2011年03月03日
養心会総会
今日は養心会(大阪の佐伯宗匠を中心とした男性の茶道の会)の総会でした。
北の新地の『あやこや』という割烹で開かれました。
いま、帰ってきたところです。
とても、心和む会で、楽しい会話に話が咲いていました。
宗匠をはじめ、みなさん、新入りの私を気遣ってくださって、楽しく過ごさせて頂きました。
そんな中で、京都の『ブブヅケ』の話になりました。
宗匠がちょうど私の対面においでになったのですが、こうなったら、もずやはだまっては居られません。
堺の歴史、大阪の歴史をドーンとぶちあげ、『そんなもん、飲んだらよろしいのや』
『なんで、日本最古の都のあった我々大阪人が、京都の文化にひれふさなあきまへんねん』
『仁徳・応神天皇陵は世界一でっせ』
『もののはじまり、なんでも堺いうてでんな、堺は文化の発祥地です』
などなど、またまた、演説を始めてしまいました (^o^)
宗匠はお優しいので、『そや!』と相づちをうっていただき、私も助かりましたが、
みなさん、あまりお酒をお召し上がりにならないので、一人、盛り上がっていた感じでした(^^;)
新入りなのに、言いたいこと言って、恥ずかしいかぎりですが、
先輩方もとてもお優しく、助けられました。
いつもはちょっと堅い話で終始するお稽古ですが、今日ばかりは、
みなさんと打ち解けるよい機会になりました。
宗匠は、先祖の大茶人、萬代屋宗安の子孫が、また茶道の世界に入ってきた事をとてもうれしいと
いってくださり、私も胸が熱くなりました。
これからも、出来る限り時間を割いてお茶の稽古に励みたいと想います。
今日は、みなさん背広姿でしたが、私だけは着物でした。
着物は結城紬、帯は綴れの角帯、羽織は西陣のお召しです。
北の新地の『あやこや』という割烹で開かれました。
いま、帰ってきたところです。
とても、心和む会で、楽しい会話に話が咲いていました。
宗匠をはじめ、みなさん、新入りの私を気遣ってくださって、楽しく過ごさせて頂きました。
そんな中で、京都の『ブブヅケ』の話になりました。
宗匠がちょうど私の対面においでになったのですが、こうなったら、もずやはだまっては居られません。
堺の歴史、大阪の歴史をドーンとぶちあげ、『そんなもん、飲んだらよろしいのや』
『なんで、日本最古の都のあった我々大阪人が、京都の文化にひれふさなあきまへんねん』
『仁徳・応神天皇陵は世界一でっせ』
『もののはじまり、なんでも堺いうてでんな、堺は文化の発祥地です』
などなど、またまた、演説を始めてしまいました (^o^)
宗匠はお優しいので、『そや!』と相づちをうっていただき、私も助かりましたが、
みなさん、あまりお酒をお召し上がりにならないので、一人、盛り上がっていた感じでした(^^;)
新入りなのに、言いたいこと言って、恥ずかしいかぎりですが、
先輩方もとてもお優しく、助けられました。
いつもはちょっと堅い話で終始するお稽古ですが、今日ばかりは、
みなさんと打ち解けるよい機会になりました。
宗匠は、先祖の大茶人、萬代屋宗安の子孫が、また茶道の世界に入ってきた事をとてもうれしいと
いってくださり、私も胸が熱くなりました。
これからも、出来る限り時間を割いてお茶の稽古に励みたいと想います。
今日は、みなさん背広姿でしたが、私だけは着物でした。
着物は結城紬、帯は綴れの角帯、羽織は西陣のお召しです。

Posted by 渡辺幻門 at
23:35
│Comments(2)
2011年03月03日
養心会総会
今日は養心会(大阪の佐伯宗匠を中心とした男性の茶道の会)の総会でした。
北の新地の『あやこや』という割烹で開かれました。
いま、帰ってきたところです。
とても、心和む会で、楽しい会話に話が咲いていました。
宗匠をはじめ、みなさん、新入りの私を気遣ってくださって、楽しく過ごさせて頂きました。
そんな中で、京都の『ブブヅケ』の話になりました。
宗匠がちょうど私の対面においでになったのですが、こうなったら、もずやはだまっては居られません。
堺の歴史、大阪の歴史をドーンとぶちあげ、『そんなもん、飲んだらよろしいのや』
『なんで、日本最古の都のあった我々大阪人が、京都の文化にひれふさなあきまへんねん』
『仁徳・応神天皇陵は世界一でっせ』
『もののはじまり、なんでも堺いうてでんな、堺は文化の発祥地です』
などなど、またまた、演説を始めてしまいました (^o^)
宗匠はお優しいので、『そや!』と相づちをうっていただき、私も助かりましたが、
みなさん、あまりお酒をお召し上がりにならないので、一人、盛り上がっていた感じでした(^^;)
新入りなのに、言いたいこと言って、恥ずかしいかぎりですが、
先輩方もとてもお優しく、助けられました。
いつもはちょっと堅い話で終始するお稽古ですが、今日ばかりは、
みなさんと打ち解けるよい機会になりました。
宗匠は、先祖の大茶人、萬代屋宗安の子孫が、また茶道の世界に入ってきた事をとてもうれしいと
いってくださり、私も胸が熱くなりました。
これからも、出来る限り時間を割いてお茶の稽古に励みたいと想います。
今日は、みなさん背広姿でしたが、私だけは着物でした。
着物は結城紬、帯は綴れの角帯、羽織は西陣のお召しです。
北の新地の『あやこや』という割烹で開かれました。
いま、帰ってきたところです。
とても、心和む会で、楽しい会話に話が咲いていました。
宗匠をはじめ、みなさん、新入りの私を気遣ってくださって、楽しく過ごさせて頂きました。
そんな中で、京都の『ブブヅケ』の話になりました。
宗匠がちょうど私の対面においでになったのですが、こうなったら、もずやはだまっては居られません。
堺の歴史、大阪の歴史をドーンとぶちあげ、『そんなもん、飲んだらよろしいのや』
『なんで、日本最古の都のあった我々大阪人が、京都の文化にひれふさなあきまへんねん』
『仁徳・応神天皇陵は世界一でっせ』
『もののはじまり、なんでも堺いうてでんな、堺は文化の発祥地です』
などなど、またまた、演説を始めてしまいました (^o^)
宗匠はお優しいので、『そや!』と相づちをうっていただき、私も助かりましたが、
みなさん、あまりお酒をお召し上がりにならないので、一人、盛り上がっていた感じでした(^^;)
新入りなのに、言いたいこと言って、恥ずかしいかぎりですが、
先輩方もとてもお優しく、助けられました。
いつもはちょっと堅い話で終始するお稽古ですが、今日ばかりは、
みなさんと打ち解けるよい機会になりました。
宗匠は、先祖の大茶人、萬代屋宗安の子孫が、また茶道の世界に入ってきた事をとてもうれしいと
いってくださり、私も胸が熱くなりました。
これからも、出来る限り時間を割いてお茶の稽古に励みたいと想います。
今日は、みなさん背広姿でしたが、私だけは着物でした。
着物は結城紬、帯は綴れの角帯、羽織は西陣のお召しです。

Posted by 渡辺幻門 at
23:35
│Comments(2)
2011年03月03日
沖縄そばとコーレグース
芸大のマネジメント研究の講座を受けた後、あれこれ考えていました。
講義をされた谷先生はキュレーターと自称されています。
瀬戸内芸術祭などのアートイベントをプロデュースされたそうです。
そんな体験談も交えての講義だったのですが、同じプロデューサーでも私とはスタンスが違うと思います。
アート・イベントのプロデュースというのは、基本的にはそのイベント自体がそのそのプロデューサーの作品です。
ですから、いろんな作家を組み合わせて、自分の描いたコンセプトを実現する。
作家はいわば、将棋の駒です。
プロデューサーが主体で、作家が従ですね。
私の場合は、作家の長所短所を見極めて、その作家の持ち味を引き出すのが仕事だと心得ています。
ですから、どんな腕の良い作家でも、私の思い通りに作風を変えようという気持ちはサラサラありません。
なぜかといえば、自分の作品にプライドを持っている作家は、私の言うことなど聞くはずがない、と思っているからです。
もちろん、私は私の美意識を基礎にして、作家さんとお付き合いをしますし、作家さんに様々なお願いをします。
しかし、基本的には作家が主で、私が従です。
私がよく使うたとえは、『作家は沖縄そば。私はコーレグース』です。
作家さんは、そばをうったり、出汁を工夫したりして、自分の味を追い求める。
コーレグースの私は、その味を引き立たせる役目しかありません。
食べる人が美味しいと思うのは、あくまでそばであって、コーレグースではありません。
でも、コーレグースを少し入れるだけで、そばの味と香りが引き立つ事は多くの人が知っています。
私の行う展示会は、私の作品かも知れません。
でも、作品は、作家の個性が引き出された、光を放つものでなければならないと考えています。
どんなに良いコーレグースでも、どんなそばにでも合うという事もない。
コーレグースはそれに合うそばがあってこそ、役割を十分に果たせるとも言えるでしょうね。
ですから、そばとコーレグースは、そばを味わうという行為を共同で演出しているという事です。
城間さんなら、城間さんの作品にもすべて私のコーレグースが効いている。
それが萬代屋宗晏の品物だ、ということです。
アート・イベントのプロデュースの場合は、コンセプトのおもしろさだけが注目されがちですが、
中味はどんな風に作り上げられるのでしょうか。
普通の電車は、駆動するのが最前列だけで、あとの客車や貨物車は牽引されているだけなんだそうですね。
新幹線は、すべての車両が駆動するので速いのだと聞いた事があります。
うちの場合は、新幹線です。
私が方向性は決めているけれども、一緒に仕事してくれている仲間の作家さんたちも、同じスピードで前向きの力を出してくれている。
進みたい方向が違って、脱線する車両もたまにありますが、それはそれで良いと思います。
でも、進むべき方向性は、私と作家さんとの交流の中で決められるもので、双方が一体となって前にすすむべきものなのだと思います。
コーレグースはそれだけ飲んでも、辛いだけですからね (^o^)
講義をされた谷先生はキュレーターと自称されています。
瀬戸内芸術祭などのアートイベントをプロデュースされたそうです。
そんな体験談も交えての講義だったのですが、同じプロデューサーでも私とはスタンスが違うと思います。
アート・イベントのプロデュースというのは、基本的にはそのイベント自体がそのそのプロデューサーの作品です。
ですから、いろんな作家を組み合わせて、自分の描いたコンセプトを実現する。
作家はいわば、将棋の駒です。
プロデューサーが主体で、作家が従ですね。
私の場合は、作家の長所短所を見極めて、その作家の持ち味を引き出すのが仕事だと心得ています。
ですから、どんな腕の良い作家でも、私の思い通りに作風を変えようという気持ちはサラサラありません。
なぜかといえば、自分の作品にプライドを持っている作家は、私の言うことなど聞くはずがない、と思っているからです。
もちろん、私は私の美意識を基礎にして、作家さんとお付き合いをしますし、作家さんに様々なお願いをします。
しかし、基本的には作家が主で、私が従です。
私がよく使うたとえは、『作家は沖縄そば。私はコーレグース』です。
作家さんは、そばをうったり、出汁を工夫したりして、自分の味を追い求める。
コーレグースの私は、その味を引き立たせる役目しかありません。
食べる人が美味しいと思うのは、あくまでそばであって、コーレグースではありません。
でも、コーレグースを少し入れるだけで、そばの味と香りが引き立つ事は多くの人が知っています。
私の行う展示会は、私の作品かも知れません。
でも、作品は、作家の個性が引き出された、光を放つものでなければならないと考えています。
どんなに良いコーレグースでも、どんなそばにでも合うという事もない。
コーレグースはそれに合うそばがあってこそ、役割を十分に果たせるとも言えるでしょうね。
ですから、そばとコーレグースは、そばを味わうという行為を共同で演出しているという事です。
城間さんなら、城間さんの作品にもすべて私のコーレグースが効いている。
それが萬代屋宗晏の品物だ、ということです。
アート・イベントのプロデュースの場合は、コンセプトのおもしろさだけが注目されがちですが、
中味はどんな風に作り上げられるのでしょうか。
普通の電車は、駆動するのが最前列だけで、あとの客車や貨物車は牽引されているだけなんだそうですね。
新幹線は、すべての車両が駆動するので速いのだと聞いた事があります。
うちの場合は、新幹線です。
私が方向性は決めているけれども、一緒に仕事してくれている仲間の作家さんたちも、同じスピードで前向きの力を出してくれている。
進みたい方向が違って、脱線する車両もたまにありますが、それはそれで良いと思います。
でも、進むべき方向性は、私と作家さんとの交流の中で決められるもので、双方が一体となって前にすすむべきものなのだと思います。
コーレグースはそれだけ飲んでも、辛いだけですからね (^o^)
Posted by 渡辺幻門 at
15:05
│Comments(0)
2011年03月03日
沖縄そばとコーレグース
芸大のマネジメント研究の講座を受けた後、あれこれ考えていました。
講義をされた谷先生はキュレーターと自称されています。
瀬戸内芸術祭などのアートイベントをプロデュースされたそうです。
そんな体験談も交えての講義だったのですが、同じプロデューサーでも私とはスタンスが違うと思います。
アート・イベントのプロデュースというのは、基本的にはそのイベント自体がそのそのプロデューサーの作品です。
ですから、いろんな作家を組み合わせて、自分の描いたコンセプトを実現する。
作家はいわば、将棋の駒です。
プロデューサーが主体で、作家が従ですね。
私の場合は、作家の長所短所を見極めて、その作家の持ち味を引き出すのが仕事だと心得ています。
ですから、どんな腕の良い作家でも、私の思い通りに作風を変えようという気持ちはサラサラありません。
なぜかといえば、自分の作品にプライドを持っている作家は、私の言うことなど聞くはずがない、と思っているからです。
もちろん、私は私の美意識を基礎にして、作家さんとお付き合いをしますし、作家さんに様々なお願いをします。
しかし、基本的には作家が主で、私が従です。
私がよく使うたとえは、『作家は沖縄そば。私はコーレグース』です。
作家さんは、そばをうったり、出汁を工夫したりして、自分の味を追い求める。
コーレグースの私は、その味を引き立たせる役目しかありません。
食べる人が美味しいと思うのは、あくまでそばであって、コーレグースではありません。
でも、コーレグースを少し入れるだけで、そばの味と香りが引き立つ事は多くの人が知っています。
私の行う展示会は、私の作品かも知れません。
でも、作品は、作家の個性が引き出された、光を放つものでなければならないと考えています。
どんなに良いコーレグースでも、どんなそばにでも合うという事もない。
コーレグースはそれに合うそばがあってこそ、役割を十分に果たせるとも言えるでしょうね。
ですから、そばとコーレグースは、そばを味わうという行為を共同で演出しているという事です。
城間さんなら、城間さんの作品にもすべて私のコーレグースが効いている。
それが萬代屋宗晏の品物だ、ということです。
アート・イベントのプロデュースの場合は、コンセプトのおもしろさだけが注目されがちですが、
中味はどんな風に作り上げられるのでしょうか。
普通の電車は、駆動するのが最前列だけで、あとの客車や貨物車は牽引されているだけなんだそうですね。
新幹線は、すべての車両が駆動するので速いのだと聞いた事があります。
うちの場合は、新幹線です。
私が方向性は決めているけれども、一緒に仕事してくれている仲間の作家さんたちも、同じスピードで前向きの力を出してくれている。
進みたい方向が違って、脱線する車両もたまにありますが、それはそれで良いと思います。
でも、進むべき方向性は、私と作家さんとの交流の中で決められるもので、双方が一体となって前にすすむべきものなのだと思います。
コーレグースはそれだけ飲んでも、辛いだけですからね (^o^)
講義をされた谷先生はキュレーターと自称されています。
瀬戸内芸術祭などのアートイベントをプロデュースされたそうです。
そんな体験談も交えての講義だったのですが、同じプロデューサーでも私とはスタンスが違うと思います。
アート・イベントのプロデュースというのは、基本的にはそのイベント自体がそのそのプロデューサーの作品です。
ですから、いろんな作家を組み合わせて、自分の描いたコンセプトを実現する。
作家はいわば、将棋の駒です。
プロデューサーが主体で、作家が従ですね。
私の場合は、作家の長所短所を見極めて、その作家の持ち味を引き出すのが仕事だと心得ています。
ですから、どんな腕の良い作家でも、私の思い通りに作風を変えようという気持ちはサラサラありません。
なぜかといえば、自分の作品にプライドを持っている作家は、私の言うことなど聞くはずがない、と思っているからです。
もちろん、私は私の美意識を基礎にして、作家さんとお付き合いをしますし、作家さんに様々なお願いをします。
しかし、基本的には作家が主で、私が従です。
私がよく使うたとえは、『作家は沖縄そば。私はコーレグース』です。
作家さんは、そばをうったり、出汁を工夫したりして、自分の味を追い求める。
コーレグースの私は、その味を引き立たせる役目しかありません。
食べる人が美味しいと思うのは、あくまでそばであって、コーレグースではありません。
でも、コーレグースを少し入れるだけで、そばの味と香りが引き立つ事は多くの人が知っています。
私の行う展示会は、私の作品かも知れません。
でも、作品は、作家の個性が引き出された、光を放つものでなければならないと考えています。
どんなに良いコーレグースでも、どんなそばにでも合うという事もない。
コーレグースはそれに合うそばがあってこそ、役割を十分に果たせるとも言えるでしょうね。
ですから、そばとコーレグースは、そばを味わうという行為を共同で演出しているという事です。
城間さんなら、城間さんの作品にもすべて私のコーレグースが効いている。
それが萬代屋宗晏の品物だ、ということです。
アート・イベントのプロデュースの場合は、コンセプトのおもしろさだけが注目されがちですが、
中味はどんな風に作り上げられるのでしょうか。
普通の電車は、駆動するのが最前列だけで、あとの客車や貨物車は牽引されているだけなんだそうですね。
新幹線は、すべての車両が駆動するので速いのだと聞いた事があります。
うちの場合は、新幹線です。
私が方向性は決めているけれども、一緒に仕事してくれている仲間の作家さんたちも、同じスピードで前向きの力を出してくれている。
進みたい方向が違って、脱線する車両もたまにありますが、それはそれで良いと思います。
でも、進むべき方向性は、私と作家さんとの交流の中で決められるもので、双方が一体となって前にすすむべきものなのだと思います。
コーレグースはそれだけ飲んでも、辛いだけですからね (^o^)
Posted by 渡辺幻門 at
15:05
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