2011年04月13日
もずやと学ぶ染織マーケティング<13回目>
3−4メディアの選択
一週間お休みして、失礼いたしました <(_ _)>
<プロモーション・ミックスの構成要素>
プロモーション・ミックスとは
・ 広告活動
・ PR活動
・ 人的販売
・ セールス・プロモーション
の4つのメディアの事を言う。
プロモーションのメディアを選択する際には、以下の3つの要件を考慮する事が必要になる。
? プロモーションのメッセージは、多くの人々に確実に伝わらねばならない。
? プロモーションのメッセージはターゲットとなる買い手に効率的に到達せねばならない。
? プロモーションのメッセージを伝えるには、映像表現や音声、あるいは製品情報の詳細な提示が必要となる場合がある。
沖縄染織を考えたときに、どんなプロモーションが行われているでしょうか。
本土復帰30周年の時代を振り返って考えて見ましょう。
沖縄染織のプロモーションは必ず沖縄自体のプロモーションと共に行われます。
というより、沖縄への関心の高まりに乗っかるという形がとられています。
本土復帰30周年の時代もそうでした。NHKのちゅらさん等で沖縄への関心がたかまり、ビギンの『島ん人の宝』が大ヒットし、大沖縄ブームになりましたね。
復帰直後、10周年、20周年も同じようなイベントと共に沖縄ブームが演出されてきたのです。
30周年に向けては、様々な染織の写真集の出版、人間国宝の誕生があり、低迷していた和装市場において最大の目玉となったのです。商材に渇望していた和装市場において、話題性のある沖縄染織はもてはやされました。引き合いの増加に伴って、生産も拡大。どこもかしこも沖縄染織展という時代でした。美しいキモノやきものサロンという雑誌にも夏以外にも沖縄物は誌面を飾りました。
沖縄染織のプロモーションは必ず県がらみで、大沖縄ブームと絡んできました。沖縄染織が単独でブームを起こしたことはありません。強いて言えば民藝ブームとの連携時代でしょうか。
弊社の場合は、沖縄復帰直前、直後のブームの恩恵にあずかったのですが、古い社員に聞くと、まさに引っ張りだこで、展示会をするとすべて商品が売れて無くなる位の勢いだったそうです。
しかし、その勢いも永くは続きません。現在と同じように過剰に生産された品物は沖縄のあちこちにうずたかく山積みされたのです。復帰10年、20年と同じ事が繰り返されてきました。一時は県の農業団体?が品物を管理していた事もあると聞いた事もあります。
当時はまだまだ着物市場が大きかったので、なんとか消化できましたが、この30周年に起きた過剰供給・過剰在庫は未だに解決していません。
そして、もうすぐ40周年。またまた、ブームを起こそうという気配が感じられます。その第一弾が『テンペスト』あたりではないでしょうか。
ここで、またまた消費増大を当て込んで生産が拡大する事になれば・・・もう終わりです。
そう考えると、伝統工芸品そのもののプロモーションなどというものが本当に必要なのだろうか、と考えざるを得ないのです。
たとえば、一人の作家を強烈にプロモートしたとします。一時は売れるでしょうが、量産すれば必ず品質は落ちます。作家物というのは基本的に万人受けしないのですから、いずれ行き渡ります。売れ行きはピタッと止まる。その時、品質は落ちている。それを見越して生産調整をすればいいのですが、それは至難の業です。作家はいままでの所得を得ようとして別の販路を探すでしょう。品質の落ちた作品がどんどん拡散することになる。なんども言いますが、伝統工芸に於いて画期的な技術革新は望めません。作家の作風を大きく変えることも大変な困難を伴います。
沖縄染織の場合も、節目ごとの大ブームに乗っかることと引き替えに、多くの模造品を産みました。琉球びんがたは本物の方が遙かに少ないという状態ですし、花織やロートン織も沖縄だけの物ではなくなってしまいました。
染織品は綿、毛、絹を問わず、似たものを造るのはそう難しいことではありません。20年前に毛織物市場ではベネシャンという繻子織が大流行しました。いわゆるDCブランド全盛の頃です。でも、いまベネシャンを観る事も難しくなりました。猫も杓子もベネシャンを織ったからです。
着物市場でも、中国物ブームがありました。明綴れの帯や中国刺繍の着物はたいそうな高値で取引されていたのです。良いとなると、群がるのが商人の習性です。中国物は大増産と共に品質が低下しました。そして、最後は値の付かないところまで価値を下げ、どの商人も触らなくなって、市場からほとんど姿を消すことになったのです。
では、染織のプロモーションはどうすればいいのか。
大プロモーション→仮需の増大→生産の増大→品質低下→需要の行き詰まり→価値の低下→負け犬商品
となる、この悪循環を断ち切らねばならないのですが、どこで断ち切るかです。
生産が増大すれば品質は落ちるのですから、厳密な生産管理、適正な量の生産というのが何より大事であると私は思います。
それを基本にして、自分の思うところをブログに書いたり、雑誌に寄稿したり、取材を受けたりはとても必要な事だろうと思います。
しかし、それに伴う引き合いの増加に安易に乗ってはいけないのです。
はっきり言える事は、多くの商人にとって、作家は使い捨てでしかない、と言うことです。
こちらがダメなら、またあちら、あちらがダメなら、また別の作家・・・永遠に売りやすい、売れる作家を捜し回るのが商売人の性です。
自分で無名の作家を捜して育てるなんて言うのは希有な話なのです。
みんな、大きな流れに乗りたい、乗り遅れたくない、それだけです。
それに振り回されては、作家は自滅します。
ここに挙げたプロモーションの手法は、あくまで作家が自分の手で、作品作りを基本にして行うべきです。
そんなことより何より、信頼できる商人と確実なパートナーシップを持って、プロモーションの方針を伝え、ゆだねると言うことが一番大切で現実的なのではないかと私は思います。
一週間お休みして、失礼いたしました <(_ _)>
<プロモーション・ミックスの構成要素>
プロモーション・ミックスとは
・ 広告活動
・ PR活動
・ 人的販売
・ セールス・プロモーション
の4つのメディアの事を言う。
プロモーションのメディアを選択する際には、以下の3つの要件を考慮する事が必要になる。
? プロモーションのメッセージは、多くの人々に確実に伝わらねばならない。
? プロモーションのメッセージはターゲットとなる買い手に効率的に到達せねばならない。
? プロモーションのメッセージを伝えるには、映像表現や音声、あるいは製品情報の詳細な提示が必要となる場合がある。
沖縄染織を考えたときに、どんなプロモーションが行われているでしょうか。
本土復帰30周年の時代を振り返って考えて見ましょう。
沖縄染織のプロモーションは必ず沖縄自体のプロモーションと共に行われます。
というより、沖縄への関心の高まりに乗っかるという形がとられています。
本土復帰30周年の時代もそうでした。NHKのちゅらさん等で沖縄への関心がたかまり、ビギンの『島ん人の宝』が大ヒットし、大沖縄ブームになりましたね。
復帰直後、10周年、20周年も同じようなイベントと共に沖縄ブームが演出されてきたのです。
30周年に向けては、様々な染織の写真集の出版、人間国宝の誕生があり、低迷していた和装市場において最大の目玉となったのです。商材に渇望していた和装市場において、話題性のある沖縄染織はもてはやされました。引き合いの増加に伴って、生産も拡大。どこもかしこも沖縄染織展という時代でした。美しいキモノやきものサロンという雑誌にも夏以外にも沖縄物は誌面を飾りました。
沖縄染織のプロモーションは必ず県がらみで、大沖縄ブームと絡んできました。沖縄染織が単独でブームを起こしたことはありません。強いて言えば民藝ブームとの連携時代でしょうか。
弊社の場合は、沖縄復帰直前、直後のブームの恩恵にあずかったのですが、古い社員に聞くと、まさに引っ張りだこで、展示会をするとすべて商品が売れて無くなる位の勢いだったそうです。
しかし、その勢いも永くは続きません。現在と同じように過剰に生産された品物は沖縄のあちこちにうずたかく山積みされたのです。復帰10年、20年と同じ事が繰り返されてきました。一時は県の農業団体?が品物を管理していた事もあると聞いた事もあります。
当時はまだまだ着物市場が大きかったので、なんとか消化できましたが、この30周年に起きた過剰供給・過剰在庫は未だに解決していません。
そして、もうすぐ40周年。またまた、ブームを起こそうという気配が感じられます。その第一弾が『テンペスト』あたりではないでしょうか。
ここで、またまた消費増大を当て込んで生産が拡大する事になれば・・・もう終わりです。
そう考えると、伝統工芸品そのもののプロモーションなどというものが本当に必要なのだろうか、と考えざるを得ないのです。
たとえば、一人の作家を強烈にプロモートしたとします。一時は売れるでしょうが、量産すれば必ず品質は落ちます。作家物というのは基本的に万人受けしないのですから、いずれ行き渡ります。売れ行きはピタッと止まる。その時、品質は落ちている。それを見越して生産調整をすればいいのですが、それは至難の業です。作家はいままでの所得を得ようとして別の販路を探すでしょう。品質の落ちた作品がどんどん拡散することになる。なんども言いますが、伝統工芸に於いて画期的な技術革新は望めません。作家の作風を大きく変えることも大変な困難を伴います。
沖縄染織の場合も、節目ごとの大ブームに乗っかることと引き替えに、多くの模造品を産みました。琉球びんがたは本物の方が遙かに少ないという状態ですし、花織やロートン織も沖縄だけの物ではなくなってしまいました。
染織品は綿、毛、絹を問わず、似たものを造るのはそう難しいことではありません。20年前に毛織物市場ではベネシャンという繻子織が大流行しました。いわゆるDCブランド全盛の頃です。でも、いまベネシャンを観る事も難しくなりました。猫も杓子もベネシャンを織ったからです。
着物市場でも、中国物ブームがありました。明綴れの帯や中国刺繍の着物はたいそうな高値で取引されていたのです。良いとなると、群がるのが商人の習性です。中国物は大増産と共に品質が低下しました。そして、最後は値の付かないところまで価値を下げ、どの商人も触らなくなって、市場からほとんど姿を消すことになったのです。
では、染織のプロモーションはどうすればいいのか。
大プロモーション→仮需の増大→生産の増大→品質低下→需要の行き詰まり→価値の低下→負け犬商品
となる、この悪循環を断ち切らねばならないのですが、どこで断ち切るかです。
生産が増大すれば品質は落ちるのですから、厳密な生産管理、適正な量の生産というのが何より大事であると私は思います。
それを基本にして、自分の思うところをブログに書いたり、雑誌に寄稿したり、取材を受けたりはとても必要な事だろうと思います。
しかし、それに伴う引き合いの増加に安易に乗ってはいけないのです。
はっきり言える事は、多くの商人にとって、作家は使い捨てでしかない、と言うことです。
こちらがダメなら、またあちら、あちらがダメなら、また別の作家・・・永遠に売りやすい、売れる作家を捜し回るのが商売人の性です。
自分で無名の作家を捜して育てるなんて言うのは希有な話なのです。
みんな、大きな流れに乗りたい、乗り遅れたくない、それだけです。
それに振り回されては、作家は自滅します。
ここに挙げたプロモーションの手法は、あくまで作家が自分の手で、作品作りを基本にして行うべきです。
そんなことより何より、信頼できる商人と確実なパートナーシップを持って、プロモーションの方針を伝え、ゆだねると言うことが一番大切で現実的なのではないかと私は思います。
Posted by 渡辺幻門 at 17:13│Comments(0)
│染織マーケティング
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