・・私はそれが大変楽しみなのです。もちろん、今あるのは復元されたものですが、そこに秀吉や宗易の霊が居るのだとしたら、もしかしたら、何か話しかけてくれるかも知れない、そんな気がしているのです。一般に言われている黄金の茶室への見解は的を得ているのか、それを確認してみたい。それを感じるための感性を研ぎ澄ますために茶道や謡曲・仕舞を学んでいるのです。お稽古は、それ自体に熟達することも楽しみの一つですが、それに伴って感じる力、受容する力が高まると私は考えています。考える事と行うことは違う。行って頭と体を使うことで人間の対応力は飛躍的に向上するのでしょう。自転車は頭で理論を学んでも乗れるようにはならないのです。『黄金の茶室』から、宗易を初めとする当時の文化人、堺の先人達が何を考え、感じていたのかを、受け止めることができたら、と期待しています。
Posted by 渡辺幻門 at
00:13
│Comments(0)