2011年06月08日
もずやと学ぶ染織マーケティング<20回目>
6−3 事業を定義し、成長への指針を描く
ここではスカンジナビア航空やゼロックスの実例が書いてありますね。
マーケティングを通して学んで欲しいのは、世間にある何気ない事柄からその奥にある企業や人間の戦略・思惑を読み解くという事です。
前に書いた様に、マーケティングを考える上では、たくさんの解決方法を持っている方が有利です。引き出しが多く、またその引き出しに処方箋がたくさん詰まっている方が勝負に勝てる可能性が高い。その処方箋がどこにあるかといえば、本に書いてあるわけでも、誰かが教えてくれる訳でもありません。そのタネは世間に転がっているのです。それを見過ごしているだけです。たとえば、自分のライバルとなる作家がどういう作風なのかを分析してみる。売れている人は何故売れているのか考えてみる。あんなのダメだ、とか運が良いから売れているんだ、とか思っていたらいつまでたっても進歩はありません。結果にはそれなりの必然性があるのです。数々の選択肢から自分がどれを選択するか、それだけのことなのです。ですから、街を歩くとき、市場を歩くとき、売れている店と売れてない店。売れている店でも、売れる人と売れない人。売れる商品と売れない商品。どこがどうちがうのか、じぶんなりに結論を見つけてみる。逆に、売れない店、人、商品がどこをどう改善したら売れる様になるのかを考えて見る。それが何よりの訓練になります。そして、私達、商売人は日常的にそれをやっています。商売人というのは商売をする人の事ではなくて、商売を人生としているひとの事を言います。政治家なら政治を、教育者なら教育をつねに考えている様に、商売人はどうしたら売れるのか、どうしたら儲かるのかを考えている。おなじようにものづくりをする皆さんは、どうしたらよいもの=消費者が喜んでくれるものを作れるのかを常に考えていなければプロとは言えません。
今日は事業の定義から派生して、『誰に売るのか』という事について考えて見ましょう。教科書の中の2つの事例で中心になっているのも『顧客を誰に設定するのか』という事です。
私が書いたのを読む前に、ちょっと自分で考えてみてください。・・・・・
問屋?・・・・ブーです。
染織家の顧客は消費者、つまり着る人、身につける人だと考えなければなりません。問屋や小売店は、そこへ持って行ってくれるパイプだと考えるべきです。貯水池に水があっても、田んぼに届ける水路がなければ田植えはできません。でも、水路に入れるのが目的ではない。あくまで田んぼに水を入れ、苗に水をやるために水があり、水路を引くのです。
では、消費者ってどんな人?
イメージ湧きますか?
あなたがつくった着物や帯を着けた人、見たことありますか?
それはどんな人ですか?
まず、あなたたちが造っている着物ってどんな着物?
着物ってどんな種類があるか解っていますか?
そんな事さえ知らないで、成り立っていたというのが奇跡なのです。
そこまで言わなくても、って?
いいえ、致命的な事なのです。
陶器を例に考えて見ましょう。
その陶器が飯茶碗に使われるのか、湯飲みに使われるのかで作り手は認識が違って当たり前なのです。
なぜか?
飯茶碗は手に持って箸でご飯を口に運びますが、湯飲みは口を直接つけるからです。
つまり、飯茶碗と湯飲みでは必要とされる品質がビミョウに違うと言うことです。
あなたの造っている着物はどんな時に着れられているの?
着物には『格』というものがあります。
第一礼装という最高の格を持った着物は既婚女性なら黒留袖・喪服、未婚女性なら振袖・訪問着です。その他、色留袖、付下、色無地は準礼装・略礼装ということになりますが、家紋の入れ方によって変わります。それぞれがどんな形状をしているかは、本やネットで調べて勉強してください。
じゃ、みなさんが造っている着物はどこに分類されますか?
基本的に上記の礼装類には属しません。紅型ならたいていの場合、小紋という街着・おしゃれ着に分類されますし、織物はさらに下の普段着の分類となります。ちなみにこれはあくまでも和装における分類です。
つまり、和装というくくりの中で着る上では、沖縄の着物は一部の例外を除いて結婚式には着られないと言うことです。
一部の例外というのは、紅型の中にも絵羽模様と言って縫い目のところで柄が切れずに連続しているものがありますね。これは振袖としていままでも着用されていますし、中には訪問着と同じ柄着けのモノがありますので、これは全く区別無く礼装として着用できます。しかし、どんなに柄が連続していても織物は結婚式には不向きです。また、どんなに高価なものでも格とは関係がありません。
宮古上布や芭蕉布がどんなに高価でも、結婚式には着れない。これが和装の『しきたり』です。久米島では久米島紬を結婚式で着ると聞いた事がありますが、それは日本全体からみれば特殊な事なのです。
ですから、みなさんは基本的に晴れやかな場所では着られない着物を造っていると思わないといけない、と言うことです。
これは着物そのものの優劣とは全く関係がありません。たとえプリントの着物であっても、それが留め袖や訪問着の形をしていれば、礼装として着用されるのです。ですから、沖縄のものでどうしても礼装に適うモノをつくりたければ、紅型で留め袖や訪問着をつくればいいわけです。でも、それは現実のは非常に少ない。
沖縄の着物を着る場というのはせいぜいパーティー、軽いお茶席、観劇、お出かけなどなどです。
反対に考えれば、その気になればいつでも着られる着物であると言うことですね。
つまり、着る機会を日常的、定期的に持って居る人、着物が好きな人、そして大事なことは着物を自分で着られる人だということです。
私は基本的には、自分で着物を着られない人にはお勧めしない事にしています。
若い女性ならお母さんやおばあちゃんに着せてもらうというのもあるかと思いますが、本当に着物が好きなら、自分で着られるようになりたいと思うのが人情だと思います。
ですから、みなさんの造る着物をきてくれる消費者というのは着物を自分で着られて、着る機会をそれなりにお持ちの方だということです。そして、価値観こそ多様でも、基本的には好きで着物を着ている、ということです。
晴れ着をホテルに持って行って、着付けをしてもらうしか着る機会を持たないと言う人と、自分で自分の家で着て、街を歩く人と、当然ながら、趣向が違います。
どういえばわかりやすいですかねぇ・・・
お祝いしようというときに、我が家で手料理でもてなそうという人と、料理屋でおいしいモノを食べようという人が居ます。どちらがどうという事は別にして、同じお祝い、同じ料理でも、全く意味が違うと言うことです。
晴れ着はお祝いが終われば、さっさと脱ぎ捨てられてしまう。しかし、普段の着物はいつまでも着られる。なぜか?普段のきものは着て心地よいものだからです。
でも、普段着だといっても、TシャツやGパンとは違うのです。そこが、大和のそして沖縄の服飾文化のすごいところです。普段でも素晴らしい文様が色とりどりに書かれた染めものや、趣向を凝らした織物が着られていた。こんなところは世界中探してもないと思います。それが民衆レベルにまでひろがっていたのですから驚異的です。
そして、この着物の文化というのはその延長線上にあるのです。
ですから、本当の意味で消費者に受け入れられるモノをつくるには、どんな消費者か、を知らねばならないわけで、みなさんが相手にしている人達は、高価な着物を普段に着るだけの財力と鑑識眼がある人だと考えるべきだと言うことです。
ちょっと前までの事はただのブームでした。
真価が問われるのは、これからですし、ブームが終わった後の愛好者が本当の沖縄染織ファンだと言うことを忘れないで欲しいと思いますね。
みなさんは、その人達の期待に応える素晴らしい作品を世に送り出す責任があるのです。
ここではスカンジナビア航空やゼロックスの実例が書いてありますね。
マーケティングを通して学んで欲しいのは、世間にある何気ない事柄からその奥にある企業や人間の戦略・思惑を読み解くという事です。
前に書いた様に、マーケティングを考える上では、たくさんの解決方法を持っている方が有利です。引き出しが多く、またその引き出しに処方箋がたくさん詰まっている方が勝負に勝てる可能性が高い。その処方箋がどこにあるかといえば、本に書いてあるわけでも、誰かが教えてくれる訳でもありません。そのタネは世間に転がっているのです。それを見過ごしているだけです。たとえば、自分のライバルとなる作家がどういう作風なのかを分析してみる。売れている人は何故売れているのか考えてみる。あんなのダメだ、とか運が良いから売れているんだ、とか思っていたらいつまでたっても進歩はありません。結果にはそれなりの必然性があるのです。数々の選択肢から自分がどれを選択するか、それだけのことなのです。ですから、街を歩くとき、市場を歩くとき、売れている店と売れてない店。売れている店でも、売れる人と売れない人。売れる商品と売れない商品。どこがどうちがうのか、じぶんなりに結論を見つけてみる。逆に、売れない店、人、商品がどこをどう改善したら売れる様になるのかを考えて見る。それが何よりの訓練になります。そして、私達、商売人は日常的にそれをやっています。商売人というのは商売をする人の事ではなくて、商売を人生としているひとの事を言います。政治家なら政治を、教育者なら教育をつねに考えている様に、商売人はどうしたら売れるのか、どうしたら儲かるのかを考えている。おなじようにものづくりをする皆さんは、どうしたらよいもの=消費者が喜んでくれるものを作れるのかを常に考えていなければプロとは言えません。
今日は事業の定義から派生して、『誰に売るのか』という事について考えて見ましょう。教科書の中の2つの事例で中心になっているのも『顧客を誰に設定するのか』という事です。
私が書いたのを読む前に、ちょっと自分で考えてみてください。・・・・・
問屋?・・・・ブーです。
染織家の顧客は消費者、つまり着る人、身につける人だと考えなければなりません。問屋や小売店は、そこへ持って行ってくれるパイプだと考えるべきです。貯水池に水があっても、田んぼに届ける水路がなければ田植えはできません。でも、水路に入れるのが目的ではない。あくまで田んぼに水を入れ、苗に水をやるために水があり、水路を引くのです。
では、消費者ってどんな人?
イメージ湧きますか?
あなたがつくった着物や帯を着けた人、見たことありますか?
それはどんな人ですか?
まず、あなたたちが造っている着物ってどんな着物?
着物ってどんな種類があるか解っていますか?
そんな事さえ知らないで、成り立っていたというのが奇跡なのです。
そこまで言わなくても、って?
いいえ、致命的な事なのです。
陶器を例に考えて見ましょう。
その陶器が飯茶碗に使われるのか、湯飲みに使われるのかで作り手は認識が違って当たり前なのです。
なぜか?
飯茶碗は手に持って箸でご飯を口に運びますが、湯飲みは口を直接つけるからです。
つまり、飯茶碗と湯飲みでは必要とされる品質がビミョウに違うと言うことです。
あなたの造っている着物はどんな時に着れられているの?
着物には『格』というものがあります。
第一礼装という最高の格を持った着物は既婚女性なら黒留袖・喪服、未婚女性なら振袖・訪問着です。その他、色留袖、付下、色無地は準礼装・略礼装ということになりますが、家紋の入れ方によって変わります。それぞれがどんな形状をしているかは、本やネットで調べて勉強してください。
じゃ、みなさんが造っている着物はどこに分類されますか?
基本的に上記の礼装類には属しません。紅型ならたいていの場合、小紋という街着・おしゃれ着に分類されますし、織物はさらに下の普段着の分類となります。ちなみにこれはあくまでも和装における分類です。
つまり、和装というくくりの中で着る上では、沖縄の着物は一部の例外を除いて結婚式には着られないと言うことです。
一部の例外というのは、紅型の中にも絵羽模様と言って縫い目のところで柄が切れずに連続しているものがありますね。これは振袖としていままでも着用されていますし、中には訪問着と同じ柄着けのモノがありますので、これは全く区別無く礼装として着用できます。しかし、どんなに柄が連続していても織物は結婚式には不向きです。また、どんなに高価なものでも格とは関係がありません。
宮古上布や芭蕉布がどんなに高価でも、結婚式には着れない。これが和装の『しきたり』です。久米島では久米島紬を結婚式で着ると聞いた事がありますが、それは日本全体からみれば特殊な事なのです。
ですから、みなさんは基本的に晴れやかな場所では着られない着物を造っていると思わないといけない、と言うことです。
これは着物そのものの優劣とは全く関係がありません。たとえプリントの着物であっても、それが留め袖や訪問着の形をしていれば、礼装として着用されるのです。ですから、沖縄のものでどうしても礼装に適うモノをつくりたければ、紅型で留め袖や訪問着をつくればいいわけです。でも、それは現実のは非常に少ない。
沖縄の着物を着る場というのはせいぜいパーティー、軽いお茶席、観劇、お出かけなどなどです。
反対に考えれば、その気になればいつでも着られる着物であると言うことですね。
つまり、着る機会を日常的、定期的に持って居る人、着物が好きな人、そして大事なことは着物を自分で着られる人だということです。
私は基本的には、自分で着物を着られない人にはお勧めしない事にしています。
若い女性ならお母さんやおばあちゃんに着せてもらうというのもあるかと思いますが、本当に着物が好きなら、自分で着られるようになりたいと思うのが人情だと思います。
ですから、みなさんの造る着物をきてくれる消費者というのは着物を自分で着られて、着る機会をそれなりにお持ちの方だということです。そして、価値観こそ多様でも、基本的には好きで着物を着ている、ということです。
晴れ着をホテルに持って行って、着付けをしてもらうしか着る機会を持たないと言う人と、自分で自分の家で着て、街を歩く人と、当然ながら、趣向が違います。
どういえばわかりやすいですかねぇ・・・
お祝いしようというときに、我が家で手料理でもてなそうという人と、料理屋でおいしいモノを食べようという人が居ます。どちらがどうという事は別にして、同じお祝い、同じ料理でも、全く意味が違うと言うことです。
晴れ着はお祝いが終われば、さっさと脱ぎ捨てられてしまう。しかし、普段の着物はいつまでも着られる。なぜか?普段のきものは着て心地よいものだからです。
でも、普段着だといっても、TシャツやGパンとは違うのです。そこが、大和のそして沖縄の服飾文化のすごいところです。普段でも素晴らしい文様が色とりどりに書かれた染めものや、趣向を凝らした織物が着られていた。こんなところは世界中探してもないと思います。それが民衆レベルにまでひろがっていたのですから驚異的です。
そして、この着物の文化というのはその延長線上にあるのです。
ですから、本当の意味で消費者に受け入れられるモノをつくるには、どんな消費者か、を知らねばならないわけで、みなさんが相手にしている人達は、高価な着物を普段に着るだけの財力と鑑識眼がある人だと考えるべきだと言うことです。
ちょっと前までの事はただのブームでした。
真価が問われるのは、これからですし、ブームが終わった後の愛好者が本当の沖縄染織ファンだと言うことを忘れないで欲しいと思いますね。
みなさんは、その人達の期待に応える素晴らしい作品を世に送り出す責任があるのです。
2011年06月08日
もずやと学ぶ染織マーケティング<20回目>
6−3 事業を定義し、成長への指針を描く
ここではスカンジナビア航空やゼロックスの実例が書いてありますね。
マーケティングを通して学んで欲しいのは、世間にある何気ない事柄からその奥にある企業や人間の戦略・思惑を読み解くという事です。
前に書いた様に、マーケティングを考える上では、たくさんの解決方法を持っている方が有利です。引き出しが多く、またその引き出しに処方箋がたくさん詰まっている方が勝負に勝てる可能性が高い。その処方箋がどこにあるかといえば、本に書いてあるわけでも、誰かが教えてくれる訳でもありません。そのタネは世間に転がっているのです。それを見過ごしているだけです。たとえば、自分のライバルとなる作家がどういう作風なのかを分析してみる。売れている人は何故売れているのか考えてみる。あんなのダメだ、とか運が良いから売れているんだ、とか思っていたらいつまでたっても進歩はありません。結果にはそれなりの必然性があるのです。数々の選択肢から自分がどれを選択するか、それだけのことなのです。ですから、街を歩くとき、市場を歩くとき、売れている店と売れてない店。売れている店でも、売れる人と売れない人。売れる商品と売れない商品。どこがどうちがうのか、じぶんなりに結論を見つけてみる。逆に、売れない店、人、商品がどこをどう改善したら売れる様になるのかを考えて見る。それが何よりの訓練になります。そして、私達、商売人は日常的にそれをやっています。商売人というのは商売をする人の事ではなくて、商売を人生としているひとの事を言います。政治家なら政治を、教育者なら教育をつねに考えている様に、商売人はどうしたら売れるのか、どうしたら儲かるのかを考えている。おなじようにものづくりをする皆さんは、どうしたらよいもの=消費者が喜んでくれるものを作れるのかを常に考えていなければプロとは言えません。
今日は事業の定義から派生して、『誰に売るのか』という事について考えて見ましょう。教科書の中の2つの事例で中心になっているのも『顧客を誰に設定するのか』という事です。
私が書いたのを読む前に、ちょっと自分で考えてみてください。・・・・・
問屋?・・・・ブーです。
染織家の顧客は消費者、つまり着る人、身につける人だと考えなければなりません。問屋や小売店は、そこへ持って行ってくれるパイプだと考えるべきです。貯水池に水があっても、田んぼに届ける水路がなければ田植えはできません。でも、水路に入れるのが目的ではない。あくまで田んぼに水を入れ、苗に水をやるために水があり、水路を引くのです。
では、消費者ってどんな人?
イメージ湧きますか?
あなたがつくった着物や帯を着けた人、見たことありますか?
それはどんな人ですか?
まず、あなたたちが造っている着物ってどんな着物?
着物ってどんな種類があるか解っていますか?
そんな事さえ知らないで、成り立っていたというのが奇跡なのです。
そこまで言わなくても、って?
いいえ、致命的な事なのです。
陶器を例に考えて見ましょう。
その陶器が飯茶碗に使われるのか、湯飲みに使われるのかで作り手は認識が違って当たり前なのです。
なぜか?
飯茶碗は手に持って箸でご飯を口に運びますが、湯飲みは口を直接つけるからです。
つまり、飯茶碗と湯飲みでは必要とされる品質がビミョウに違うと言うことです。
あなたの造っている着物はどんな時に着れられているの?
着物には『格』というものがあります。
第一礼装という最高の格を持った着物は既婚女性なら黒留袖・喪服、未婚女性なら振袖・訪問着です。その他、色留袖、付下、色無地は準礼装・略礼装ということになりますが、家紋の入れ方によって変わります。それぞれがどんな形状をしているかは、本やネットで調べて勉強してください。
じゃ、みなさんが造っている着物はどこに分類されますか?
基本的に上記の礼装類には属しません。紅型ならたいていの場合、小紋という街着・おしゃれ着に分類されますし、織物はさらに下の普段着の分類となります。ちなみにこれはあくまでも和装における分類です。
つまり、和装というくくりの中で着る上では、沖縄の着物は一部の例外を除いて結婚式には着られないと言うことです。
一部の例外というのは、紅型の中にも絵羽模様と言って縫い目のところで柄が切れずに連続しているものがありますね。これは振袖としていままでも着用されていますし、中には訪問着と同じ柄着けのモノがありますので、これは全く区別無く礼装として着用できます。しかし、どんなに柄が連続していても織物は結婚式には不向きです。また、どんなに高価なものでも格とは関係がありません。
宮古上布や芭蕉布がどんなに高価でも、結婚式には着れない。これが和装の『しきたり』です。久米島では久米島紬を結婚式で着ると聞いた事がありますが、それは日本全体からみれば特殊な事なのです。
ですから、みなさんは基本的に晴れやかな場所では着られない着物を造っていると思わないといけない、と言うことです。
これは着物そのものの優劣とは全く関係がありません。たとえプリントの着物であっても、それが留め袖や訪問着の形をしていれば、礼装として着用されるのです。ですから、沖縄のものでどうしても礼装に適うモノをつくりたければ、紅型で留め袖や訪問着をつくればいいわけです。でも、それは現実のは非常に少ない。
沖縄の着物を着る場というのはせいぜいパーティー、軽いお茶席、観劇、お出かけなどなどです。
反対に考えれば、その気になればいつでも着られる着物であると言うことですね。
つまり、着る機会を日常的、定期的に持って居る人、着物が好きな人、そして大事なことは着物を自分で着られる人だということです。
私は基本的には、自分で着物を着られない人にはお勧めしない事にしています。
若い女性ならお母さんやおばあちゃんに着せてもらうというのもあるかと思いますが、本当に着物が好きなら、自分で着られるようになりたいと思うのが人情だと思います。
ですから、みなさんの造る着物をきてくれる消費者というのは着物を自分で着られて、着る機会をそれなりにお持ちの方だということです。そして、価値観こそ多様でも、基本的には好きで着物を着ている、ということです。
晴れ着をホテルに持って行って、着付けをしてもらうしか着る機会を持たないと言う人と、自分で自分の家で着て、街を歩く人と、当然ながら、趣向が違います。
どういえばわかりやすいですかねぇ・・・
お祝いしようというときに、我が家で手料理でもてなそうという人と、料理屋でおいしいモノを食べようという人が居ます。どちらがどうという事は別にして、同じお祝い、同じ料理でも、全く意味が違うと言うことです。
晴れ着はお祝いが終われば、さっさと脱ぎ捨てられてしまう。しかし、普段の着物はいつまでも着られる。なぜか?普段のきものは着て心地よいものだからです。
でも、普段着だといっても、TシャツやGパンとは違うのです。そこが、大和のそして沖縄の服飾文化のすごいところです。普段でも素晴らしい文様が色とりどりに書かれた染めものや、趣向を凝らした織物が着られていた。こんなところは世界中探してもないと思います。それが民衆レベルにまでひろがっていたのですから驚異的です。
そして、この着物の文化というのはその延長線上にあるのです。
ですから、本当の意味で消費者に受け入れられるモノをつくるには、どんな消費者か、を知らねばならないわけで、みなさんが相手にしている人達は、高価な着物を普段に着るだけの財力と鑑識眼がある人だと考えるべきだと言うことです。
ちょっと前までの事はただのブームでした。
真価が問われるのは、これからですし、ブームが終わった後の愛好者が本当の沖縄染織ファンだと言うことを忘れないで欲しいと思いますね。
みなさんは、その人達の期待に応える素晴らしい作品を世に送り出す責任があるのです。
ここではスカンジナビア航空やゼロックスの実例が書いてありますね。
マーケティングを通して学んで欲しいのは、世間にある何気ない事柄からその奥にある企業や人間の戦略・思惑を読み解くという事です。
前に書いた様に、マーケティングを考える上では、たくさんの解決方法を持っている方が有利です。引き出しが多く、またその引き出しに処方箋がたくさん詰まっている方が勝負に勝てる可能性が高い。その処方箋がどこにあるかといえば、本に書いてあるわけでも、誰かが教えてくれる訳でもありません。そのタネは世間に転がっているのです。それを見過ごしているだけです。たとえば、自分のライバルとなる作家がどういう作風なのかを分析してみる。売れている人は何故売れているのか考えてみる。あんなのダメだ、とか運が良いから売れているんだ、とか思っていたらいつまでたっても進歩はありません。結果にはそれなりの必然性があるのです。数々の選択肢から自分がどれを選択するか、それだけのことなのです。ですから、街を歩くとき、市場を歩くとき、売れている店と売れてない店。売れている店でも、売れる人と売れない人。売れる商品と売れない商品。どこがどうちがうのか、じぶんなりに結論を見つけてみる。逆に、売れない店、人、商品がどこをどう改善したら売れる様になるのかを考えて見る。それが何よりの訓練になります。そして、私達、商売人は日常的にそれをやっています。商売人というのは商売をする人の事ではなくて、商売を人生としているひとの事を言います。政治家なら政治を、教育者なら教育をつねに考えている様に、商売人はどうしたら売れるのか、どうしたら儲かるのかを考えている。おなじようにものづくりをする皆さんは、どうしたらよいもの=消費者が喜んでくれるものを作れるのかを常に考えていなければプロとは言えません。
今日は事業の定義から派生して、『誰に売るのか』という事について考えて見ましょう。教科書の中の2つの事例で中心になっているのも『顧客を誰に設定するのか』という事です。
私が書いたのを読む前に、ちょっと自分で考えてみてください。・・・・・
問屋?・・・・ブーです。
染織家の顧客は消費者、つまり着る人、身につける人だと考えなければなりません。問屋や小売店は、そこへ持って行ってくれるパイプだと考えるべきです。貯水池に水があっても、田んぼに届ける水路がなければ田植えはできません。でも、水路に入れるのが目的ではない。あくまで田んぼに水を入れ、苗に水をやるために水があり、水路を引くのです。
では、消費者ってどんな人?
イメージ湧きますか?
あなたがつくった着物や帯を着けた人、見たことありますか?
それはどんな人ですか?
まず、あなたたちが造っている着物ってどんな着物?
着物ってどんな種類があるか解っていますか?
そんな事さえ知らないで、成り立っていたというのが奇跡なのです。
そこまで言わなくても、って?
いいえ、致命的な事なのです。
陶器を例に考えて見ましょう。
その陶器が飯茶碗に使われるのか、湯飲みに使われるのかで作り手は認識が違って当たり前なのです。
なぜか?
飯茶碗は手に持って箸でご飯を口に運びますが、湯飲みは口を直接つけるからです。
つまり、飯茶碗と湯飲みでは必要とされる品質がビミョウに違うと言うことです。
あなたの造っている着物はどんな時に着れられているの?
着物には『格』というものがあります。
第一礼装という最高の格を持った着物は既婚女性なら黒留袖・喪服、未婚女性なら振袖・訪問着です。その他、色留袖、付下、色無地は準礼装・略礼装ということになりますが、家紋の入れ方によって変わります。それぞれがどんな形状をしているかは、本やネットで調べて勉強してください。
じゃ、みなさんが造っている着物はどこに分類されますか?
基本的に上記の礼装類には属しません。紅型ならたいていの場合、小紋という街着・おしゃれ着に分類されますし、織物はさらに下の普段着の分類となります。ちなみにこれはあくまでも和装における分類です。
つまり、和装というくくりの中で着る上では、沖縄の着物は一部の例外を除いて結婚式には着られないと言うことです。
一部の例外というのは、紅型の中にも絵羽模様と言って縫い目のところで柄が切れずに連続しているものがありますね。これは振袖としていままでも着用されていますし、中には訪問着と同じ柄着けのモノがありますので、これは全く区別無く礼装として着用できます。しかし、どんなに柄が連続していても織物は結婚式には不向きです。また、どんなに高価なものでも格とは関係がありません。
宮古上布や芭蕉布がどんなに高価でも、結婚式には着れない。これが和装の『しきたり』です。久米島では久米島紬を結婚式で着ると聞いた事がありますが、それは日本全体からみれば特殊な事なのです。
ですから、みなさんは基本的に晴れやかな場所では着られない着物を造っていると思わないといけない、と言うことです。
これは着物そのものの優劣とは全く関係がありません。たとえプリントの着物であっても、それが留め袖や訪問着の形をしていれば、礼装として着用されるのです。ですから、沖縄のものでどうしても礼装に適うモノをつくりたければ、紅型で留め袖や訪問着をつくればいいわけです。でも、それは現実のは非常に少ない。
沖縄の着物を着る場というのはせいぜいパーティー、軽いお茶席、観劇、お出かけなどなどです。
反対に考えれば、その気になればいつでも着られる着物であると言うことですね。
つまり、着る機会を日常的、定期的に持って居る人、着物が好きな人、そして大事なことは着物を自分で着られる人だということです。
私は基本的には、自分で着物を着られない人にはお勧めしない事にしています。
若い女性ならお母さんやおばあちゃんに着せてもらうというのもあるかと思いますが、本当に着物が好きなら、自分で着られるようになりたいと思うのが人情だと思います。
ですから、みなさんの造る着物をきてくれる消費者というのは着物を自分で着られて、着る機会をそれなりにお持ちの方だということです。そして、価値観こそ多様でも、基本的には好きで着物を着ている、ということです。
晴れ着をホテルに持って行って、着付けをしてもらうしか着る機会を持たないと言う人と、自分で自分の家で着て、街を歩く人と、当然ながら、趣向が違います。
どういえばわかりやすいですかねぇ・・・
お祝いしようというときに、我が家で手料理でもてなそうという人と、料理屋でおいしいモノを食べようという人が居ます。どちらがどうという事は別にして、同じお祝い、同じ料理でも、全く意味が違うと言うことです。
晴れ着はお祝いが終われば、さっさと脱ぎ捨てられてしまう。しかし、普段の着物はいつまでも着られる。なぜか?普段のきものは着て心地よいものだからです。
でも、普段着だといっても、TシャツやGパンとは違うのです。そこが、大和のそして沖縄の服飾文化のすごいところです。普段でも素晴らしい文様が色とりどりに書かれた染めものや、趣向を凝らした織物が着られていた。こんなところは世界中探してもないと思います。それが民衆レベルにまでひろがっていたのですから驚異的です。
そして、この着物の文化というのはその延長線上にあるのです。
ですから、本当の意味で消費者に受け入れられるモノをつくるには、どんな消費者か、を知らねばならないわけで、みなさんが相手にしている人達は、高価な着物を普段に着るだけの財力と鑑識眼がある人だと考えるべきだと言うことです。
ちょっと前までの事はただのブームでした。
真価が問われるのは、これからですし、ブームが終わった後の愛好者が本当の沖縄染織ファンだと言うことを忘れないで欲しいと思いますね。
みなさんは、その人達の期待に応える素晴らしい作品を世に送り出す責任があるのです。
Posted by 渡辺幻門 at
22:16
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