2011年06月12日
詐欺師よばわり
私達、呉服業者は、詐欺師呼ばわりをされるようになってしまいました。
詐欺師と言われなくても、『深くつきあえば着物を無理矢理買わされる恐ろしい存在』と思われています。
もちろん、私はそんな事はしませんし、そんな事をしないと食べていけないなら、さっさとこの業界から足を洗います。
しかし、呉服屋といえば、『ぼったくり』『押しつけ販売』の代名詞になってしまったのはどうしてなのでしょうか。
昔は、呉服店は上品なよい商売と思われていましたし、商売人の中でも別格の扱いをされていました。
『坊さんと呉服屋は玄関から』という位、冠婚葬祭に密接に関わる地域の要役だったのです。
それが、どうしてこのていたらくになったのでしょう。
大きな理由は二つだと思います。
一つは、生産が過剰になったこと。もう一つは粗利益が大きいこと。
昭和40年代が今までの歴史の中で一番たくさんの着物が売れた時期だと言われています。
それはちょうど、団塊の世代が成人し、結婚・出産をしはじめた時代です。
私達の父母の世代は、5人、6人の兄弟は当たり前で、その分の着物が売れたのです。
もちろん、娘の嫁入りには着物を買って道具として持たせる。
後押ししたのは高度経済成長です。
娘3人いれば身上が潰れると言われたのもこの時期です。
それに呼応して、昭和50年代から和装製品の大増産が始まりました。
段階の世代を末端として、その子供達にも嫁入り道具として着物が買われたし、バブル経済の到来もあり、
拡大した生産もなんとかマーケットの中で吸収できたのです。
それが、変わったのがバブル崩壊、現実には神戸の震災後くらいからだと思います。
神戸の震災以降、嫁入り需要がパタリと止まります。
子供を産む数も減り、ジミ婚、核家族化も拍車がかかりました。
しかし、和装製品の供給体制は以前のままです。
当然の事ながら、過剰供給、過少需要となるわけです。
そうなると当然、価格は下がる。
現実に、生産段階では価格が下がっていました。
しかし、ここが和装市場の特殊性です。
消費者には値段が見抜けない。
どんどん進む着物離れによって消費者は物の価値もわからなくなっていく。
そこに登場したのが、催事販売です。
豪華な催事で気分を高揚させ、今まで通りかそれより高い価格で購入を誘う手法が採られるようになります。
呉服販売というのはもともと小売店の粗利が大きい商売です。
しかし、そこにさらに拍車をかけたのが催事販売を得意とするいわゆるNC(National Chain)です。
粗利が大きいうまみのある商売であり、消費者は物も価格もわからず、商品は豊富にある。
ましてや、生産者や問屋は、売りたくてしょうがない。しかし、商品は委託ですべてまかなえる。
こんな『爪の長い』商売を悪い人達が見逃すはずがありません。
着物も知らない、着物に愛情もない、そんな人たちが多数、この業界に雪崩をうって入って来ました。
あるいは、既存の呉服店も欲に眼がくらんで、まっとうな商売からドロップアウトしていったのです。
流通の力関係は
生産者<<問屋<<<<<小売店となってしまいます。
消費者の方々は、私達プロ同士の商売の様子を見たことがないでしょうが、それはまぁ、すごい光景を眼にすることがあります。
そんな状態で平成に入ってからNC全盛期となります。
これが、また大量の規格品を生む事になります。
NCは催事販売だけでなく店頭やカタログでも販売します。
そうなると同じ商品が店舗の数だけ必要となるわけです。
その売れ残りがぐるぐると市場を回ることになります。
NCは自ら起こした過量販売によって消費者から糾弾され、売約決定の最大兵器であった信販という手段を奪われます。
これで、一気に販売量は減少することになったのです。
NCのしわ寄せを受けた街の呉服屋は、それまでのおっとりした商売を続けていられなくなり、同じような催事販売や、接待攻勢、
などの手法を取り入れます。
そしてそれが、さらに生産者に値下げ圧力を掛けることになり、粗造が拡大していく。
粗造されるのに、販売価格は下がらない。こんな事がいつまでも続くわけがありません。
公共事業など政府支出の縮小、リーマンショックによって、一気にその膿がでることになります。
それが既存の流通からはみ出た、ネット販売やリサイクル着物です。
リサイクルというのは本当の着用済みのものや、タンスの中の仕立てあがった未着用品もありますが、その多くは、流通の不良在庫をしたてあげて売っているのです。
ここまで来ると、小売店の頼みはマンパワーです。
個人の人間関係をフルに活用して、商品を売り込む。
見ず知らずの人から買うほどの信用力自体をこの業界は失ってしまっているのです。
私がどんなに沖縄染織に精通し、それに熱い愛情を持っていようとも、消費者はそれさえも、『売るための方便』と取る。
口うるさいオッサンよりも、知り合いのオバチャンや年寄りの女性店員の言葉を信じるのです。
しかし、いまの状況は、私達の業界が自ら招いた事です。
私達、いまこの業界で飯を食うものは、その事を真摯に反省し、後始末をしなければなりません。
そうでなければ、この業界は『正直者がバカを見る』最悪のものになってしまいますし、努力のしがいがありません。
現に、私自身、若い人が着物で生計を立てていく術を教えることができないし、努力の方向も指し示すことができません。
希望に燃えた若い人達がどんどん生産にも流通にも入ってくる、そんな姿を取り戻すためには、
私達、業界人の信用回復と正当な評価を受ける環境作りをしなくてはならないのです。
いまの状態では、優秀な人は決してこの業界に入って来ません。
最早手遅れ、という言葉も多く聞かれますが、私は最後までこの国の文化力というものを信じたい。
せめて、まともに仕事をする人が、仕事を続けていける、そんな事のお手伝いをしたい、そんな思いでいます。
詐欺師と言われなくても、『深くつきあえば着物を無理矢理買わされる恐ろしい存在』と思われています。
もちろん、私はそんな事はしませんし、そんな事をしないと食べていけないなら、さっさとこの業界から足を洗います。
しかし、呉服屋といえば、『ぼったくり』『押しつけ販売』の代名詞になってしまったのはどうしてなのでしょうか。
昔は、呉服店は上品なよい商売と思われていましたし、商売人の中でも別格の扱いをされていました。
『坊さんと呉服屋は玄関から』という位、冠婚葬祭に密接に関わる地域の要役だったのです。
それが、どうしてこのていたらくになったのでしょう。
大きな理由は二つだと思います。
一つは、生産が過剰になったこと。もう一つは粗利益が大きいこと。
昭和40年代が今までの歴史の中で一番たくさんの着物が売れた時期だと言われています。
それはちょうど、団塊の世代が成人し、結婚・出産をしはじめた時代です。
私達の父母の世代は、5人、6人の兄弟は当たり前で、その分の着物が売れたのです。
もちろん、娘の嫁入りには着物を買って道具として持たせる。
後押ししたのは高度経済成長です。
娘3人いれば身上が潰れると言われたのもこの時期です。
それに呼応して、昭和50年代から和装製品の大増産が始まりました。
段階の世代を末端として、その子供達にも嫁入り道具として着物が買われたし、バブル経済の到来もあり、
拡大した生産もなんとかマーケットの中で吸収できたのです。
それが、変わったのがバブル崩壊、現実には神戸の震災後くらいからだと思います。
神戸の震災以降、嫁入り需要がパタリと止まります。
子供を産む数も減り、ジミ婚、核家族化も拍車がかかりました。
しかし、和装製品の供給体制は以前のままです。
当然の事ながら、過剰供給、過少需要となるわけです。
そうなると当然、価格は下がる。
現実に、生産段階では価格が下がっていました。
しかし、ここが和装市場の特殊性です。
消費者には値段が見抜けない。
どんどん進む着物離れによって消費者は物の価値もわからなくなっていく。
そこに登場したのが、催事販売です。
豪華な催事で気分を高揚させ、今まで通りかそれより高い価格で購入を誘う手法が採られるようになります。
呉服販売というのはもともと小売店の粗利が大きい商売です。
しかし、そこにさらに拍車をかけたのが催事販売を得意とするいわゆるNC(National Chain)です。
粗利が大きいうまみのある商売であり、消費者は物も価格もわからず、商品は豊富にある。
ましてや、生産者や問屋は、売りたくてしょうがない。しかし、商品は委託ですべてまかなえる。
こんな『爪の長い』商売を悪い人達が見逃すはずがありません。
着物も知らない、着物に愛情もない、そんな人たちが多数、この業界に雪崩をうって入って来ました。
あるいは、既存の呉服店も欲に眼がくらんで、まっとうな商売からドロップアウトしていったのです。
流通の力関係は
生産者<<問屋<<<<<小売店となってしまいます。
消費者の方々は、私達プロ同士の商売の様子を見たことがないでしょうが、それはまぁ、すごい光景を眼にすることがあります。
そんな状態で平成に入ってからNC全盛期となります。
これが、また大量の規格品を生む事になります。
NCは催事販売だけでなく店頭やカタログでも販売します。
そうなると同じ商品が店舗の数だけ必要となるわけです。
その売れ残りがぐるぐると市場を回ることになります。
NCは自ら起こした過量販売によって消費者から糾弾され、売約決定の最大兵器であった信販という手段を奪われます。
これで、一気に販売量は減少することになったのです。
NCのしわ寄せを受けた街の呉服屋は、それまでのおっとりした商売を続けていられなくなり、同じような催事販売や、接待攻勢、
などの手法を取り入れます。
そしてそれが、さらに生産者に値下げ圧力を掛けることになり、粗造が拡大していく。
粗造されるのに、販売価格は下がらない。こんな事がいつまでも続くわけがありません。
公共事業など政府支出の縮小、リーマンショックによって、一気にその膿がでることになります。
それが既存の流通からはみ出た、ネット販売やリサイクル着物です。
リサイクルというのは本当の着用済みのものや、タンスの中の仕立てあがった未着用品もありますが、その多くは、流通の不良在庫をしたてあげて売っているのです。
ここまで来ると、小売店の頼みはマンパワーです。
個人の人間関係をフルに活用して、商品を売り込む。
見ず知らずの人から買うほどの信用力自体をこの業界は失ってしまっているのです。
私がどんなに沖縄染織に精通し、それに熱い愛情を持っていようとも、消費者はそれさえも、『売るための方便』と取る。
口うるさいオッサンよりも、知り合いのオバチャンや年寄りの女性店員の言葉を信じるのです。
しかし、いまの状況は、私達の業界が自ら招いた事です。
私達、いまこの業界で飯を食うものは、その事を真摯に反省し、後始末をしなければなりません。
そうでなければ、この業界は『正直者がバカを見る』最悪のものになってしまいますし、努力のしがいがありません。
現に、私自身、若い人が着物で生計を立てていく術を教えることができないし、努力の方向も指し示すことができません。
希望に燃えた若い人達がどんどん生産にも流通にも入ってくる、そんな姿を取り戻すためには、
私達、業界人の信用回復と正当な評価を受ける環境作りをしなくてはならないのです。
いまの状態では、優秀な人は決してこの業界に入って来ません。
最早手遅れ、という言葉も多く聞かれますが、私は最後までこの国の文化力というものを信じたい。
せめて、まともに仕事をする人が、仕事を続けていける、そんな事のお手伝いをしたい、そんな思いでいます。
Posted by 渡辺幻門 at
22:05
│Comments(3)
2011年06月12日
詐欺師よばわり
私達、呉服業者は、詐欺師呼ばわりをされるようになってしまいました。
詐欺師と言われなくても、『深くつきあえば着物を無理矢理買わされる恐ろしい存在』と思われています。
もちろん、私はそんな事はしませんし、そんな事をしないと食べていけないなら、さっさとこの業界から足を洗います。
しかし、呉服屋といえば、『ぼったくり』『押しつけ販売』の代名詞になってしまったのはどうしてなのでしょうか。
昔は、呉服店は上品なよい商売と思われていましたし、商売人の中でも別格の扱いをされていました。
『坊さんと呉服屋は玄関から』という位、冠婚葬祭に密接に関わる地域の要役だったのです。
それが、どうしてこのていたらくになったのでしょう。
大きな理由は二つだと思います。
一つは、生産が過剰になったこと。もう一つは粗利益が大きいこと。
昭和40年代が今までの歴史の中で一番たくさんの着物が売れた時期だと言われています。
それはちょうど、団塊の世代が成人し、結婚・出産をしはじめた時代です。
私達の父母の世代は、5人、6人の兄弟は当たり前で、その分の着物が売れたのです。
もちろん、娘の嫁入りには着物を買って道具として持たせる。
後押ししたのは高度経済成長です。
娘3人いれば身上が潰れると言われたのもこの時期です。
それに呼応して、昭和50年代から和装製品の大増産が始まりました。
段階の世代を末端として、その子供達にも嫁入り道具として着物が買われたし、バブル経済の到来もあり、
拡大した生産もなんとかマーケットの中で吸収できたのです。
それが、変わったのがバブル崩壊、現実には神戸の震災後くらいからだと思います。
神戸の震災以降、嫁入り需要がパタリと止まります。
子供を産む数も減り、ジミ婚、核家族化も拍車がかかりました。
しかし、和装製品の供給体制は以前のままです。
当然の事ながら、過剰供給、過少需要となるわけです。
そうなると当然、価格は下がる。
現実に、生産段階では価格が下がっていました。
しかし、ここが和装市場の特殊性です。
消費者には値段が見抜けない。
どんどん進む着物離れによって消費者は物の価値もわからなくなっていく。
そこに登場したのが、催事販売です。
豪華な催事で気分を高揚させ、今まで通りかそれより高い価格で購入を誘う手法が採られるようになります。
呉服販売というのはもともと小売店の粗利が大きい商売です。
しかし、そこにさらに拍車をかけたのが催事販売を得意とするいわゆるNC(National Chain)です。
粗利が大きいうまみのある商売であり、消費者は物も価格もわからず、商品は豊富にある。
ましてや、生産者や問屋は、売りたくてしょうがない。しかし、商品は委託ですべてまかなえる。
こんな『爪の長い』商売を悪い人達が見逃すはずがありません。
着物も知らない、着物に愛情もない、そんな人たちが多数、この業界に雪崩をうって入って来ました。
あるいは、既存の呉服店も欲に眼がくらんで、まっとうな商売からドロップアウトしていったのです。
流通の力関係は
生産者<<問屋<<<<<小売店となってしまいます。
消費者の方々は、私達プロ同士の商売の様子を見たことがないでしょうが、それはまぁ、すごい光景を眼にすることがあります。
そんな状態で平成に入ってからNC全盛期となります。
これが、また大量の規格品を生む事になります。
NCは催事販売だけでなく店頭やカタログでも販売します。
そうなると同じ商品が店舗の数だけ必要となるわけです。
その売れ残りがぐるぐると市場を回ることになります。
NCは自ら起こした過量販売によって消費者から糾弾され、売約決定の最大兵器であった信販という手段を奪われます。
これで、一気に販売量は減少することになったのです。
NCのしわ寄せを受けた街の呉服屋は、それまでのおっとりした商売を続けていられなくなり、同じような催事販売や、接待攻勢、
などの手法を取り入れます。
そしてそれが、さらに生産者に値下げ圧力を掛けることになり、粗造が拡大していく。
粗造されるのに、販売価格は下がらない。こんな事がいつまでも続くわけがありません。
公共事業など政府支出の縮小、リーマンショックによって、一気にその膿がでることになります。
それが既存の流通からはみ出た、ネット販売やリサイクル着物です。
リサイクルというのは本当の着用済みのものや、タンスの中の仕立てあがった未着用品もありますが、その多くは、流通の不良在庫をしたてあげて売っているのです。
ここまで来ると、小売店の頼みはマンパワーです。
個人の人間関係をフルに活用して、商品を売り込む。
見ず知らずの人から買うほどの信用力自体をこの業界は失ってしまっているのです。
私がどんなに沖縄染織に精通し、それに熱い愛情を持っていようとも、消費者はそれさえも、『売るための方便』と取る。
口うるさいオッサンよりも、知り合いのオバチャンや年寄りの女性店員の言葉を信じるのです。
しかし、いまの状況は、私達の業界が自ら招いた事です。
私達、いまこの業界で飯を食うものは、その事を真摯に反省し、後始末をしなければなりません。
そうでなければ、この業界は『正直者がバカを見る』最悪のものになってしまいますし、努力のしがいがありません。
現に、私自身、若い人が着物で生計を立てていく術を教えることができないし、努力の方向も指し示すことができません。
希望に燃えた若い人達がどんどん生産にも流通にも入ってくる、そんな姿を取り戻すためには、
私達、業界人の信用回復と正当な評価を受ける環境作りをしなくてはならないのです。
いまの状態では、優秀な人は決してこの業界に入って来ません。
最早手遅れ、という言葉も多く聞かれますが、私は最後までこの国の文化力というものを信じたい。
せめて、まともに仕事をする人が、仕事を続けていける、そんな事のお手伝いをしたい、そんな思いでいます。
詐欺師と言われなくても、『深くつきあえば着物を無理矢理買わされる恐ろしい存在』と思われています。
もちろん、私はそんな事はしませんし、そんな事をしないと食べていけないなら、さっさとこの業界から足を洗います。
しかし、呉服屋といえば、『ぼったくり』『押しつけ販売』の代名詞になってしまったのはどうしてなのでしょうか。
昔は、呉服店は上品なよい商売と思われていましたし、商売人の中でも別格の扱いをされていました。
『坊さんと呉服屋は玄関から』という位、冠婚葬祭に密接に関わる地域の要役だったのです。
それが、どうしてこのていたらくになったのでしょう。
大きな理由は二つだと思います。
一つは、生産が過剰になったこと。もう一つは粗利益が大きいこと。
昭和40年代が今までの歴史の中で一番たくさんの着物が売れた時期だと言われています。
それはちょうど、団塊の世代が成人し、結婚・出産をしはじめた時代です。
私達の父母の世代は、5人、6人の兄弟は当たり前で、その分の着物が売れたのです。
もちろん、娘の嫁入りには着物を買って道具として持たせる。
後押ししたのは高度経済成長です。
娘3人いれば身上が潰れると言われたのもこの時期です。
それに呼応して、昭和50年代から和装製品の大増産が始まりました。
段階の世代を末端として、その子供達にも嫁入り道具として着物が買われたし、バブル経済の到来もあり、
拡大した生産もなんとかマーケットの中で吸収できたのです。
それが、変わったのがバブル崩壊、現実には神戸の震災後くらいからだと思います。
神戸の震災以降、嫁入り需要がパタリと止まります。
子供を産む数も減り、ジミ婚、核家族化も拍車がかかりました。
しかし、和装製品の供給体制は以前のままです。
当然の事ながら、過剰供給、過少需要となるわけです。
そうなると当然、価格は下がる。
現実に、生産段階では価格が下がっていました。
しかし、ここが和装市場の特殊性です。
消費者には値段が見抜けない。
どんどん進む着物離れによって消費者は物の価値もわからなくなっていく。
そこに登場したのが、催事販売です。
豪華な催事で気分を高揚させ、今まで通りかそれより高い価格で購入を誘う手法が採られるようになります。
呉服販売というのはもともと小売店の粗利が大きい商売です。
しかし、そこにさらに拍車をかけたのが催事販売を得意とするいわゆるNC(National Chain)です。
粗利が大きいうまみのある商売であり、消費者は物も価格もわからず、商品は豊富にある。
ましてや、生産者や問屋は、売りたくてしょうがない。しかし、商品は委託ですべてまかなえる。
こんな『爪の長い』商売を悪い人達が見逃すはずがありません。
着物も知らない、着物に愛情もない、そんな人たちが多数、この業界に雪崩をうって入って来ました。
あるいは、既存の呉服店も欲に眼がくらんで、まっとうな商売からドロップアウトしていったのです。
流通の力関係は
生産者<<問屋<<<<<小売店となってしまいます。
消費者の方々は、私達プロ同士の商売の様子を見たことがないでしょうが、それはまぁ、すごい光景を眼にすることがあります。
そんな状態で平成に入ってからNC全盛期となります。
これが、また大量の規格品を生む事になります。
NCは催事販売だけでなく店頭やカタログでも販売します。
そうなると同じ商品が店舗の数だけ必要となるわけです。
その売れ残りがぐるぐると市場を回ることになります。
NCは自ら起こした過量販売によって消費者から糾弾され、売約決定の最大兵器であった信販という手段を奪われます。
これで、一気に販売量は減少することになったのです。
NCのしわ寄せを受けた街の呉服屋は、それまでのおっとりした商売を続けていられなくなり、同じような催事販売や、接待攻勢、
などの手法を取り入れます。
そしてそれが、さらに生産者に値下げ圧力を掛けることになり、粗造が拡大していく。
粗造されるのに、販売価格は下がらない。こんな事がいつまでも続くわけがありません。
公共事業など政府支出の縮小、リーマンショックによって、一気にその膿がでることになります。
それが既存の流通からはみ出た、ネット販売やリサイクル着物です。
リサイクルというのは本当の着用済みのものや、タンスの中の仕立てあがった未着用品もありますが、その多くは、流通の不良在庫をしたてあげて売っているのです。
ここまで来ると、小売店の頼みはマンパワーです。
個人の人間関係をフルに活用して、商品を売り込む。
見ず知らずの人から買うほどの信用力自体をこの業界は失ってしまっているのです。
私がどんなに沖縄染織に精通し、それに熱い愛情を持っていようとも、消費者はそれさえも、『売るための方便』と取る。
口うるさいオッサンよりも、知り合いのオバチャンや年寄りの女性店員の言葉を信じるのです。
しかし、いまの状況は、私達の業界が自ら招いた事です。
私達、いまこの業界で飯を食うものは、その事を真摯に反省し、後始末をしなければなりません。
そうでなければ、この業界は『正直者がバカを見る』最悪のものになってしまいますし、努力のしがいがありません。
現に、私自身、若い人が着物で生計を立てていく術を教えることができないし、努力の方向も指し示すことができません。
希望に燃えた若い人達がどんどん生産にも流通にも入ってくる、そんな姿を取り戻すためには、
私達、業界人の信用回復と正当な評価を受ける環境作りをしなくてはならないのです。
いまの状態では、優秀な人は決してこの業界に入って来ません。
最早手遅れ、という言葉も多く聞かれますが、私は最後までこの国の文化力というものを信じたい。
せめて、まともに仕事をする人が、仕事を続けていける、そんな事のお手伝いをしたい、そんな思いでいます。
Posted by 渡辺幻門 at
22:05
│Comments(3)
2011年06月12日
もずやと学ぶ染織マーケティング<21回目>
7章 消費者行動の理解
7−1消費者対応の考え方
この章ではマーケティングの中の『消費者行動』というジャンルに入っていきます。ここが一番面白いかも知れません。
私の学んだ大学では文学部にも消費者行動の講座があって、当時、担当されていた井関利明先生の講義は欠かさずに聴講していました。というのは、この消費者行動というのは心理学の範疇にはいり、心理学は文学部の管轄だからです。
もし、マーケティングに興味を持ち、消費者行動をもっと深く学んでみたいと思うなら、心理学事典を購入されることをお薦めします。マーケティングの分析において心理学は欠かせない枠組みで、今後、いろんな事を考える上で必要になると思います。
さて、本題に移りましょう。
○ 『消費とは人々が製品・サービスを購入し、使用し、廃棄する全プロセスだ』
とテキストには書いてありますね。また、この章のNavigationにはこうあります。
『工場を出た段階での製品は、まだ半製品なのです』
=製品は、顧客の手に渡った段階で初めて完成品となる。
つまり、作家のみなさんが『消費者の手に渡る』事を意識しない限り、いくらマーケティングを学んでもなんにもならない、と言うことです。
○ マーケティングにおける最大の関心は『自社の製品・サービスを消費と結びつけること』にあるからである。
まさにそういう事です。
☆ マーケティング・コンセプトと販売コンセプト
マーケティング・コンセプト
『消費者を理解し、消費者に喜ばれる製品・サービスを作る事を第一とする』という発想を企業経営や事業運営の基本的な指針とするという考え。
販売コンセプト
『企業がつくりだした製品・サービス、あるいは企業が有している技術や能力をいかに売るか』というもの。
一般には、マーケティングといえば下の販売コンセプトだと思われているようですが、本当は違うのです。
私が染織家のひとたちに理解して欲しいことは、まさにこの『マーケティング・コンセプト』なのです。
みなさんが仮需=流通の中間需要しか意識していないうちは、なんの解決策も生まれないのです。
眼を向けるべき対象は消費者であり、みなさんが造った作品は、消費者に購入され、着用され、ひいては廃棄されるまで着つくされてこそ、完結するのです。
そこに性根を据えないから、問屋の言葉に右往左往し、粗造乱売を繰り返し、そのあげくには莫大な流通在庫を抱え、価格崩壊を招くような事態になるのです。
消費者を個で捉える、あるいはかたまりで捉える。
みなさんが思っているほど、問屋はかしこくありませんし、情報も持って居ません。そして、問屋も小売店もあなたの敵の味方なのです。
ですから、自分の事は自分で決めるのです。
☆ インプット-アウトプット分析とメカニズム分析
インプットーアウトプット分析
マーケティング・ミックスの変更、あるいは所得水準やライフスタイルの変化という刺激に対して、消費者の行動がどのように変化するかを捉える。
そのメカニズムは無視=ブラックボックス
メカニズム分析
刺激と反応との間をとりもつプロセスの作業を解明する。
○ 問題を特定し、解決へと導くにはメカニズムに関する知識が欠かせない。同様に、消費者とのインプットーアウトプット関係を改善したり、修復したり、新たに創造したりしようとする際にもメカニズム分析が必要となる。
つまり、インプットーアウトプット分析は、消費者行動をパターン化して捉え、メカニズム分析はそれが何故そうなったのかを分析し、一般化するという事です。
どちらも戦略的に有用なことですが、非定型的な消費者行動を理解するにはメカニズム分析が必要です。
とくに、染織の場合、マーケティングリサーチが難しいですから、消費者の心理の分析というのが非常に大切になってきます。
その心理を単純にしか捉えられないから、ただ単に安売りをしたり、雑誌に載せるだけ、商品に似つかわしくない業者に売りさばく、などの事が出てくるのです。
自分たちがどのような消費者を対象としているのかを、明確化し、その人達の心理をきめ細かく分析して、作品づくりはもちろん、流通などのマーケティングミックスを選択しなければなりません。
沖縄染織の場合、それなりの最終価格になるわけですから、消費者はそれなりの富裕層になるわけですから、決してマス=大衆市場を考えてはなりません。着物市場でかつ高額品市場、そしてカジュアル市場なのですから、本当に小さな小さなマーケットなのです。そしてこのマーケットはどんどん縮小している。
そんな市場に大量の規格品を投入すれば、市場からあふれかえるし、富裕層は見向きもしなくなることは自明だったのです。
富裕層は自分だけのもの、人が着ていないものをほしがるのです。
しかし、産地・組合は生産効率向上のために、デザインの規格化をしようとした。これがそもそもの間違いです。
デザインを無視して、機能で内地物に勝てるのは沖縄に置いては宮古上布だけしかありません。
だのになぜ、そんな暴挙をしたのか?
消費者をみないで、生産量を上げることしか考えなかった。そしてそれを助長したのは造れば取る問屋が居たことです。
ですから、もうここで気づかなければいけないのです。
誤解しないでください。『節を曲げてまで売れる物を造れ』と言っているのではありません。
あなたの作品を良いと思ってくれる消費者はどんな人で、その人に喜んでもらえる作品を作り続ける事、こそが大事なのです。
私が良くないと思っても、好きだという消費者はいます。その逆ももちろんあります。
自分の作品の良い所、悪いところを知り、作品を愛してくれる人はどんな人かを知り、その人を満足させる作品を世に送り続ける。そして、その輪をどんどん広げていけばいいのです。
あなたが良いと思って造った作品は、かならず他にも良いと思ってくれる人が居るはずです。だから、自分で良いと思う物を手を抜かないで作る事です。そして、そこに『消費者の笑顔と満足』を思い浮かべるという作業を付け加える事です。
こCS(=Customer Satisfaction)の概念を常に忘れないで、あなたの作品を愛してくれる消費者を決して裏切らない。
それは品質・デザインはもちろん、流通にも責任を持って、へんなお店で売られたり、不当に安く売られないようにするべきです。
それも、すべてマーケティングなのです。
7−1消費者対応の考え方
この章ではマーケティングの中の『消費者行動』というジャンルに入っていきます。ここが一番面白いかも知れません。
私の学んだ大学では文学部にも消費者行動の講座があって、当時、担当されていた井関利明先生の講義は欠かさずに聴講していました。というのは、この消費者行動というのは心理学の範疇にはいり、心理学は文学部の管轄だからです。
もし、マーケティングに興味を持ち、消費者行動をもっと深く学んでみたいと思うなら、心理学事典を購入されることをお薦めします。マーケティングの分析において心理学は欠かせない枠組みで、今後、いろんな事を考える上で必要になると思います。
さて、本題に移りましょう。
○ 『消費とは人々が製品・サービスを購入し、使用し、廃棄する全プロセスだ』
とテキストには書いてありますね。また、この章のNavigationにはこうあります。
『工場を出た段階での製品は、まだ半製品なのです』
=製品は、顧客の手に渡った段階で初めて完成品となる。
つまり、作家のみなさんが『消費者の手に渡る』事を意識しない限り、いくらマーケティングを学んでもなんにもならない、と言うことです。
○ マーケティングにおける最大の関心は『自社の製品・サービスを消費と結びつけること』にあるからである。
まさにそういう事です。
☆ マーケティング・コンセプトと販売コンセプト
マーケティング・コンセプト
『消費者を理解し、消費者に喜ばれる製品・サービスを作る事を第一とする』という発想を企業経営や事業運営の基本的な指針とするという考え。
販売コンセプト
『企業がつくりだした製品・サービス、あるいは企業が有している技術や能力をいかに売るか』というもの。
一般には、マーケティングといえば下の販売コンセプトだと思われているようですが、本当は違うのです。
私が染織家のひとたちに理解して欲しいことは、まさにこの『マーケティング・コンセプト』なのです。
みなさんが仮需=流通の中間需要しか意識していないうちは、なんの解決策も生まれないのです。
眼を向けるべき対象は消費者であり、みなさんが造った作品は、消費者に購入され、着用され、ひいては廃棄されるまで着つくされてこそ、完結するのです。
そこに性根を据えないから、問屋の言葉に右往左往し、粗造乱売を繰り返し、そのあげくには莫大な流通在庫を抱え、価格崩壊を招くような事態になるのです。
消費者を個で捉える、あるいはかたまりで捉える。
みなさんが思っているほど、問屋はかしこくありませんし、情報も持って居ません。そして、問屋も小売店もあなたの敵の味方なのです。
ですから、自分の事は自分で決めるのです。
☆ インプット-アウトプット分析とメカニズム分析
インプットーアウトプット分析
マーケティング・ミックスの変更、あるいは所得水準やライフスタイルの変化という刺激に対して、消費者の行動がどのように変化するかを捉える。
そのメカニズムは無視=ブラックボックス
メカニズム分析
刺激と反応との間をとりもつプロセスの作業を解明する。
○ 問題を特定し、解決へと導くにはメカニズムに関する知識が欠かせない。同様に、消費者とのインプットーアウトプット関係を改善したり、修復したり、新たに創造したりしようとする際にもメカニズム分析が必要となる。
つまり、インプットーアウトプット分析は、消費者行動をパターン化して捉え、メカニズム分析はそれが何故そうなったのかを分析し、一般化するという事です。
どちらも戦略的に有用なことですが、非定型的な消費者行動を理解するにはメカニズム分析が必要です。
とくに、染織の場合、マーケティングリサーチが難しいですから、消費者の心理の分析というのが非常に大切になってきます。
その心理を単純にしか捉えられないから、ただ単に安売りをしたり、雑誌に載せるだけ、商品に似つかわしくない業者に売りさばく、などの事が出てくるのです。
自分たちがどのような消費者を対象としているのかを、明確化し、その人達の心理をきめ細かく分析して、作品づくりはもちろん、流通などのマーケティングミックスを選択しなければなりません。
沖縄染織の場合、それなりの最終価格になるわけですから、消費者はそれなりの富裕層になるわけですから、決してマス=大衆市場を考えてはなりません。着物市場でかつ高額品市場、そしてカジュアル市場なのですから、本当に小さな小さなマーケットなのです。そしてこのマーケットはどんどん縮小している。
そんな市場に大量の規格品を投入すれば、市場からあふれかえるし、富裕層は見向きもしなくなることは自明だったのです。
富裕層は自分だけのもの、人が着ていないものをほしがるのです。
しかし、産地・組合は生産効率向上のために、デザインの規格化をしようとした。これがそもそもの間違いです。
デザインを無視して、機能で内地物に勝てるのは沖縄に置いては宮古上布だけしかありません。
だのになぜ、そんな暴挙をしたのか?
消費者をみないで、生産量を上げることしか考えなかった。そしてそれを助長したのは造れば取る問屋が居たことです。
ですから、もうここで気づかなければいけないのです。
誤解しないでください。『節を曲げてまで売れる物を造れ』と言っているのではありません。
あなたの作品を良いと思ってくれる消費者はどんな人で、その人に喜んでもらえる作品を作り続ける事、こそが大事なのです。
私が良くないと思っても、好きだという消費者はいます。その逆ももちろんあります。
自分の作品の良い所、悪いところを知り、作品を愛してくれる人はどんな人かを知り、その人を満足させる作品を世に送り続ける。そして、その輪をどんどん広げていけばいいのです。
あなたが良いと思って造った作品は、かならず他にも良いと思ってくれる人が居るはずです。だから、自分で良いと思う物を手を抜かないで作る事です。そして、そこに『消費者の笑顔と満足』を思い浮かべるという作業を付け加える事です。
こCS(=Customer Satisfaction)の概念を常に忘れないで、あなたの作品を愛してくれる消費者を決して裏切らない。
それは品質・デザインはもちろん、流通にも責任を持って、へんなお店で売られたり、不当に安く売られないようにするべきです。
それも、すべてマーケティングなのです。
2011年06月12日
もずやと学ぶ染織マーケティング<21回目>
7章 消費者行動の理解
7−1消費者対応の考え方
この章ではマーケティングの中の『消費者行動』というジャンルに入っていきます。ここが一番面白いかも知れません。
私の学んだ大学では文学部にも消費者行動の講座があって、当時、担当されていた井関利明先生の講義は欠かさずに聴講していました。というのは、この消費者行動というのは心理学の範疇にはいり、心理学は文学部の管轄だからです。
もし、マーケティングに興味を持ち、消費者行動をもっと深く学んでみたいと思うなら、心理学事典を購入されることをお薦めします。マーケティングの分析において心理学は欠かせない枠組みで、今後、いろんな事を考える上で必要になると思います。
さて、本題に移りましょう。
○ 『消費とは人々が製品・サービスを購入し、使用し、廃棄する全プロセスだ』
とテキストには書いてありますね。また、この章のNavigationにはこうあります。
『工場を出た段階での製品は、まだ半製品なのです』
=製品は、顧客の手に渡った段階で初めて完成品となる。
つまり、作家のみなさんが『消費者の手に渡る』事を意識しない限り、いくらマーケティングを学んでもなんにもならない、と言うことです。
○ マーケティングにおける最大の関心は『自社の製品・サービスを消費と結びつけること』にあるからである。
まさにそういう事です。
☆ マーケティング・コンセプトと販売コンセプト
マーケティング・コンセプト
『消費者を理解し、消費者に喜ばれる製品・サービスを作る事を第一とする』という発想を企業経営や事業運営の基本的な指針とするという考え。
販売コンセプト
『企業がつくりだした製品・サービス、あるいは企業が有している技術や能力をいかに売るか』というもの。
一般には、マーケティングといえば下の販売コンセプトだと思われているようですが、本当は違うのです。
私が染織家のひとたちに理解して欲しいことは、まさにこの『マーケティング・コンセプト』なのです。
みなさんが仮需=流通の中間需要しか意識していないうちは、なんの解決策も生まれないのです。
眼を向けるべき対象は消費者であり、みなさんが造った作品は、消費者に購入され、着用され、ひいては廃棄されるまで着つくされてこそ、完結するのです。
そこに性根を据えないから、問屋の言葉に右往左往し、粗造乱売を繰り返し、そのあげくには莫大な流通在庫を抱え、価格崩壊を招くような事態になるのです。
消費者を個で捉える、あるいはかたまりで捉える。
みなさんが思っているほど、問屋はかしこくありませんし、情報も持って居ません。そして、問屋も小売店もあなたの敵の味方なのです。
ですから、自分の事は自分で決めるのです。
☆ インプット-アウトプット分析とメカニズム分析
インプットーアウトプット分析
マーケティング・ミックスの変更、あるいは所得水準やライフスタイルの変化という刺激に対して、消費者の行動がどのように変化するかを捉える。
そのメカニズムは無視=ブラックボックス
メカニズム分析
刺激と反応との間をとりもつプロセスの作業を解明する。
○ 問題を特定し、解決へと導くにはメカニズムに関する知識が欠かせない。同様に、消費者とのインプットーアウトプット関係を改善したり、修復したり、新たに創造したりしようとする際にもメカニズム分析が必要となる。
つまり、インプットーアウトプット分析は、消費者行動をパターン化して捉え、メカニズム分析はそれが何故そうなったのかを分析し、一般化するという事です。
どちらも戦略的に有用なことですが、非定型的な消費者行動を理解するにはメカニズム分析が必要です。
とくに、染織の場合、マーケティングリサーチが難しいですから、消費者の心理の分析というのが非常に大切になってきます。
その心理を単純にしか捉えられないから、ただ単に安売りをしたり、雑誌に載せるだけ、商品に似つかわしくない業者に売りさばく、などの事が出てくるのです。
自分たちがどのような消費者を対象としているのかを、明確化し、その人達の心理をきめ細かく分析して、作品づくりはもちろん、流通などのマーケティングミックスを選択しなければなりません。
沖縄染織の場合、それなりの最終価格になるわけですから、消費者はそれなりの富裕層になるわけですから、決してマス=大衆市場を考えてはなりません。着物市場でかつ高額品市場、そしてカジュアル市場なのですから、本当に小さな小さなマーケットなのです。そしてこのマーケットはどんどん縮小している。
そんな市場に大量の規格品を投入すれば、市場からあふれかえるし、富裕層は見向きもしなくなることは自明だったのです。
富裕層は自分だけのもの、人が着ていないものをほしがるのです。
しかし、産地・組合は生産効率向上のために、デザインの規格化をしようとした。これがそもそもの間違いです。
デザインを無視して、機能で内地物に勝てるのは沖縄に置いては宮古上布だけしかありません。
だのになぜ、そんな暴挙をしたのか?
消費者をみないで、生産量を上げることしか考えなかった。そしてそれを助長したのは造れば取る問屋が居たことです。
ですから、もうここで気づかなければいけないのです。
誤解しないでください。『節を曲げてまで売れる物を造れ』と言っているのではありません。
あなたの作品を良いと思ってくれる消費者はどんな人で、その人に喜んでもらえる作品を作り続ける事、こそが大事なのです。
私が良くないと思っても、好きだという消費者はいます。その逆ももちろんあります。
自分の作品の良い所、悪いところを知り、作品を愛してくれる人はどんな人かを知り、その人を満足させる作品を世に送り続ける。そして、その輪をどんどん広げていけばいいのです。
あなたが良いと思って造った作品は、かならず他にも良いと思ってくれる人が居るはずです。だから、自分で良いと思う物を手を抜かないで作る事です。そして、そこに『消費者の笑顔と満足』を思い浮かべるという作業を付け加える事です。
こCS(=Customer Satisfaction)の概念を常に忘れないで、あなたの作品を愛してくれる消費者を決して裏切らない。
それは品質・デザインはもちろん、流通にも責任を持って、へんなお店で売られたり、不当に安く売られないようにするべきです。
それも、すべてマーケティングなのです。
7−1消費者対応の考え方
この章ではマーケティングの中の『消費者行動』というジャンルに入っていきます。ここが一番面白いかも知れません。
私の学んだ大学では文学部にも消費者行動の講座があって、当時、担当されていた井関利明先生の講義は欠かさずに聴講していました。というのは、この消費者行動というのは心理学の範疇にはいり、心理学は文学部の管轄だからです。
もし、マーケティングに興味を持ち、消費者行動をもっと深く学んでみたいと思うなら、心理学事典を購入されることをお薦めします。マーケティングの分析において心理学は欠かせない枠組みで、今後、いろんな事を考える上で必要になると思います。
さて、本題に移りましょう。
○ 『消費とは人々が製品・サービスを購入し、使用し、廃棄する全プロセスだ』
とテキストには書いてありますね。また、この章のNavigationにはこうあります。
『工場を出た段階での製品は、まだ半製品なのです』
=製品は、顧客の手に渡った段階で初めて完成品となる。
つまり、作家のみなさんが『消費者の手に渡る』事を意識しない限り、いくらマーケティングを学んでもなんにもならない、と言うことです。
○ マーケティングにおける最大の関心は『自社の製品・サービスを消費と結びつけること』にあるからである。
まさにそういう事です。
☆ マーケティング・コンセプトと販売コンセプト
マーケティング・コンセプト
『消費者を理解し、消費者に喜ばれる製品・サービスを作る事を第一とする』という発想を企業経営や事業運営の基本的な指針とするという考え。
販売コンセプト
『企業がつくりだした製品・サービス、あるいは企業が有している技術や能力をいかに売るか』というもの。
一般には、マーケティングといえば下の販売コンセプトだと思われているようですが、本当は違うのです。
私が染織家のひとたちに理解して欲しいことは、まさにこの『マーケティング・コンセプト』なのです。
みなさんが仮需=流通の中間需要しか意識していないうちは、なんの解決策も生まれないのです。
眼を向けるべき対象は消費者であり、みなさんが造った作品は、消費者に購入され、着用され、ひいては廃棄されるまで着つくされてこそ、完結するのです。
そこに性根を据えないから、問屋の言葉に右往左往し、粗造乱売を繰り返し、そのあげくには莫大な流通在庫を抱え、価格崩壊を招くような事態になるのです。
消費者を個で捉える、あるいはかたまりで捉える。
みなさんが思っているほど、問屋はかしこくありませんし、情報も持って居ません。そして、問屋も小売店もあなたの敵の味方なのです。
ですから、自分の事は自分で決めるのです。
☆ インプット-アウトプット分析とメカニズム分析
インプットーアウトプット分析
マーケティング・ミックスの変更、あるいは所得水準やライフスタイルの変化という刺激に対して、消費者の行動がどのように変化するかを捉える。
そのメカニズムは無視=ブラックボックス
メカニズム分析
刺激と反応との間をとりもつプロセスの作業を解明する。
○ 問題を特定し、解決へと導くにはメカニズムに関する知識が欠かせない。同様に、消費者とのインプットーアウトプット関係を改善したり、修復したり、新たに創造したりしようとする際にもメカニズム分析が必要となる。
つまり、インプットーアウトプット分析は、消費者行動をパターン化して捉え、メカニズム分析はそれが何故そうなったのかを分析し、一般化するという事です。
どちらも戦略的に有用なことですが、非定型的な消費者行動を理解するにはメカニズム分析が必要です。
とくに、染織の場合、マーケティングリサーチが難しいですから、消費者の心理の分析というのが非常に大切になってきます。
その心理を単純にしか捉えられないから、ただ単に安売りをしたり、雑誌に載せるだけ、商品に似つかわしくない業者に売りさばく、などの事が出てくるのです。
自分たちがどのような消費者を対象としているのかを、明確化し、その人達の心理をきめ細かく分析して、作品づくりはもちろん、流通などのマーケティングミックスを選択しなければなりません。
沖縄染織の場合、それなりの最終価格になるわけですから、消費者はそれなりの富裕層になるわけですから、決してマス=大衆市場を考えてはなりません。着物市場でかつ高額品市場、そしてカジュアル市場なのですから、本当に小さな小さなマーケットなのです。そしてこのマーケットはどんどん縮小している。
そんな市場に大量の規格品を投入すれば、市場からあふれかえるし、富裕層は見向きもしなくなることは自明だったのです。
富裕層は自分だけのもの、人が着ていないものをほしがるのです。
しかし、産地・組合は生産効率向上のために、デザインの規格化をしようとした。これがそもそもの間違いです。
デザインを無視して、機能で内地物に勝てるのは沖縄に置いては宮古上布だけしかありません。
だのになぜ、そんな暴挙をしたのか?
消費者をみないで、生産量を上げることしか考えなかった。そしてそれを助長したのは造れば取る問屋が居たことです。
ですから、もうここで気づかなければいけないのです。
誤解しないでください。『節を曲げてまで売れる物を造れ』と言っているのではありません。
あなたの作品を良いと思ってくれる消費者はどんな人で、その人に喜んでもらえる作品を作り続ける事、こそが大事なのです。
私が良くないと思っても、好きだという消費者はいます。その逆ももちろんあります。
自分の作品の良い所、悪いところを知り、作品を愛してくれる人はどんな人かを知り、その人を満足させる作品を世に送り続ける。そして、その輪をどんどん広げていけばいいのです。
あなたが良いと思って造った作品は、かならず他にも良いと思ってくれる人が居るはずです。だから、自分で良いと思う物を手を抜かないで作る事です。そして、そこに『消費者の笑顔と満足』を思い浮かべるという作業を付け加える事です。
こCS(=Customer Satisfaction)の概念を常に忘れないで、あなたの作品を愛してくれる消費者を決して裏切らない。
それは品質・デザインはもちろん、流通にも責任を持って、へんなお店で売られたり、不当に安く売られないようにするべきです。
それも、すべてマーケティングなのです。
Posted by 渡辺幻門 at
20:42
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