2011年06月28日
もずやと学ぶ染織マーケティング<第22回目>
7−3 市場細分化?多様性への対応
ここは、じっくりやりましょうね。
市場細分化というのは文字通りマーケットを属性ごとに切り分けて、誰に狙いを定めるかをはっきりさせることです。
思い違いしてはいけないのは、これは、最大市場を対象とするのではない、ということです。
つまり、ここを狙えば最大のマーケットシェアが獲得できる、という話ではないのです。
実例をあげて考えていきましょう。
わかりやすく、今回は特別にもずやの戦略を見てみましょう。
紬市場。
日本全体を見ると、紬のマーケットというのは、大島・結城を筆頭に、素朴さ、手織りの質感というところから、地味、粋という所にイメージが行っています。
大島や結城のデザインを思い起こしてみてください。
色も柄もあっさりとしていて、淡彩な味わいがあります。
ほんの一部の商品を別にして多彩さや華やかさとうものは無い。
しかし、地味や粋を解さない、それを『貧乏くさい』『ババくさい』と感じる人も少なからず存在する。
そういう人たちの需要を紬市場は無視し続けてきたのです。
なぜ、そんなことになったのか、というと、西日本の多くが友禅市場で、関東に織物市場が大きく開けていたからです。
ですから、西日本では圧倒的に染めが強かった。それと比例してフォーマルの着物を着る場面も多かった。
東京を中心とした関東圏では、冠婚葬祭がかなり前から簡略化されていたこともあり、着物というと、普段にも着るいわゆる着物好きという人が多かった。
自然にしておくと、マーケットの大きさに合わせて、紬は地味に、染めは派手になっていくのです。
しかし、日本で唯一華やかな紬を織る産地があった。あったというより帰ってきた。それが沖縄です。
他産地の紬が地味で似たり寄ったりなのに対し、沖縄の織物だけが華やかで強い独自性を保っていた。
マーケットを地味・派手、織り・染めで区分けしてみると下記の様になります。
染め好き 織り好き
派手好き ☆沖縄☆
地味好き
ここの、織り好きで派手好きのセグメント(細分化された市場)がガラ空きだったのです。
他のセグメントは強敵が一杯です。言っちゃ悪いですが、沖縄の技術で勝てる道理はありません。技術で勝てなきゃ感性で勝てばいいのですが、400年以上もわびさびに接しているヤマトンチュウにウチナンチュが対抗するのは至難の業です。
大きな市場に割り込むと大きな市場が得られると想ってしまいがちですが、一時的には押しのけられても、必ずまた揺り戻しがくるものなのです。
地味に造った沖縄物が一時的には市場でブームを造っても、結局は、もとの自分たちの慣れ親しんだ物に戻るはずだ、私はそう読んでいました。
しかし、沖縄の人に近い美意識を持った人や、華やかな着物、それも織りの着物が大好きだとかいう人にとっては、全くと行っていいほど、品物が無かったのです。せいぜい色大島くらいでしょうか。
教科書にも書かれているように、人間の価値観といのは決して一つでくくれるものではなく、人それぞれバラバラです。
沖縄の生産体制を考えたら、その供給を裁くのにそう大きなマーケットは必要ないし、長い目で見れば市場の拡大をはかるよりも、沖縄の一番の特長であり魅力である物を発揮させるのが最善だ、と私は考えたわけです。
なにも、沖縄の染織の美しさに惚れただけで、みなさんにいろんな提言をしてきたわけではありません。
きちんとしたマーケット・セグメンテーションによる戦略立案があってのことなのです。
ところが、マスマーケットを信じすぎた問屋などの指導で内地寄り、つまり地味な紬を造らせようとした。
沖縄ブームがある間は良かったのです。
沖縄ブームは時とともに去り、大半の消費者は自然の摂理でわびさびにへの方向へ帰って行った。その反面、本来、ターゲットとすべき派手な織物が好きな消費者の期待に添うことも出来なかった。
結果として、沖縄染織はどのマーケットも完全に把握することが出来ずに、ブームを終えてしまった、ということです。
私の仲間が造ってくれた作品は、私の鑑識眼で選ばれた作品たちですから、華やかな織物・しゃれ物が好きな方の満足をある程度は得ているはずです。そのおかげで、長い間に渡ってご愛顧を頂き、もずやファンのお客様は弊社の着物を継続してお作り頂けるのだと想います。
そもそも、趣味の着物というのは、どれだけのファンを得られるかが勝負であって、多くの人になんとなく買ってもらうのでは、決して長続きしないのです。
ファンを造るというのは、デザインであったり、色であったり、着心地であったり、作家さんの人柄であったりが、その誘因となります。
なのに、中森明菜が松田聖子のまねをしてブリッコしてもファンはつかないのです(古!)
私の恩師の村田昭治慶應義塾大学名誉教授は『恋愛もマーケティングだ』とおっしゃいましたが、まさにそういうことです。
恋愛は相手に合わそうとしてもうまくいかない。ましてや、大衆受けする自分を演出しても相手の心をうつことは出来ない。自分らしい自分をいかに相手に理解させるか、そして自分を受け入れてくれる異性がどんな人なのかを的確に選び出す事が、末永くうまくいくかどうかの鍵なのです。
ここは、じっくりやりましょうね。
市場細分化というのは文字通りマーケットを属性ごとに切り分けて、誰に狙いを定めるかをはっきりさせることです。
思い違いしてはいけないのは、これは、最大市場を対象とするのではない、ということです。
つまり、ここを狙えば最大のマーケットシェアが獲得できる、という話ではないのです。
実例をあげて考えていきましょう。
わかりやすく、今回は特別にもずやの戦略を見てみましょう。
紬市場。
日本全体を見ると、紬のマーケットというのは、大島・結城を筆頭に、素朴さ、手織りの質感というところから、地味、粋という所にイメージが行っています。
大島や結城のデザインを思い起こしてみてください。
色も柄もあっさりとしていて、淡彩な味わいがあります。
ほんの一部の商品を別にして多彩さや華やかさとうものは無い。
しかし、地味や粋を解さない、それを『貧乏くさい』『ババくさい』と感じる人も少なからず存在する。
そういう人たちの需要を紬市場は無視し続けてきたのです。
なぜ、そんなことになったのか、というと、西日本の多くが友禅市場で、関東に織物市場が大きく開けていたからです。
ですから、西日本では圧倒的に染めが強かった。それと比例してフォーマルの着物を着る場面も多かった。
東京を中心とした関東圏では、冠婚葬祭がかなり前から簡略化されていたこともあり、着物というと、普段にも着るいわゆる着物好きという人が多かった。
自然にしておくと、マーケットの大きさに合わせて、紬は地味に、染めは派手になっていくのです。
しかし、日本で唯一華やかな紬を織る産地があった。あったというより帰ってきた。それが沖縄です。
他産地の紬が地味で似たり寄ったりなのに対し、沖縄の織物だけが華やかで強い独自性を保っていた。
マーケットを地味・派手、織り・染めで区分けしてみると下記の様になります。
染め好き 織り好き
派手好き ☆沖縄☆
地味好き
ここの、織り好きで派手好きのセグメント(細分化された市場)がガラ空きだったのです。
他のセグメントは強敵が一杯です。言っちゃ悪いですが、沖縄の技術で勝てる道理はありません。技術で勝てなきゃ感性で勝てばいいのですが、400年以上もわびさびに接しているヤマトンチュウにウチナンチュが対抗するのは至難の業です。
大きな市場に割り込むと大きな市場が得られると想ってしまいがちですが、一時的には押しのけられても、必ずまた揺り戻しがくるものなのです。
地味に造った沖縄物が一時的には市場でブームを造っても、結局は、もとの自分たちの慣れ親しんだ物に戻るはずだ、私はそう読んでいました。
しかし、沖縄の人に近い美意識を持った人や、華やかな着物、それも織りの着物が大好きだとかいう人にとっては、全くと行っていいほど、品物が無かったのです。せいぜい色大島くらいでしょうか。
教科書にも書かれているように、人間の価値観といのは決して一つでくくれるものではなく、人それぞれバラバラです。
沖縄の生産体制を考えたら、その供給を裁くのにそう大きなマーケットは必要ないし、長い目で見れば市場の拡大をはかるよりも、沖縄の一番の特長であり魅力である物を発揮させるのが最善だ、と私は考えたわけです。
なにも、沖縄の染織の美しさに惚れただけで、みなさんにいろんな提言をしてきたわけではありません。
きちんとしたマーケット・セグメンテーションによる戦略立案があってのことなのです。
ところが、マスマーケットを信じすぎた問屋などの指導で内地寄り、つまり地味な紬を造らせようとした。
沖縄ブームがある間は良かったのです。
沖縄ブームは時とともに去り、大半の消費者は自然の摂理でわびさびにへの方向へ帰って行った。その反面、本来、ターゲットとすべき派手な織物が好きな消費者の期待に添うことも出来なかった。
結果として、沖縄染織はどのマーケットも完全に把握することが出来ずに、ブームを終えてしまった、ということです。
私の仲間が造ってくれた作品は、私の鑑識眼で選ばれた作品たちですから、華やかな織物・しゃれ物が好きな方の満足をある程度は得ているはずです。そのおかげで、長い間に渡ってご愛顧を頂き、もずやファンのお客様は弊社の着物を継続してお作り頂けるのだと想います。
そもそも、趣味の着物というのは、どれだけのファンを得られるかが勝負であって、多くの人になんとなく買ってもらうのでは、決して長続きしないのです。
ファンを造るというのは、デザインであったり、色であったり、着心地であったり、作家さんの人柄であったりが、その誘因となります。
なのに、中森明菜が松田聖子のまねをしてブリッコしてもファンはつかないのです(古!)
私の恩師の村田昭治慶應義塾大学名誉教授は『恋愛もマーケティングだ』とおっしゃいましたが、まさにそういうことです。
恋愛は相手に合わそうとしてもうまくいかない。ましてや、大衆受けする自分を演出しても相手の心をうつことは出来ない。自分らしい自分をいかに相手に理解させるか、そして自分を受け入れてくれる異性がどんな人なのかを的確に選び出す事が、末永くうまくいくかどうかの鍵なのです。
2011年06月28日
もずやと学ぶ染織マーケティング<第22回目>
7−3 市場細分化?多様性への対応
ここは、じっくりやりましょうね。
市場細分化というのは文字通りマーケットを属性ごとに切り分けて、誰に狙いを定めるかをはっきりさせることです。
思い違いしてはいけないのは、これは、最大市場を対象とするのではない、ということです。
つまり、ここを狙えば最大のマーケットシェアが獲得できる、という話ではないのです。
実例をあげて考えていきましょう。
わかりやすく、今回は特別にもずやの戦略を見てみましょう。
紬市場。
日本全体を見ると、紬のマーケットというのは、大島・結城を筆頭に、素朴さ、手織りの質感というところから、地味、粋という所にイメージが行っています。
大島や結城のデザインを思い起こしてみてください。
色も柄もあっさりとしていて、淡彩な味わいがあります。
ほんの一部の商品を別にして多彩さや華やかさとうものは無い。
しかし、地味や粋を解さない、それを『貧乏くさい』『ババくさい』と感じる人も少なからず存在する。
そういう人たちの需要を紬市場は無視し続けてきたのです。
なぜ、そんなことになったのか、というと、西日本の多くが友禅市場で、関東に織物市場が大きく開けていたからです。
ですから、西日本では圧倒的に染めが強かった。それと比例してフォーマルの着物を着る場面も多かった。
東京を中心とした関東圏では、冠婚葬祭がかなり前から簡略化されていたこともあり、着物というと、普段にも着るいわゆる着物好きという人が多かった。
自然にしておくと、マーケットの大きさに合わせて、紬は地味に、染めは派手になっていくのです。
しかし、日本で唯一華やかな紬を織る産地があった。あったというより帰ってきた。それが沖縄です。
他産地の紬が地味で似たり寄ったりなのに対し、沖縄の織物だけが華やかで強い独自性を保っていた。
マーケットを地味・派手、織り・染めで区分けしてみると下記の様になります。
染め好き 織り好き
派手好き ☆沖縄☆
地味好き
ここの、織り好きで派手好きのセグメント(細分化された市場)がガラ空きだったのです。
他のセグメントは強敵が一杯です。言っちゃ悪いですが、沖縄の技術で勝てる道理はありません。技術で勝てなきゃ感性で勝てばいいのですが、400年以上もわびさびに接しているヤマトンチュウにウチナンチュが対抗するのは至難の業です。
大きな市場に割り込むと大きな市場が得られると想ってしまいがちですが、一時的には押しのけられても、必ずまた揺り戻しがくるものなのです。
地味に造った沖縄物が一時的には市場でブームを造っても、結局は、もとの自分たちの慣れ親しんだ物に戻るはずだ、私はそう読んでいました。
しかし、沖縄の人に近い美意識を持った人や、華やかな着物、それも織りの着物が大好きだとかいう人にとっては、全くと行っていいほど、品物が無かったのです。せいぜい色大島くらいでしょうか。
教科書にも書かれているように、人間の価値観といのは決して一つでくくれるものではなく、人それぞれバラバラです。
沖縄の生産体制を考えたら、その供給を裁くのにそう大きなマーケットは必要ないし、長い目で見れば市場の拡大をはかるよりも、沖縄の一番の特長であり魅力である物を発揮させるのが最善だ、と私は考えたわけです。
なにも、沖縄の染織の美しさに惚れただけで、みなさんにいろんな提言をしてきたわけではありません。
きちんとしたマーケット・セグメンテーションによる戦略立案があってのことなのです。
ところが、マスマーケットを信じすぎた問屋などの指導で内地寄り、つまり地味な紬を造らせようとした。
沖縄ブームがある間は良かったのです。
沖縄ブームは時とともに去り、大半の消費者は自然の摂理でわびさびにへの方向へ帰って行った。その反面、本来、ターゲットとすべき派手な織物が好きな消費者の期待に添うことも出来なかった。
結果として、沖縄染織はどのマーケットも完全に把握することが出来ずに、ブームを終えてしまった、ということです。
私の仲間が造ってくれた作品は、私の鑑識眼で選ばれた作品たちですから、華やかな織物・しゃれ物が好きな方の満足をある程度は得ているはずです。そのおかげで、長い間に渡ってご愛顧を頂き、もずやファンのお客様は弊社の着物を継続してお作り頂けるのだと想います。
そもそも、趣味の着物というのは、どれだけのファンを得られるかが勝負であって、多くの人になんとなく買ってもらうのでは、決して長続きしないのです。
ファンを造るというのは、デザインであったり、色であったり、着心地であったり、作家さんの人柄であったりが、その誘因となります。
なのに、中森明菜が松田聖子のまねをしてブリッコしてもファンはつかないのです(古!)
私の恩師の村田昭治慶應義塾大学名誉教授は『恋愛もマーケティングだ』とおっしゃいましたが、まさにそういうことです。
恋愛は相手に合わそうとしてもうまくいかない。ましてや、大衆受けする自分を演出しても相手の心をうつことは出来ない。自分らしい自分をいかに相手に理解させるか、そして自分を受け入れてくれる異性がどんな人なのかを的確に選び出す事が、末永くうまくいくかどうかの鍵なのです。
ここは、じっくりやりましょうね。
市場細分化というのは文字通りマーケットを属性ごとに切り分けて、誰に狙いを定めるかをはっきりさせることです。
思い違いしてはいけないのは、これは、最大市場を対象とするのではない、ということです。
つまり、ここを狙えば最大のマーケットシェアが獲得できる、という話ではないのです。
実例をあげて考えていきましょう。
わかりやすく、今回は特別にもずやの戦略を見てみましょう。
紬市場。
日本全体を見ると、紬のマーケットというのは、大島・結城を筆頭に、素朴さ、手織りの質感というところから、地味、粋という所にイメージが行っています。
大島や結城のデザインを思い起こしてみてください。
色も柄もあっさりとしていて、淡彩な味わいがあります。
ほんの一部の商品を別にして多彩さや華やかさとうものは無い。
しかし、地味や粋を解さない、それを『貧乏くさい』『ババくさい』と感じる人も少なからず存在する。
そういう人たちの需要を紬市場は無視し続けてきたのです。
なぜ、そんなことになったのか、というと、西日本の多くが友禅市場で、関東に織物市場が大きく開けていたからです。
ですから、西日本では圧倒的に染めが強かった。それと比例してフォーマルの着物を着る場面も多かった。
東京を中心とした関東圏では、冠婚葬祭がかなり前から簡略化されていたこともあり、着物というと、普段にも着るいわゆる着物好きという人が多かった。
自然にしておくと、マーケットの大きさに合わせて、紬は地味に、染めは派手になっていくのです。
しかし、日本で唯一華やかな紬を織る産地があった。あったというより帰ってきた。それが沖縄です。
他産地の紬が地味で似たり寄ったりなのに対し、沖縄の織物だけが華やかで強い独自性を保っていた。
マーケットを地味・派手、織り・染めで区分けしてみると下記の様になります。
染め好き 織り好き
派手好き ☆沖縄☆
地味好き
ここの、織り好きで派手好きのセグメント(細分化された市場)がガラ空きだったのです。
他のセグメントは強敵が一杯です。言っちゃ悪いですが、沖縄の技術で勝てる道理はありません。技術で勝てなきゃ感性で勝てばいいのですが、400年以上もわびさびに接しているヤマトンチュウにウチナンチュが対抗するのは至難の業です。
大きな市場に割り込むと大きな市場が得られると想ってしまいがちですが、一時的には押しのけられても、必ずまた揺り戻しがくるものなのです。
地味に造った沖縄物が一時的には市場でブームを造っても、結局は、もとの自分たちの慣れ親しんだ物に戻るはずだ、私はそう読んでいました。
しかし、沖縄の人に近い美意識を持った人や、華やかな着物、それも織りの着物が大好きだとかいう人にとっては、全くと行っていいほど、品物が無かったのです。せいぜい色大島くらいでしょうか。
教科書にも書かれているように、人間の価値観といのは決して一つでくくれるものではなく、人それぞれバラバラです。
沖縄の生産体制を考えたら、その供給を裁くのにそう大きなマーケットは必要ないし、長い目で見れば市場の拡大をはかるよりも、沖縄の一番の特長であり魅力である物を発揮させるのが最善だ、と私は考えたわけです。
なにも、沖縄の染織の美しさに惚れただけで、みなさんにいろんな提言をしてきたわけではありません。
きちんとしたマーケット・セグメンテーションによる戦略立案があってのことなのです。
ところが、マスマーケットを信じすぎた問屋などの指導で内地寄り、つまり地味な紬を造らせようとした。
沖縄ブームがある間は良かったのです。
沖縄ブームは時とともに去り、大半の消費者は自然の摂理でわびさびにへの方向へ帰って行った。その反面、本来、ターゲットとすべき派手な織物が好きな消費者の期待に添うことも出来なかった。
結果として、沖縄染織はどのマーケットも完全に把握することが出来ずに、ブームを終えてしまった、ということです。
私の仲間が造ってくれた作品は、私の鑑識眼で選ばれた作品たちですから、華やかな織物・しゃれ物が好きな方の満足をある程度は得ているはずです。そのおかげで、長い間に渡ってご愛顧を頂き、もずやファンのお客様は弊社の着物を継続してお作り頂けるのだと想います。
そもそも、趣味の着物というのは、どれだけのファンを得られるかが勝負であって、多くの人になんとなく買ってもらうのでは、決して長続きしないのです。
ファンを造るというのは、デザインであったり、色であったり、着心地であったり、作家さんの人柄であったりが、その誘因となります。
なのに、中森明菜が松田聖子のまねをしてブリッコしてもファンはつかないのです(古!)
私の恩師の村田昭治慶應義塾大学名誉教授は『恋愛もマーケティングだ』とおっしゃいましたが、まさにそういうことです。
恋愛は相手に合わそうとしてもうまくいかない。ましてや、大衆受けする自分を演出しても相手の心をうつことは出来ない。自分らしい自分をいかに相手に理解させるか、そして自分を受け入れてくれる異性がどんな人なのかを的確に選び出す事が、末永くうまくいくかどうかの鍵なのです。
Posted by 渡辺幻門 at
21:02
│Comments(0)
2011年06月28日
与那国ドゥタティ&ガガンヌブー。

昨年末に与那国で買ってきたドゥタティが仕立てあがってきました。
2反買って、一反は先輩の女性が買ってくださり、もう一反を私が自分のために仕立てました。
私のは琉装仕立てです。
ドゥタティはそもそも、与那国の労働着として着用されていたもので、つくりもテーゲーなのですが、
それだけに、なんとも言葉では語り尽くせない魅力があって、ついつい買ってしまったのです。
与那国織(花織)を買いに行ったのですが、工房においてあったこのドゥタティに魅せられてしまって、
アラっぽいのを承知で分けてもらいました。
労働着という事ですから、本来は、袖も丈もとても短くて、動きやすく造って着るものなのですが、
その労働着仕立ては、また後日の課題にするとして、今回は琉装にしました。
帯は、与那国独特のガガンヌブーという二の字のミンサーです。
この帯も、二巻きしか出来ません。いくら私が肥満体でも、普通のミンサーや角帯なら三周は回ります。
このガガンヌブーもドゥタティも、与那国のお祭りの為だけに造られているからこそ、
和装の基準に合わせては造られていないのです。
そこがまた魅力ですよね。
本来のドゥタティがどのように着られているかは、与那国のお祭りに参加されるか、『ミンサー全書』という本を見てください。
このドゥタティはデパートの検品基準でも弊社の検品基準でも、合格しない品物です。
ですから、私もデパートではご紹介できません。
今回のようなギャラリーで、良い所も悪いところも詳しく、とくに悪いところは詳しく説明してご理解頂いてからでないと
お売りすることは出来ないのです。
でも、そんな手間やリスクを超越した魅力がこのドゥタティとガガンヌブーにはあったということです。
民藝というものがあるのだとすれば、ほんとうの姿はここにある!そう断言できる品物です。
これは作品ではありません。
与那国島のの風土とそこに暮らし続けてきた人達の歴史・文化そのものなのだ、と私は思います。
銀座着物ギャラリー泰三での展示会はいよいよあさってからです。 続きを読む
Posted by 渡辺幻門 at
13:52
│Comments(2)
2011年06月28日
与那国ドゥタティ&ガガンヌブー。

昨年末に与那国で買ってきたドゥタティが仕立てあがってきました。
2反買って、一反は先輩の女性が買ってくださり、もう一反を私が自分のために仕立てました。
私のは琉装仕立てです。
ドゥタティはそもそも、与那国の労働着として着用されていたもので、つくりもテーゲーなのですが、
それだけに、なんとも言葉では語り尽くせない魅力があって、ついつい買ってしまったのです。
与那国織(花織)を買いに行ったのですが、工房においてあったこのドゥタティに魅せられてしまって、
アラっぽいのを承知で分けてもらいました。
労働着という事ですから、本来は、袖も丈もとても短くて、動きやすく造って着るものなのですが、
その労働着仕立ては、また後日の課題にするとして、今回は琉装にしました。
帯は、与那国独特のガガンヌブーという二の字のミンサーです。
この帯も、二巻きしか出来ません。いくら私が肥満体でも、普通のミンサーや角帯なら三周は回ります。
このガガンヌブーもドゥタティも、与那国のお祭りの為だけに造られているからこそ、
和装の基準に合わせては造られていないのです。
そこがまた魅力ですよね。
本来のドゥタティがどのように着られているかは、与那国のお祭りに参加されるか、『ミンサー全書』という本を見てください。
このドゥタティはデパートの検品基準でも弊社の検品基準でも、合格しない品物です。
ですから、私もデパートではご紹介できません。
今回のようなギャラリーで、良い所も悪いところも詳しく、とくに悪いところは詳しく説明してご理解頂いてからでないと
お売りすることは出来ないのです。
でも、そんな手間やリスクを超越した魅力がこのドゥタティとガガンヌブーにはあったということです。
民藝というものがあるのだとすれば、ほんとうの姿はここにある!そう断言できる品物です。
これは作品ではありません。
与那国島のの風土とそこに暮らし続けてきた人達の歴史・文化そのものなのだ、と私は思います。
銀座着物ギャラリー泰三での展示会はいよいよあさってからです。 続きを読む
Posted by 渡辺幻門 at
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