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2011年05月15日

ハーブ&ドロシー 【映画】




長崎セントラルで観てきました。ご夫婦のアートへの情熱、そして自然体で楽しんでいる姿に非常に感銘を受けました。自分の集められる範囲で、金銭的、サイズ的に無理をしなくても、審美眼で素晴らしいコレクションができるんですね。私も染織品の買い付けをやりますが、ハーブ&ドロシーの様に内容が確かで、自分の好みに合う物だけを集めて発表できるようにできたらいいな、と思います。芸術でも工芸でも同じですからね。本当の値打ちは市場価値とは別の所にあるわけで、美的価値を基準に集めた作品を自分のコレクションとして持って居たい。そして、時々、公開してみたい。この映画をきっかけにモダンアートも積極的に見に行きたいと思うようになりました。

美術・工芸に関わる方はご覧になる事をおすすめします。
  
Posted by 渡辺幻門 at 18:17Comments(0)

2011年05月15日

ハーブ&ドロシー 【映画】




長崎セントラルで観てきました。ご夫婦のアートへの情熱、そして自然体で楽しんでいる姿に非常に感銘を受けました。自分の集められる範囲で、金銭的、サイズ的に無理をしなくても、審美眼で素晴らしいコレクションができるんですね。私も染織品の買い付けをやりますが、ハーブ&ドロシーの様に内容が確かで、自分の好みに合う物だけを集めて発表できるようにできたらいいな、と思います。芸術でも工芸でも同じですからね。本当の値打ちは市場価値とは別の所にあるわけで、美的価値を基準に集めた作品を自分のコレクションとして持って居たい。そして、時々、公開してみたい。この映画をきっかけにモダンアートも積極的に見に行きたいと思うようになりました。

美術・工芸に関わる方はご覧になる事をおすすめします。
  
Posted by 渡辺幻門 at 18:17Comments(0)

2011年05月13日

資源高はチャンス

世界が反原発の方向に振れ、火力発電に進むと、化石燃料の価格が上昇する。それはそうでしょうy。しかし、考えて欲しいのです。今は超とも言える円高の時代であります。円高というのは輸入に有利なのです。チャイナやインドなど新興国の需要の為に石油・石炭が高止まりし、日本の産業の競争力が無くなるといいますが果たしてそうでしょうか。競争というのはどこを競争相手と設定するかによって戦略は変わります。仮にチャイナやインドなど新興国を競争相手とするならば、かの国は資源がない。おまけに円よりはるかに弱い通貨です。そして、国の信用力が違う。取引量が多ければそこに品物が流れると思うのは、昔の素人の考えです。わが国の競争力の元は信用力だと私は思っています。品質が素晴らしい、そして約束したことは守る。これが日本の力です。エネルギーの獲得競争になったらどこが勝つでしょうか。信用と通貨の力のある日本だと私は思います。あえていえば、エネルギー価格が高騰し、本当の意味での競争になったとき、日本の強さが示されるのではないでしょうか。経済というのは絶対値で考えてはいけない。グローバリゼーションの進んだ現在では、競争優位という観点で考えるべきではないでしょうか。国際不安が深めれば深まるほど、日本は世界で尊敬される『技術と信用と国』になると私は思います。貴重な商品ならば、売り手を選んで信用出来る相手と有利な条件で取引しようとするのが商人の常道なのです。  
Posted by 渡辺幻門 at 22:00Comments(0)

2011年05月13日

資源高はチャンス

世界が反原発の方向に振れ、火力発電に進むと、化石燃料の価格が上昇する。それはそうでしょうy。しかし、考えて欲しいのです。今は超とも言える円高の時代であります。円高というのは輸入に有利なのです。チャイナやインドなど新興国の需要の為に石油・石炭が高止まりし、日本の産業の競争力が無くなるといいますが果たしてそうでしょうか。競争というのはどこを競争相手と設定するかによって戦略は変わります。仮にチャイナやインドなど新興国を競争相手とするならば、かの国は資源がない。おまけに円よりはるかに弱い通貨です。そして、国の信用力が違う。取引量が多ければそこに品物が流れると思うのは、昔の素人の考えです。わが国の競争力の元は信用力だと私は思っています。品質が素晴らしい、そして約束したことは守る。これが日本の力です。エネルギーの獲得競争になったらどこが勝つでしょうか。信用と通貨の力のある日本だと私は思います。あえていえば、エネルギー価格が高騰し、本当の意味での競争になったとき、日本の強さが示されるのではないでしょうか。経済というのは絶対値で考えてはいけない。グローバリゼーションの進んだ現在では、競争優位という観点で考えるべきではないでしょうか。国際不安が深めれば深まるほど、日本は世界で尊敬される『技術と信用と国』になると私は思います。貴重な商品ならば、売り手を選んで信用出来る相手と有利な条件で取引しようとするのが商人の常道なのです。  
Posted by 渡辺幻門 at 22:00Comments(0)

2011年05月11日

もずやと学ぶ染織マーケティング<16回目>

5−3 製品ポートフォリオ管理

GWで一週間とばしました。失礼しました。

さて、この製品ポートフォリオ管理ですが、染織作家にお話しするにはかなりかみ砕くというか、曲げてねじり回さないと利用できる概念ではありません。

基本的には、大手製造業で商品が多岐にわたっている企業の戦略とされているからです。

市場成長性とシェアによって、『金のなる木』『問題児』『スター』『負け犬』と分かれ、それぞれによって戦略を変えるということなんですが、1人あるいは数人の織子を抱えているだけの染織工房でこれだけの多角化戦略が必要かといわれたら、手仕事に於いてはほとんど無いというのが直観的判断だと思います。

それはそうなのですが、基本的にこの戦略は製品ライフサイクル論の上に成り立っているというところがミソではないかと思います。

首里織の作家さんを見ていると、大きく二つに分けられます。同じデザインの作品を延々と作り続けている人と、逆に同じデザインの物は二度とつくらないという人です。

どちらがどうということはありませんが、商業ベースで考えた場合、1つのスターに頼るのも、いつもいつも金のなる木で終わらせるのもバランスを欠くと思うのです。

もし、複数の傾向あるいは技法の商品アイテムを作れるとしたら、この製品ポートフォリオを使って、安定的な生産ができると思います。いま、当たっている作品がいつまでも売れ続けるということはありません。消費者は飽きやすいものですし、好みはどんどん急速に変わります。

また、着尺・帯だけでなくて、小物や、洋装、インテリアなど、幅広くチャレンジしてみるのもいいでしょう。仕事を長く続けるためには、次を考えるという事なのです。

私の様な問屋の立場ですと、常にその事を頭に置いています。作家さんの気持の乗り方、熟練度、時代性などを見ながら、つねにポートフォリオ上に載せているんです。

さらに大きい視点でみると、沖縄の染織自体が、着物市場でどの位置にあると思いますか?

ちょっと前まではスターだったのです。

いまは、問題児から負け犬になろうとしています。

沖縄だけではない、すべての伝統染織が負け犬になりかけている、あるいはすでになって撤退を余儀なくされているのです。

その流れの中でどうやって生き抜いていくか。

それも、楽しく仕事をしながら、です。

そして言える事は、負け犬も問題児もなければ、金のなる木もスターもないということです。

多様性があってこそ、市場は成り立つのです。

だからこそ、これからは感性を軸に、技法を遠心力に使って、幅広い作品作りをしていって欲しいと思います。
  
Posted by 渡辺幻門 at 15:53Comments(0)染織マーケティング

2011年05月11日

もずやと学ぶ染織マーケティング<16回目>

5−3 製品ポートフォリオ管理

GWで一週間とばしました。失礼しました。

さて、この製品ポートフォリオ管理ですが、染織作家にお話しするにはかなりかみ砕くというか、曲げてねじり回さないと利用できる概念ではありません。

基本的には、大手製造業で商品が多岐にわたっている企業の戦略とされているからです。

市場成長性とシェアによって、『金のなる木』『問題児』『スター』『負け犬』と分かれ、それぞれによって戦略を変えるということなんですが、1人あるいは数人の織子を抱えているだけの染織工房でこれだけの多角化戦略が必要かといわれたら、手仕事に於いてはほとんど無いというのが直観的判断だと思います。

それはそうなのですが、基本的にこの戦略は製品ライフサイクル論の上に成り立っているというところがミソではないかと思います。

首里織の作家さんを見ていると、大きく二つに分けられます。同じデザインの作品を延々と作り続けている人と、逆に同じデザインの物は二度とつくらないという人です。

どちらがどうということはありませんが、商業ベースで考えた場合、1つのスターに頼るのも、いつもいつも金のなる木で終わらせるのもバランスを欠くと思うのです。

もし、複数の傾向あるいは技法の商品アイテムを作れるとしたら、この製品ポートフォリオを使って、安定的な生産ができると思います。いま、当たっている作品がいつまでも売れ続けるということはありません。消費者は飽きやすいものですし、好みはどんどん急速に変わります。

また、着尺・帯だけでなくて、小物や、洋装、インテリアなど、幅広くチャレンジしてみるのもいいでしょう。仕事を長く続けるためには、次を考えるという事なのです。

私の様な問屋の立場ですと、常にその事を頭に置いています。作家さんの気持の乗り方、熟練度、時代性などを見ながら、つねにポートフォリオ上に載せているんです。

さらに大きい視点でみると、沖縄の染織自体が、着物市場でどの位置にあると思いますか?

ちょっと前まではスターだったのです。

いまは、問題児から負け犬になろうとしています。

沖縄だけではない、すべての伝統染織が負け犬になりかけている、あるいはすでになって撤退を余儀なくされているのです。

その流れの中でどうやって生き抜いていくか。

それも、楽しく仕事をしながら、です。

そして言える事は、負け犬も問題児もなければ、金のなる木もスターもないということです。

多様性があってこそ、市場は成り立つのです。

だからこそ、これからは感性を軸に、技法を遠心力に使って、幅広い作品作りをしていって欲しいと思います。
  
Posted by 渡辺幻門 at 15:53Comments(0)

2011年05月10日

アカデミズムの構造

原発推進派と反対派の討論を聞いていて、あることに気づきました。
これって、経済学者と行っている事、おなじやん!という事です。

つまり、想定の枠の中でしか物を考えない、いや、考えようとしないのです。

そういう枠組みを決めないと、学問にならないのです。

経済学でも変数以外を一定と『仮定』して初めて分析の対象となるのです。

今の福島原発の状態はリーマンショックの時と同じなのです。

いわゆるサブプライムローンというものによってアメリカの住宅需要は拡大を続けました。

その時は、だれも疑わなかった。

でも、大きな欠陥を抱えていた。それは、変数ととるべき物を見落とした、否、無視した事です。

サブプライムローンというのは、土地の価格が絶対に下がらないという前提の上に立っていた。

なぜか、そのシステムがつくられた十数年前がずっと上昇傾向だった。ただそれだけです。

でも、金融工学という名の下に、このシステムは正当化された。

まさに嘘から出た誠です。

でも、ウソはウソ。ウソはいつかばれるし、あの世にいったら閻魔さまに舌を抜かれるわけです。

そして、バブルは崩壊した。

でも、経済学者は何も反省していない。

これも、全く同じですね。いまだに、原発推進派は全く反省の色を見せていない。

『想定外』だった、というわけです。

私は、経済学、商学、芸術学と三つの専攻を持って居ますが、どれも同じです。

想定の枠内、つまり自分が考えの及ぶ範囲の事を分析・検証することしかできないのです。

もし、原発の安全性に問題をみつけたとしますね。

問題点から、対策を考える。その時はいろんな問題を考えるのでしょう。

でも、自分の範囲で解決策の見つからない問題に出くわすとどうするか。

その問題点が無いことにするわけです。それを正当化する理由を必死で探す。

学者というのは、結論があったら、その理由付けは得意中の得意です。

いくらでも都合の良いデータを引っ張ってきます。

こういうのを俗に『頭が硬い』といいます。

経済学者も原子力の学者も、『学問上は正しいのです』と必ず言います。

でも、学問上正しくても、非常識であることは山ほどあるわけです。

学問というのは、野山の中に道をつけて、アスファルトで舗装するようなもんです。

整然として、スピードがでますが、そこには草花も虫も動物も居ないのです。

だから、そこから脱輪したら、身動きが取れない。

脱輪したのは、道が狭いからだという。

車幅にしか道路をつくっていなければ、脱輪するのは当たり前です。

そして、その道は、師から弟子へと繋がっている。

学者は自由に発表や発言をしているようですが、自分の先生に反した意見をいうと、出世できないのです。

そのヒエラルキーの頂点にいるのが東京大学なのです。

経済学や商学の場合は、それほど研究資金が必要ないでしょうが、医学や物理学などは莫大な資金が必要です。

東大には当然、どこよりも金がはいる。それは国からもでしょうし、産学協同という名の下、企業からも入るでしょう。

だから東大は、いろんな研究が出来るし、研究者も豊富なのです。

研究というのは頭が良いからよい研究ができるのではないと私は思います。

一番大切なのは着眼点じゃないでしょうか。着眼点はどこからうまれるかといえば、それはその人の人格だと思います。

私は大阪芸大で教授に議論をふっかけました。その教授が『染が先で織が後』『染とは文様染の事を言う』と発言し著書でも書いたので、それに噛みついたのです。

何度も再レポートにされながらも、徹底的にその『説』を論破したのですが、そもそも、その教授に自分が染める布を作ってくれる人に対する愛情と感謝の気持ちがあれば、そんな説は出てこないはずなのです。

その教授も言ったことは同じです。『そんな事言っても、そういうことになっている』それがおかしいと言っているのです。

前提を疑わない。なぜなら、前提を崩すと、理論が崩壊するから、それが怖いのです。

その理論というのは、自分の先生の時代から営々と築き上げられてきたものだから、自分が崩すわけいかないのです。

私達、商売人は、ありとあらゆる事態を想定します。

だから、一番の基礎となる信用を大事にし、何が起こっても困らないように始末をし、それでも不安だから信心を欠かさないのです。

『まだはもうなり。もうはまだなり』という商売の格言があります。

つまり、チャンスもピンチも、まだ先があるんじゃないか、といつも考えを巡らさないといけないと言うことです。

そして、どうしても先が見えないときは、これが最後の手です。

『見切り千両』

学問の世界には、この二つの格言がないのです。

なぜないかといえば、自分の研究を失ったら、生活が出来ないからです。

でも、ほんとうに世の中に有用な研究をしているならそんなことはないはずです。

理論を崩されても、そこからさらに人の為になる研究をすればいいのですから。

でも、なぜそれができないかといえば、研究の目標をそこに置いていないからです。

芸術学もよい芸術を世の中に生み出すためにあるのではないし、経済学もより好ましい経済体制を考えているとは言い難い。

つまり、研究の為の研究になっていて、自分が学会で立身出世するための研究に終わってしまっているのです。

では、どうしたらいいのでしょうか。

ひとつのヒントは、マーケティングという学問にあります。

マーケティングというのは、経済学、心理学、統計学、ありとあらゆる分析手法を取り入れて、徹底的に解決方法を見つけ出そうとする学問です。すくなくとも私はそう思っています。

原発問題にしても物理学だけでなく、医学、地質学、歴史学、経済学、心理学などなどさまざまな意見と分析手法を用いていけば、想定される枠は広がるはずですし、解決方法も多岐にわたって見つかるはずです。

テレビに出てくるのは原子力の学者ばかり。なぜ、医学や心理学の学者がでてこないのですか?

不安にさらされている被災者、そして近隣に原発を抱えている人達の助けになるのは、原発関係者の『それでも安全です』の言葉じゃないでしょう。

何の為に原発を造ってきたんですか?

幸福になるためでしょう?

その結果、今のように、国民を不安のどん底に突き落としているんです。

幸福に戻すには、他の要素の助けを借りることも必要でしょう。

原発で不安なときに、原発は大丈夫だと言われて、信用するバカがいますかね。

心配なのは原発じゃなくて、自分や家族の健康、そして、これからの生活です。

その不安を取り除いてあげる事でしょう。

普通の人は、ありとあらゆる事を考えるのです。

つまり、大切なのはアカデミズム=学問じゃなんくて、『常識』なんですよ。
  
Posted by 渡辺幻門 at 18:26Comments(0)

2011年05月10日

アカデミズムの構造

原発推進派と反対派の討論を聞いていて、あることに気づきました。
これって、経済学者と行っている事、おなじやん!という事です。

つまり、想定の枠の中でしか物を考えない、いや、考えようとしないのです。

そういう枠組みを決めないと、学問にならないのです。

経済学でも変数以外を一定と『仮定』して初めて分析の対象となるのです。

今の福島原発の状態はリーマンショックの時と同じなのです。

いわゆるサブプライムローンというものによってアメリカの住宅需要は拡大を続けました。

その時は、だれも疑わなかった。

でも、大きな欠陥を抱えていた。それは、変数ととるべき物を見落とした、否、無視した事です。

サブプライムローンというのは、土地の価格が絶対に下がらないという前提の上に立っていた。

なぜか、そのシステムがつくられた十数年前がずっと上昇傾向だった。ただそれだけです。

でも、金融工学という名の下に、このシステムは正当化された。

まさに嘘から出た誠です。

でも、ウソはウソ。ウソはいつかばれるし、あの世にいったら閻魔さまに舌を抜かれるわけです。

そして、バブルは崩壊した。

でも、経済学者は何も反省していない。

これも、全く同じですね。いまだに、原発推進派は全く反省の色を見せていない。

『想定外』だった、というわけです。

私は、経済学、商学、芸術学と三つの専攻を持って居ますが、どれも同じです。

想定の枠内、つまり自分が考えの及ぶ範囲の事を分析・検証することしかできないのです。

もし、原発の安全性に問題をみつけたとしますね。

問題点から、対策を考える。その時はいろんな問題を考えるのでしょう。

でも、自分の範囲で解決策の見つからない問題に出くわすとどうするか。

その問題点が無いことにするわけです。それを正当化する理由を必死で探す。

学者というのは、結論があったら、その理由付けは得意中の得意です。

いくらでも都合の良いデータを引っ張ってきます。

こういうのを俗に『頭が硬い』といいます。

経済学者も原子力の学者も、『学問上は正しいのです』と必ず言います。

でも、学問上正しくても、非常識であることは山ほどあるわけです。

学問というのは、野山の中に道をつけて、アスファルトで舗装するようなもんです。

整然として、スピードがでますが、そこには草花も虫も動物も居ないのです。

だから、そこから脱輪したら、身動きが取れない。

脱輪したのは、道が狭いからだという。

車幅にしか道路をつくっていなければ、脱輪するのは当たり前です。

そして、その道は、師から弟子へと繋がっている。

学者は自由に発表や発言をしているようですが、自分の先生に反した意見をいうと、出世できないのです。

そのヒエラルキーの頂点にいるのが東京大学なのです。

経済学や商学の場合は、それほど研究資金が必要ないでしょうが、医学や物理学などは莫大な資金が必要です。

東大には当然、どこよりも金がはいる。それは国からもでしょうし、産学協同という名の下、企業からも入るでしょう。

だから東大は、いろんな研究が出来るし、研究者も豊富なのです。

研究というのは頭が良いからよい研究ができるのではないと私は思います。

一番大切なのは着眼点じゃないでしょうか。着眼点はどこからうまれるかといえば、それはその人の人格だと思います。

私は大阪芸大で教授に議論をふっかけました。その教授が『染が先で織が後』『染とは文様染の事を言う』と発言し著書でも書いたので、それに噛みついたのです。

何度も再レポートにされながらも、徹底的にその『説』を論破したのですが、そもそも、その教授に自分が染める布を作ってくれる人に対する愛情と感謝の気持ちがあれば、そんな説は出てこないはずなのです。

その教授も言ったことは同じです。『そんな事言っても、そういうことになっている』それがおかしいと言っているのです。

前提を疑わない。なぜなら、前提を崩すと、理論が崩壊するから、それが怖いのです。

その理論というのは、自分の先生の時代から営々と築き上げられてきたものだから、自分が崩すわけいかないのです。

私達、商売人は、ありとあらゆる事態を想定します。

だから、一番の基礎となる信用を大事にし、何が起こっても困らないように始末をし、それでも不安だから信心を欠かさないのです。

『まだはもうなり。もうはまだなり』という商売の格言があります。

つまり、チャンスもピンチも、まだ先があるんじゃないか、といつも考えを巡らさないといけないと言うことです。

そして、どうしても先が見えないときは、これが最後の手です。

『見切り千両』

学問の世界には、この二つの格言がないのです。

なぜないかといえば、自分の研究を失ったら、生活が出来ないからです。

でも、ほんとうに世の中に有用な研究をしているならそんなことはないはずです。

理論を崩されても、そこからさらに人の為になる研究をすればいいのですから。

でも、なぜそれができないかといえば、研究の目標をそこに置いていないからです。

芸術学もよい芸術を世の中に生み出すためにあるのではないし、経済学もより好ましい経済体制を考えているとは言い難い。

つまり、研究の為の研究になっていて、自分が学会で立身出世するための研究に終わってしまっているのです。

では、どうしたらいいのでしょうか。

ひとつのヒントは、マーケティングという学問にあります。

マーケティングというのは、経済学、心理学、統計学、ありとあらゆる分析手法を取り入れて、徹底的に解決方法を見つけ出そうとする学問です。すくなくとも私はそう思っています。

原発問題にしても物理学だけでなく、医学、地質学、歴史学、経済学、心理学などなどさまざまな意見と分析手法を用いていけば、想定される枠は広がるはずですし、解決方法も多岐にわたって見つかるはずです。

テレビに出てくるのは原子力の学者ばかり。なぜ、医学や心理学の学者がでてこないのですか?

不安にさらされている被災者、そして近隣に原発を抱えている人達の助けになるのは、原発関係者の『それでも安全です』の言葉じゃないでしょう。

何の為に原発を造ってきたんですか?

幸福になるためでしょう?

その結果、今のように、国民を不安のどん底に突き落としているんです。

幸福に戻すには、他の要素の助けを借りることも必要でしょう。

原発で不安なときに、原発は大丈夫だと言われて、信用するバカがいますかね。

心配なのは原発じゃなくて、自分や家族の健康、そして、これからの生活です。

その不安を取り除いてあげる事でしょう。

普通の人は、ありとあらゆる事を考えるのです。

つまり、大切なのはアカデミズム=学問じゃなんくて、『常識』なんですよ。
  
Posted by 渡辺幻門 at 18:26Comments(0)

2011年05月08日

2011年05月08日

2011年05月06日

遅ればせながら、今週は休講です(^_^;)

GW中という事もあり、今週の『もずやと学ぶ染織マーケティング』は休講します。

昨日から博多にきましたが、黄砂がひどいですね。

車も黄色く染まっています。  
Posted by 渡辺幻門 at 21:58Comments(0)

2011年05月06日

遅ればせながら、今週は休講です(^_^;)

GW中という事もあり、今週の『もずやと学ぶ染織マーケティング』は休講します。

昨日から博多にきましたが、黄砂がひどいですね。

車も黄色く染まっています。  
Posted by 渡辺幻門 at 21:58Comments(0)

2011年05月06日

ついにきた! 

負債総額の大きさから、他への影響は避けられないだろうという観測です。

生産者のみなさんは気を付けてください。

http://www.tdb.co.jp/tosan/syosai/3466.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter

2011/05/06(金) 地元本場の結城紬販売
坂入商事株式会社など2社
破産手続き開始決定受ける
負債80億円
TDB企業コード:250312093
「茨城」 坂入商事(株)(資本金9600万円、結城市結城10045、代表坂入範達氏、従業員85名)と関係会社の(株)ゆうしき(資本金8000万円、同所、同代表、従業員33名)は、5月6日に水戸地裁へ自己破産を申請し、同日破産手続き開始決定を受けた。

 申請代理人は、佐藤りえ子弁護士(東京都千代田区丸の内3-2-3、電話03-3214-4731)ほか4名。破産管財人は、飯島章弘弁護士(水戸市千波町1950、電話029-243-0947)。

 坂入商事(株)は、1947年(昭和22年)4月に創業、52年(昭和27年)12月に法人改組した。茨城県の名産品として有名な結城紬の本場である結城市に本店を構え、結城紬・京呉服など総合呉服の販売を主体に、羽毛布団・ハンドバッグ・宝石類などの販売も手がけていた。結城紬など100万円を超えるような高額商品の販売を中心に、若年層向け振袖・浴衣の販売なども強化。「結敷苑」「和ギャラリーきらら」の店舗名で茨城県内のほか、東京都、神奈川県、埼玉県、福島県に店舗展開し、2009年5月期には年売上高約39億8900万円を計上、事業規模は茨城県内トップクラスに位置づけられていた。

 (株)ゆうしきは、77年(昭和52年)11月に坂入商事(株)の卸部門として分離し、設立された。結城市内の機屋で生産された「亀甲かすり」や「オリジナル絵柄」の本場結城紬を中心に扱い、坂入商事(株)のほか、大手呉服商社、関東、京都、九州地方の呉服卸売店などに向けて86年9月期には年売上高約38億2700万円をあげていた。

 その後も「結城紬」がユネスコの無形文化遺産に認定されるなど、結城紬を含めた呉服の普及に努めていたが、一方では長引く消費低迷と呉服需要が減少するなかで高額品を中心とした売れ行き不振に加え、過大な借入金が経営を圧迫、多忙な資金繰りとなっていた。

 負債は両社ともに約40億円で、2社合計で約80億円。  
Posted by 渡辺幻門 at 21:32Comments(0)

2011年05月06日

ついにきた! 

負債総額の大きさから、他への影響は避けられないだろうという観測です。

生産者のみなさんは気を付けてください。

http://www.tdb.co.jp/tosan/syosai/3466.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter

2011/05/06(金) 地元本場の結城紬販売
坂入商事株式会社など2社
破産手続き開始決定受ける
負債80億円
TDB企業コード:250312093
「茨城」 坂入商事(株)(資本金9600万円、結城市結城10045、代表坂入範達氏、従業員85名)と関係会社の(株)ゆうしき(資本金8000万円、同所、同代表、従業員33名)は、5月6日に水戸地裁へ自己破産を申請し、同日破産手続き開始決定を受けた。

 申請代理人は、佐藤りえ子弁護士(東京都千代田区丸の内3-2-3、電話03-3214-4731)ほか4名。破産管財人は、飯島章弘弁護士(水戸市千波町1950、電話029-243-0947)。

 坂入商事(株)は、1947年(昭和22年)4月に創業、52年(昭和27年)12月に法人改組した。茨城県の名産品として有名な結城紬の本場である結城市に本店を構え、結城紬・京呉服など総合呉服の販売を主体に、羽毛布団・ハンドバッグ・宝石類などの販売も手がけていた。結城紬など100万円を超えるような高額商品の販売を中心に、若年層向け振袖・浴衣の販売なども強化。「結敷苑」「和ギャラリーきらら」の店舗名で茨城県内のほか、東京都、神奈川県、埼玉県、福島県に店舗展開し、2009年5月期には年売上高約39億8900万円を計上、事業規模は茨城県内トップクラスに位置づけられていた。

 (株)ゆうしきは、77年(昭和52年)11月に坂入商事(株)の卸部門として分離し、設立された。結城市内の機屋で生産された「亀甲かすり」や「オリジナル絵柄」の本場結城紬を中心に扱い、坂入商事(株)のほか、大手呉服商社、関東、京都、九州地方の呉服卸売店などに向けて86年9月期には年売上高約38億2700万円をあげていた。

 その後も「結城紬」がユネスコの無形文化遺産に認定されるなど、結城紬を含めた呉服の普及に努めていたが、一方では長引く消費低迷と呉服需要が減少するなかで高額品を中心とした売れ行き不振に加え、過大な借入金が経営を圧迫、多忙な資金繰りとなっていた。

 負債は両社ともに約40億円で、2社合計で約80億円。  
Posted by 渡辺幻門 at 21:32Comments(0)